一坪館開店
すばらしい四角な塔のような建物がたった。
近所の人たちはおどろいた。なにしろ自分たちの家は平家が多く、たまに天井の低い二階家があるくらいだった。
ところが源一の新築した建物は、雲にそびえているようにみえるほど高かった。地上から三階建であるが、各階ともに天井が高くとってあるのですばらしく高い。したがって外から見ると、どうしても塔に見える。その塔は近所の家をすっかり見下ろしている。いや、銀座界隈を見下ろしているといった方がいいだろう。
全体はクリーム色にあかるく仕上げられた。屋根には緑色の瓦がおかれた。
銀座を通る人々は、誰もみんな、この新しい塔の建物に目をむけた。
屋根に近いところに、モザイクで、赤バラの花一輪がはめられると、この建物は盛装をこらした花嫁さんのようになった。
「すばらしい塔をこしらえたもんだ。あの塔は何だね」
「さあ、何だかね。今どき、ごうせいなことをやったもんだ。ちょっとそばへいってみようよ」
みんな、この塔の下にあつまって来た。
そのとき彼らは見たのである。その一階の店前に、いろとりどりの美しい草花が鉢にもられていっぱいに並んでいるのを。
「あ、花屋だ」
「やあ、きれいだなあ。花ってものは、こんなに美しかったかしらん」
「うれしいね。焼夷弾におわれて、こんな美しい草花のあることなんかすっかり忘れていたよ。一鉢買っていこう。うちの女房や子供に見せてよろこばしてやるんだ」
塔見物にそばへよって来た人々は、こんどは草花の美しさにとりこになって、争うようにして源一の店から花の鉢を買っていく。
源一は、あせだくで、うれしい悲鳴をあげていた。
この新しい銀座名物の建物は「一坪館」と名づけられた。
たった一坪の土地が、こんなに能率よく利用せられたことは、今までにはほとんどないことだろう。
店の品物があまり売れすぎるので、午後一時頃には品物が店になくなりかけた。困ってしまった源一は、誰かを雇って花の仕入をしようかと考えた。しかしそのとき思い出したのは、いつも源一に元気をつけてくれた犬山画伯のことだった。
(そうだ、犬山さんに頼んで、しばらくこの店を手つだってもらおう)
そう思った彼は、その夜、犬山画伯のもとをたずねた。
犬山画伯は、家を留守にしていた。田舎へ出かけて、いつ帰ってくるか分らないという話だった。彼はがっかりして一坪館へひきあげた。
彼にもう一つの心配があった。明日は土曜日でヘーイ少佐が来る。そして、いよいよベッドを三階に入れるわけだが、あんなせまいところへうまく入るだろうか、そして少佐が土曜日の夜をあそこでうまくねられるだろうかという心配だった。
ベッドを三階へ
ヘーイ少佐は、土曜日の午後、ジープを自分で運転して一坪館へのりつけた。
「ほう。すばらしい繁昌だ」
少佐は、よろこびのあまり、ぴゅーッと口笛を吹いたほどだった。全く一坪館の前は人垣をつくっていて、中で働いているはずの源一の顔も見えなかった。
店の中へ少佐がはいって来た。源一の顔を見ると、大きな手をさしのべて握手をした。
「すばらしい繁昌、おめでとう」
「ありがとう、ヘーイさん。なにもかも、あなたのおかげです」
「なあに、ぼくは君に、ちょっぴりお礼をしただけだよ。ぼくは君のために、もっともっと力を出すつもりだ」
「すみません」
源一は、強く少佐の手をにぎりかえした。
昔、すこしばかり親切にした酒屋の小僧を忘れずにいてくれるヘーイ少佐。
それから少佐の奇禍に通りあわせて、ほんのすこしのきてんをきかせて助けたことを、恩にきていてくれる少佐。そしてこんなりっぱな一坪館を建ててくれた少佐。――少佐の人情のあつさに、源一は感謝のことばを知らないほどだった。
「ベッドは、いつ三階へあげますか」と、源一は少佐に聞いた。
「今、上にあげよう」
「あ、そうですか。ベッドはもうトラックで持って来たんですか」
「いや、ジープにのせて来た」
