予言的中
一輪ざしには、まっ赤なカーネーションと、それに添えてアスパラガスの青いこまかな葉がさしこんであった。それは、精密な器械類のならぶこの船橋内の息づまるような気分を、たぶんにやわらげているのだった。
帆村は、このやさしい一輪挿の花に、目をつけたのだった。
船長をはじめ、一同も、帆村が顔色をかえて立ち上ったので、それにつられて、腰をうかしたが、
「し、静かに!」
と、帆村は、一同を手で制した。そのとき、帆村の手には、どこにかくし持っていたのか、一挺の丈夫な柄のついたナイフがにぎられていた。
帆村は、しのび足で、花活のところに近づくと、目を皿のようにして、花活のまわりをしらべていたが、やがて、大きくうなずくと、ナイフをもちなおし、ぷつりと、花活のうしろに刃をあてて引いた。
「これでいい」
帆村探偵は、花活のうしろから、切断された二本の針金をつまみだした。
「船長。ゆだんがならぬといったのは、このことです。もうちょっとで私たちの話を、すっかり盗みぎきされるところでした」
「ええっ。それは、盗み聞きの仕掛だというのですか」
「そうです。ここへ来て、よくごらんなさい。花活の中には、マイクが入っています。ほら、このとおりです」
と、帆村が、花をぬいて、花活を逆さにすると、中からマイクがころがりだした。マイクについていた二本の電線は、きれいに切られていた。それは、帆村のナイフで切られたあとだった。
「ふーん、怪しからん。いったい、だれが、こんなぬすみ聞きの仕掛を、ここへ取りつけたか。さっそくきびしく、とり調べなくちゃ」
船長は、顔色をかえた。帆村は、これをなだめて、
「船長。そんなことを、今さら調べていては、もうおそいのです。きっき私の申した手配を、すぐされるように」
「うむ、手配はやりましょう。が、おそるべき人物というのはだれですか。早くそれをいってください。すぐ取りおさえますから」
船長は、せきこんだ。帆村は、
「はたして、それが怪人物であるかどうか、まだ私には、はっきりしませんが、とにかくこの船の特別一等の船客で、ニーナ嬢という美しい婦人は、十分に怪しい節があります」
「ニーナ嬢? ああ、ニーナ嬢ですか。こいつは意外だ。あれは、メキシコの実業界の巨頭の令嬢です。そしてニーナ嬢自身は、慈善団体の会長という身分になっている」
「慈善団体であろうが、なんであろうが、とにかく、嬢については怪しむべき節が、いろいろある。さっき、私をピストルでうったのは、ニーナ嬢なんですからねえ」
「え、ニーナ嬢が、あなたや、私たちをうったのですか。これはまた、意外中の意外だ」
「ニーナ嬢は、ある事からして、私を生かしておけないと思ったのでしょう。もうあれ以上、私は曾呂利本馬の姿をしていることは危険なので、こうして、服装を改めたのです」
帆村の話は、すじが立っていた。船長もようやく帆村の言葉に、すがりつく気持ちができた。
「よろしい。直ちにニーナ嬢に監視員をつけましょう」
船長の言葉は、どうも生ぬるい感じがあった。でも、船長としては、それが大決心であったのだ。彼は誰を呼び出すつもりか、自ら電話機の方へよって手をのばした。とその時、とつぜん船長も帆村も、そこに居合わせた一同、はげしい振動におそわれた。今まで、静かな航海をつづけていた雷洋丸に、帆村の心配していた大事件が突発したのだ。
警笛が、ぶーッと鳴りだした。
宿直の二等運転士のところへ電話がかかって来た。彼は、おどろいて、電話機をにぎったまま椅子から立ち上った。
「えッ、第一船艙が爆破した? ほんとか、それは。大穴があいて海水が浸入! 防水扉がしまらないって? 機関部へ水が流れ込んでいる。エンジンはどうした。機関部も故障だというのか。船長? 船長は、ここにいられるが」
雷洋丸の第一船艙におこった爆発事件! そして、運わるく防水扉はしまらないで、浸入した海水は、洪水のように機関部へ流れこんでいくという。
船長が、電話をかわった。
「おい、どうした。そこは機関部か。なに、機関長だと、それで、どうした。極力手をつくしているが、非常に危険だというのか。よろしい、分かった。すぐ避難命令を出す。そっちは一つ死力をつくして、がんばってくれ!」
電話機を下においた船長の顔は、まったく、一変していた。眉の間には、つよい決意の色があらわれていた。
「総員、甲板へ。それから、無電で、救難信号を出すんだ。早く」
船長は、てきぱきと、次から次へ命令を出した。
しばらくして、船長は、帆村探偵のことを思い出して、彼の名を呼んだ。
しかし帆村探偵の姿は、もうそこにはなかった。彼は風のように、いつともしれずこの部屋を出ていったのであった。
雷洋丸の船腹の損傷は、意外に大きく船は見る見る左へ傾いた。機関部もやられてしまって、船内の電灯は一時消えた。甲板には、救命艇の位置へいそぐ船客たちが、互いにぶつかり転り踏みつけあい、くらがりの中に、がやがや立ちさわいでいるばかりだ。
沈没までに、あと二十分とは、もたない。
房枝は、どこにいる。ニーナ嬢は、なにをしている。帆村探偵は、どこへいったのであるか?
