半年後
ここで話は、半年ばかり先へとぶ。
銀座も、バラック建ながらだいぶん復興した。
進駐軍の将校や、兵士たちがいきいきした表情で、ぶつかりそうな人通りをわけて歩いていく。
銀座の通りの、しき石の上には、露店がずらりとならんで、京橋と新橋との間の九丁の長い区間をうずめている。
道のまん中にたれさがっていた電線は、きれいにかたずけられて、今は電車が通っている。
通行人の身なりも、だいぶんかわって来て、もんぺすがたがすくなくなり、ゲートルはほとんど見えない。
戦争はおわって、平和の日が来たのだ。
しかし敗戦のみじめさは、あらゆるもの、あらゆるところをおおっていて、日本人は一息つくごとに、いたみをおぼえなければならなかった。
だが、戦争はおわり、平和の日が来たんだ。もう空襲警報もなりひびかないのだ。焼夷弾や、爆弾の間をぬって逃げまわることもなくなったのだ。今は苦しいが、日一日と楽しさがかえってくるにちがいない。
その楽しさは、どこまでかえって来たか。どんな形をして目の前にあらわれているのであろうか。人々は、それをさがすために、みんな、銀座の通りへあつまってくるのだった。ものすごい人通りが、こうしてできる。
前には、新橋の上に立つと、源一の店がどこにあるか分った。しかし今はもうさっぱりだめだ。家が建って、見とおしがきかない。
銀座の通りからでも、源一の店は見えない。通りにもだいたいバラック式の家が立ちならんだからである。例の交番のある辻のところまでくると、はじめて源一の一坪店が見え出す、その奥の方に……。
源一の店は、まだ家になっていない。天幕ばりの店である。しかし、店内は、にぎやかだ。
もう、れんげ草やタンポポは、ならんでいない。
菊、水仙、りんどう、コスモス、それから梅もどきに、かるかやなどが、太い竹筒にいけてある。すっかり高級な花屋さんになってしまった。
その主人公の源ちゃんは、日やけのした元気な顔をにこにこさせて、お客さまのご用をうけたまわっている。いつの間におぼえたのか、いくつかの花を器用にあしらって、あとは花活になげこめばいいだけの形の花束にまとめあげるのだった。
「どうも花のおろし値が高いものですからね。お高くおねがいして、すみませんです」
などと、源一は顔ににあわぬ口上もいう。
「ずいぶん高いのね」
と、お客さんはため息をつきながら、それでも花ににっこり笑って買っていく。
花よ。花よ。ずいぶん永い間、あなたにあわなかったね。
戦敗街道
天幕ばりながら源一の一坪店は、はんじょうしている。
しかし源一を虻小僧とあざけり笑った三人組の青年たちの姿は、そのへんのどこにも見えない。彼らは芋を売っている間は、まだよかったのであるが、その後芋が統制品となって売るのをとめられた。それでも彼らは売った。それを売らないと彼らは収入がなくて食べられないからであった。そのあげく、彼らの商品はすっかりおさえられ、そしてそのまま没収されたものもあり、とんでもない安値で強制買上げになったものもあった。
三人が留置場から出たときには、仕事がなくて、食べるに困った。その結果、とうとう悪の道へはいりこんで強盗をはたらいた。
彼らが、もし正しい心を持ち、神を信じていたら、そんな悪の道におちないですんだことであろう。しかし彼らは不運にも、そういう方向へみちびいてくれる先生をもたなかったし、いい友だちがなかったし、工場が空襲で焼けて後は職を失いみじめな生活にうちひしがれ、すっかり心をどぶにつけていたようなものだった。――そして今彼ら三人は、刑務所の中に暮している。だから三人組は、この銀座へ顔を見せないのであった。
そんなことは、源一は知らなかった。にくい奴らであるが、こうながく彼らが姿を見せないと、どうしたのかしらと、心配になった。
犬山画伯も、このところしばらく姿を見せない。しかし画伯は、刑務所で暮しているわけではない。画伯は、もともとからだの丈夫な方ではなかったので、人通りしげき銀座通りに立ち、もうもうとうずまく砂ほこりを肺の中に吸って、暮したのがよくなかったらしく、夕方には熱が出、はげしいせきが出るようになった。そこで銀座で仕事をすることは、もう三ケ月も前にやめたのである。
しかしもう大分よくなっている。仕事も、家の中でしている。進駐軍の将兵たちがお土産に買ってかえる絹地の日本画を家でかいているのであった。これは、往来にたって似顔スケッチをやるよりは、ずっといい仕事であった。だから画伯は、ヤミで卵を買ったり肉を買ったりして食べることが出来、そのおかげで健康がもどって来たのだった。そしてときどき銀座へあらわれて、源一の一坪店を見によってくれる。
店の看板も、もう五六度もかきなおしてくれた。源一はその代金を払おうとしたが、画伯はいつも、
「とんでもない。源ちゃんからそんなものをもらわなくても、僕は大丈夫食っていける」
といって、けっして受取らなかった。
「でも、僕だって、このごろそうとう儲かるんですよ。とって下さい」
「今に僕が展覧会をひらいたら、そのときには源ちゃんに買ってもらおうや」
犬山画伯は、これは冗談だがとことわりながら、それでも目をかがやかしたものだったが……。その画伯は、どうしたんだろう?
