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爬虫館事件(はちゅうかんじけん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 6:18:21  点击:  切换到繁體中文



     5


 爬虫館の鴨田研究室のうちへツカツカと入って行った帆村探偵は、そこに鴨田氏が背後うしろ向きになり、ビーカーに入った茶褐色ちゃかっしょくの液体をパチャパチャき廻しているのを発見した。外には誰も居なかった。
 帆村の跫音あしおとに気がついたらしく、鴨田は静かにビーカーを振る手をちょっととどめたが、別に背後を振返りもせず、横に身体を動かすと、硬質陶器こうしつとうきでこしらえた立派な流し場へ、サッと液体をこぼした。すると真白なけむり濛々もうもう立昇たちのぼった。どうやら強酸性きょうさんせいの劇薬らしい。なにをやっているのだろう。
「鴨田さん、またお邪魔じゃまうかがいました」帆村はぶっきら棒に云った。
「やあ!」と鴨田は愛想よく首だけ帆村の方へ向いて「まだお話があるのですか」とニヤニヤ笑いながら、水道の水でビーカーの底を洗った。
先刻さっきの御返事をしに参りました」
「先刻の返事とは?」
「そうです」と帆村は三つの大きな細長いタンクをして云った。「このタンクを直ぐに開いていただきたいのです」
「そりゃ君」と鴨田はキッとした顔になって応えた。「さっきも言ったとおり、これを直ぐ開けたんでは、動物が皆斃死へいししてしまいます」
「しかし人間の生命には代えることは出来ません」
「なに人間の生命? はッはッ、君は此のタンクの中に、三日前に行方不明になった園長が隠されているのだと思っているのですね」
「そうです。園長はそのタンクの中に入っているのです!」
 帆村はグンと癪にさわった揚句あげく(それは彼の悪い癖だった)大変なことを口走ってしまった。それは前から多少疑いを掛けていたものの、まだ断定すべきほどの充分な条件が集っていなかったのだ。怒鳴どなったあとで大いに後悔こうかいはしたものの、不思議に怒鳴ったあとの清々すがすがしさはなかった。
「君は僕を侮辱ぶじょくするのですね」
「そんなことは今考えていません。それよりも一分間でも早く、このタンクを開いていただきたいのです」
「よろしい、開けましょう」断乎として鴨田が思切おもいきったことを云った。「しかししもこのタンクの中に園長が入っていなかったら君は僕に何をつぐないます」
御意ぎょいのままに何なりと、トシ子さんとあなたの結婚式に一世いっせ一代の余興よきょうでもやりますよ」
 この帆村の言葉はどうやら鴨田理学士の金的きんてきちぬいたようであった。
「よろしい」彼は満更まんざらでない面持おももちうなずいた。「ではこの装置を開けましょうが、爬虫どもを別の建物へ移さねばならぬので、その準備に今から五六時間はかかります。それは承知して下さい」
「ではなるべく急いで下さい。今は、ほう、もう四時ですね。すると十時ごろまでかかりますね。警官と私の助手を呼びますから、しからず」
「どうぞご随意ずいいに」鴨田は云った。「僕も今夜は帰りません」
 帆村はその部屋から警官を呼んだ。副園長の西郷にも了解りょうかいを求めたが、彼も今夜はタンクが開くまで、爬虫館に停っていようと云った。
 しかし帆村は、彼等と別なコースをとる決心をしていた。丁度そこへ助手の須永がやってきたので、万事について、細々こまごまと注意を与え、爬虫館の見張りを命じてから、彼一人、動物園の石門を出ていった。既に秋のは丘の彼方に落ち、真黒な大杉林の間からは暮れのこった湖面こめんが、切れ切れに仄白ほのじろく光っていた。そして帆村探偵の姿も、やがてしのやみの中にまぎれこんでしまった。それからは時計のセコンドの響きばかりがあった。午後五時、六時、七時、それから八時がうっても九時がうっても、帆村の姿は爬虫館へ帰ってこなかった。九時半を過ぎると多勢の畜養員や園丁が檻をかついで入って来て無造作むぞうさにニシキヘビを一頭入れては別の暖室だんしつの方へ搬んで行った。仕事は間もなく終った。助手の須永は、先ほどから勝誇ったように元気になってくる鴨田理学士の身体を、片隅かたすみからにらみつけていた。やがて爬虫館の柱時計がボーン、ボーンと、あたりの壁を揺すぶるように午後十時を打ちはじめた。人々は、首をあげてじっと時計の文字盤を眺め、さて入口をふりかえったが、どうやら求める跫音あしおとは蟻の走る音ほども聞えなかった。
「帆村さんはもう帰って来ないかも知れませんよ」
 鴨田理学士が両手をみ云った。
「いつまで待って居たって仕様がありませんから、このまま閉めて帰ろうではありませんか」
