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電気看板の神経(でんきかんばんのしんけい)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-25 12:48:14  点击:  切换到繁體中文


 その日の午後四時になって警視庁へ大学からの報告が届くと、捜索方針そうさくほうしんが一変した。朝から拘引こういんされていた給仕長の圭さんと、コックの吉公とが、夕方になって一帰店きたくを許され、これと入れかわりに電気商岩田京四郎が、検挙あげられてしまった。調べ室は金モールのまぶしい主脳しゅのう警官と、人相のよくない刑事連中の間に、京ぼんはさんで場面はいとも緊張している。
 岩田京四郎はなかなか白状しない。しかしそれはもう時間の問題であると係官の方ではたかをくくっていた。というわけは、大学の報告で初めて判った新事実によると、第二の犠牲者ふみ子の死体剖検の結果、兇器を刺しとおしたため出来た傷口のほかに、それと丁度ちょうどあいかさなって、兇器によるとは思われない皮膚と筋肉との損壊そんかい状態を発見したことにある。その部は、鋭い爪でひきさいたような形になって居て、なおそのうえ、皮膚と筋肉の一部に連続的な黄色い燃焼の跡のようなものがある。これはおかしいと更に解剖をすすめたところ、遂にふみ子の死因が、短刀による心臓部しんぞうぶ刺傷ししょうであると判断せられていたのは大間違いで、実は高圧電気による感電死であり、その高圧電気は、ふみ子の乳下ちちしたと、万創膏のりつけてあった首の後部とに電極でんきょくを置かれて放電せられたもので、相当強い電流が心臓を刺し其の場に即死をとげたことが判明した。この驚くべき事実が報告されてみると、警視庁では、第一の犠牲者の春江惨殺ざんさつ事件に於ても同様の手段がとられたものと確信をもつようになった。それは、春江の場合には頸部けいぶに、小さい万創膏が貼りつけられてあったのを覚えている係官が居たことから判って来たのである。ここに電気商岩田京四郎は非常な不利な立場となりカフェ・ネオンの頻繁ひんぱんな電気工事の詳細について手厳てきびしい訊問じんもんが始まった。無論、女給殺しの電気は、何万ボルトという高圧電気を使っている三階のネオンサイン電気看板から、被害者の身体へ導かれたものであり、そうした思い付きや、高圧電気の取扱いは、岩田京四郎を除いてほかの誰もが出来そうにないことから当然、二回にわたる電気殺人の犯人として彼がにらまれたのも致方いたしかたないことであった。
 電気商の京ぼんが翌日の取調べ続行のため冷い留置場の古ぼけた腰掛の上に、睡りもやらぬ一夜を送った其の翌朝よくあさのことだった。事件急迫のために、宿直室で雑魚寝ざこねをしていた係官一同は「カフェ・ネオンに第三の犠牲者現わる」という急報に叩き起されて、夜来やらいの睡眠不足も一時にどこへやら消しとんでしまった。第三の犠牲者は、眉毛まゆげの細いお千代だった。捜査係長は、喪心そうしんていで、宿直室の床の上へ起き直ったまま、なかなか室から出て来そうな気色けはいもみせなかった。
 第三の犠牲者のお千代の殺害惨状さつがいさんじょうはあまりにも悲惨ひさんだった。女給一同は、第二の惨劇以来というものは、カフェ・ネオンに宿泊するのをいやがって、みな別荘の方へ行って寝ることにしていた。ただ気づよいコックの吉公きちこうだけは、このカフェを無人ぶにんにも出来まいというので、依然として階下のコックべやに泊っていた。しかし室の内部からしんばりをかったりして真昼まひる女給たちから小心しょうしんわらわれたものだ。その夜、お千代は当番で、最後まで店にのこっていたものらしい。勿論もちろん彼女は別荘へ帰ってゆくに違いなかったのだが、とうとう其の夜は別荘に姿を見せなかった。事件以来、他へ泊りに行くこともちょいちょいあるのでたいして問題にされなかったが、朝になって女給たちが、昨夜ゆうべの疲れをぬぐわれて起き出でた頃には、お千代が昨夜かえって来なかったことについて不吉な問題が一同の間に燃え拡がって行った。
「あら、すうちゃんが見えないじゃないの」
 と叫んだ娘がいる。
「昨夜ここへ泊ったわよ、ほら、その蒲団があの人のじゃないの。お小用こようにでもいったんじゃないかしら、だけどこうなると、一々気味がわるいわねえ」
