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爬虫館事件(はちゅうかんじけん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-26 6:18:21  点击:  切换到繁體中文



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 帆村は爬虫館の外へ出ると、チェリーに火をけて、うまそうに吸った。
 彼の観察したところでは、鴨田かもだ嫌疑けんぎをかけるならば、鴨田は何かの原因で、河内園長を爬虫館に引摺ひきずりこみ、これを殺害して裸体らたいぐと、手術台の上でバラバラに截断せつだんし、彼が飼育しているうわばみに一部分喰わしてしまったのであろう。真逆まさかバラバラにしたとは気が付かなかったので、捜索隊も蟒の腹を見るには見たが、人間を頭から呑んでいる程のふくれた腹をした蟒が居なかったので、それで安心していたものと思う。あの特殊装置というものの中には、きっと血染ちぞめになった園長の服とか靴とかが隠匿されているのではなかろうか。万年筆は、園長を館の入口でめあげるときに落ちたもので、それを後に何かの事情があって遺失品いしつひんとして届けたものであろう。
 しかし今横に並んで歩いている西郷副園長が、この万年筆について不審な行動をっているのにも気がつかないわけではない。第一に三十日の遺失品として届けられたものなら、直ぐにも疑って調べなければならないのが、今まで黙っていたし、一と目みれば園長のものだ位は判りそうなものを何故なにゆえ口を閉めていたのか、嫌な眼付で帆村を覗いたところと云い、ひょっとしたら西郷がすべてを画策かくさくし、嫌疑が鴨田にかかるように、わざと爬虫館の前に落して置いたのではあるまいか。園長殺害の方法も死体も判らぬが、原因は勤務上の怨恨えんこん又は、失恋でもあろう。そう思って西郷の横顔を見ると、どこやら悪人らしいところも無いでは無かった。
 しかし嫌疑薄弱けんぎはくじゃくな西郷まで疑うのは、探偵上の恐しい無限地獄へ落ちこんだようにも思われた。園長令嬢トシ子の言葉としても、副園長を疑うことは申訳なかった。でも疑えば、トシ子は鴨田のことを爪のさきほども言わず、かえって西郷のことを弁明した。これは西郷の愛にむくうことができなかったのでみずから弁解をつとめてつぐないをし、一方鴨田との愛の問題はもう解決を見ているので一言も云わなかったと考えてはどうか。いよいよもつれ糸のように乱れてくる帆村の足許あしもとに、事件解決の鍵かと思われる物が転がっていた。それは一個のボタンだった。
「おお、これは園長の洋服についていた釦に違いない。どうしてこんなところに在るのだろう」
 帆村はねて園長ののこしていった上衣のボタンの特徴を手帳に書き留めて置いたことが役立って大変好運だと思った。それにしても釦を拾った場所というのが、調餌室の直ぐ前の、きりの木材との間にはさまった路面だったので、これでは調餌室の人達について一応嫌疑をかけてみないわけにはゆかない。いや、ひょっとすると、爬虫館前に落ちていたという園長の万年筆もこの釦と殆んど同時に落ちたものと認定すると、これは園長の身体をはこんで行った経路をおのずから語っていることになりはしないであろうか。恐らく万年筆が最初に落ちて、次にチョッキの釦と思うものが落ちたと考えていいであろう。園長の身体は、爬虫館の前から調餌室へ搬ばれたと考えていいであろう。
