船内捜査
こうして、四五頭のライオンと豹とが、またたく間に、斃されてしまった。残りの猛獣は、びっくりして、その場をにげだして、向うへいってしまった。それを見すまして、檣のうえに避難していた連中は、どどっと下りた。一同は、わっと喊声をあげて、古谷局長と貝谷の隠れているところへ、駈けこんできた。
「ありがとう、ありがとう」
「そんな挨拶はあとだ。さあ早くこの銃を持て。そしてもう一度船内へひっかえして、持てるだけ、銃だの弾丸だのを持て」
一行は忽ち武装してしまった上に、更に多数の銃や弾丸を手に入れた。
「さあ、いよいよ猛獣狩といくか」
「待て待て。皆がいくまでのこともなかろう。ここからこっち半分は猛獣狩にいくとして、あとの半分は船内捜索をやるから、俺についてこい」
局長は貝谷を副長と決め、あと三人ばかりの船員を指名し、さっきに引続いて、船内を探すことになった。古谷局長の胸中には、前からたえず気になっていることがあったのである。それは、和島丸が航行中、受取ったあの怪しい無電のことである。
この幽霊船が、果してあの無電をうったのであるか。また魚雷も、この幽霊船の仕業であるか。もしそうだとしたら、なぜ和島丸は撃沈されなければならなかったか。更に幽霊船との関係も明らかにされなければならなかった。それとともに、死んだものと思われる無電技士丸尾の先途も見届けたいものであると思っていた。これ等のことがはっきりしないうちは、幽霊船の謎を十分解いたとはいえないのだ。和島丸の遭難事件の原因をたしかに突きとめたとはいえないのである。古谷局長と貝谷とは、まず無電室へはいってみた。ここにも人影はなし、室内には器械がひっくりかえり、書類がとびちっている。
「この部屋も、ずいぶん、ひどいですねえ」と、貝谷は眉をひそめた。
「うんひどすぎる」局長は、ちらばっている書類をしきりに拾いだした。
「なにを探しているんですか」
「無電を打ったその記録書を探しているのさ。はたして例のSOS信号をうったのが、この幽霊船か、どうかをしらべておく必要があるのだ」
古谷局長は、まもなく数十枚の貴重な記録書を拾いあげた。
「これだけ集ったが、SOS信号のものは一枚もない。そればかりか、この汽船は、今日でもう二十日間も一本の無電も打っていないのだ」
「二十日間も、一本の無電も打っていないというと……」
「つまり、無電技士がこの部屋からいなくなってからこっち、もう二十日になるのだ。すると、この汽船内に大事件が突発してから二十日間は経ったという勘定になる」
「無電技士も、やっぱり猛獣に喰われてしまったというわけですかね」
古谷局長は、顔こそ知らないが、自分と同じ職にあったこの汽船の無電技士の哀れにも恐ろしい運命に対して、深く同情した。
「局長、あれをごらんなさい。赤い豆電灯が点いたり消えたりしています」
「どれ、どこだ」
と、局長はびっくりして貝谷の指す方をみた。壊れて床に倒れている器械の配電盤の上に、赤い監視灯が点いたり消えたりしているではないか。
「おやッ、この汽船には、まだ誰か生きている者があるんだな」
意外な生存者
古谷局長は、貝谷をうながし、扉をうちやぶって船内へはいった。船内は、暗かった。
「おい、中にはいっている奴、こっちへ出てこい!」
古谷局長は、英語でどなった。洞のような船内に、こえは、がーんと、ひびきわたる。
中からは、返事がなかった。
「出てこなければ、撃つぞ。――もうあきらめて、降参しろ!」
局長は、もう一度、どなった。しかし、中からは、だれもでてくるものがなかった。
「おかしいじゃないか、貝谷」と、局長は、貝谷をかえりみていった。
「そうですなあ」と、貝谷は思案をしていたが、
「じゃあ、私がどなってみましょう」そういって貝谷は、大音声をあげ、
「こら、いのちが惜しければ、出てこいというんだ。出てこなければ、鉄砲をぶっぱなすぞ!」
「おいおい貝谷。日本語が、外国人にわかるものか」
「いや、私は大きな声を出すときには、日本語でなくちゃあ、だめなんです」