 警官と西郷副園長とが、腰を伸して立ち上った。須永も立ち上った。しかし彼は鴨田の解散説に賛成して立ったわけではなかった。
「もう少し待って下さい。先生は必ず帰って来られます」
 須永は叫んだ。
「いや、帰りません」
 鴨田はなおも云った。
「それでは――」と須永は決心をして云った。「先生の代りに僕が拝見しますから、このタンクを開けて下さい」
「それはこっちでおことわりします」
 憎々にくにくしい鴨田の声に、須永が尚も懸命に争っているうちに、いつの間に開いたか、入口のドアが開かれ、そこには此の場の光景ありさま微笑ほほえましげに眺めている帆村の姿があった。
「皆さん大変お待たせをしました」と挨拶あいさつをした後で、「おや蟒どもは皆、退場いたしましたね、では今度は私が退場するか、それとも鴨田さんが退場なさるか、どっちかの番になりました。ではどうか、あれを開いていただきましょう、鴨田さん」
「……」鴨田は黙々もくもくとして第一のタンクの傍へ寄り、スパナーで六角の締め金を一つ一つガタンガタンとはずしていった。一同は鴨田の背後から首をさし伸べて、さて何が現れることかと、唾を呑みこんだ。
「ガチャリ!」
 と音がして、タンクの上半部がパクンと口を開いた。が、内部は同心管どうしんかんのようになっていて、ふかひれのような大きなひだのついた其の同心管の内側が、白っぽく見えるだけで、中には何も入っていなかった。
空虚からっぽだッ」
 誰かが叫んだ。
 鴨田研究員は第二のタンクの前へ、黙々として歩を移した。同じような操作がくりかえされたが、これも開かれた内部は、第一のタンクと同じく、空虚からだった。
 失望したような、そして又安心したような溜息が、どこからともなく起った。
 遂に第三のタンクの番だった。流石さすがの鴨田も、心なしか緊張に震える手をもって、スパナーを引いていった。
「ガチャリ!」
 とうとう最後の唐櫃からびつが開かれたのだった。
ッ!」
「これも空虚っぽだッ!」
 帆村は須永に目くばせをして彼一人、前に出た。彼の手には自動車の喇叭らっぱの握りほどあるスポイトとビーカーとが握られていた。
 彼は念入りに、白いひだのまわりをあさって、何やら黄色い液体をスポイトで吸いとり、ビーカーへ移していた。
 だがそれは大した量でなく、ほんの底をうるおす程度にとどまった。
 帆村はなおもスポイトの先で、弾力のあるひだを一枚一枚かきわけ、しらべていたが、
「呀ッ」
 と叫んで顔を寄せた。
「これだッ。とうとう見付かった」
 そう云って素早すばやく指先でつまみあげたのは長さ一寸あまりの、柳箸やなぎばしほどの太さの、鈍く光る金属――どうやら小銃しょうじゅう弾丸たまのような形のものだった。
 一同は怪訝けげんな面持で、帆村が指先にあるものをながめた。帆村はその弾丸のようなものを鴨田の鼻先へ持っていった。
貴方あなたはこれをご存知ですか」
 鴨田はに落ちかねる顔付で、無言に首を振った。
「貴方はご存知なかったのですね」
 帆村はどうしたのか、ひどく歎息たんそくして云った。
「これはですね――」
 一同は帆村の唇を見つめた。
「――これは露兵ろへいの射った小銃弾しょうじゅうだんです。そして、これは三十日から行方不明になられた河内園長の体内に二十八年この方、もぐっていたものです。云わば河内園長の認識標にんしきひょうなんです。しかも園長の身体を焼くとか、溶かすかしなければ出て来ない終身しゅうしんの認識標なんです」
「そんな出鱈目でたらめは、よせ!」
 鴨田が蒼白まっさおにブルブルと慄えながら呶鳴った。
「いや、お気の毒に鴨田さんの計画は、とんだところで失敗しましたよ。貴方あなたは園長を殺すために、医学をおさめ、理学を学び、スマトラまで行って蟒の研究に従事じゅうじせられた。そして日本へ帰られると、多額の寄附をしてこの爬虫館を建て、貴方は研究を続けられた。七頭のニシキヘビは貴方の研究材料であると共に、貴重な兇器きょうきを生むものだった。私どもはよく医学教室で、犬を手術し、唾液腺だえきせんを体外へ引張ひっぱり出して置いて、これにうまそうな餌を見せることにより、体外の容器へ湧きだした犬の唾液を採集する実験を見かけますが、貴方は生物学と外科とにすぐれた頭脳と腕とで、うわばみ腹腔ふくこうに穴をあけ、その消化器官の液汁えきじゅうを、丹念に採集したのです。それは周到なる注意で今日まで貯蔵されていました。そして又ここに並んでいるタンクは、巧妙な構造をもった人造胃腸だったんです」
 あまりに意外な帆村の言葉に、一同は唖然あぜんとして彼の唇を見守るばかりだった。
