黄金階段を下る
さすがに艇長だけあって、蜂谷学士は決心を定めて顔をあげた。
「さあ、地球へ帰れないなんて、始めから決心していたことで、今更歎いても仕方がないことですよ。それよりも、こうなったら探険隊の仕事をすこしでもして置きたいと思いますが、どうです。私は例の階段を下に下りてみようと思うのです。何だかあの下には、生物が住んでいるような気がしてならないのです。さあ皆さん、元気を出して下さい」
艇長の言葉はよく分った。死ぬ覚悟さえつけば、何の恐るるところもない。そこで三人は負傷している佐々記者を担いで、黄金の階段の方へ引返していったのだった。
するとどうしたことだろう。さっきは誰もいなかったと思うのに、黄金階段の上には紛れもなく人間の形をした者が一人立っていて、しきりにこちらを見ていたが、やがて明瞭な日本語で、
「おお、そこにいるのは、妹のミドリではないか」
愕いたのはミドリだった。
「……ああら、兄さま。まア……」
と叫ぶなり、彼女は死んだものとばかり思っていた兄の天津飛行士の胸にワッとばかり縋りついた。
その場の事情を悟るなり、進少年はにわかに興奮して、
「おじさん。僕の父はどこに居ます。早く教えて下さい」
「おお、あなたのお父さんとは……」
「それ六角博士ですよ。僕は六角進なんです!」
「ナニ六角進君。ああそうでしたか。隊長の坊ちゃんでしたか。まあよく月の世界まで尋ねて来られましたネ」
「早く父に会わせて下さい。どこにいるのですか」
「ああ、お父さまですか。……」といって天津飛行士はちょっと顔を曇らせたが「……実はお父さまはこの地底で病気をしていらっしゃいます。しかしあなたをごらんになれば、どんなに元気におなりか分りませんよ。さあ参りましょう」
天津は先に立って、黄金階段を下りはじめた。「地底」へ下りてゆく間に、一行は始めて月の世界の生物の話を聞くことができて、奇異の想いにうたれた。
それによると、月の世界の表面には、何も住んでいない。それは第一空気もなく水もないし太陽が直射すると摂氏の百二十度にも上るのに、夜となれば反対に零下百二十度にも下ってしまうという温度の激変があって、とても生物が住めない状態にあった。しかし月世界に生物が全く居ないわけではない。この世界にもやっぱり数億人の生物が住んでいるのだった。彼等は皆、月の地中深く穴居生活をしているのだった。地中はまだ暖く、早春ぐらいの気候だそうで、そこには空気もあり、また水もあるのだという。その月の生物も人間と別に大した変りはないが、まだ智恵はあまり発達していないという。とにかく意外なる月の地中社会のお蔭で、一行は寒さに倒れることもなくて助かった。
ただ気の毒なのは、進の父六角博士の容態だった。博士は老衰病のため、ひどく弱っていて、動かすことも出来ない有様だった。
その夜一行は、物珍らしい月の人間に囲まれていろいろな話をしたり聞いたり、また奇妙な食物を御馳走になったりして過ごした。一行は寂しさから紛れて、こうして三晩を過ごしたのだった。
それは四日目の朝に相当する時刻だった。もっとも月の世界では、十四日間も昼間ばかりぶっつづき、あとの十四日は夜ばかりつづくという変な世界だったので、事実はいつも明るかったのだった。とにかくその朝、天津飛行士の作った黄金階段に見張りに出ていたクヌヤという月の住人が急いで天津のところへ駈けつけてきた。
「なんだか真白な、大きなものが砂地に突立っていますよ」
真白な大きなもの――というので、天津は蜂谷たちに知らせると、急いで階段をのぼった。上ってみると、なるほど砂中からニュウと出ている銀色の板――。
「おお、これは宇宙艇じゃないか」
それでは、猿田の操縦していった新宇宙艇が、墜落してきたのであろうか。一行は非常な興味をもって、これを砂中から掘りだしてみた。
「ウンこれは違う。新宇宙艇ではない」
と蜂谷学士は首を左右にふった。
「オヤオヤ」突然横合から叫んだのは天津飛行士だった。「これは愕いた。奇蹟中の奇蹟! 六角隊長と私とをこの土地に残して、空に飛びだした第一の宇宙艇だ」
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