二つの怪球
怪球は、敬二少年の愕きを余所に、ずんずん地面の土下から匍いあがってきた。ビビビーン、ビビビーンという例の高い音が、鼓膜をつきさすようだった。
「あれッ、あの機械水雷のお化けは、横に転がってゆくよ」敬二が愕きつくすのは、まだ早すぎた。
草原にポカッと明いた穴の中から、なにかまた、黒い丸い頭がムクムクともちあがってきた。
「おや、まだ何か出てくるぞ」ムクムクムクとせりあがってきたのは、始めの怪球と形も色も同じの双生児のようなやっぱり大怪球だった。
「呀ッ、二つになった。二つがグルグル廻りだした。ああ、僕は夢を見ているんじゃないだろうな」
夢ではなかった。敬二は自分の頬っぺたをギュッとつねってみたが、やっぱり目から涙が滾れおちるほどの痛みを感じたから。
二つの真黒な怪球は、二条の赤い光を宙に交錯させつつ、もつれあうようにクルクルと廻りだした。その速いことといったら、だんだんと速さを増していって、やがて敬二少年のアレヨアレヨと呆れる間もなく、二つの大怪球は煙のように消えてしまった。と同時に、照空灯のように燿いていた赤光も、どこかに見えなくなった。ただあとには、さらに高い怪音が、ビビビーン、ビビビーンと、微かに敬二の耳をうつばかりになった。
「あれッ。どうも変だなア。どこへ行っちまったんだろう」敬二は二つの黒い大怪球が、宙に消えてゆくのを見ていて、あまりの奇怪さに全身にビッショリ汗をかいた。
双生児の怪球はどこへ行った?
敬二は、まるで狐に化かされたような気もちになって、掘りあらされた空地の草原をあちこちとキョロキョロと眺めわたした。
怪球はどこにも見えない。だが、ビビビーンと微かな怪球の呻り声だけは聞える。どこかその辺にいるんだろうが、こっちの目に見えないらしい。
そのときであった。カリカリカリという木をひき裂くような音が聞えだした。鋭い連続音である。
「さあ何か始まったぞ」敬二はその異変を早く見つけたいと思って目を皿のようにして方々を眺めた。遂に彼は発見したのである。
「あッ、あそこの板塀が……」板塀に、今しもポカリと穴が明いている。フットボールぐらいの大きさだ。その穴が、どうしたというのだろう、見る見るうちに大きく拡がってゆくのである。やがてマンホールぐらいの大きさの穴になり、それからまだ大きくなって自動車のタイヤぐらいの大きな穴となった。しかし何が穴を明けているのか更に見えない。
怪奇は、まだ続いた。板塀の穴がもう大きくならぬと思ったら、こんどはまた別の大きな音響が聞えだした。カチカチカチッという硬いものをぶっとばす音だ。その音は、ずっと手近に聞える。敬二はハッとして、後をふりかえった。
ところがどうであろう、彼はいとも恐ろしきことが、すぐ後に始まっているのを知らなかったのだ。敬二の顔は真青になった。そして思わずその場に尻餠をついてしまった。ああ彼は、そこにいかに愕くべき、そして恐るべきものを見たのだろうか。
この深夜の怪奇を生む魔物の正体は何?
崩れる東京ビル
敬二少年は、石を積みかさねてつくられたビルディングが、溶けるように消えてゆくのを見た。――なんという怪奇であろう。
「……」敬二少年は、愕きのあまり、叫び声さえも咽喉をとおらない。
彼が見た光景を、もっとくわしくいうと、こうである。――
彼は、東京ビルを背にして立っていたのであった。ところがうしろにカチカチカチッと硬いものをはげしく叩くような音がしたので、うしろをふりかえってみると、さあ何ということであろう。東京ビルの入口に立っている太い柱の一本が、下の方からだんだん抉られてくるのであった。柱はみるみる抉られてしまって、メリメリと、大きな音をたててゴトンと下に落ちた。そして中心を失って、スーッと横に傾くと、地響をたてて地上に仆れ、ポーンと粉々にこわれてしまった。
敬二少年は、、わずかに身をかわしたので、辛うじてその柱の下敷きになることから救われた。
カチカチカチッ。――また怪音がする。
「おやッ――」と、音のする方をふりかえった少年の目に、また大変な光景が目にうつった。
それは、東京ビルの玄関が、下の方からズンズン抉られてゆくことであった。まるで砂糖で作った菓子を下の方から何者かが喰べでもしているように見えた。堅牢なコンクリートの壁が、みるみる消えてゆく。そのうちにガラガラと音がして、ぶったおれた。
「ややッ、これは……」寝坊の宿直が、やっと目をさまして、とびだしてきた。彼はあまりのことに、まだ夢でもみている気で、目をこすっていた。
警官が駈けつけてきた。
通りがかりの酔っ払いが、酔いもさめきった青い顔をして、次第に崩れゆく東京ビルを呆然と見守っていた。警官にも、何事が起っているのか、ハッキリしなかったが、ただハッキリしているのは見る見るうちに東京ビルが崩れてゆくという奇怪な出来ごとだった。火災報知器が鳴らされた。ものすごい物音に起きてきた野次馬の一人が、気をきかしたつもりで、その釦を押したのだろう。
その騒ぎのうちに、ビルディングはすこしずつ崩れていって、やがて大音響をたてると、月明の夜が、一瞬に真暗になるほど恐ろしい砂煙をあげてその場に崩潰してしまった。まるで爆撃されたような惨澹たる光景であった。
「一体、これはどうしたというわけだ」と、駈けつけた人々は叫んだ。
「まさか白蟻がセメントを喰べやしまいし、ハテどうも合点のゆかぬことだ」
誰も、この東京ビル崩壊事件の真相を知っている者はなかった。