 鈴江の行方についてはかくも、一方お千代の惨死体ざんしたいが、又もやカフェ・ネオンの三階に発見されて大騒ぎが始まった。またしても言うが、お千代の最後は惨鼻さんびきょくだった。彼女はどうしたものか、夜中に開かれた表向きの窓から、半身をさかさに外へのり出し、丁度ちょうど窓と電気看板との間にはさまって死んでいた。だからがたになってようやく通行人が、電気看板の上端じょうたんからのぞいている蒼白あおじろはぎや、女の着衣ちゃくいの一部や、看板の下から生首なまくびころがしでもしたかのように、さかさまになってクワッと眼を開いている女の首と、その首の半分にふりみだれた黒髪とを発見して大騒動になった。お千代は晴着をつけたまま殺されていた。矢張やはり心臓には短刀がプスリと突きたてられ、警視庁で眼をつけていた万創膏ばんそうこうも肩のあたりに発見せられた。すべて同一手法の殺人である。そして電気殺人たることは判っているのにもかかわらず、それを瞞著まんちゃくしようとてか短刀を乳房の下に刺しとおしてあるではないか。係官は犯人の嘲弄ちょうろう悲憤ひふんなみだをのんだ。そして即時、このビルディングの徹底的家宅捜索の命令が発せられた。
 その取調べの最中に、フラフラとやって来た岡安巳太郎が苦もなく刑事の手にとり押えられたのは、気の毒にも滑稽こっけいであった。
「ゆうべ、誰かがカフェ・ネオンで殺されたでしょう、刑事さん、僕は知っとる。だから、こんな化物ばけもののような電気看板はこわしてしまえと僕は忠告しといたのです。それにひとの言う事を信用しないものだから、又誰かが殺されちまったじゃないか。今度は誰です。え、お千代、千代ちゃんか。すうちゃんはまだ生きていますかネ。可哀かわいそうな千代ちゃん。あの子の死んだのは、やっぱり今朝の二時二十分です。僕はちゃんとこの眼で、現在みていたんだからな。この看板のやつ、またまばたきをしやがった、この化物め!」刑事がこの厄介やっかいな男を制する間もなく、岡安は路傍ろぼうの大きな石を拾い上げると、パッとネオン・サインを目がけてうちつけた。恐ろしい物音がして、サインの硝子ガラスくだけ、電気看板が壁体へきたいからグッと右の方へ傾くと、まだそのままにしてあったお千代の屍体がぬっと白日はくじつのもとに露出してきたもんだから、見て居た係官や群衆は、わっと声をあげると共に、顔の色を真蒼まっさおにしてしまった。そのすきに岡安はとび上って何だかわけのわからぬことを呶鳴どなりちらしては暴れていた。「春公はるこう怨霊おんりょうめ、電気看板に化けこんだって、僕はちゃんと知っているぞ。僕が殺せるんなら、サアここまでやって来て殺してみろ!」彼は電気看板を春ちゃんの死霊しりょうと思いあやまっているのであった。警官は、この気が変になってしまったらしい岡安を手とり足とり連れて行ってしまった。騒ぎがますます大きくなってゆく内に、女給の鈴江と、コックの吉公とが、全く行方不明になっていることが報告された。それ以来、今日こんにちに至るまで二人の消息は、警視庁にとどかないのである。警視庁では、その夜、電気商の京ぼん釈放しゃくほうし、圭さんの嫌疑うたがいも晴れた。岡安巳太郎は気がすこししずまったところで、色々と訊問じんもんをうけたが、電気的知識に乏しいばかりか、大きい恐怖さえ感じている岡安に、電気殺人ができる筈はないというので、犯人たるの嫌疑けんぎは薄くなった。それに係官は彼のために、電気看板がまばたくように見えるのも、その途端とたんに電気抵抗のすくない人体じんたいの方へ電気が流れるため、電気看板の方には電気が通らぬこととなり、それで一寸ちょっと消えるのだと説明してやっても彼には、サッパリ理解がつかなかった。かくも春江惨殺ざんさつの夜の岡安の行動には、なおいくぶんのうたがいが残されている。又、彼が、何故なにゆえに、この寒い二時三時という深夜にひとり起きいでて屋上に立ち、カフェ・ネオンの電気看板を眺めくらしているものか、これについて岡安の語るところによると、春江と電気看板の点滅てんめつを合図に逢瀬おうせを楽しんでいたことが忘れられず、今は鈴江と仲のよくなった今日も、毎晩のように十三丁も遠方えんぽうから、あの桃色のネオン・サインをうっとり見詰みつめていたそうで、そうした生活が、なにより、彼にとって楽しい時間であり、寒さもなにも感じないと答えた。
 そこでいよいよ取っておきの話をするが、実はカフェ・ネオンの惨劇さんげきの犯人と目される春吉と鈴江の関係について、僕が知っていることがある。鈴江は自分のれている岡安と情人じょうじんたる春江とのよい仲に極度きょくど嫉妬しっとをおこし、二人の逢瀬おうせ度々たびたび屋根裏の物置で行われているのを知ったもので、とうとうたまりかねて、春江を殺す決心をした。彼女はだれにもらさなかったが昔、××電気会社で高圧係の女工だった関係で電気の取扱い方を知っていたので、それを利用したというわけだ。兇行前きょうこうぜん、同室に熟睡中の同僚を麻睡薬ますいやくがせてよく睡らせてしまい、兇行後には自分もみずからこの薬の力を借りて熟睡に陥り巧みにみんなの眼をごまかしていたものである。
