静かな海
はげしいいきおいで、何千メートルという深い海底へおちていく地底戦車の中で、パイ軍曹とピート一等兵とは車内を、ころげまわったり、ぶつかったりして、たいへんな目にあった。床だと思っていると、それが、ぐらっとうごくと、天井になったり、そうかと思うと、天井が、横たおしになって、かべになったり、二人は身のおきどころもなかった。いや、身のおきどころがないなどという生やさしいことではなく、からだとからだが、いやというほどぶつかり、そうかと思うと、鉄壁に、がーんと叩きつけられ、戦車が海底にやっと達したときには、とうとう二人とも気をうしなってしまった。
だが、この地底戦車は、よほどしっかりできているものと見え、万事異常はなく、車内の電灯も、ちゃんと点いていて、エンジンのうえに、長くなって倒れているパイ軍曹とピート一等兵の二人を、気の毒そうに照らしていた。
ここで、二人が、そのまま息をひきとってしまえば、もう『地底戦車の怪人』も、ここでおしまいになるはずである。これから後が、なかなか長くて面白い冒険談となるのである。だから、読者諸君は、パイ軍曹とピート一等兵とがたいへん好都合にも、間もなく息をふきかえしたことに気がつかれるだろう。
これは、二人にとって、どれくらい後のことだったか、さっぱり分らない。どっちが、先に気がついたのか、それも、はっきりしないが、とにかく二人は、
「うーむ」
「あ、いたッ」
と、別々に呻りながら、手足を、そろそろとうごかしはじめた。だが、四肢はくたくたになり、首の骨はぐらぐらになっているので、気の方は一足おさきに、相当しゃんとしながら、からだはいうことをきかないのであった。
「うーん、あ、たたたたッ」
「とめ、とめ、とめ、とめてくれたか」
と、うわごとのようなことを、二人は、とめどもなく喋りちらす。二人が、傾斜した車内に、半身を起してあぐらをかくまでには、十七、八分もかかった。
「おい、ピート一等兵、だらしがないぞ」
パイ軍曹は、自分のことは棚にあげて、兵を叱りつけた。
「はい、軍曹どのが、あれから今まで、一度も号令をかけてくださらないものでありますから自分もつい休めをしていたのであります」
「なにをいうか。頭に大きな瘤をこしらえて休めもないじゃないか」
「いや、これも、軍曹にならったわけでありますが、さすがに上官の瘤は、自分の瘤よりも、一まわりずつ大きいのでありますな」
「ばかをいえ」
こう、へらず口が、どんどん出るようでは軍曹も一等兵も、瘤こそ作ったが、まず元気はもとにもどったものと思われる。
「おい、ピート、水が飲みたいが、水を持ってこい」
「はい、どこから、持ってきますか」
「……」
軍曹は、へんじをするすべを知らなかった。ここは、どうやら深い海底のように思われる。扉をあければ、ふんだんに水はありながら、その水は飲めないときている。全く、いじのわるいものである。いや、そんなことよりも、海底におちながら、外部から、海水も侵入せず、空気もくさくならないのが、なにより天の助けと、ありがたく思わなければならない。考えていくと、こうして、二人とも助かっていることが、だんだんふしぎで、そしておそろしくなってくるのだった。
「パイ軍曹どの。一体自分は、只今、生きているのでありますか、それとも死んでしまったのでありましょうか」
「なにッ。死んだ奴が、そんなに上手に口がきけるか。また、おれの声が、きこえたりするものか。ばかなことも、やすみやすみいえ」
と、叱ったものの、軍曹は、ピート一等兵が、とつぜんへんなことをいいだしたので、気味がわるくて仕方がなかった。
「はあ、やっぱり、只今は生きているのでありますか。なるほど」
「只今も、なるほどもないよ。ちと、しっかりしなきゃいけない。びっくりするのも、無理ではないけれど……」
「いや、軍曹どの。自分は、たしかに一度死んだんです。それから再度、生きかえったのです、たしかに、或る期間、死んでいました」
「そんな、へんなことをいうものじゃないよ。死んだ奴が、どうして生きかえるものか」
「いや、そうではありません。軍曹どの。なぜ、そんなことをいうかと申しますと、さっき自分は死んでいる間に、幽霊を見かけました。幽霊が見えたんです。そのへんを、すーっと歩いていましたよ」