「え、ジープに、まさか、ジープにベッドがのるもんですか。そして三階にあげるにはどうするんですか。人足を十人ぐらい集めるのでしょう」
「いや、ぼく一人でたくさんだ」
「あんなことをいっている。ヘーイさんはお茶目さんだからなあ」
「うそじゃないよ。いっしょに来てみたまえ」
少佐はそういって、外に待たせてあるジープの方へいった。
源一も三人力を出すつもりで外へとび出した。すると少佐はジープの中へ上半身をさし入れて、ごそごそやっていたが、やがて中から一抱ある布ぎれ細工のものをとりだした。
「これだよ、ゲンドン。これがベッドだ」
「え、それですか。……なあんだ。それはハンモックじゃないですか」
「そう。ハンモックだ。われわれ軍人のベッドはハンモックでたくさんだ」
そういうと、少佐はハンモックをかついで三階へあがっていった。
「おどろいたなあ。ハンモックだったのか」
源一はアメリカ軍人の簡易生活におどろきながら、少佐のハンモック吊りを手つだった。対角線にハンモックを吊った。なるほど、そのように吊ると、長い少佐のからだも入るであろうと思われた。
「まあ、よかった」
源一は、一息ついた。それを見て少佐は、からからと笑った。
大人気
三階建の一坪館は、あたりの建物からひときわ高く頭を出して、うれしそうに天を仰いでいる。
「やあ、すごい店ができたね。ははあ、花やだな」
「あ、二階に絵画展覧会場があるって、ポスターが出ているぜ」
「こんなせまい家で、展覧会ができるのかなあ。どうしてそんなことができるのか、ちょっと上って見てこようや」
銀座のお客さんは、こうした風がわりを好む。きゅうくつな階段を、がけのぼりのようにしてあがって二階へ。
「ほう。やったね」
「ふーン、壁という壁にのこりなく絵をはりつけたね。こんな能率のいい展覧会場は、はじめて見たよ」
そのとおりだった。四方の壁という壁が、すっかり絹地へかいた日本画でうずまっている。草花の画がある、かわいい子供の人物画がある、花のさいた田舎の風景画がある。
「ああ、これはたのしいね。画なんて、こんなきれいな、いいもんかな」
「戦争に夢中になっていて、こういう世界をすっかり忘れていたよ」
「こうして画を見ていると、敗戦のくるしさを忘れるね」
「おいおい、見るだけじゃ悪いよ。僕とちがって君は金を持っているんだろう。一枚買っていけよ」
「あんなことをいっているよ。ぼくだって金はあまり……この画は非売品だよ。売らない画なんだ。見たまえ、ねだんの札がついていないじゃないか」
「いや、おのぞみでございましたら、お売りもいたします。ねだんは、こっちに分っておりますから……」
そういって顔を出した人物があった。かぼちゃにもじゃもじゃ毛をはやしたような目の美しくすんだ男――犬山画伯だった。この画をかいた本人の犬山画伯だ。
「いや、今日はねだんをおしえていただかなくともけっこうです。ごめんなさい」
二人の客は、あとからどかどかとあがって来たあたらしい一団の客といれかわりに、笑いながら、下へおりていった。
この話でわかるとおり、源一は犬山画伯をこの一坪館へよびむかえたのである。画伯夫妻のよろこびは大きかった。ゆめにも思わなかったりっぱな展覧場を、源一が貸してくれたので、天にのぼるよろこびだった。
二階はそれでいいが、問題は三階だ。
この一坪館を建ててくれた恩人のヘーイ少佐は六尺ゆたかな長身だ。その少佐は三階へハンモックをもちこんで、はすかいにつった。ヘーイ少佐はときどき来ては、その上にねた。少佐はたいへんきゅうくつなねかたをしなければならなかった。一坪館だから、たてもよこも六尺はあったが、それは家の外側の寸法だ。あつい壁があるから、中へはいると寸法がちぢまっているのだ。
でも少佐は不平もいわず、ゆかいな歌を口笛でふきながら、三階でやすんだ。
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