宇宙旅行
わずか五秒しかたたないのに、新宇宙艇は富士山の高さまで昇った。
スピードはいよいよ殖えて、それから十秒のちには、成層圏に達していた。窓外の空は月は見えながらも、だんだん暗さを増していった。
そこで新宇宙艇の進路が変った。大空の丁度ま上に見える琴座の一等星ベガ一名織女星を目がけて、グングン高くのぼり始めた。
地球から月世界までの距離は、三十八万四千四百キロメートルという長いもの、それをこの新宇宙艇は、僅か十日間で飛び越そうという計算であった。
進路がベガに向けられて、早や三日目になった。もうあたりは黒白も分らぬ闇黒の世界で、ただ美しい星がギラギラと瞬くのと、はるかにふりかえると、後にして来た地球がいま丁度夜明けと見えて、大きな円屋根のような球体の端が、太陽の光をうけて半月形に金色に美しくかがやきだしたところだった。
蜂谷艇長は、観測台のところに立って、しきりにオリオン星座のあたりを六分儀で測っていたが、やがて器械を下に置くと、手すりのところへ近づいて、下にいるミドリの名を呼んだ。
「ねえ、ミドリさん……」
「アラ、どうかなすって?」
ミドリは星座図の上に三角定規をパタリと置いて、艇長の顔を見上げた。
「どうも可笑しいんですよ。もう丸三日になるので、十二万キロは来ていなきゃならないのに、たいへん遅れているんです。始め試験をしたときのような全速度が出ないのです。よもや貴方の計算に間違いはないでしょうネ」
「いえ、計算は三つの方法ともチャンと合っていますわ。間違いなしよ」
「間違いなし。……するとこれは、何か別に重大なるわけがなければならんですなア」
そういって蜂谷艇長は腕をこまねいて考えに沈んだ。
「私の運転の下手くそ加減によるというんでしょう、ねえ艇長!」
猿田飛行士が、底の方からいやみらしい言葉を投げかけた。
「そうは思わないよ。黙っていたまえ君は……。おう、進君、やがて水を配る時間だ。第四の樽を開けて置いて呉れたまえ」
進少年は、通信機のそばを離れて、下に降りていった。床にポッカリと明いた穴に身体を入れて見えなくなったと思うと、それから間もなく、ワッという悲鳴と共に、一同を呼ぶ声が聞えてきた。
艇長は残りの二人を手で制して、ピストル片手に単身底穴に降りていったが、軈て激しい罵りの声と共に、見慣れない一人の青年の襟がみをとって上へ上って来た。
「密航者だ。……この男がいるせいで、この艇が一向計算どおり進行しなかったんだ。なぜ君はわれわれの邪魔をするんだ。君は一体誰だい」
「まあそう怒らないで、連れていって下さいよ、僕は新聞記者の佐々砲弾てぇんです。僕一人ぐらい、なんでもないじゃないですか」
この不慮の密航者をどうするかについて、艇では大議論が起った。もう地球から十二万キロも離れては、彼を落下傘で下ろすわけにも行かなかった。そんなことをすれば死んでしまうに決っている。艇長は云った。
「このまま連れてゆくか、それとも引返すかどっちかだ。連れてゆくのなら、食料品が足りないから、今日から皆の食物の分量を四分の一ずつ減すより外ない」
真先に反対したのは、猿田飛行士だった。
「密航するなんて太い奴だ。構うことはない。すぐに外へ放り出して下さい。たった一つの楽しみの食物が減るなんて、思っただけでもおれは不賛成だ」
といって、頬をふくらませた。ミドリは引返すことに反対した。艇長は遂に云った。気の毒ながら、この向う見ずの記者に下艇して貰うより外はないと。すると先刻からジッと考えこんでいた進少年が大声で叫んだ。
「艇長さん、それは可哀想だなア。……じゃいいから、僕の食物を、この佐々のおじさんと半分ずつ食べるということにするから、このままにしてあげてよね、いいでしょう」
「おれの食物の分量さえ減らなきゃ、あとはどうでも構わないよ」
と猿田は云った。
艇長はようやく佐々記者を艇内に置くことを承認した。――佐々はどうなることかとビクビクしていたが、進少年の温い心づかいのため救われたので、少年の手をグッと握りしめ、心から礼を云った。
「あなたは僕の命の恩人だ。……いまにきっと、この御恩はかえしますよ」といった後で、誰にいうともなく「いや世の中には、豪そうな顔をしていて、実は鬼よりもひどいことをする人間が居るのでねえ……」
と、意味ありげな言葉を漏らした。
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