 コックの春吉は、実は殺された春江の従兄いとこにあたる男だが、その関係を隠してカフェ・ネオンにやとわれていた。春江が鈴江にねらわれていることを感付いてはいたが、とうとう彼の注意の届かないうちに春江は殺されてしまった。鈴江は春江を殺しただけではなく、春江の情人じょうじんたる岡安を完全に手に入れ、岡安も春江のことなどを忘れてしまったかのように鈴江と喃々喋々なんなんちょうちょうの態度をとった。それでコックの春吉はすっかり憤慨ふんがいし、この復讐ふくしゅうを計画したわけなのだ。彼は元々もともと、極端な享楽児きょうらくじで、趣味のために、いろいろな職業を選び、転々てんてんとして漂泊さすらいをした。その間にも電気の職工にもなって高圧電気の取扱いも知っていた。更にわるいことは、従妹いとこの春江の感電死にったために、彼の享楽主義は、怪奇趣味にめらめらと燃え上った。復讐手段としては、鈴江を直ちに殺さずに鈴江のやったと同じ手段で、次から次へと若い女を殺して行き、だんだんと嫌疑が鈴江の方に向いて来るようなみちをとらせ、思う存分ぞんぶん、鈴江を脅迫し恐怖させた上で、最後に惨殺ざんさつしてやろうと思ったのである。ところが、その手はじめとしてふみ子を殺してみると、鈴江はたちまち犯人が彼であることを感付いてしまった。二人はにらいの状態となり、おたがいに持つ兇状きょうじょうは、二人を奇怪きわまる共軛関係きょうやくかんけいに結びつけてしまった。第三の惨劇さんげきもコックの春吉の手で行われたが、それは鈴江への脅迫材料になると共に、又自分の重荷おもににもなってしまった。二人はおたがいの行動について極度の注意を払った。一方が、その筋へ一方を訴えて死刑台へ送れば、次の日には自分も必ずとらえられて死刑台へ送られねばならなかったのである。二人は、別々に、この点について理解し、相手からのがれる方法に苦心し合った。その結論は、唯一つあった。相手の生命をとってしまうことだ。このほかに、生きるみちはないと知った彼等は、お互に相手のすきねらい合った。だが第三の惨劇で、いよいよこれ迄の犯跡はんせき曝露ばくろしそうになったのをみてとった彼等二人は、朝の太陽が東の地平線から顔を出す前にこのカフェから手をたづさえて遁走とんそうしてしまったのである。いや、この市街から永遠に去って行ったのである。かたき同士の不思議な旅が始まった。怪奇に充ちた生活がはじまった。彼等は、ほかから見れば、うらやましいほど仲のよい、そしてつつしみのある若い男と女とであった。しかし人目を離れて二人っきりの世界になると、慎恚しんい[#「慎恚しんい」はママ]のほむらは天にちゅうするかと思われ、相手の兇手きょうしゅから脱れるために警戒の神経を注射針のようにとがらせた。若い彼等二人は、仲睦なかむつまじそうに、一つ蒲団に抱き合って寝た。相手の腕が自分の肢態したいにしっかり、からみついている間は、安心して睡った。
「剣をいだいて寝る」
 と春吉は在る夜ふとそうした文句を口の中で言ってみた。彼は只今の生活に、彼のあらゆる精力と神経とを消耗しょうもうしつくしていた。恐ろしい生活、しかし今日までさまざまの享楽きょうらくを求めてきた身にとって、一面に於て、これほど異常なエクスタシーを与えてくれるものはなかった。これほど生命の価値を感じたことはなかった。これほど神を想ったことはなかったのである。
「『剣を抱いて寝る』といったわね」機嫌のわるいと思っていた鈴江が、細い声で彼の耳元にしずかにささやいた。鈴江の顔の下にかさなっていた彼の頬に、ポタリポタリと、なま暖いものが落ちて来てくすぐるかのように、彼の唇の下をとおって枕の下におちて行った。
 彼は鈴江の腕がギュッと身体をしめつけて来るのを感じた。彼はいつもとはまるで反対の気持で、鈴江の強い握力あくりょくに、かぎりなき愛着あいちゃくを感じてゆくのであった。
 と、まアこういう話なんだがね、そのうちに、妻もお湯から帰ってくるだろうから、そうしたら、晩飯ばんめしでも御馳走することにしようよ。
 もう今日がお別れになるかも知れないんだ、ゆっくりして行きたまえ。





底本:「海野十三全集 第1巻 遺言状放送」三一書房
   1990(平成2)年10月15日第1版第1刷発行
初出:「新青年」博文館
   1930(昭和5)年4月号
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年6月25日作成
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