三人組
「なあんだ。花を売っていると思えば、れんげ草じゃないか。人を笑わせやがらあ」
「誰がそんなものを買うものか」
「そうだ、そうだ。今みんな腹をへらしているんだ。食いものなら買うが、花なんぞ、誰が買っていくものか。この坊や、よっぽど頭がどうかしてるぜ。わっはっはっ」と、三人の若者は、源一の頭へ、あざけりの大笑いをあびせかけた。
源一は、しゃくにさわって、下から胸へぐっとあがってくるものを感じた。(なにをバカヤロウ、何を売ろうと、ひとのことだ。おせっかいはよしやがれ)と、かなわないまでも三人の若者をどなりつけてやりたかった。が、源一は、一生けんめいに腹の立つのを自分でおさえつけた。こんなにおたがいに焼けちまい、みじめになっているのに、このうえけんかをしてどうなるだろうか。仲よくしなければならないんだ。たすけあわなければならないんだ。笑顔でいかなければならないんだ。
「あははは、おかしいねえ」と、源一は、気をかえて笑った。
「あれッ。自分でおかしいといっているよ、この小僧は……」
「誰も買わなきゃ、あんちゃんたち、買ってくださいよ」
「しんぞうだよ、この虻小僧は。みそ汁で顔を洗って出直せ」
「ああ、みそ汁がほしい」
「そらみろ。だからよ、食いものはみな買いたくなるんだ。花はだめだ。店をひらくだけ損だよ」
「でも、ぼくはれんげ草を売るです。だんぜん売ってみせるです」
「ごうじょうだよ、お前は……」
「バカだよ、きさまは……」
「損だよ。今に泣き出すだろうよ」
三人の若者は、てんでんにいいたい言葉を源一にはきかけると、そこを立ち去った。源一が見ていると、三人は自転車につんで来た荷物を開いて、本通りに店をひろげた。
「さあ、おいしい芋だ。ほし芋だ」
「ふかし芋もある。いらっしゃい、いらっしゃい」
「腹がへってはしょうがない。さあお買いなさい、あまいあまいほし芋だ」
三人の若者が、かわるがわるに声をあげて、ほし芋とふかし芋を売りはじめると、通行人たちはたちまち寄って来て、芋店の前は人だかりがつづき、品物は羽根が生えたように売れていった。そして二時間ばかりすると、すっかり売り切れてしまった。三人の若者は、えびすさまが三人そろったようににこにこ顔だ。そして源一の方へ近づいて、たずねた。
「おい虻小僧。れんげ草の原っぱはまだ売切れにならないかい。うふッ。まだ一つも売れてねえじゃねえか。どうするんだ、そんなことで……」
「ぼく、だんぜん花を売ります。誰がなんといっても売るです」
源一は、ふりしぼるような声で叫んだ。
犬山画伯
三人組が芋を売りきって引きあげていったあと、源一は一坪の店をまもって、れんげ草とたんぽぽを一株でも売りたいと思い、がんばった。
だが、ついに一株も売れなくて、やがてさびしく日はかたむきだした。
一日中、焼けあとにほこりをあび、くさいにおいをかぎ、おなかをすかせ、三人組からは、悪口をあびせかけられ、向うの通りを行く人々からは相手にされないで、源一もすっかり元気をなくし、くたびれはてて焼けあとの焼け煙突のうえにあかあかと落ちてくる夕日が目にうつると、もうたまらなく、目からぽつりぽつりと大きな涙の粒が、焼け灰のうえに落ちるのだった。
「死んでしまおうか……」
源一は、唇をかみしめた。自分もなさけない。東京もなさけない。日本もなさけない。未来にたのしみも希望もみつからない。
そのときだった。源一の前にゲートルをまいた二本の足が停った。誰だろう。
「ほほう、これはおそれいった。れんげに、たんぽぽか」
がらがらとした大きな声が、源一の頭の上にひびいた。源一は、下を向いて泣いていたので、顔は涙によごれていた。その涙を、ひざの上に組んだ服の袖で、ごしごしとこすってから顔をあげた。
