月世界上陸
月世界の探険に於て、一番難所といわれるのは、無引力空間の通過だった。その空間は、丁度地球の引力と月の引力とが同じ強さのところであって、もしそこでまごまごしていたり、エンジンが止ったりすると、そこから先、月の方へゆくこともできず、さりとて地球の方へ引かえすことも出来ず宙ぶらりんになってしまって、ただもう餓死を待つより外しかたがないという恐ろしい空間帯だった。
蜂谷艇長の巧みな指揮が、幸いにエンジンを誤らせることもなく、無事に危険帯を通過させたのだった。乗組員四名――いやいまは五名である――は、ホッと安堵の胸をなで下ろした。
やがて地球を出発してから十二日目、いよいよ待ちに待った月世界に着陸するときが来た。ここでは月は、まるで大地のように涯しなく拡がり、そして地球は、ふりかえると遥かの暗黒の空に、橙色に美しく輝いているのであった。
「さアいよいよ来たぞ」と艇長はさすがに包みきれぬ喜色をうかべて云った。「じゃ大胆に『危難の海』の南に聳えるコンドルセに着陸しよう。皆、防寒具に酸素吸入器を背負うことを忘れないように。……では着陸用意!」
「着陸用意よろし」
猿田飛行士は叫んだ。彼はすっかり隙間のないほど身固めし、腰にはピストルの革袋を、肩から斜めに、大きな鶴嘴を、そしてズックの雑袋の中には三本の酒壜を忍ばせて、上陸第一歩は自分だといわんばかりの顔つきをしていた。
「……着陸始めッ……」
艇は速度をおとし、静かに螺旋を描きながら、荒涼たる月世界に向って舞いおりていった。
「ねえ蜂谷さん。着陸してから、どうなさるおつもり」
とミドリがいった。
「やはり貴女の電子望遠鏡にうつった白点を真先に探険するつもりですよ。途中いろいろと観測しましたが、あれは大きな孔なんですネ。しかも地球にある階段に似たものが見えるんですよ。ひょっとすると、人間が作ったものかも知れませんネ」
「ああ、もしや六角博士や兄が生きていて、その階段を築いたのではないでしょうか」
「さあ……」艇長は、十年前に探険に出かけた博士たちが今まで月世界に生きているものですかと云おうとして、やっと思いとどまった。「それならいいのですがねえ」
「あたしも御一緒に参りますわ。ああ嬉しい」
そのとき進少年が、艇の底にある倉庫から上ってきた。
「艇長さん、食料品がすこし心細くなったよ。直ぐ引返すとしても、帰りの路は半分ぐらいに減食しないじゃ駄目だ。ことに水が足りやしない。なにしろ一つの水槽の中に、記者の佐々おじさんが隠れていたんだものねえ。あはははッ」
それを聞くと、猿田飛行士は、ギョロリと眼玉を動かした。
艇はその間にだんだん下降して、とうとう真白な砂地にザザーと砂煙りをあげながら着陸した。
ここに哀れを止めたのは、密航者の佐々砲弾だった。折角ここまでついて来たものの、艇長は彼が上陸することを許さなかった。砲弾という勇しい名をもった彼も、今更どうする力もなく、黙ってその命令を聞くより仕方がなかった。
新宇宙艇の二重になった丸い出入口は、久方ぶりで内側へ開かれた。一行四名はマスクをして艇長を先頭に外へ出ていった。
丁度その上陸地点は、太陽の光を斜めに受けて、かなり気温は高い方だったのは意外だった。
砂地に下りたって歩きだすと、身体に羽根が生えたようにフワフワと浮いた。それは地球とちがい、月の世界では引力がたいへん小さいせいだった。
一行は、「危難の海」といわれる平原に見えた白い斑点をさして歩きだした。月には一滴の水もない。だから地球から見ると海のように見えるところも、来てみれば何のことか、それは平原に過ぎないのであった。さて一行のうち、猿田飛行士一人は、他の三人をズンズン抜いて、猛烈なスピードで前進していった。ミドリはさすがに女だけあって、とても猿田の半分のスピードも出ず、従って三人は一緒に遅れて、猿田との距離はみるみる非常に大きくなっていった。
三人は慣れないマスクと、歩きにくい砂地とに悩みながら、三十分ほども歩いたが、そのとき、前方からキラキラと煌くものがこっちへ近づいて来るのを発見した。
「あッ、誰かこっちへ来る。月の世界の生物じゃないかしら」
進少年の発した愕きの言葉に、一行ははっとして、荒涼たる砂漠の上に足を停めた。
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