魔手は伸びる
岩は片目をキョロキョロ廻しながら呻く様に物をいっている。
「どうだ。でかい所を覘ったものだろう。これより上に大きな仕事なんてありゃしない。考えつくことも、この岩でなけりゃ駄目だし、仕事をやるにしてもこの岩の一党を除いて外にはいないのだ。して見ればこの岩は世界的怪盗だ。いや富の帝王だ。いまに世界中の国がこの岩の前に膝を曲げてやってくるだろうよ。わッはッはッ」
岩は巨体をゆすぶり、天井を向いて、カンラカラカラと笑った。部下は只もう呆気にとられて、親分の笑う顔を眺めつくしていた。
「そのかわり、仕事としてはこの上もなくむつかしいのだ。いざという時までは、これっぱかりも他人に悟られちゃならない。そのために、日数をかけて随分遠くからジワジワと大仕掛にやってゆくのだ。これをやりとげるものは英雄でなくちゃならない。この岩は英雄である部下が必要だ。英雄でない部下はいらないから、さア今のうちにドンドン帰って行っていいぞ」
しかし誰も席を立とうとしない、誰も皆英雄なのだろうか? 大変な英雄たちもあったのである。
その時どこからともなくごうごうと恐しい響が近づいて来た。オヤッと思ううちに、今度はだんだんと遠のいていった。
部下の一人が立ち上って壁の額を外すと、驚いたことに、その裏に四角いスクリーンが現れて、その上には今しも遠ざかってゆく地下鉄電車の姿が映っているではないか。
「いまのが地下鉄の始発電車ですよ」
「よしッ。仕事に掛ろう!」
「岩」はスックと立上った。
大辻珍探偵
こちらは珍探偵大辻又右衛門だ。
水のボトボトたれる潜水服を抱えているけれど、あまり時間が長く経つので、いまはこらえ切れなくなって、水に漬ったままあくびの連発である。
「フガ……フガ……うわッ……うわッ……うわうわうわうわーッ」
まるで蟒があくびをしているようだ。
「なんてまア遅いんだろう。いやになっちゃうなア。名探偵は辛いです。天下に名高い大辻……うわッ……ハーハックション!」
どうやら大辻又右衛門、風邪をひいたらしい。
とたんに陸の方から何だかオーイオーイの声がする。
「おッ。呼んでいるな。さては敵か味方か。とにかく寒くてやり切れないから上陸、上陸……」
大辻探偵は潜水服を背負うと危い足取で月島の海岸めがけてザブザブと上ってきた。
潜水服を預けた男
「その恰好はどうしたの?」
「なアんだ。三吉か」大辻又右衛門は胸をなで下した。
「潜水服でもぐっていたのかい?」
「うんにゃ」と大辻は正直に首を振り、「お前が命じたとおり月島の海岸に立って海面を見張っていたよ。すると傍へ大きな男が寄って来てね、『まさかのときには、こいつで探したがいいでしょうから、貸してあげます』とこいつを貸してくれたのだよ」と潜水服を指さした。
「大きい男? そしてどうしたの」と三吉少年は詰めよりました。
「俺は有難うと礼をいったが、どうして着るのか分らない。ついでに教えてくれと頼むと、『今先生をよこすから、これを抱えてちょっと待っていて下さい』といって向うへ行ったよ。もう来るはずだ」
三吉は笑いだしました。
「何を笑うんだい。これが役に立つことを知らないね」
「だってその潜水服、始めから濡れていたんだろう?」
「そうさ」
「じゃ駄目だよ。その服は海中で使ったばかりだったんだ。大きい男というからには、岩にちがいない。ほーら御覧、赤字で岩と書いてあるじゃないか。僕たちは、馬鹿にされているんだよ」
懐中電灯で照らすと、なるほどそのとおりの印があった。大辻はベソをかいている。
怪盗「岩」の逃げた路
三吉は、ズバリと結論を下した。
「岩の奴は、汽艇の中で発見されなかったろう。それは、追付かれる前に、この潜水服を着てヒラリと海中に飛びこんだからだ。この潜水服には酸素タンクがついているから、一人で海底が歩けるのだ。どんどん歩いて月島の海岸に近づくと大辻さんの隙をねらって、海面から海坊主のような頭を出し、いちはやく服をぬいで、大辻さんに渡し、自分は逃げてしまったのだ」
「そうかなア。先生をよこすといっていたけれどね」
「先生も生徒も来るものか。それよりか足跡でも探してみようよ」
懐中電灯をたよりに、附近を探してゆくと、砂地に深くそれらしい一風変った靴跡が残っているのを発見することができた。
「やあ、しめたしめた」三吉は用意の石膏をとかして、手早くその靴の形を写しとった。それは真白の靴の底だけのようなものだった。
「どうだ三吉。俺は遊んでいるようでいて案外手柄を立てるだろう。名探偵はこうでなくちゃ駄目だ。この靴型も俺の手柄だから、俺が持っていることにするよ」
大辻は三吉の手から岩の靴型をひったくるように取った。そうこうするうちに東の空に次第に紅がさしてきた。やがて夜明である。
ほのぼのとあたりが薄紙を剥ぐようにすこしずつ見えて来た。
波がザブリザブリと石垣を洗っている。その時だった。
「はてな?」
砂地にうずくまっていた少年探偵三吉は、そう呟くとつと立ち上った。
追跡急!
三吉の見つめる五百メートル彼方の路に、今しも大きい貨物自動車が、十台ばかり列を組んでユラユラと動きだしているのだった。
「大辻さん、あれを御覧よ」と三吉は後を振返った。
「貨物自動車だね。新品のようだ。あれだけあれば、自動車屋としても結構食べてゆけるがなア」とどこまでも慾が深い。
「あの自動車隊は立派すぎると思わない? 何を積んでいるのかわからないが、皆ズックの覆いをかけている。どこへ行くんだか検べてみようよ」
「よし、見失わないように追掛けよう。……この潜水服は勿体ないが、ここに捨てておけ」
二人は空腹を抱えて一生懸命に駈け出した。幸に例の貨物自動車は、路面の柔いのに注意してか、ソッと動いている。
四五分経つと、いい舗道へ出たと見えて、自動車隊は速力をグンとあげた。見る見る自動車の姿は小さくなってゆく。
「チェッ。まだ大通へ出られないのかなア」
「早く円タクでもつかまえないと駄目だぞ」
「ああ、しめしめ。あっちからボロ貨物自動車がやって来た。オーイ、オーイ」
「オーイ。乗せてってくれよオー」
やっと二人はボロ貨物自動車を停めることができた。運転手に頼んで、荷物を積みこむ後の函の中へ乗りこませて貰った。
「お礼はたんまりするから、僕のいうように走らせてくれ給え」
「さあそれは――」と運転手は考えていたが、
「一つ中のお客さんに相談して下さいよ」
中のお客さん? 二人は驚いて後をふりかえって見ると、今まで一向気がつかなかったが、その函の片隅に薄汚い洋服を着た中年の男が、膝小僧を抱えてよりかかっていた。睡っているらしい。
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