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電気風呂の怪死事件(でんきぶろのかいしじけん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-25 12:51:25  点击:  切换到繁體中文

底本: 海野十三全集 第1巻 遺言状放送
出版社: 三一書房
初版発行日: 1990(平成2)年10月15日
入力に使用: 1990(平成2)年10月15日第1版第1刷
校正に使用: 1990(平成2)年10月15日第1版第1刷

 

   1


 井神陽吉いがみようきち風呂ふろが好きだった。
 ことに、余り客の立てんでいない昼湯ひるゆの、あの長閑のどか雰囲気ふんいきは、彼のよう所在しょざいのない人間が、贅沢ぜいたくねむりからめたのちの体の惰気だきを、そのまま運んでゆくのに最も適した場所であった。
 それに、昨日今日の日和ひよりに、冬の名残なごりんやりと裸体からだに感ぜられながらも、高い天井てんじょうからまぶしい陽光ひかりを、はずかしい程全身に浴びながら、清澄せいちょう湯槽ゆぶねにぐったりと身をよこたえたりする間の、疲れというか、あの一味放縦いちみほうじゅう陶酔境とうすいきょうといったものは、彼にとって、ちょっと金で買えないたのしみであったのだ。
 陽吉の行きつけの風呂は、ちゃんと向井湯むかいゆという屋号やごうがあった。が、近頃大流行だいりゅうこうの電気風呂を取りつけてあるところから、一般に電気風呂とばれていた。
「電気風呂はよくあったまるね」などと、とにかく珍しもの好きの人気を博することは非常なものであったが、その反対に、入るとピリピリと感電するのを気味悪きみわるがる人々は、それを嫌って、わざわざ遠廻りしてまで他所よその風呂へ行くといった様に、いきおい、それはきのことではあるけれど、噂で持ちきっていたものである。
 では、陽吉はどうかというと、決してその電気風呂が好きというのではなかった。ただ、元来がんらい無精ぶしょうな所から、何も近所にあるものを嫌ってまで、遠くの風呂へ行くにも及ぶまいじゃないかといった点で、別に是非ぜひをつけてはいなかったのである。
 もっとも、何時いつであったか、彼の友人で電気技師を職としている茂生しげおというのと一緒に入った時、ひょいとした感じで、ちょっと不安をおぼえたので、たずねてみたことがあった。
「どうだい、この電気風呂って奴は、入浴中に人間が死ぬ様なことはないものかね?」
 すると、茂生は、何か他のことでも考えていたのか、はっとした様な態度で、しかしこう答えたものだ。
「さあ、大体大丈夫だがね、しかしどうかした拍子で電気が強くなると、心臓をやられることもあるだろうね。人間の中でも電気に感じやすい人と、感じのにぶい人とあるものだからね。同じ人間でも身体の調子によって、感じ易い日と、感じにくい日とがあるものだよ。とにかく、疲れ過ぎたり、昂奮こうふんしていたり、酒を呑んでいたりして心臓が弱っている時には、電気風呂などめた方がいいよ。そりゃ普通はそんなことめったに、いや絶対といってもいい位、ありゃしないがね。また死ぬかも知れないような危険なものを、許可しとく筈があるまいじゃないか、まあ、安心していいだろうよ」と。――
 だから、今日も、彼は例日いつものように、いや、むしろ今日は進んでこの電気風呂へやって来たのだった。というのは、前夜、銀座あたりをおそくまでのそのそとほっつき歩いた疲労つかれから、睡眠ねむりも思ったよりむさぼり過ぎたためか、妙に今朝の寝醒ねざめはどんよりとしていたので、匆々そうそうタオルと石鹸を持って飛び込んで来たのだった。
 めっきり、暖い午前なので、浴室には何時ものように水蒸気も立ちめてはいなかった。
 よっちゃんと呼ばれる風呂屋の由蔵よしぞうが、誰かの背中を流しながらちょっと挨拶した。陽吉は黙って石鹸とながふだおけの上に置いて湯槽の横手へ廻った。浴客は皆で四人、学生らしいのが湯槽につかっているだけで、あとはそれぞれ流し場でごしごしと石鹸を使っていた。由蔵が流してやっている老人が、いかにも心地好ここちよさそうに眼を細くしてされるがままに肩を上下に振っている。全くのんびりとした昼湯の気分がみなぎっていた。