残された者
そのうち銀座は、えらいいきおいで復興しはじめた。まずその第一着手として、銀座八丁の表通を、一か所もあき地のないように店をたてならべることになった。
その工事はにぎやかにはじめられた。木材を使った安っぽい建物ながら、おそろしいほどの金がかかった。しかし焼跡が一つ一つ消えていって、木の香も高い店舗がたつとさすがににぎやかさを加えて、だれもみんなうれしくなった。
表通りの建築がすすむにつれ、こんどは銀座の裏通りの建築がはじまった。表通りがにぎやかになるのなら、裏通りへも人が来るにちがいない、だから表通りにおくれないように商売家をたてようというねらいだった。
そういう建築主は、ないないといいながらも、たくさんのお金を持っていて、「こう高くちゃ、家をたてただけで、財布がからになってしまう」などとこぼしつつ、どんどん家をたてるのだった。
一日ごとに目に見えて銀座の表通りは家がたちそろいにぎやかになっていった。それと競争のように、裏通りの方も日に日に町並がかわって、新店があちらにもこちらにも開店祝いのびらをにぎやかにはりだした。「銀座が復興したね。ずいぶんにぎやかになったね」
「そうだってね。今日は、行ってみようと思ってたところだ、そんなに復興したかい」
「君はまだ行ってないのか。じゃあ早く行ってみたまえ、びっくりするから。品物も、なんでもならんでいるね。そのかわり、目の玉がとびだすほど高いけれどね」
品物が高いそうなといわれても、それじゃあ銀座へ行くのはよそうやという者はなく、どんな品物がならんでいて、どんな高い値段札がついてるかを見たいというので、若い人はもちろん、いい年をした老人などもわっしょいわっしょいと銀座へおしだした。
そしてそれが新しい話題となって、どんどん人から人へと伝わっていくものだから、それを聞き伝えた人々は、われもわれもと銀座へ出てくるのだった。
「高いね、高いね、これじゃ何にも買えないや」
といいながら、はじめは見物ばかりして行く人々ばかりのようであったが、そういう人たちも、たびたび銀座をあるいているうちに、高値になれてしまい、そしていつも不自由を感じている鞄だのマッチだのライターだのを見てほしくなって買ってしまうのだった。そうして銀座では、ものすごく物が売れるようになった。源一のテント店はどうなったであろうか。
あわれにも彼のテント店は雨にたたかれて汚い色と化し、みすぼらしさを加えた、そればかりか両隣りもお向いも、みんな本建築になってしまったので、源一のテント店は一そうみすぼらしくなってしまった。源一の心境はどうなんだろう。
暁の街道
銀座の表通りの復興店舗もすっかり出来上り、りっぱになったので、昔のように表通りのどこからでも、源一の店が見えるというわけにはいかなかった。それに源一のみすぼらしいテント店のまわりも、みんな本建築になってしまったので、源一の店のみすぼらしさは一そう目についた。したがって花を買ってくれるお客さんの数も、だんだん少くなった。
源一はしぶい顔をして店のまん中に、石のように動かなかった。(うちも、本建築にしたいんだが、まだお金がそんなに溜っていない。ああ、あ、いつになったら、ちゃんとした店が、建てられるのかなあ)
源一のなげきは大きかった。
(一生けんめいに働いているんだが、思うようにもうからない。サービスも一生けんめいやっているんだが、思うようにお客さんが来てくれない。どうすれば、うんとお金が手に入るかなあ)
そのころ新聞には、毎日のように強盗事件が報道されていた。一夜のうちに、強盗の手にわたる金額は何十万円、何百万円にのぼった。源一は、まさか強盗になろうという気はしなかった。しかし世間の家には、よくまあそんな大きな金がころがっているものだと感心した。そのような金を、すこし僕に貸してくれないものだろうか。せめて十万円だけ費してくれる人があれば、うすっぺらな板を使ったにしろ、とにかく家らしいものが出来るんだが、しかしこの源一のねがいは、夢でしかなかった。誰もそんな金を貸してやろうといってくれなかった。
