幸運
すっかり希望を失ったぼくは、機械台の上にいつまでも震えながら、歎き悲しんでいた。
そのうちに、ぼくはとつぜんむずと摘みあげられた。ぼくは愕いた。はっとして目を瞠ると、知らない若い男の指に摘みあげられていた。
その若い男は、もう一人の男と、しきりにあまりよくないところの話に夢中になっていた。
「よせよ、大きなこえを出すない。木田さんに聞かれたら、怒られるよ」
「大丈夫だい。木田さんは呼ばれて主任のところへ行っちまった。おい、どうする。行くか、行かないか」
「おれはいやだよ」
「ばか。いくじなし」
そういいながら、その若い男は、ぼくを穴の中へ挿し込んだ。私はこの意外な出来事に、夢かとばかり愕き、そして胸を躍らせた。木田さんが向うへいった留守に、何にもしらないこの若い男が、ぼくをよく調べもしないで、装置の穴の中に挿し込んでしまったのである。やがてぼくの頭に、ドライバーが当てられた、ぐっと圧されて、きりきりと右へ廻された。ドライバーは、何遍かつるりと滑った。そのたびにやり直しだ。
だがその若い男は、話に夢中になっていたので、文句も云わず何遍でもやり直して、とうとうぼくを穴の中に圧し込んでしまったのである。
ぼくは暫く呆然となっていた。
喜んでいいのか、それとも悲しんでいいのか。
自分のあさましい身の上が分ると、ぼくはもう初めに考えていたように、大きなりっぱな機械に抱かれることをすっかり断念しなければならなかった。今の今まで、断念していたのである。
ところが思いがけなく、ぼくは憧れの国際放送機の中に取付けられてしまったのである。こんなうれしいことが又とあろうか。
ぼくを、こうした思いがけないすばらしい幸運へなげこんでくれたこの若い男に対し、どんなに感謝しても感謝し足りないと思った。
だが、ぼくの心の隅に、何だかおりのようなものが溜っていることについて、ぼくはいささか気にしないわけにいかなかった。というのは、ぼくは公然堂々と大手をふってこの大役にとびこんだわけではなかったのである。
早くいえば、その若い男が、くだらない話に夢中になっているお蔭で、こんなことになったのである。それは決して公明正大であるとはいえない。身は一つのもくねじであるが、日本に生まれた以上、やっぱり日本精神を持っている。だからぼくの折角のこの幸運も、自ら省みて、いささか暗い蔭のさしていることが否めない。
それでもいいのであろうか。
声をたてるわけにもいかないので、ぼくはだまってそのまま成行にまかせるより外なかった。不幸なる幸福! 少々うしろめたい幸運!
果してぼくは、いつまでも幸福でいられるであろうか。
悲劇
その後ぼくは異状がなかった。
ぼくの取付けられた放送機は、それからのち方々へ廻った。
多くの時間が、この装置の試験に費された。装置には、真空管も取付けられ、すっかりりっぱになったところで、はじめて電気が通され、計器の針が動いた。
試験をしていると、装置はだんだん熱してきた。ぼくはあまり暑くて、しまいには汗をかいた。
そのうちに試験も終り、荷作りされた。
ぼくはトラックに揺られ、それから貨車の中に揺られ、放送所のある遠方の土地まで搬ばれていった。
そこから先、またトラックにのせられ、寒い田舎を搬んでいかれた。
そして遂に放送所についた。
ぼくの取付けられている機械は、函から出された。そこには多勢の技師が待っていた。
「ああよかった。これで安心だ。間に合うかどうかと思って、ずいぶん心配したなあ」
その中の一等年齢をとった人が、そういって一同の顔を見廻した。
それからぼくの機械は、多勢の肩に担がれ、二階の機械室まで持っていかれた。
この機械を据えつける基礎はもうちゃんと出来ていた。機械はその上に載せられた。うまくボルトの中に嵌らないらしく、盛んにハンマーの音がかんかん鳴った。
その震動は、ぼくのところまでもきびしく響いてきた。
「おや、これはいけないぞ!」
ぼくは気がついた。たいへんなことが起りかけた。ぼくの身体が、穴から抜けそうである。
あんまりがんがんやるからいけないのである。基礎がちゃんとうまく出来ていればよいのに、それが寸法どおりいっていないものだから、ハンマーをがんがんふるわなければならないのだ。それは全くよけいな心配をぼくにかける。いや今となっては、単なる心配ではない。ハンマーがガーンと鳴るたびに、ぼくの身体は穴からそろそろと抜けていくのであった。
「おい、ねじが抜けるよ。誰か来て留めてくれ」
ぼくは人間に聞えない声で、一生けんめいに怒鳴った。
仲間のもくねじたちは、きっとぼくの悲鳴を聞きつけたにちがいない。しかし、彼等の力ではどうすることも出来ないのだ。
ガーン、ガーン、ガーン。
呀っという間に、ぼくは穴からすっぽりと抜けてしまった。そして小さい声をたてて、コンクリートの床に転がった。頭の角をいやというほどぶっつけた。ああ万事休す!
ぼくは、又もや大きな悲しみの淵に沈んだ。床から機械の元の穴まではずいぶんはるかの上だ、翼ない身は、下からとびあがっていくことも出来ない。
悲しみの中にも、ぼくはまだ少しばかりの希望を抱いていた。
それは誰かがぼくの傍を通りかかって、ぼくが転がっていることに気がつくのだ。おや、こんなところにねじが落ちている。一体どこのねじが抜けたんだろうといって、その人が親切に、ぼくの入るべき元の穴を探してくれれば、ぼくはたいへん幸福になれるのであった。どうか、誰か技師さん、ぼくを見つけてくれませんか。
しかし実際は、ぼくを見付けてくれる人間は一人もいなかったのである。運のわるいときには悪いことが重なるもので、それから三十分ばかり経った後のこと、技師の一人がこつこつと靴音を響かせて、ぼくの転っている方へ歩いて来たが、その靴先がぼくの身体に当って、ぼくはぽーんと蹴とばされてしまった。
なにしろ軽い身体のぼくのことであるから、たちまち床をごろごろと転った末、部屋の隅にあった木箱の壊れがつみあげてあるその下へもぐり込んでしまった。ああ、もう観念の外はない。再びあのりっぱな機械の穴へは戻れないことになってしまった。
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