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特許多腕人間方式(とっきょたわんにんげんほうしき)
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十八時の音楽浴 |
早川文庫、早川書房 |
1976(昭和51)年1月15日 |
1990(平成2)年4月30日第2刷 |
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×月×日 雨。 午前十時、田村町特許事務所に出勤。 雫の垂れた洋傘をひっさげて、部屋の扉を押して入ったとたんに、応接椅子の上に、腰を下ろしていた見慣れぬ仁が、ただならぬ眼光で、余の方をふりかえった。 事件依頼の客か。門前雀羅のわが特許事務所としては、ちかごろ珍らしいことだ。 「よう、先生。特許弁理士の加古先生はあんたですな」 と、客は、余がオーバーをぬぐのを待たせない。 「はい、私は加古ですが……」 「いや、待ちましたぞ、八時からここに来て待っておった。先生、出勤が遅すぎるじゃないですか」 「ああ、いやソノ、出願事件ですかな」 「もう三十分も遅ければ、先生のお宅へ伺おうと考えていたところです。まあ、これでよかった」 客は、椅子に、再び腰を下ろしたが、そのまわりは、大洪水の如くである。それは、客が雨に濡れた蝙蝠傘を手許に引きつけたまま腰を下ろしていたからであった。 「早速じゃが、一件大至急で、出願して頂きたいものがあるのですが、その前に、念を押して置きたいが、あんたは、秘密をまもるでしょうな」 「それは、もうおっしゃるまでもなく、弁理士というものは、弁理士法第二十二条に規定せられてある如く、弁理士が、出願者発明の秘密を漏泄し、または窃用したるときは六月以下の懲役又は五百円以下の罰金に処すとの……」 「いや、もうそのへんにてよろしい。では、一つ、重大なる発明の特許出願を、あんたに頼むことにするから、一つ身命を拗げうってやってもらいたいです。いいですかな」 身命を拗げうっては、どうもおかしいが、客の真剣味が窺われて、余は大いに好意を沸かした。 「承知いたしました。それでは、早速ながらそのご発明というのを伺いましょう」 「待った。発明は極秘である。お人払いが願いたい」 「お人払い? 給仕の外に、誰もいませんが……」 すると客は、恐ろしい顔をして、首を左右にふった。給仕もいけないというのか。余は、発明の秘密性を守らんとする客の心情を尤もなることと思い、絵仕のところへいって、 「おい、高木、日比谷公園へいってブランコで遊んでこい」 と、いうと給仕は、 「先生、雨が降っていますよ」 「雨が降っている? そうだったな。じゃあ、ニュースでも見てこい」 と二十五銭くれてやった。給仕は、よろこんで、茶を出すことも忘れて、飛び出した。 「では、どうぞ」 「入口の扉に、鍵をかけられましたか」 「鍵?」 「そうです。重大なる話の途中に、人が入って来ては、困るじゃないですか」 「はあ、なるほど」 実に念の入った客である。余は、すこしくどいと思わぬでもなかったが、感心の方が強かった。扉には、錠をおろした。 「これで、どうぞ」 「ふん、まだどうも安心ならんが、まあ仕方がない」 と、客は、駱駝に似た表情で、しきりにあたりの窓や扉や本棚の蔭を見渡し、 「……とにかく、これから話をする拙者の発明の内容が、第一他へ洩れるようなことがあると、そのときは、承知しませんぞ。五百円ぐらいもらっても何もならん。そのときは、拙者は、あんたの生命を貰う、あんたの生命を……」 弁理士稼業が生命がけの商売であるとは、このときにはじめて気がついた。しかしそれだけ、この商売に、張合いがあるわけである。 「どうぞ、もうご安心なすって、発明の内容を……」 「ああ、そのことじゃが」 と、それでも安心ならぬか、その客は、もう一度、部屋の隅から隅を見廻して、それから、そっと余の方へ、駱駝に似たその顔をつきだすと、低声になって、 「実は先生、拙者は大発明をしたのですぞ。その発明の要旨というのは、いいですか、人間の……人間のデス、人間の腕をもう一本殖やすことである。どうです、すごいでしょう」 「はあ、人間の腕をもう一本……」 余は、途中で、言葉が出なくなった。せっかく来てくれたと思った客は、気違いであったのだ。余は、とたんに、給仕の高木にやった金二十五銭のアルミニューム貨のことが、恨めしく思い出された。 「おどろくのは、無理がない」 と、客は善意にとってくれ、 「さぞ、愕かれたことだろう。実に、画期的の大発明とは、まさにこのことである。まったくすばらしい発明だ。従来の人間の腕は、たった二本だ。拙者の発明では、そこへもう一本殖やして、三本にするのだ。人間の働きは、五割方増加する。どうです、すばらしい発明でしょうがな」 自画自賛――という字句は、この客のために用意されたものであったかと、余は始めて悟ったことである。 「ちょっとお待ち下さい。人間の腕を、もう一本殖やすということが、果して出来ましょうか。どうも解せませんが……」 「出来なくてどうします。実現できないことは、発明としては無価値だ」 客は、あべこべに講釈ぶった。 「しかし、そんなことが出来ますかなあ。