その日の早朝、源一はオート三輪車で風を切って街道をとばしていた。花を仕入れるため、多摩川の向岸まで行く用があったのである。まだ陽が出たばかりで、田畑にさえ人影がなかった。
そのとき、同じ道のずっと前方から、こっちへ向って走って来る自動車があった。それはアメリカ軍が使っているジープといわれる小型のものだった。それがスピードを出していると見え、うしろにもうもうと砂けむりをあげていた。
源一は、やがてジープとすれちがうときのことを予想して、スピードをおとしていった。ジープは一本道をだんだん近づいた。あと三百メートルぐらいになったとき、どうしたわけかそのジープはいきなり左へ頭をふると、車体が宙にういて道を踏みはずし、田の中へとびこんでひっくりかえった。
「あッ、たいへんだ」
これを見ていた源一はおどろいて、三輪車のエンジンを全開にして現場へかけつけると、ブレーキをかけるのも、まどろこしく、車からとびおりて田の中を見た。
ジープは車輪を上にして田の中にめりこんでいた。乗っていた人は、どうなったかと見ると、車から五メートルばかり離れたところでのびていた。生きているのか死んでいるのかわからない。顔が血でまっ赤だ。さあたいへん。
ゲンドン
源一は、できるだけの速力で、泥田の中へとびこんでいった。ひっくりかえったジープの横をぬけ、たおれているアメリカ人のそばへ寄った。
その人の顔からは、まだたらたらと血が流れ出てくる様子、いきはしているが、その人は目をとじたままだった。
かたわらにその人の帽子が落ちていた。将校の帽子だった。
「しっかりなさい、もしもし、ハロウ。ハロウ。しっかりなさい」
源一は、「しっかりなさい」という英語を知らないことをたいへんに後悔した。
その人はそれでも気がつかなかった。
「……早く病院につれていかなくては――」
源一は、いきなりその人をかつぎあげた。ずいぶん重い身体だった。しかし源一は力持ちだったから、相手をかついで田の中をわたり、道まで出た。そしてその人を、三輪車のうしろの、荷物をのせるところへ入れ、走り出した。
走っている途中で、その人は気がついたようであった。
その人は、何かいった。しかし源一にはよく分らなかった、源一はいいかげんに返事をしながら、先を急いだ。
病院の玄関に車をつけた。源一は車をとびおりると、大声で看護婦をよんだ。奥からばたばたと白い服を着た看護婦があらわれた。
「アメリカの将校が自動車事故で大けがをしたんです。僕の車のうしろに積んで来ました。早くたんかを持って来て下さい。院長さんは、いるでしょうね。早く手当をしてあげて下さい」源一は早口にしゃべった。看護婦たちはあわてて奥へかけこむと、すぐたんかをかついで出て来た。
そして玄関先へ下りて、源一の三輪車のうしろへまわった。
「わたくし、たんか、いりましぇん」アメリカ人は、たんかを見ると、手をふりながら、そういった。そして三輪車から下りて立った。血のこびりついた顔は元気に見え、そして笑っていた。看護婦たちはおどろいてしまって、ことばも出なかった。
「おいしゃさま、どこにいますか」アメリカ人は、重ねて日本語でいった。
「看護婦さん。早くこの方を手術室へ案内しなさい。早く早く」源一がそういったので、看護婦たちは始めてわれにかえってアメリカ人をなかへ案内した。中へはいりかけたアメリカ人は、まわれ右をして、また、玄関先に出て来た。そして源一の方へつかつかと歩いていって、握手をもとめた。
「ありがと、ございました。……おや君はゲンドンではないか」アメリカ人は、大きく目をひらいて、源一の顔をみつめた、源一は奉公していたお店で「源どん」とよばれていた。「源どん」という名をしっているこのアメリカ将校は、一体だれであったろうか。
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