遣日艦マール号
この遣日艦マール号は、十二月一日、無事芝浦埠頭に着いた。
出迎えと見物とに集った十万人ちかい東京市民の間を、マール号の陸戦隊員二百名が、例の記念塔を砲車牽引車に積んで、粛々と市中を行進した。
それを見ると忠魂記念塔は、長いままではなく、七つの部分に切断され、一つ一つがそれぞれ前後二台の牽引車によって搬ばれていったのである。
派遣部隊の長列は、町の大通りを大きな音をたてて行進し、この塔が建設されるS公園の前を通り、やがて某大国大使館の中に入った。
公表されたところによると、このバラバラの記念塔は、大使館内で荷を解かれ、罅や傷の有無を十分に確かめた上で、三日後には華々しくS公園へ搬びこまれ、盛大な儀式が行われることになっていた。
その前夜、大使パット氏は、AKのスタディオから全国中継をもって、忠魂記念塔の到着を披露し、
「――どうか御安心下さい。本国から随伴してきた工廠技師の厳密な試験によりまして、七個からなる忠魂塔の各区分には、いささかの罅も入っていない実に立派なものであるということを証拠だてることができました。いずれ明日の式場で、これをお目に懸けられるわけでございますが、あとは卓越した日本の土木建築家の手によりまして、足場を組んで建てていただくつもりでございます」
などと挨拶放送をやって、全国民をまた一入感激させたのであった。
その忠魂記念塔は、今ではS公園内に天空を摩して毅然と建っている。そして市民たちは、毎日のようにこの新名所の前に集まってきて、かつて欧州の野に赤き血潮を流した勇敢なる日本義勇兵の奮戦ぶりを偲んで、泪を催しているのであった。
そして今では、一般国民の某大国に対する感情も以前とはことかわり、たいへん穏かになったのであるが、果して某大国はわが帝国に心からなる敬愛を捧げてくれているのであろうか。
いや、それは残念ながら、そうではなかったようである。たとえば今、外国密偵団の監視をやっている有名な青年探偵帆村荘六が、数日前その筋から示唆をうけた話の内容について考えてみるのが早わかりがするであろう。
「某大国の南太平洋における防備は、わずかこの半年の間に、従来の五倍大になった。飛行機、爆弾、燃料、食糧、被服などは、どの倉庫にも一杯になって、中には急造バラックの中に抛りこまれているものもある。某大国は明かに日本に対して攻撃姿勢をとっているのだ。わが帝都をはじめ、各地の重要地点を一挙にして空爆しようと思ってその機会を狙っていることは実に明かである。しかもこの際最も注意を要することは、かの老獪なる某大国の作戦計画として、開戦の最も初期において帝都における諸機関を一挙にして破壊し去ろうとしているらしい。われわれの知りたいのは、かの某大国がいかなるところを狙っているかということだ。それが分れば、敵の今後の戦略がかなりはっきり見当がつこうというものだ。帆村君。この際、君の奮起を望むというのも、一にこの点に皇国の興廃が懸っているからだ」
この話で見ると、某大国はキューピーの面を被りながら、その面の下でもって恐ろしい牙を鳴らしているとしか思われない。
こうして某大国の戦意ははっきり読めるのであるが、早く知らなければならないことは、これから某国がとろうとしている実際の攻撃計画がどんなものであるかということだった。東京市についていうなら、一体某大国の爆撃機は、どこどこを狙っているのだろうか。破甲弾はどことどことに落とすつもりか。焼夷弾はどの位もって来て、どの辺の地区に抛げおとすのであろうか。また毒瓦斯弾はいかなる順序で、いかなる時機を狙って撒くのであろうかなどいうことが、この際早くわかっていなければならない。
もちろん軍部をはじめ諸官省や諸機関においては、最大の注意力を傾けて、この恐るべき外敵の攻撃を防ぐことを考えている。しかしそれには、敵の手にどんな武器が握られているかを知ることが出来れば、防ぐにも一層便利でもあり、かつ有効な措置がとれるのであった。
帆村荘六は、某大国の機密を何とかして探りあてたいと、寝食を忘れて狂奔したが、敵もさる者で、なかなか尻尾をつかませない。流石の帆村も、ちと腐り気味でいたところ、ふと彼の注意を惹いたデマ罰金事件があった。
それは警察署の聴取書綴のなかから発見したものであったが、事件は築地の或る公衆浴場の流し場で、仲間同士らしい裸の客がわあわあ喋っているのを、盗み聞きしていた一浴客が、後にまたそれを他の者へ得々として喋っているところを御用となったものであった。
そのデマによると、当夜浴場の流し場で喋っていた本人は、どうやら左官職らしかったという。彼は仲間連中から、どうも手前はこのごろいやに金使いが荒いが、なにか悪いことをやっているんじゃないかと揶揄われ、彼の男は顔赤らめて云うには、実はここだけの話だが、この頃おれは鳥渡うまい儲け仕事にいっているんだ。毎朝或る場所へゆくと、そこで目隠しをしたまま自動車に乗せられ、一時間半も揺られながら引き廻された揚句、変な密室のなかに下ろされる。そこで一日左官の仕事をやっていると、夕方にはまた目隠しをしたまま自動車に乗せられ、元の場所へ帰ってくる。この仕事は気味がわるいが一日七円にもなるので、我慢していっているんだと、いささか得意げに語っていたという。
仲間のものは、その男の儲ける金のことよりも、目隠しをしてどこかに連れてゆかれるという猟奇的な話がすっかり気に入ってしまい、へへえ、それで手前はそこでどんな仕事をしているんだと聞けば、かの男は、それがどうもよく分らない仕事なんだが、とにかく三百坪ぐらいもあるとても広くて天井の高い工場みたいな建物の床を漆喰みたいなもので塗っているんだが、その漆喰が変な漆喰で、なかなか使い難いやつなんだ。そのために仕事もなかなか思うように進まず、まだ半分ぐらいしか塗っていないという。
すると友達が、その三百坪もあって背の高い謎の工場というのは、どこにあるか、窓から見える外の様子とか、近所から聞える物音とかで、およそここは江東らしいとか大森らしいとか分りそうなものじゃないかというと、かの男ははげしく首をふって、うんにゃそれが分るものかい、その今いった工場みたいな建物には、窓が一つもついていないんだ。全部壁で密閉してあって、電灯が燦然とついている。物音なんて、なにも入って来ない。深山のなかのように静かなところさと答えた。
じゃあ、どこか地下室なんだろうと友達がいうと、そうじゃない。高い天井を見上げると、亜鉛板で屋根がふいてあるのが見えるから、地下室ではなくて、これはやはり地上に建っている普通の建物にちがいないと断言したというのである。起訴されたデマ犯人は、これについてなお自分の逞しい想像を織り交ぜて喋っていたところから、遂に罰金五十円也の申渡しが与えられたと書いてある。
帆村荘六は、この聴取書の話をたいへん面白く思った。そこで彼は一つの計画をたてて活動に入ったのであるが、始めに述べた築地本願寺裏の掘割における活劇も、実はこのデマ事件からの発展なのであって、堀のなかに投げこまれて大怪我をした吉治は、かの浴場で仲間に、ここだけの話をぶちまけた主であり、警官に見て見ぬふりをさせ、皇国の興廃にかかることとはいえ、この吉治に心ならずも傷害を与えた正木正太という左官こそ、とりもなおさず帆村探偵の仮称にちがいなかったのである。
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