そういっているとき、暗がりの向うから、わーッと、とびだしてきたものがあった。
「ほら、出てきやがった!」
と局長以下の隊員は、銃をかまえた。怪しい奴なら、ただ一発のもとに撃ちとめるつもりだ。
「おお古谷局長!」暗がりからとびだしてきた相手は、意外にも、日本語で叫んだ。
「だ、だれだッ」
「丸尾です!」
「えっ、丸尾?」
ぼろぼろのズボンをはいて現れた人間。それはやつれ果てはいるが、丸尾技士だった。
「おお、丸尾だ。丸尾の幽霊だ。お前は、浮かばれないと見えるな」と、貝谷は叫んだ。
「幽霊? ばかをいうな。おれは、ちゃんと生きているぞ。生きている丸尾だ」
「ははあ、幽霊ではなかったかな、なるほど」
貝谷は、丸尾の身体を、気味わるげにさわってみて、感心したり、よろこんだり。
「丸尾、よく生きていた。わしは、漂流していると無人のボートの中でお前の片手を拾ったんだ。その手は、お前の書いた手紙を握っていた。だから、お前は、てっきり死んでしまったものと思って、あきらめていた。本当に、よく生きていたね。一体、これはどうしたのか」
「いや、これには、たいへんな話があるのです。しかし、猛獣は、どうしました。ライオンだの豹だのが、この船には、たくさんいるのです」
「それはもう皆、やっつけてしまった」
「えっ、やっつけてしまった。本当ですか。じゃ安心していいですね。ああ、よかった」
と丸尾は胸をとんとんと叩いた。
「猛獣狩は、もうすんだから、心配なしだ。それよりも、お前の方の話というのは……」
「ああ、そのことです。和島丸の同僚が、三名、いるのです。それから、この汽船ボルク号の生き残り船員が七八名いますが、こいつらは、かなり重態です」
「ほう、ボルク号。この汽船は、ボルク号というのか。どこの船か」
「ノールウェイ船です」
「うん、話をききたいけれど、それより前に、和島丸の仲間をよんできてやれ。心配しているだろう。私もよく顔をみたい。一体だれが生きのこっているのか」
「はい、矢島に、川崎に、そして藤原です」
「ほう、そうか。よくいってやれ。そして、あとでゆっくり、話をきこう」
と、古谷局長がいえば、丸尾は、大ごえをあげながら、元の暗がりへ、とびこんでいった。
かたく閉された船内からは、幽霊が出てくるか、それとも猛獣がとびだしてくるかと思われたのに、その予想をうらぎって、思いがけなくも、丸尾たち生存者を発見して、古谷局長以下は、たいへんなよろこびかただった。
早速、貝谷を上甲板へやって、海上に監視をつづけている佐伯船長にしらせることにした。貝谷は、銃をひっかついで、上甲板へ、かけのぼった。
「おい、おーい」貝谷は、ボートをよんだ。
「おーい、どうした?」ボートからは、待っていましたとばかり、直ちに応えがあった。
「すばらしい発見だ。和島丸の船員が、このボルク号の中にいた。人喰い獣は、もう全部やっつけた!」と、貝谷は、旗のない手旗信号で、おどろくべきニュースを知らせた。
ボートの中でも、よほどおどろいたものと見え、両手をあげてよろこびの万歳であった。これから、しばらくは、貝谷とボートとの間に、しきりに信号が交換された。そして佐伯船長の乗ったボートは、ボルク号の方に、漕ぎよせてきた。
「奇蹟だ。信ずべからざる奇蹟だ」佐伯船長は、つぶやきながら、タラップをのぼって来た。
「おお、丸尾か。よく生きていたのう。おう、矢島も川崎も藤原も、よくまあ無事でいたなあ」
そこで、船長と生残りの船員とは、ひしと抱きあって、よろこびの涙を流したのであった。
「船長、丸尾の話によって、なにもかも、すっかり分りましたぜ」
「なにもかもというと、この幽霊船のことかね」
「船のことはもちろん、例の怪しいSOSの無電信号のことまで、大体分りました」
「ほほう、あのことまで、分ったか」
「丸尾、船長に、今の話をもう一度報告しなさい」
「はい」と、丸尾は船長の前に、姿勢を正して、語りはじめたのであった。