幽霊
「おどかすなよ」
と、パイ軍曹は、鉛筆ですじをつけたような細い口髭をうごかして、いった。
「いえ。ほんとです。軍曹どのとは、全くちがった服装をしていました。幽霊の足音が、ことんことん床を鳴らしたのを、聞いたようですよ」
「ふーん」
パイ軍曹の顔が、なぜか、さっとかわった。そしてピート一等兵を、じっと睨み据えていたが、やがて口をひらき、
「その幽霊なら、さっき、わしも、ちょっと見たよ」
と、こんどは軍曹が、へんなことをいいだした。
「はあ、軍曹どのも、見たでありますか。じゃあ、夢じゃなくて、本物の幽霊が、この戦車の中に現れたんですね。ううッ」
と、大男のピート一等兵は、肩をすぼめた。戦車の中に、幽霊が現れるなんて、途方もない話だ。相当、戦場ではたらいてきた戦車なら、そのとき戦死した勇士の幽霊が、出てくるかもしれない。だが、これは新しく出来たばかりの戦車なのである。戦争に出たことは、一度もない。その戦車に、幽霊が出てくるなんて、へんなことだ。
「あははは」
と、パイ軍曹が、とつぜん笑い出した。
「軍曹どの、なにが、おかしいのですか」
「あははは」
軍曹の声は、戦車の壁に反射して、妙に、ううーんと後をひいた。ピート一等兵は、肩のうえに、手をかけながら眼を丸くした。
「おい、ピート一等兵。幽霊が出るなんて、嘘だよ」
「はあ、嘘ですか」
「つまり、これは生理的の現象だ。いいかね。おれたち二人は、さっきから、同じように頭をがんがんとうったじゃないか。だから、同じように、頭がへんになって、同じように幽霊みたいなものの姿が、見えたというわけだよ」
「ははン、同じように頭がへんになって、同じような幽霊の姿が、頭の中にうかび出たというわけですか。なるほど、そうかもしれませんなあ。軍曹どのと自分とは、前から、双生児のように、なんでも気が合うのですから、そういう場合に、二人の頭の中に、別々に出てくる幽霊が同じ姿をしていても、かくべつふしぎでないわけですなあ。なるほど、ああなるほど」
「お前のように、臆病で、びくびくしていると、西瓜が、機雷に見えたりするのだ。しっかりしろ。あははは」
パイ軍曹は、笑った。だが、その笑いごえは、あまり朗かであるというわけにはいかず、どっちかというと、とってつけたような笑いごえだった。
それでも、ピート一等兵は、やっと、おちついたようであった。
「なあに、自分は、たいていの物にはおどろきませんが、幽霊ばかりは、にが手なんですよ。あのひきずるような足音、そして地の底から呼んでいるようなあのうつろなこえ、あいつは、まっぴら御免ですよ」
そういいながら、彼はポケットをさぐって、煙草をさがした。だが、煙草は、なかった。
「あれ、煙草がない。しまった、船へ、おいてきた。軍曹どのは、お持ちですか」
「なんだい、煙草か。うん、煙草なら、ここにあるが、まさか、この戦車の中じゃ、油があるから、危くてすえないよ」
「ははあ、なるほど」
と、ピートは、うらめしそうだ。
「あっ、たいへんだ。軍曹どの」
「なんだ、おどかすない」
「たいへんですよ、これは。煙草のないのはいいが、一体これからのわれわれの食事はどうなるんでしょうか」
「うん、そのことには、よわっているんだ。しかし、一体われわれは、いつまで生きているかということの方が、先の問題だよ。まあ、どうせ、無い命なんだから、それまでは、朗かにやろうぜ」
「朗かにやれといっても、食うものがなくちゃ、朗かにやれませんぜ」
「ぜいたくいうな。とにかく、この戦車は、深い深い海底へおちこんでいるんだから、救援隊は来っこなしさ。ただ、こうして死をまつばかりだよ」
「いやだなあ。どうせ、乗るんだったら、戦車よりも、破れボートの方がよかった」
「なぜ?」
「だって、ボートにのってりゃ、仰向けば、天から降ってくる雪を、口の中にいれることができるし、たまにゃ、近くの流氷の上に白熊がのっているかもしれませんから、銃をぶっぱなして、白熊の肉にありつけるかもしれない」
「やめろ、そんなうまそうな話は! よけいに腹が減って、よだれが出るばかりだ」
と、パイ軍曹は、腹を立てた。
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