 陽吉は、そうした気分を未だ充分に感じられずに、ひょいと手拭を湯槽にひたした。と、ピリピリといやに強い感覚、頸動脈けいどうみゃくへドキンと大きい衝動がつたわった。何となく心臓の動悸どうき不整ふせいだな、と思いながらも、肌にひろがる午前の冷気れいきに追われて、ザブンと一思いに身を沈めた。熱過あつすぎる位の湯加減である。あごあたりまで湯に漬りながら、下歯をガクガクと震わせながら、しかも彼は身動きすることを怖れて、数瞬じいっとこらえていた。と、唐突いきなり
あつッ」と叫びながら、にわかに飛び出したのはその学生らしい男であった。たちまちに、湯槽の中は激しい波がしょうじて、熱湯ねっとうが無遠慮に陽吉の背筋に襲いかかった。ブルブルブルと一竦ひとすくみに飛び上った彼は、湯槽のへりに手をかけて出ようとした瞬間、
ッ!」
 という叫びと共に、彼の体は再び湯の中に転倒してしまった。全身に数千本の針を突き立てられたような刺戟、それはあたかも、胃袋の辺に大穴がいて、心臓へグザッと突入したような思いだった。指先は怪魚かいぎょいつかれたような激痛を覚えた。
「た、たすけて! で、電気、電気だ。感電だ!」
 ザアッと湯の波にさからって、朱塗しゅぬり仁王におうの如く物凄く突っ立った陽吉が、声を限りに絶叫したとき、浴客ははじめて総立ちになって振返った。由蔵は垢摺あかすりを持ったまま呆然ぼうぜん案山子かかしのように突っ立っている。二人の職人風のつれは、それと見るより呼応こおうして湯槽の傍へ駆けつけて来た。
「おい。兄弟、手を、手を貸した」
「よし来た!」
 向う見ずに、今にも湯槽へ飛び込もうとするのを見て、例の学生風の男が大声で制した。
「危い! 待った待った。感電らしい。飛び込んだら、今度は君達がやられちまうぜ!」
「あッ、うだった。危い危い! しかし此儘このまま見殺みごろしが出来るもんじゃない。何とか、おい番頭さん、何とかしなければ――」
「電気の元を切るんだ。おい番頭君、早く電流をつんだよ!」
 学生風の男に云われて、由蔵はようやくあたふたと釜場かまばへ通う引戸ひきどを押して奥の方へ姿を消した。
 バタバタと板の間を走る足音。カタコトと桶の転がる音など――女湯の客が、何か異常を知って狼狽ろうばいしているらしいけはいだった。やがて間もなく、真蒼まっさおになった女房が番台からすそみだして飛び降りて来るなり、由蔵の駆けて入った釜場の扉口とぐち甲高かんだかい叫びを発した。
「大変です。お前さん、大変ですよお!」
 続いて太い男の声で、
「電気を切ったぞお!」
 と、再び由蔵が流し場へ戻って来た。
「さあ、電気は切りました」
「大丈夫だな。じゃ、早く――」
 学生上りが、いらいらとうながすのを、臆病おくびょうそうに老人が尻込しりごみした。
「ええッれってえ、もう大丈夫だというのになあ。そおれ!」
 と、職人風の一人が、見るにえかねたといったかたちで、さっと勢い込んで両手を湯槽に入れた時、ドヤドヤと向井湯の主人や、下足げそくの小供、脱衣場だついばの番人のおつるなどが駆けつけて来た。
「由蔵どうしたんだ、いったい?」
 主人はこの椿事ちんじに対して何等見当がつかないので、むしょうに怒りっぽく由蔵をきめつけようとした。
「どうもこうもねえ、感電で客が一人この湯ん中へ沈んじまったんだ。早く救け出さにゃ死んでしまわあな!」と職人風の一人が叫んだ。
「え、感電? そら大変だ、由蔵入れ!」
 主人は仰山ぎょうさんに驚いて、あごで由蔵へ命令した。が、由蔵はと見ると、只もうおろおろとしながらも、何か気になるらしく、一向湯槽へ飛び込む勇気を持とうともせず、ふちつかまったまま、左右を見廻したり、肩を振ったりしてらちが明かなかった。
「ええ、意気地いくじなし!」
 むっとした語調で云い捨てるなり、学生風の男は人を待たずに飛び込んだ。続いて石鹸だらけの肉体をおどらせて、ザブンと荒々しく足を踏み入れた職人風の二人。彼等はもう必然的の労働の様に、妙に亢揚こうようした息使いで各々足の先で湯の中を探って廻った。泥沼に陥没かんぼつしかかった旅人のように、無暗矢鱈むやみやたら藻掻もがき廻るその裸形らぎょうの男三人、時に赤鬼があばれるように、時にまた海坊主がのたうち廻るような幻妖げんようなポオズ――だが、それも極めて短い瞬間の印象でなければならぬ。

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