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私たちが外に出たときは、夜もだいぶん更けて、さすがの南京路も、人影が疎らであった。
二人は、アルコールにほてった頬を夜風に当てながら、別に当てもなく、路のあるままに、ぶらぶら歩いていった。私たちの話題は、やはり金博士と、そして博士よりロッセ氏に与えられた奇怪なる謎々とに執着していた。
それはもう、四五丁も歩いた揚句のことだったと思うが、ロッセ氏は、急に両の手を頭の上にのばし、拳固をこしらえて、まるで夜空に挑みかかるような恰好で、はげしく振り廻しはじめた。たいへん昂奮の様子である。
「おい、ロッセ君。一体、どうしたのか」
「うん。やっぱり、われわれは、金博士に騙されたんだ。あんなばかばかしいことが出来てたまるものか。砲弾が低速で走れば、たちまち落ちるばかりではないか。高速であればこそ、遠いところへも届く」
「それはそうだね」
「あの金博士の意地悪め。僕は、英艦隊を一挙にして撃沈したいため、うまうまと博士の見え透いた悪戯に乗せられてしまったんだ。ちくしょう、ひどいことをしやがる」
「……」
ロッセ氏は、天に向って、しきりに博士の名を呪いながら、停っては歩き、そして又停っては歩きした。よほど口惜しそうだった。
私は、博士のことを、そんな人物だとは思わないが、ロッセ氏から、のろのろ砲弾についての討論を聞いているうちに、だんだんと氏のいうところも尤だと思うようになった。
「なるほど、反対条件だねえ」
「博士よ、豚に喰われて死んでしまえ」
「まあ、そういうな。背後をふりかえってから、ものをいって貰おうかい」
ふしぎな声が、とつぜん、私たちのうしろから聞えたので、私ははっと思った。
「誰だ?」
「あっ!」
生れてからこの方、私はこんなに愕いたことは初めてだった。悲鳴をあげると共に、私は愕きのあまり、鋪道のうえに、腰をぬかしてしまった。なぜといって、私が振り返ったとき、そこには声をかけた筈の誰もいなかった。しかし何物も居ないわけではなかった。私は、まっ黒の、大きな筒のようなものが、私の背中にもうすこしで突き当りそうになっているのを発見して、愕いたのである。それは、どう見ても、口径四十センチはあると思う大きな砲弾であったのである。
「どうだ。この砲弾が見えるかね」
砲弾が、ものをいった。ふしぎな砲弾であった。そういいながら、砲弾は、私の鼻先を掠めてそろそろと向うへ、宙を飛んでいった。大体地上から一メートルばかり上を、上から見えない針金で吊られたかのように落ちもせず、すーっと向うへいってしまった。そして最後に、私は、その砲弾が辻のところを、交通道徳をよく弁えた紳士のように、大きく曲ったのを見た。そして間もなくその怪しい砲弾は、ビルの蔭に見えなくなってしまった。なんというふしぎなものを見たことであろうか。夢か? 断じて夢ではない。
ふと、傍を見ると、ロッセ氏も、鋪路のうえに、じかに坐っていた。氏も、私と同様に、腰を抜かしたのにちがいない。
「見ましたか、今のを……。ねえ、ロッセ君」
私は、氏の肩を、ぽんと叩いた。
するとロッセ氏は、とつぜん吾れにかえったらしく、ふーっと、鯨のようにふかい溜息をついた。そして私に噛りついたものである。
「ロッセ君、しっかりしたまえ」
「見ました、たしかに見ました。しかし、僕は気が変になったのではないだろうか。大きなまっ黒な砲弾が、通行人のように、落着きはらって、向うへいったのを見たんだからね」
「それは、私も見た」
「砲弾が、ものをいったでしょう。あの声は、たしかに金博士の声だった。金博士が、砲弾に化けて通ったんだろうか。わが印度では、聖者が、一団の鬼火に化けて空を飛んだという伝説はあるが、人間が砲弾になるなんて……」
「ほう、なるほど。あの声は、金博士の声に似ていた。それは本当だ」
私は、ロッセ氏には答えず、思わず自分の膝を叩いた。
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