牡牛の扉
八木少年は、ふと吾れにかえった。
彼は、小暗い階段の下に倒れていた。
気がつくが早いか、さっと頭をかすめたことは、怪囚人から教えられたことだ。ことに、この屋敷が、もう一時間とたたないうちに大爆発をするというおそろしい危険のことであった。
大時計を、すぐにとめなくてはならない。
そのために、自分は怪囚人に別れて、急いでガラス張りの道路[#「道路」はママ]を、怪囚人に教えられたとおり、走りだしたはずだった。それにもかかわらず、なぜ自分はこんなところに倒れているのであるか、訳が分らなかった。
足もとを見ると、そこにはやはり厚いガラスがはってあった。すると怪囚人のいたところから、ここまでずっと同じガラス張りの通路がつづいているのにちがいない。
彼はうしろをふりかえった。怪囚人の姿が見えるかもしれないと思ったからである。怪囚人は自分がこんなところで滑るかなんかして倒れたままでいるのを、遠くから見ながら、やきもきしているのではなかろうか。
そう思って、奥をすかして見たのであるが、奥はいよいよ暗く、それに通路が曲っているので、怪囚人の姿を見ることができなかった。
そこで八木少年は、前進することにきめ、階段をかけあがった。
階段をのぼり切ったところに、頑丈な扉がしまっている。錠がおりていると見え、押せど叩けどびくとも動かない。
「困った!」
が、そのとき彼は救われた。扉の上に、牡牛の像が、うき彫りにつけてあったからだ。
彼はのびをして牡牛の舌を指先でつきあげた。
すると、奇妙なことに彫刻の中の舌がひっこんだ。と同時に、ぎーッと音がして重い扉は向こうへ開いた。
「あッ、ありがたい」
牡牛の舌を下からつきあげると扉があく。このことは、怪囚人が教えてくれたことの一つであったのだ。
そこを急いで越えて前方を見ると、すこし通路を行ったところに、またもや上へのびる石の階段があった。
八木少年は、どんどんと階段をあがった。階段の上には、頑丈な扉があった。前と同じようであった。その扉の上には、やはり牡牛のうき彫がとりつけてあった。前に見た二つの牡牛の像もそうだったが、どれもすこしずつ牛の姿勢がかわっていた。
だが、どの牛も舌をだらりと出していた。それを上へおしあげると扉が開くことは、このたびも同じことであった。
同じようなことを五六回くりかえすうちに、さすがの八木少年も、息がきれ、頭がふらふらになって、ぶっ倒れそうになった。しかもまだ、教えられたとおり、大時計の歯車と振子のあるところまでつかないのであった。
このとき八木少年は知るよしもなかったけれど、大時計は四つの鉦をうつ五分前のところをさしているのであった。
そして八木君が、大時計の振子と歯車のあるところに出るには、まだ四つの扉を開いて急階段をかけあがらなくてはならなかったのである。はたして今はふらふらの八木少年は、間にあうだろうか。
時計屋敷の崩壊を前にして、大時計はますますおちついた調子で、こッつ、こッつと、時をきざんでいく。
もしこの時計屋敷が、あと五分足らずの間に爆発すれば、少年たちも、その前にいった村人たちも、また八木君を救った怪囚人もみんな死んでしまうことになる。また時計屋敷の秘密も、すっかりうしなわれてしまうのだ。
あます時間は、あと四分ばかり。
さて、どうなることであろうか。
無我夢中
無我夢中とは、このときの八木少年のことだった。
迫るこの時計屋敷の爆発時刻、間にあわなければ自分ももろともに屋敷の瓦礫の下におしつぶされてしまうのだ。しかしもしも間にあって、あの大時計をとめることができればたくさんの人の生命を救い、そしてこの大きな古い由緒ある建物をまもることができるのだ。八木少年は、爆発を今とめることのできるのは自分だけであると思い、一所けんめいに階段をかけあがり、扉の錠をはずして又階段をあがり、又新しい扉にぶつかっていった。
大時計の下に出ることができたときは、うれしく涙が出た。
その涙をはらいおとして、八木少年は、大時計のゆらりゆらりと動いている大きな振子に抱きついて、両足をつっぱった。
大時計は、ぎいッと音をたて、歯車はごとんと停った。
その時、大時計の針は、鉦を四つ鳴らすちょうどその一分前のところを指していた。
「やあ、八木君だ」
「ほんとだ、八木君が時計の振子にぶら下っている」
さっき八木君が階段をがたがたと踏みならしてかけあがっていったそのあらあらしい音を、実験室にいた四少年は聞きつけて、とび出して来たのだった。
「ああ、うまく会えたね。よかった。ちょっと手をかしてくれたまえ」
八木君は、みんなの手を借りて、振子からはなれることができた。
彼は、この時計がもうすこし動いていたら、この屋敷は大爆発したことだろうと、怪囚人から聞いたことを話した。四少年は、それを聞いておどろいた。そしてその怪囚人のところへ行ってみることになった。
ところが、どうしたわけか、さっき八木君が開いて通って来た扉が、彼が閉めもしないのに、ぴったり閉っていた。それを開こうとしたが、なかなかあかない。秘密錠になっている牡牛の彫刻があるかと探したが、そんなものはなかった。もちろん鍵穴もない。いろいろとやってみたが、扉はついにあかなかった。
「これはめんどうだ、時間がかかる、あとのことにしよう」
と、四本がいい出し、ほかの者もそれにさんせいしたので、あとまわしになった。そして五少年は、実験室をしらべる仕事をつづけることになって、そっちへ動き出した。
「あ、あの振子を、あのままにしておくのは、心配だ。振子が動きださないように、縄なんかでしばっておきたいが、縄はないかしらん」
縄はなかったが、細い紐が実験室にあったのを思いだした者があって、それをとって来た。そして五少年みんなで力をあわせて、重い大きな振子を紐でむすんで、その紐の他の端を階段の手すりにゆわきつけた。こうしておけば、振子は動かないから安心していられると、みんなはそう思った。
みんなは、元の実験室へもどった。
はじめてその部屋を見る八木君は、四本君の話を聞いて、目をかがやかせた。そしてしげしげとこの部屋を見まわした。
「へんだね、その額は……」
と、八木君がいった。
「ああ、へんだね。絵が切ってあるところが、へんだというのだろう」
六条君がいった。
「いや、そのことではなくて、切ったカンパスの裏に板がはりつけてあることだよ。板がはりつけてあるなんて、めずらしいことだ」
そういいながら八木君は、腰かけの上にのって、傾いているその額縁を両手でつかんで裏を見た。
「む、この額のうしろの壁には穴があいているよ。穴の向こうに、部屋があるらしい。やあ、たしかに部屋だ、うす暗いけれど見えるよ」
四少年はびっくりして、腰かけにあがっている八木君の足もとにかけ集った。
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