 だが、どうして人目につかず搬んで行けたかということが次の疑問だった。それが出来たとすると、特殊の状況が必要だったことになる。白昼下はくちゅうかでは、その時、さいわいにも観覧人も少く畜養員や園丁も現場げんじょうに居合わせなかったというとき、又夜間なれば、これはきわめて容易に行われる。しかし万年筆は園長失踪の日に発見されたのだから、はこばれたのは夜間になる以前だといわなければならない。しかも十一時二十分頃までは園長を見掛けたという人があるのだから、正午ひるになれば園長は食事のため事務所へ帰って行った筈で、それが無かったとすると、どうしても失踪は十一時二十分から正午の間と断定するのが常識のように思う。コースは調餌室から爬虫館ではなくて、反対に爬虫館から調餌室へと考えられる。そこで帆村は、爬虫館の鴨田研究員が十一時三十五分前後に、調餌室の前へトラックが到着して動物の餌を搬びこんでいるらしい騒ぎを聴いたということを思い出した。すると犯行は、この前か後か。――帆村は調餌室の内部にも多分の疑問符号ふごうが秘められていることも考えないわけにはゆかなかった。
 西郷理学士と一緒に調餌室に入ってみると、帆村は思わず「ッ」と叫びたいくらいだった。塀の外で調餌室を想像しているのと、こうやって大きな俎上そじょうに、血のタラタラにじみでそうな馬肉ばにくかたまりを見るのとでは、まるっきり調餌室というものの実感が違った。壁には、象を料理するのじゃないかと思うほどの大鉞おおまさかり大鋸おおのこぎり、さては小さい青竜刀せいりゅうとうほどもある肉切庖丁にくきりほうちょうなどが、燦爛さんらんたる光輝ひかりを放って掛っていた。倉庫にはたて半分に立ち割った馬の裸身はだかみや、ダラリと長い耳を下げたうさぎかごなどが目についた。
 この物凄い光景を見た瞬間、帆村の頭脳あたまの中に電光のようにひらめいた幻影げんえいがあった。それは、園長の死体が調餌室に搬ばれたと見る間に、料理人が壁から大きな肉切庖丁をおろして、サッと死体を截断せつだんする。そしておどろくべき熟練をもって、胸の肉、臀部でんぶの肉、脚の肉、腕の肉と截り分け、運搬車に載せると、ライオンだの虎だの檻の前へ直行して、園長の肉を投げ込んでやる。……いや、おそろしいことである。
「これが、調餌室の主任、北外星吉きたとせいきち氏です」西郷副園長が、ゴムまりのようにえた男を紹介した。
「やあ、帆村さんですか」北外畜養員はニコヤカに笑った。
貴方あなたのお名前はねてよく知っていましたよ。今度の事件はまるで、貴方に挑戦しているようなもので、実にうってつけの大事件ですなア」
 帆村はこの機嫌のいい、しかし何だかひやかされているような気がしないでもない北外の挨拶に対して、とみに言うべき言葉もなかった。しかしのまんまるく太った子供の相撲取すもうとりのような男の顔を見ていると、彼が悪事を企図たくらむような種類の人間だとは思えなくなった。帆村は勢い率直な質問をこの男に向ってする勇気を得たのだった。
「北外さん、私は園長の身体が、この調餌室ちょうじしつか、それとも隣りの爬虫館かで、料理されちまったように思うのですがね」
「はァはァ」北外は小さい口を勢一杯せいいっぱいに開けて、わざとらしくおどろいた。「いやそれは大発見ですな」
「貴方は園長が失踪された朝の、十一時二十分頃から正午ひるまで何処に居られましたか」
「僕が有力なる容疑者というお見立ですな」北外はニヤリと笑った。「さておたずねの時間においては、この室内に僕一人が残っていた――とこう申上げると、貴方は喜ばれるのでしょうが、実はその時間フルに、一族郎党いちぞくろうとうここにひかえていたんです。それというのが、十一時四十分頃に、けだものの弁当の材料が届くことになっていまして、室からズラかることが出来ないのです」
「それでは其の時間前後は、何をしておいででした?」