「まず、私たちの冒険から、申し上げなければなりません。私たちのボートは、暗夜を漂流中、この幽霊船の横に、吸いつけられてしまったのです。ちょっとおどろきましたが、なにしろこのとおりのりっぱな船体をもっているので、恐ろしさもわすれて、私たち六七人で、タラップ伝いに甲板へ上りました。ところが、どこからともなく、異様な唸りごえをきいたかと思うと、いきなり暗の中から、大きな獣がとびだしてきたのには、胆をつぶしました。私たちは、死にもの狂いで、獣とたたかいました。しかしこっちは、もうさんざんつかれ切っているところだし、獣の方は腹が減っているものとみえ、ますますあれ狂って、とびついてくるのでした。そのうちに、獣の数は、ますます殖えてきました。そしてとうとう仲間の一人――木谷が、やられてしまったのです。すると獣は、たおれた木谷にとびついていきました。木谷を助けようと思ったのですが、とても駄目でした。そのときの恐ろしい光景は、今も眼の前に、はっきり見えるようです」
と、丸尾はちょっと言葉を切って、身を慄わせた。
「……木谷が野獣にやっつけられたとき、私たちは、わずかの隙を見出したのです。“今だ、今のうちに安全なところへ避難しなければ……”というので、私たちは、夢中で、船橋へ駈けのぼりました。ところが、ここも駄目だということがわかりました。人間の臭いをしたって、獣は、後をおいかけて来たのです。私たちは、扉をおさえ、必死になって防戦しました。しかし、硝子戸がこわされ、そこから黒豹らしいものがとびこんできたときには、もう駄目だと思いました。誰かが、悲鳴をあげました。残念だったのです。私たちは、卑怯なようだが、もうどうすることも出来なくて、船橋を逃げだしました。それから、一同、ばらばらになってしまいましたが、そのとき私の書いた報告文をもって、ボートへ戻ったはずの三鷹とも、それっきり会いません。そのうちに、私は通風筒の前に出ました。私は不図思いついて、その中に、もぐりこみました。それが私の幸運だったのです。生命びろいをしたのは、通風筒へもぐりこんだおかげです」
丸尾の額から、汗が、ぽたぽたと頬をつたわって、流れた。
「私は、通風筒の格子をやぶりました。そして、その中をどこまでも奥へはいこんでいったのです。どのくらいそこにいたか、よく覚えていませんが、とにかくかなり永い間を経て、私は、いきなり船室へひょっこり、顔を出したのです。つまり、船内に開いている別の通風筒の端へ出たのです。私は、やれやれと思いました。ところが、船内も、安心というわけにいかないことが、だんだんと分ってきました。猛獣は、船内にも、うろうろしているのです。私は、廊下へとびだしては、獣に追いかけられました。そのたびに、私は、もっと防衛に都合のよい部屋へいかねば安心できないと思ったのです。そして、とうとう辿りついたところは、機関室の中でありました」
「ああ、なるほど。君がとびだしてきたのは、機関室の入口だったね」と、古谷局長がいった。
「そうです。あそこは、機関室へ通ずる廊下の出口だったのです。機関室へとびこんでみると、私は、そこに思いがけない、このボルク号の生残りの船員を七名、発見しました。彼等は、負傷と空腹とで、いずれもひどく弱っていました。そうでしょう。彼等は、この機関室へもぐりこんだばかりに、野獣に喰われる生命を助かったのです。しかし、その代り、食料品を取りにいくことも出来ず、もし出れば、すぐさま眼を光らせ鼻をうごめかせている獣に飛びつかれるものですから、やむを得ず、ここに空き腹を抱えて、我慢をしていたのです。そのうちに、すっかり疲労と衰弱とが来てしまって、もう一歩もたてなくなったといいます。何しろもうあれから、三週間近くになるそうですからね」
「三週間。そうだろう。その位になるはずだ。無電日記を見て、私は知っている」
と、古谷局長は、いった。
「一体、どうしてこのボルク号の中に、猛獣があばれだしたのかね」
船長は、不審でたまらないという顔で、丸尾にたずねた。
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