沈没迫る
アーク号の甲板は、刻々に傾斜を増していく。もうこの船は、あと五分と、もたないで、海面下に姿を没してしまうであろうと思われた。そのうえ、意地わるく、大吹雪は、いよいよ猛烈にふきつのって、甲板を、右往左往する人々の呼吸を止めんばかり――。
「おい、ボートはもう一ぱいだ。おれたちは、はいれやしない。ど、どうなるんだろうか」
「うん、仕方がない。艫の方へいって、さがしてみろ。わりこめる席があるかもしれない」
「だめだだめだ。舳の方をさがせ。艫の方はボートごと、ひっくりかえって、たいへんなさわぎだ」
人々は、なんとかして、ボートの中に、空いた場所をみつけて、一命を助かりたいものだと、まるで喧嘩のようなさわぎであった。
パイ軍曹は、唇のうえに鉛筆で引いたようなほそい口髭をひねりながら、大兵のピート一等兵を見上げ、
「おい、ピート。ボートはもう駄目らしい。お前は、あの冷い南氷洋で競泳する覚悟ができているかね」
「わしは、競泳には、自信がねえです。誰よりも一等あとで、海水につかることに、はらをきめました」
「一等あとで海水につかるって、一体どうするんだ」
「いや、なに、一等背の高い檣のうえへ、のぼっちゃうてえわけでさ」
「ばかをいえ。それだから、お前のような陸兵は、役に立たねえというんだ。陸に生えている林檎の樹とはちがうぞ。船がどんどん傾いてしまうのだから、一等背の高い檣てえのが、一向当てにならないのさ」
「そうですかい。なるほど、甲板が、いやにお滑り台におあつらえ向きになってきましたねえ。ところで、軍曹どの。あなたは、これから一体どうなさるおつもりなんで……」
「今に、リント少将の飛行船かなんかがこの上へとんで来て、エレベーターかなんかを、この甲板におろすだろうと思うんだ。そいつをこうして、待っていようてえわけだ」
「あっはっはっはっ。軍曹どの。ここは、寄席の舞台のうえじゃあ、ありませんよ」
二人の勇士は、死を覚悟していると見え、とんでもないばかばかしい口を、ききあっていた。
そのときであった。
二人の立っているところから、そう遠くない後方で、とつぜん、どどーンと小爆発がおこって、船の構造物が、がらがらと、はげしい音をたてて崩れた。
「ほう、なかなか景気をそえているじゃないか」
と、パイ軍曹が、へらず口を叩けば、
「わしは、子供のときから、賑かな方が好きです。讃美歌なんかに送られて天国へいくなんて、わしの性分にあわねえ。もっと、どかんどかんと、爆発すると、ようがすなあ」
と、ピート一等兵はやりかえして、太い指で、鼻を下から、こすりあげる。
二人は、そのまま放っておけば、いつまでも地獄の門をくぐるときまで、その調子で、へらず口を叩き合っていたことだろう。――が、幸か不幸か、そこへ邪魔ものがとびこんできた。頭を割られて、顔半面まっ赤に血を染めた将校が、二人の前へよろめきながら現れたのであった。二人は、その将校の顔を見るより早く、声を合せて、叫んだ。
「あっ、隊長だ!」
「あ、カールトン中尉どのだ」
二人は、その傍へとんでいった。
中尉の遺言
「隊長どの、しっかり!」
「カールトン中尉! 傷は、かすり傷ですよゥ!」
二人は、一生けんめい、重傷の隊長を、元気づけた。
中尉は、間もなく気がついたものらしく、眼をかっと開いた。
「おお、パイに、ピートか。おれは……おれは、もう。……」
「おれはもう――おれはもう帰還されますか?」
「こら、ピート一等兵、だまれ。隊長どのは、これから遺産のことについて述べられるのだ。しずかにしろ」
「こら、二人とも。お前たちは、こここの場にのぞんで、恐怖のあまり、気、気がちがったな」
パイとピートは、顔をみあわせて、うなずいた。もう何も喋るまいぞという信号だった。この期にのぞんで、これ以上、隊長に気をつかわせることは、よくないと気がついたからである。
中尉は、二人に脇の下を抱えられながら、はあはあと、苦しそうな息をした。しかし、さすがは軍人であった。その苦しい息の下からも、二人を相手にすることは忘れなかった。
「おい、両人。おれを抱えて、三番船艙へつれていけ。そ、そして、おれのズボンの、左のポケットに、は、はいっている鍵で……その鍵で、扉をあけるんだ」
パイ軍曹とピート一等兵は、また顔をみあわせて、うなずいた。
「こら、両人とも、そこにいないのか」
二人は、おどろいた。
「はい、いるであります」
「ちゃんと、いるであります」
中尉は、眼をとじたまま、うちうなずき、
「そ、そんなら、よし! そこで、三番船艙の中にはいって……はいって、その、そこにある戦車の中に、おれを乗せてくれ。おお、お前たちも乗れ」
「えっ、三番船艙に、戦車があるんですか」
「そうだ。お、お前たちの、お眼にかかったことのない恰好をした新型の、せ、戦車だ。さあ、は、早く、わしをつれていけ」
「隊長どのは、その戦車に乗られて、どうなさるのでありますか」
「わ、わが輩は、せ、折角ここまで持ってきた戦車に、生前、一度は、の、乗ってみたいのだ。そ、その地底戦車というやつに……」
「地底戦車?」
「そ、そうだ。地底戦車だ。リント少将は、そ、その地底戦車をつかって、南極の地底をさぐる――さぐる計画を、たてられているのだ。は、早くしろ。船が、もう、沈む」
「は、はい!」
パイ軍曹と、ピート一等兵とは、顔を見合せた。二人の顔は、今までのいずれの場合よりも真剣になっていた。死を覚悟して、死の前に、他の何物への執着もすて去った二人であったが、いまこうして、中尉の紫色になった唇の間から、無名突撃隊の秘密についてのべられてみると、彼等二人は、本来の任務に奮い立たないでは、いられなくなった。
「おい、ピート、急ぎ、進め!」
「合点です。お一チ、二イ」
「三ン、四イ」
二人は、中尉を両方から抱きあげつつ、もはや歩行するのも容易でない傾斜甲板のうえを、器用にとんとんと走って、階段口から、下におりていった。
幸いなことに、三番船艙は、まだ浸水をまぬかれていた。
扉を、鍵であけた。
扉は開いた。大きな布カバーを取り去ると、下から現れたのは、怪奇な恰好をした重戦車!
地底戦車というのは、これか?
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