まるで夢のような、銀座裏の怪奇事件であった。
蟹寺博士の鑑定
東京ビルの崩壊は、崩れおちるまでに相当時間が懸ったので、幸いにも人間には死傷がなかった。警視庁からは、水久保捜査係長が主任となって、この原因の知れないビルの崩壊事件を調べることになった。
「どうも分らない。殺人事件の犯人を捜す方がよっぽど楽だ」と、智慧の神様といわれている水久保係長も、あっけなく冑をぬいでしまった。
山ノ内総監も「分らない」という報告を聞いて不興気な顔をしてみせたが、さりとてこれがどうなるものでもなかった。
「水久保君。分らないというだけでは、帝都三百万の市民にたいして、申訳にならないぞ。分らないにしても、もっと何か方法がありそうなものじゃないか。こんな風にしてみれば或いは分るかもしれない、といった何か思いつきはないかネ」
「そうでございますネ」と水久保係長はしきりに頭をひねっていたが、急に思いついたという風に手をうって「そうだ。これは一つQ大学の変り者博士といわれている蟹寺先生に鑑定をねがってみてはどうでしょう」
「おお、蟹寺博士か。なるほど、そいつはいい思いつきだ。先生は非常な物識りだから、きっとこの不思議をといて下さるだろう。ではすぐ博士に電話をかけて、おいでを願おう」
山ノ内総監も、急に元気づいて、水久保係長の言葉に賛成したのだった。
それから一時間ほどして、いよいよ博士が東京ビルの崩れおちた前にあらわれた。博士は強い近眼鏡をかけて、鼻の下から頤へかけてモジャモジャ髯を生やしていた。
「なるほど話に聞いたよりひどい光景じゃ」と博士は目をみはりながら、崩れたビルの土塊を手にとりあげたりしていたが「これはなかなか強い道具で壊したと見える」
「先生、強い道具でとおっしゃっても、それを見ていた人間の話によると、道具はおろか、現場には犬一匹いなかったそうです」
「何をいうのだ。儂のいうことに間違いはないのじゃ。たしかに強い道具で、これを壊したにちがいない。やがてそれがハッキリするときが来るにきまっている」
「そうですかねえ。だがどうも変だなア。見ていた連中は、誰も彼も、いいあわしたように、傍には何にも見えないのに、ビルだけがボロボロ壊れていったといっているんだが……」
水久保係長には、博士のいうことがよく嚥みこめなかった。
しばらくすると博士は、腰をのばして、
「この現場は、まあこれくらいで分ったようなものじゃ。では、今盛んに崩れているところを見たいから、案内して下さらんか」
「今崩れているところ?」係長は側をむいて警官隊に、今崩れているところがあるかどうかたずねた。
「さあ、只今そういうところはありません。今のところ、東京ビルだけで崩れるのは停ったようです」蟹寺博士はそれを聞いていたが、やがて首を大きく左右にふっていった。
「この事件は、崩れているところを見ないことには、なぜそんなことが起るか説明できないじゃろう。こんどそういうことがあったら、急いで知らせて下さいよ」博士は、そういいすててスタコラ帰っていった。
新聞記事
敬二少年は、その夜の異変を思いだしてはゾッとするのだった。
――空地の草原を上へおしあげてムクムクと現れた機械水雷のような大怪球! しかも一つならず二つも現れた。それがビビーンビビーンと互いにグルグル廻りながら、やがて煙のように消えてしまった。その怪球には、眼玉のような赤い光の窓がついていたが、それも見えなくなった。二つの大怪球はどこへ行ったのだろう。
――東京ビルがカチカチカチッと崩れはじめたのは、それから間もなくのことだった。
――赤い眼をもった二つの大怪球と、東京ビルの崩壊とは、別々の異変なのであろうか。それともこの二つは同じ異変から出ているのであろうか。
翌日の朝刊新聞には、東京ビルの崩壊事件が三段ぬきの大記事となって、デカデカに書きたてられていた。
「深夜の怪奇! 東京ビルの崩壊! 解けないその原因!」という標題があるかと思うと、他の新聞にはまた、「科学的怪談! 蟹寺博士もついに匙を投げる。人類科学力の敗北!」
などと、大々的な文字がならべてあった。
敬二少年は、東京ビルの崩れた前でその新聞を一つのこらず読みあさった。しかしその新聞記事のどこにも、例の二つの大怪球のことは出ていなかった。敬二少年は不思議でならなかった。なぜあのことを書かないのだろうか。
「オイ給仕、この騒ぎのなかで、新聞なんか読んでいちゃいけないじゃないか。そんな遑があったら、壊れた壁を一つでも取りのけるがいい」
喧し屋の支配人足立は、敬二少年を見つけて、名物の雷を一発おとした。
「ははッ――」と、敬二は鼠のように逃げだしてビルの崩れた土塊の上によじあがった。
「敬坊、てへッ、やられたじゃねえか。ふふふふッ」
「なんだ、ドン助か。こんなところにいたのか」
「ふふふふッ。さっきから、ここで働いているんだ。もう大分掘ったよ」そういったのは、同じ東京ビルのコックをしていたドン助こと永田純助という敬二の仲よしだった。彼はおそろしく身体の大きなデブちゃんであった。
「ずいぶんよく働くネ。いつものドン助みたいじゃないや」
「ふン、これは内緒だがナ、この真下に、おれの作っておいた別製の林檎パイがあるんだ。腹が減ったから、そいつを掘り出して喰べようというわけだ。お前も手伝ってくれれば、一切れ呉れてやるよ」
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