まず、どういう具合にそれを行うのか実施様態をご説明願いたいもので……。つまり腕を、もう一本殖やすについては、どういうことをして、それを仕遂げるか」 「それは、いえませんよ。実施の様態をいえば、せっかくの秘密が、すっかり洩れてしまう。それは出来ない」 「しかし、特許出願するからには、実施の様態についてお示し下さらなければ、発明の説明に困ります。特許出願するについては、明細書というものを書かなければならんのですからね」 「秘密なことはいえない」 「つまり、どこにどういうふうに、その新規の腕を取り付けるかということについて、実際的な内容を説明しないと……」 「そんなことは、書かんでもいいです。ただあんたは、拙者のいったとおり、従来の人間は、ただ二本の腕だけを持っていた。そこへもう一本、腕を殖やすというのが、この発明である――それでいいじゃありませんか。このアイデアだけで、結構書ける筈だ」 「ですが、いくらアイデアがあっても、発明なるものは、特許法第一条の条文にもあるごとく、工業的価値がなければ、取れないのです。夢みたいなことだが、人間の欲望そのものだとかを特許に取ることはできません」 「そんなことは、拙者もよく心得ている。今いった私のアイデアは、もちろん工業的価値があるじゃないですか。つまり、人間にもう一本、腕が殖えれば、仕事がはかどるのです。拙者の発明を実現した職工を使えば、従来の職工の一人半の仕事が出来る。してみれば、三百人の職工を使っている工場では、二百人に減らしても、同じ分量の製品が出来る」 客は、いよいよ熱情を示した。 「いいえ、工業的価値というものは、そんなことをいうのではありません。つまり、発明の内容が、工業的でなければならないのです。もともと人間は、原則として腕が二本しか無いのに――それはもちろん、腕が三本あれば重宝なことは分っていますが、生れつき二本のものを、いくら三本に殖やしたいといっても、それは神様にでも相談するか、それとも百年後或いは千年後になって、外科手術というものがよほど進歩して、人間の腕の移殖が出来るようになる日を待つしかないと、出来ない相談じゃありませんか」 「ばかな!」 と、客は怒鳴って、獣のような顔をした。 「あんたは、弁理土じゃないか。誰が、あんたに、外科手術のことを相談しました」 「しかし、腕をもう一本殖やすなんて、あまり非常識なお話ですからなあ、いや、あなたの発明に対する熱情はよく分りますが……」 「実に、愚劣きわまる話だ」 と、客はなおも憤慨して、 「外科手術を使うなら、それは医学ではないか。拙者の相談しているのは、発明だ。拙者が、もう一本殖やすといっているのは血の通った腕ではないのだ。機械的な腕だ」 「機械的な腕?」 「そうさ。そんなことは、最初から分っとる話だ。生まな腕を手術で植えるのならあんたのところへは来ない。大学病院へいって相談しますよ。大学病院へいって……。拙者のいうのは、機械的な腕の話だ。今までにも、ちゃんとそういう機械的な腕なら、出来ているじゃないか。義足とか義手とかいっているあれだ」 「ああ、あれのことですか、義手ですね」 余は、ようやく、この客の真意を呑みこむことが出来た。 「しかし先生」 と、こんどはまた先生になって、 「厳密にいえば、いわゆる義手というのは、手が、一本無くなったとか二本無くなったとかいう場合に、代わりにつけるのが義手である。拙者の発明のは、そうじゃない。二本の腕は、ちゃんと満足に揃っているが、その上にもう一本、機械的な腕をつけて、都合三本の腕を人間に持たせようというのだ。これまでに、世界のどこに人間に三本の腕を持たせようと考えたものがいるか。そんな話を聞いたことがない。公知文献があるなら、ここへ出してごらんなさい。そんなものは無いでしょうがね」 「なるほど、なるほど」 余は、ついにそういわなければならない羽目になった。 客は、余が納得したのを見ると、ぜひこれを至急出願してくれといって、余の前に、出願手数料及び特許局へ納付すべき出願印紙料として、封筒に入った金を置いた。そして、余が、その金は、まあ待ってくれというのを、彼は振り切るようにして余に押しつけて、帰っていった。 さあ、金が入ったぞ。いくら置いていったかなと、余は、恥かしい次第ながら、その封筒に手をかけたとき、あわただしく入口の扉があいて、その客――田方堂十郎氏が舞い戻ってきた。 (失敗った。金を取り戻しに来たか) と、余は、がっかりしたが、それは余の恐怖心に属するものであって、そうではなかった。 「いや、大事な忘れものをしましてなあ」 客は、そういいながら、卓上に忘れていった『動物図鑑』という分厚な本を取り上げると、また、あわてふためいて、帰っていった。 余は、胸の静まるのを待った。それから、十五分経った。これなら、もう客は帰ってこまいという自信がついたので、余はついに目的を達して、金の入った封筒の中を改めてみることが出来た。 封筒の中には、手の切れそうな百円紙幣が一枚、入っていた。 ああ、一金一百円也。 夢ではない。そして客の依頼は、冗談ではなかったのだ。 近頃めずらしく、大金が入ったので、余は、もう何にも考える気持になれなくなった。事務所を閉めて家路へ急ぐ。
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