海野十三全集 第1巻 遺言状放送 |
三一書房 |
1990(平成2)年10月15日 |
1990(平成2)年10月15日第1版第1刷 |
「編集長、ではもう外に伺ってゆくことは御座いませんネ」
「まアそんなところだね。とにかく相手は学界でも特に有名な変り者なんだから、君の美貌と、例のサービスとを武器として、なんとか記事にしてきて貰いたい。その成績によっては、君の常々欲しいと云っておったロードスターを購ってやらんものでもない」
「アラ、きっと御約束しましたワ。ロードスターを買って下されば、あの人との結婚式を半年も早めることができるんですの、まア嬉しい」
「嬉しがるのは後にして、一刻も早くぶつかって来給え。はイ、円タク代が五十銭!」
* * *
「ゴーゴンゾラ博士の研究室は何階ですの」
「第三十八階!」
「そこまで、やって頂戴」
「はい、上へ参ります。御用の階数を早く仰有って下さいまし、二階御用の方はございませんか。化粧品靴鞄ネクタイ御座います。三階木綿類御座います。お降りございませんか。次は四階絹織物銘仙羽二重御座います。五階食堂ございます。ええ、六階、七階、あとは終点まで急行で御座います。途中お降りの方は御乗換えをねがいます。ありませんか。では三十八階でございます。どなたもこれまでで御座います。お忘れもののないように、毎度ありがとう御座い」
「まア、ここは屋上。博士の研究室なんてありゃしないわ。あら、あすこにネーム・プレートが下っている。まるで、エッフェル塔の天辺に鵠が巣をかけたようね。では、下界で待っているあの人のために、第二にはロードスターのために、第三は原稿料のために、第四は編集長のために、勇気を出して、この鉄梯子に掴まって登りましょう。誰も、梯子の下に、タカリやしないでしょうね。エッサ、エッサ、エッサラエッサ」
カンカンと、ノックの音。
「ゴーゴンゾラ博士!」
「……」
「ゴーゴンゾラ博士ったらサ! ご返辞なさらないと、ペンチで高圧電源線を切断ってしまいますよ、アリャ、リャ、リャ、リャ……」
「これ、乱暴なことをするのは、何処の何奴じゃ」
「博士ね、ここに紹介状を持って参りましたワ」
「おお、なんと貴女は、美女であることよ! 紹介状なんか見なくとも宜しい。さあ、早く入った、入った」
「オヤオヤ、あたしのイットが、それほど偉大なる攻撃力があるとは、今の今まで知らなかった。では、御免遊ばせ。まア博士の研究室の此の異様なる感覚は、どうでしょう! まるでユークリッドの立体幾何室を培養し、それにクロム鍍金を被せたようですワ。博士、宇宙はユークリッドで解けると御考えですか」
「近ければ解け、遠ければ解けぬサ」
「博士の御近業は、一体どのくらい遠くまでを、問題になさっています」
「近業とは?」
「判っているじゃありませんの。謂うだけ野暮の『遊星植民説』!」
「ははア、そんなことで来なすったか。だが遊星植民には、欠くべからざる必要条件が一つあるのを御存じかな」
「存じませんワ、博士。それは、どんなことですの」
「いや、段々と判って来ることじゃろう」
「それでは、そのことは後廻しとして、博士。遊星植民説の生れた理由は?」
「とかく浮世は狭いもの――ソレじゃ」
「満洲国があっても、狭いと仰有るの」
「人間の数が殖えて、この地球の上には載りきらないのも一つじゃ。だが、それだけではない。人間の漂泊性じゃ。人間の猟奇趣味じゃ。満員電車を止めて二三台あとの空いた車に載りたいと思う心じゃ。わかるかな。それが人間を、地球以外の遊星へ植民を計画させる」
「まア。必要よりも慾望で、遊星植民が行われると、おっしゃるのネ」
「そうじゃ。能力さえあるなら、人間はどんな慾望でも遂げたい。すべての達せられる程度の慾望が達せられると、この上は能力をまず開拓して、それによって次なる新しい慾望を覘う。慾望の無くなることは無い。科学はオール・マイティーにして、同時にオール・マイティーではない。もっと明瞭に云うと、科学はレラティヴリーにオール・マイティーであるが、アブソリュートリーにオール・マイティーではない。初等数学で現わすと、『オールマイティーじゃ』と云って誤りでない」
「どうも、あたしには哲学が判りませんのよ」
「高等数学だから判らんのじゃよ」
「そんなことより、遊星植民の実際はどうするんです?」
「いろんな方法があって、一々述べきれないが、素人に判りよい方法を三つ四つ、数えてみよう。まずお月様を征服することじゃ」
「まア!」
「ロケットという砲弾みたいな形の、箆棒に速い航空機に、テレヴィジョン送影装置を積んで月の周囲を盛んに飛行させ、月の表面の様子を地球の上のテレヴィジョン受影機にうつして、地理を研究する。これは月以外の、どの遊星へ植民するときも同じ手じゃ」
「偵察飛行みたいだワ」
「そうして、上陸地点を決定し、又上陸後はどのような方法で、地球の人間が衣食住をすべきかを計画する。計画が出来たら、地球の上から、人間がロケットに乗って飛び出し、兼ねて探して置いた地点に上陸する」
「随分日数がかかるでしょうネ」
「まア一週間で行けるようになる」
「それからどうなりますの」
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