「鴨田さんは三十日の午前十一時二十分頃、園長をひそかに人気ひとけのない此の室に誘い、毒物で殺したんです。そこで直ちに園長の軽装けいそういで裸体とし、着衣などは、あの大鞄おおかばんに入れの夕方、何喰わぬ顔で園外にはこび去りましたが、それはのちの話として、鴨田さんは園長の口をこじ開けるや、蟒の消化液では溶けない金歯をすっかりはずして別にすると、もうこれで全部が溶けるものと安心して此の第三タンクに入れました。そこで永年貯蔵して置いたニシキヘビ消化液をタンクへ入れて密封をすると、電動仕掛けで同心管――それはひだをもった人造胃腸なんですが、その胃腸を動かし始めたんです。適当な温度に保ってこれを続けたものですから、鴨田さんの研究によると、今夜の八時頃までに完全に園長の身体はタンクの中で、影も形もなく融解ゆうかいしてしまうことが判っていました。
 鴨田さんにその自信があったればこそ、この時間になってタンクを開くことを承知されたのです。そしてなおも計画をすすめて、タンクの中の溶液を、そのまま下水へ流してしまうことにしました。急いで流せば、こんな静かなところだからそれと音をさとられるので、排水弁はいすいべん半開はんびらきとし、ソロソロと園長の溶けこんだタンクの内容液を流し出したんです。しかしそれは一つの大失敗を残しました。流出速度が極めて緩慢かんまんだったために、園長の体内に潜入していた弾丸たまは流れ去るに至らず、そのままひだの間に残留ざんりゅうしてしまったんです。この弾丸というのは、園長が沙河さか大会戦だいかいせん奮戦ふんせんはてに身に数発の敵弾をうけ、のち野戦やせん病院で大手術をうけましたが、遂に抜き出すことの出来なかった一弾いちだんが身体の中に残りました。その一弾が皮肉ひにくにも棺桶かんおけならぬ此のタンクの中へ残ったわけなんです。本当に恐ろしいことですね。なお附け加えると、園長の金歯きんばは、大胆だいたんにも私の見ている前でビーカー中の王水おうすいに溶かし下水道へ流しました。万年筆やボタンは鴨田さん自身がいたもので、これは犯罪者特有のちょっとした掻乱手段そうらんしゅだんです」
出鱈目でたらめだ、捏造ねつぞうだ!」
 鴨田は尚も咆哮ほうこうした。
「ではむを得ませんから、最後のお話をいたしましょう」帆村は物静かな調子で云った。「この犯行の動機は、まことに悲惨ひさんな事実から出て居ます。話は遠く日露戦争の昔にさかのぼりますが、河内園長が満州の野に出征しゅっせいして軍曹ぐんそうとなり、一分隊の兵を率いて例の沙河さか前線ぜんせん遼陽りょうようの戦いに奮戦ふんせんしたときのことです。のとき柵山南条さくやまなんじょうという二等兵がどうした事か敵前というのに、目に余るほど遺憾いかん振舞ふるまいをしたために、皇軍こうぐんの一角が崩れようとするのでむを得ず、なみだをふるって其の柵山二等兵を斬殺ざんさつしたのです。これは、軍規ぐんきに定めがある致方いたしかたのない殺人ですが、それを見ていた分隊中の或る者が、本国へ凱旋後がいせんご柵山二等兵の未亡人にうっかりしゃべったのです。未亡人は殺された夫にまさるしっかり者で、そのときまだ幼かった一人の男の子を抱きあげて、河内軍曹への復讐ふくしゅうを誓ったのです。その男の子――兎三夫とみお君は爾来じらい、母方のせい鴨田を名乗って、途中で亡くなった母の意志をぎ、さてこんなことになったのです」
 帆村は語を切った。しかし鴨田学士は、今度は何も云わずに項低うなだれていた。
「もう後は云う必要がありますまい。最後に御紹介したい一人の人物があります。それはこの話のヒントを与えて以後私の調べに貢献こうけんして下すった故園長の古い戦友、半崎甲平老人であります。この老人は同郷どうきょうの出身ですが、衛生隊員として出征せられていたので、後に園長がX線で体内の弾丸たまを見たときにも立合い、また戦場の秘話を園長から聴きもした方です。鴨田さんのき父君のことも知ってられるんですから、此処ここへお連れしました。いま御案内して参りましょう」
 そういって帆村は立上ると、入口のドアをあけた、が、其処には老人の姿は見えなかった。向うを見ると、爬虫館の出入口が人の身体が通れるほどの広さにあき、その外に真黒な暗闇やみがあった。
ッ、鴨田さんが自殺しているッ」
 そういう声を背後に聞いた帆村は、もう別にその方へ振返ろうともしなかった。
 そして彼の胸中には、事件を解決するたびに経験するあのっぱい悒鬱ゆううつが、また例の調子でのぼってくるのであった。





底本:「海野十三全集 第2巻 俘囚」三一書房
   1991(平成3)年2月28日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
   1932(昭和7)年10月号
入力:tatsuki
校正:花田泰治郎
2005年5月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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