源一の前には、見るからに人のよさそうな男がつったっていた。その男は、年が若いのか、そうでないのか、よく分らなかったが、後で分ったところによると、まだ二十歳の青年だった。年がよく分らないのは、その男の顔が、南瓜に似ていて、そのうえに雀の巣をひっかきまわしたようなもじゃもじゃの髪の毛を夕風にふかせ、まるで畑から案山子がとびだしてきたような滑稽な顔かたちをしていたせいであろう。彼は、肩から画板と絵具箱とをつりさげ、そして右手には画架をたたんだものをひっさげていた。それを見れば、この男が画家であることが一目で分るはずであるが、源一はすぐにはそれに気がつかなかった。
「えらくしょげているね。ほ、目のまわりがまっ黒だ。そうか、泣いていたね。はははは、子供のくせにいくじがないぞ。いったいどうしたんだ」
それから話が始まって、犬山猫助というその画家は、源一の身の上からこの店をだして品物が一つも売れないまでのことを、すっかり聞いてくれた。
「そんならなにも、しょげることはないじゃないか。花を売ろうという考え方はいいんだから、もっとしんぼうして売れる日までがんばるんだね。しかし、もっと人目につくようにしなくちゃ、誰も知らないで通ってしまう。よろしい。僕が君のために画看板をかいてやろう」
そういって犬山猫助は画板をひらくと、その場ですらすらと、美しい花の画看板をかいてくれた。源一は、その画をうけとって、うれしそうに大にこにこ、礼をいうのも忘れていた。
命名
源一は、画家犬山猫助がかいてくれた美しい花の画看板を、棒の先にゆわいつけて、一坪の店に、高々とはりだした。
これはたいへんききめがあった。
「おや、花だ。花を売っているよ」
と、通りからこっちへ通行人がとびこんで来る。
「れんげ草か、これはいいね。一株五十銭。ふうん。安くはないが……しかしほかの物にくらべると、やっぱりこんな値段だろうね。よし、十株もらうよ。うちの焼跡へこれをうえて、うちの庭をれんげ畑にしよう」
そういって、よろこんで買っていくお客さんがふしぎにつづいた。
「犬山さん。今日はばかに花が売れますよ。犬山さんのおかげです。昨日かいて下すったこの花の画看板のおかげです。ありがとう。ありがとう」
源一は、一坪店から、通りの方へ大きな声でさけんだ。犬山猫助は、今朝からこの銀座通りへ、似顔スケッチの店をひらいたのである。彼は、源一にすすめて、源一もこの表通りへ出てきたらいいだろうといったが、源一は矢口家のおかみさんから譲られた裏通りの一坪の地所から放れるつもりはなかった。
犬山さんが近くに店を出してくれ、そしていろいろと元気づけてくれるので、源一はもう涙なんか出さなかった。
犬山画伯は、その日、もう一枚、花の画看板をかいてくれた。そしてそれは、表通りに棒をたてて、その上にはりつけることにした。“この奥に最新開店の花やがございます。どうぞちょっとお立より下さいまし”と、案内の文句がかいてあった。
この宣伝看板が出ると道行く人々は、前よりもずっと源一の店に気がつくようになった。
「君、源ちゃん。店の名前をつけなくちゃね」
と、犬山画伯は源一の店の前へやって来て、画看板を指でたたいた。なるほど、名前がほしい。
「なんとしますかね、犬山さん」
「さあね。すっきりした名がほしいね」
「あっ、そうだ。一坪花店というのはどうでしょう」
「なに、ヒトツボ花店というと……」
「ここの地所が、一坪の広さだから、それで一坪花店ですよ」
「な、なあるほど。よし、それがいいや」
犬山さんは、画筆をふるってこの画看板に「一坪花店」という名をかき入れた。
源一は、すっかりうれしくなって、あき箱に腰をかけ、うららかな陽をあびながら商売をつづけた。お客さまは、おもしろいほどつづき、店頭に人だかりがするほどになった。
お昼すこし前のこと、通りが急にさわがしくなった。それは例の三人組がやって来たのだ。干し芋とふかし芋とをならべると、三人がメガホンを使って、さわがしく呼びたてた。すると客は、みんな三人組の方へ吸いとられてしまった。三人組の声は、ますます調子にのっている。
源一は、また少しさびしくなった。
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