このさわぎの中に、くらがりのマストのうえで、獣のように、からからと声をたてて笑いつづける者があった。誰も、さわぎの最中のこととて、この怪人物に気づく者はなかったが、この人物は、意外も意外、それは死んだとばかり思っていたトラ十であったではないか。
沈没迫る
ああ。なんという不運な雷洋丸よ!
もうあと一日たてば、母国の横浜港にはいれるところまで、もどってきたのだ。ところが、とつぜん、この大遭難である。これを不運といわないで、どうしようぞ。
なぜ、第一船艙が、とつぜん爆発したのであろうか?
そんなことを、いま、しらべているひまはない。なぜといって、いま雷洋丸はぐんぐんと左舷へかたむいていく。
船客たちは、てんでに、なにかしら、わめきつづけている。なにしろ、船内の電灯は、はやく消えて、たよりになる光は、船員の手にしている手提ランプと、わずかに電池灯ばかりである。
それだけでは、足もとまで、とても光がとどかない。しかも、足もとに踏まえている甲板は、ひどく左舷へかたむき、船首の方は、もはや海水に、ぴしゃぴしゃ洗われている。だから、気味のわるいことといったらない。
船員は、声をからして、しきりに、救命ボートへ、船客をのせているが、これは老人や女子供が先であった。なにしろ、船がいきなり左へかたむいてしまったので、右舷の救命ボートは、下へおろせなくなった。だから、右舷のお客さまたちは、のるにもボートがなく、しかたなしに左舷のボートのあるところへあつまってきた。そこで、さわぎは、ますます大きくなり、船員が声をからしてせいりをするが、なかなかうまくいかない。
「まだ、大丈夫ですから、さわいじゃいけません。老人と子供とを先に」
「おい君、老人をつきのけて、ボートへはいりこむなんて、ずるいぞ」
「もしもし、あなたは、あとです。若い人だから」
「わたくしは、特別一等の船客であります。ボートへのりこむけんりが、あるのです」
そういって、いやにいばった外国人があった。それは、師父ターネフであった。ターネフのうしろでは、例のうつくしい姪のニーナ嬢が、そわそわしながら、しきりにあたりに気をくばっている様子。
「なんといっても、だめ、だめ。老人の方と子供衆が、先ですぞ」
と、船員は正しいことを、いいはる。
「わたくし、姪のニーナをつれています。ニーナは、かよわい女です。そして、彼女は、国際的に高い地位を持った淑女です。ニーナを、はやくボートにのせるのが、礼儀です。日本の船員、礼儀を知りませんか」
師父ターネフは、やっきとなって、ボートの中へ、わりこもうとつとめている。
「ニーナ嬢は、子供さんでもないし、お婆さんでもないでしょう」
「気高い淑女です」
「男であろうが、女であろうが、若い人は、あとにしてもらいます。もう、これ以上、問答無用です。あなたは、うしろへさがってください」
と、船員は、師父ターネフに対し、このあわただしい際にも、一通り話のすじみちをたててターネフの横車をおしもどしたのであった。
「日本の船員、礼儀を知りません。あなたがた、いまに、思い知ること、ありましょう」
と、師父ターネフは、捨台辞をのこして、うしろへ下った。
「師父、ボートは、だめなの」
「うん、だめだ。われわれは、別の道をひらくしかない」
「困ったわねえ。とにかく、このままでは、汽船とともに沈んでしまうわよ。なんとかして、船をはなれなければ。あの連中は、来てくれるはずだというのに、なにをしているのでしょうね」
「たしか、もうそのへんに、来ているはずなんだがねえ。仕方がない。マストのうえへよじのぼって、懐中電灯で信号をしてみよう。ニーナ、おいで」
師父とその美しい姪とは、傾斜した甲板を走りだした。
仮面の師父
師父ターネフは、水夫長のような身軽さをもって、マストの縄梯子をよじのぼっていった。
ニーナは、その下に立って、警戒の役目をつとめているようすだ。
師父は、縄梯子をどんどんのぼっていった。そのころ、船艙から出た火は、もう甲板のうえまで、燃えうつって、赤い炎があたりをあかあかと照らしだした。
師父は、縄梯子を途中までのぼると、懐中電灯をとりだして、ぽっと明りをつけた。そして信号をしようと、手にもちなおしたとき、彼は、
「あッ!」
と、叫んだ。それは、懐中電灯をもった彼の手を、上の方から何者かが、ぐっとつかんだからである。
「あッ、何者だ。なにをする。手をはなせ」
と、師父は、英語で叫んだ。そのとき師父は、マストのうえから、下をむいて笑っている怪しい東洋人の顔を眺めて見た。それはトラ十だった。
「あははは。ターネフ極東首領こんなところで、怪しげなる信号をしては困りますねえ」
と、トラ十は、流暢な英語で、やりかえして、歯をむきだしてげらげらと笑った。
ターネフ首領!
