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千早館の迷路(ちはやかんのめいろ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-25 6:46:35  点击:  切换到繁體中文


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 中に一日置いて、三月二十九日の朝のことだった。帆村荘六と春部カズ子の二人連が、栃木県某駅に降りて、今しも駅前から発車しようとしているバスに乗り移った。
 このあたりは静かな山里で、あまり高くない山がいくつも重なりつつ、全体が南東へゆるやかな傾斜をなしており、そしてその反対の背後遙かには、奥日光の山々が、まだ雪を頂いてまぶしく銀色に光っていた。
 バスは、道中やたらに停っては人を降ろし、曲りくねった坂道を、案外遅くないスピードで登っていった。赤松の林が、あちらにもこちらにもあって美しく、その間から池の面が見えたりした。
 二人がこんな山里までやって来た訳は、昨日いろいろと手を尽した探査の結論に基づいてのことだった。
 田川の下宿を調べたが、彼の日記帳を得た外には、彼の行方をつきとめる資料はなかった。その日記も、一ヶ月程前から始まった四方木田鶴子との交際に関する熱情と反省とが、彼らしい純情の文章でつづってあるだけで、彼がこれから赴こうとする場所については記載がなかった。
 ただその中で一つ、帆村の注意を惹いたのは、「千早ちはや館」という文字だった。“田鶴子さんは日本中で一番感覚美を持った建築物は千早館であり、田鶴子さんは毎月一回は栃木県の山奥まで行って、千早館を眺めて来ないではいられない程なのよと、うっとりとした面持で僕に語った”と、日記には出ていた。
 千早館! この建物の名に、帆村は古い記憶を持っていた。それはこの建物が、彼の旧友古神子爵が道楽に作ったものであること、そして子爵はその設計を早くも高等学校時代から始めたこと、それは前後十年の歳月を要して出来上ったこと、だがその千早館は公開されるに至らず、客を招くこともなく、その儘にして置かれたが、それから二年後に、例の日本アルプスにおける遭難事件があり、子爵は恐ろしい雪崩と共に深い谿谷へ落ちて生涯を閉じたのである。
 それ以来、千早館の話は聞かなかったし、またそんな建築物のあったことも忘れていたが、それが今、失踪した田川勇の日記の中から拾い上げられたのだった。
 だがこのときの帆村荘六は、千早館と田川勇とを結びつけて考えるほどの突飛さを持ってはいなかった。そして次は一転して、四方木田鶴子の動静について調査を始めたが、これとて千早館と田鶴子とを結びつけてのことではなく、失踪した田川が最近日記帳までに彼女のことを記してさわぎたてているので、或いは田鶴子の動静よりして田川の行方についての示唆が得られるのではないかと思ったのである。
 ところが、田鶴子の身辺を洗ってみると、思いがけなく多彩な資料が集った。まず第一に田鶴子は三月二十四日――つまり田川の遺書にある日附の前日に東京を後にして旅に出掛けていることが分った。これは彼女の住居の周囲から確め得たことである。その行先は残念ながら知っている者がそこにいなかった。しかしよく旅に出ることがあり、一週間ぐらいすると帰宅するのが例であると知れた。
 第二に、キャバレの関係を丹念に叩きまわった結果、怪しいことを聞き出した。それは過去半年あまりの間に、田鶴子に対して情念を非常に燃やして接近していた若い男の中の五名ほどが、揃いも揃って予告なしに突然このキャバレから足を引いたことであり、しかも彼等は帝都の他の踊場にも全然姿を見せないとのことだった。そしてそのキャバレでは、田川勇が今にも姿を消すだろうという噂をたてていたが、それがどうやら本当になったろうし、ここ数日ぱったり顔を見せなくなったといっていた。
「今頃は、田アちゃん、おそろしい女蜘蛛に生血を吸いとられているんだろう」
 と、楽士のひとりがいいだしたとき、指揮者の森山は顔色をかえて、
「あ、いけないよ、そんな不吉なことをいっては……」
 と、両手を振った。
 第三に、四方木田鶴子が去る二十四日、上野駅から栃木県の那谷駅までの切符を手に入れて出掛けたことが分った。これは田鶴子がよく行く割烹料理店の粋月すいげつから聞き取ったものであったが、この切符はその粋月の料理人の野毛兼吉が買って来たものであった。田鶴子は間違いなく二十四日の昼間上野駅を出発した。ところがその同じ日の夜、兼吉も暇を貰って郷里の仙台へ出発して、まだ帰って来ないという。しかし粋月の雇人の中には、兼吉も実は田鶴子と同じ目的地へ行ったんではないかと噂をしている者があった。
 兼吉とは何者ぞ。親の代からの料理人で、この粋月に流れこんで来たのは七八年前で、今年四十二になる男だという。その他のことは分らない。
 こんなわけで、結局帆村は、田鶴子の跡を追うことにしたのである。それで春部カズ子を連れて那谷駅で下車したんだが、この那谷駅で下車するということは、もう一つ別の方向よりする示唆[#「する示唆」はママ]があった。それは例の千早館に赴くのはこの駅で下車するのが順路であり、そして千早館は駅前から出る黒岳行のバスに乗り、灰沼村で降りるのがよいと分っていたのである。
(田鶴子は千早館へ行ったのに違いない)
 帆村は確信をもって、そう解釈していた。

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