ず時間前は、当日も六人の畜養員が、庖丁ほうちょういだり、籠を明けたり、これでなかなか忙しく立ち働きました。そのうちにいつもの時間になると、トラックに満載された材料がドッとはこばれて来ます。するともう戦場のような騒ぎで、この寒さに襯衣シャツ一枚でもって全身水をあびたように、汗をかきます。それが済むと早速さっそく調理です。るものは大してありませんが、それぞれのけだものに頃合いの大きさに切ったり、分けて容物いれものに入れたりするのが大変です。肉類の方は、生きているうさぎだのにわとりだのには、冥途めいどゆきの赤札あかふだをぶら下げるだけですが、そのほかのは必ず頭のある魚を揃えたり馬肉の目方をはかって適当の大きさに截断し、中には必ず骨つきでないといけないものもあって、それをこしらえるやら、なかなか忙しくて、おひるの弁当が、キチンと正午ひるにいただけることは殆んどまれで、いつも一時近くですね。その忙しさの間に、園長をつかまえてきて、これも料理しスペシァルの御馳走としてぞう河馬かばなどにやらなきゃならんそうで、いやはや大変なさわぎですよ」
 帆村は、うっかり園丁に象や河馬に人間を食わせる話をしたのが、こんなところへヒョックリ出て来ようとは思いがけなかったので、横を向いて苦笑にがわらいをした。かく、調餌室の連中はあの時間、犯行をげるなどとは非常に困難であることが判った。
 してみると、園長の万年筆やボタンは、一体何を語っているのだろうか。理窟からゆけば、どうしても調餌室の連中が疑われてくるのであるが、北外きたとの話では疑うのが無理である。すると、残るのは何者かが調餌室の人たちに嫌疑を向けるために、万年筆を落し、釦を調餌室の前に捨てたとしかかんがえられない。何者がやったことかは知らぬが、そうだとすると、犯人は実に容易ならぬ周到な計画を持っていたものと思われる。
 そこで帆村は大事にしていた切札を、ポイと投げ出す気になった。
北外きたとさん。隣りの爬虫館はちゅうかんうわばみどものことですがね。皆で九頭ほどいますが、あれに人間の身体を九個のバラバラの肉塊にくかいにし、蟒どもに振舞ってやったら、さぞよろこんで呑むことでしょうな」帆村は北外の答えを汗ばむような緊張のうちに待った。
「うわッはッはッ」北外は無遠慮ぶえんりょに笑い出した。「いや、ごめんなさい、帆村さん、あの蟒という動物はですな、生きているものなら躍りかかって、たとい自分の口が裂けようとみこみますが、死んでいるものはどんなうまそうなものでも見向みむきもしないという美食家びしょくかです。ここでは主に生きた鶏や山羊やぎを食わせています。貴方は多分園長の死体のことを云っていられるのでしょうが、バラバラでは蟒の先生、相手にしませんでしょうよ」
 帆村は折角せっかく登りつめた断崖から、突っ離されたように思った。穴があれば入りたいとは、この場のことだろう。彼は北外畜養員に挨拶をして、げるように室を出た。
 彼は人に姿を見られるのもいとうように、スタスタと足早に立ち去った。園内の反対の側にのこされたる藤堂家とうどうけ墓所ぼしょがあった。そこは鬱蒼うっそうたる森林に囲まれ、厚いこけのむしたしんに静かな場所だった。彼はそこまで行くと、園内のにぎやかさを背後あとにして、塗りつぶしたような常緑樹じょうりょくじゅの繁みに対して腰を下した。
「ああ、何もかも無くなった!」
 帆村は一本の煙草をつまむと、火を点けて歎息たんそくした。
「一体、何が残っているだろう」
 最初から一つ一つ思いかえしてゆくうちに、特に気のついたことが二つあった。一つは園長がいつも呑み仲間としてブラリと訪ねて行った古き戦友半崎甲平はんざきこうへいに会うことだった。そうすれば、まだ知られていない園長の半面生活が曝露ばくろするかも知れない。もう一つはどうしても事件に関係があるらしい爬虫館を、徹底的に捜索しなおすことだった。ことに開けると爬虫たちの生命をおびやかすことになるという話のあった鴨田研究員苦心の三本のタンクみたいなものも、此際このさいどうしても開けてみなければまされなかった。あのタンクは、故意か偶然か、人間一匹を隠すには充分な大きさをしているのだった。
 そんな結論を生んでゆく裡に、帆村の全身にはだんだんに反抗的な元気が湧き上ってきたのだった。
須永すながを呼ぼう」
 彼は公衆電話に入って帆村探偵局の須永助手を呼び出すとぐに動物園へ来るように命じた。

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