師父は、ぎょっとしたようすだ。
「なにをいう。首領だなどと、でたらめをいうな。わしは神に仕える身だ」
「神につかえる身だって。へへん、笑わせやがる。神につかえる身でいながら、さっきはなんだって、おれを爆死させようとしたのかい」
「なにをいいますか。あなたは気が変になっている」
「気が変なのはお前たちの方だ。知っているぞ。花籠の中に、おそろしい爆薬をしかけて、おれの前へおいたじゃないか。あの停電のときだよ。ぷーんと、いい匂いのするやつがおれの前へ持って来やがったから、多分それは若い女にちがいない。どうだ。これでも知らないと白ばっくれるか」
「おどろいたでたらめをいう人だ」
「とにかくお気の毒さまだ。こっちはそれとかんづいたから、おれが死んだと見せるために、かねて用意の血のはいった袋の口をあけて、おれの席のまわりを血だらけにしてやった。それからおれはすぐ花籠をつかんで甲板に出て、それを海の中へ捨てたとたんに、どかンと爆発よ。おれは無事だったが、かわいそうにおれのあとを追ってきた松ヶ谷団長と船員がひとり、ひどい傷をうけたよ。お前たちはおどろいて、暗闇の中で松ヶ谷団長を更になぐりつけ、死にそうになったやつを石炭庫へかくした」
師父ターネフは、ほんとうにおどろいたか、もう口がきけなかった。
「あははは、ターネフ首領。この汽船は、もうあと四、五分で沈みますよ。取引は、早い方がいい。信号をさせてもいいが、あなたがポケットに持っている重要書類を、そっくりこっちへ渡してもらいましょう」
「なに、重要書類。そ、そんなものを持っておらん」
「おい、ターネフ首領。お前さんは、ものわかりのわるい人だねえ」
と、トラ十は、はきだすようにいって、
「あの重要書類のことを、おれが、知らないと思うのかね。お前さんは、なにをするために、師父などに化けて、日本へのりこむのかね。そのわけを、ちゃんと書いてある重要書類袋を、こっちへ早く渡しなせえ。青い封筒に入って、世界骸骨化本部の大司令のシールがぽんとおしてあるやつさ」
「……?」
師父は、おどろいたのか、だまっている。
「おい、ターネフ首領。どうするつもりだい。汽船は、どんどん沈んでいくぜ。もうすこしすれば、第二の爆発が起って、この汽船は、まっ二つに割れて、真暗な海にのまれてしまうのさ。信号をしたくはないのかね。『計画ハ、クイチガッタ、我等ハココニアリ、至急スクイ出シ、タノム』と、信号したくはないのかね。ほら、下をごらん、甲板をもう波が、あんなに白く、洗っているよ」
トラ十の、毒々しいことばがきいたのか、師父は、このとき、急にすなおな口調になって、
「しかたがない。われわれの命にかえられないから、青い封筒入の重要書類を君に渡そう。だから、この手をはなしてくれ」
「おっと、おっと。その手には乗るものか。もう一方の手で、青い封筒を出せよ」
「そんなことをすれば、縄梯子から、おちる」
「大丈夫だ。お前さんの右手は、こうしておれがしっかり持っているから、大丈夫さ」
師父は、今はもうやむを得ないと思ったものか、左手をつかって、上着のポケットの中から、青い封筒をとりだした。トラ十は、上からそれをひったくった。
「これでよし。さあ、手をはなしてやる」
「いったい、君は何者だ。名前をきかせてくれ」
「おれのことなら、これまで君がやって来た、かずかずの残虐行為について、静かに胸に手をあてて思出したら、分るよ。それで分らなきゃ、世界骸骨化本部へ、問いあわせたがいいだろう。お前たちの仕事のじゃまをするこんな面がまえの東洋人といえば、多分わかるだろうよ」
そういったかと思うと、トラ十のからだは、猿のように縄梯子の裏にとびついて、するすると下におりていってしまった。
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