ああ日本国消滅か――潜水艦の針路を北へ修正した
東京港のシグナルもきこえなければ、艇をつけるべき潜水洞も見あたらない。私の胸は、早鉦のように鳴りだした。
「オルガ姫。一体これは、どういうわけだろうね」
私は、思わず、こんなことを口走った。
オルガ姫は、それに応えなかった。オルガ姫は人造人間だから、わけのわからぬことをたずねても、だめである。人間ならば、意見をいうであろうが、彼女には、それができない。
「弱ったなあ、どうすればいいのだ」
私は、潜水艇の中で、われるような頭を抱えて、呻吟した。
いい考えが浮かばない。不安の影が、ますます濃く、そして大きく拡がっていくのであった。祖国日本が、そのままそっくり、天外にとび去ったのではないかと、妙な錯覚を起したくらいであった。
三十分ばかり、私は、地獄の釜の中で茹でられているような苦しみを経験した。が、その後になって、多少気分がおちついてきたように思った。私はようやく考える力を取戻したのだった。
「そうだ。そのへんに、どこか上陸のできる場所があるはずだ。そこを探して、上へあがってみよう」
私は、オルガ姫に、新しい命令を出した。
「オルガ姫、上陸地点を探して、艇をそこへつけたまえ」
「はい」
艇のエンジンが、再び活溌にうごきだした。姫は、巧みに舵器をあやつって、上陸地点を探しはじめた。エンジンの音が、高くなったり低くなったりするのは、しきりに上陸地点を探しているのであった。
オルガ姫からは、なかなか報告が来なかった。私は、姫が故障になったのではないかと思い、
「おい、オルガ姫、お前は異常がないのか」
と、訊ねた。
「異常なしです」
「じゃあ、どうしたのか。あれから随分になるのに、まだ上陸地点が見つからないのか」
私は、自分でも、いらいらしているのが、よくわかった。
「はい。上陸地点が、どこにも見つからないのです。北は樺太までいきましたし、南は海南島から小笠原あたりまでいってみました。しかし、どこにも上陸地点は見当りませんのよ」
「それは、おかしいな。じゃあ、日本内地というものが、全然浪の上に出ていないということになるじゃないか」
私は、そんなことがあってたまるものか、と思った。
すると姫の答えは、
「いえ、そうなのです。日本のあったところは、すっかり何もなくなっています。有るのはただ洋々たる大海だけなんですわ」
「え、本当かい」
私は、胆をつぶした。日本内地の陸地が完全になくなってしまったというのだ。日本内地は、どうしたのであろう。空中へ吹きとんでしまったのか、それとも、海面下に陥没してしまったか。
「ああ、陥没! うむ、ひょっとしたら、そんなことがあったかもしれない」
私は、気がついて、直ぐさま、水中望遠鏡を目にあてた。
丁度夜であったので、視界は遠くない。赤外線をこっちから出して、目的物に当ててみるが、充分でない。しかし艇を、あっちへやったり、こっちへやったりしているうちに、ついに海面下に大きな要塞みたいなものが沈んでいるのを発見した。
それは、たしかにベトンらしいもので出来ていた。天然の岩礁でない証拠には、色も黄色であったし、そして簡単な幾何学的の曲面をもっていて、人工であることが、すぐわかった。
「おい、オルガ姫。艇の前に今見えている黄色い竜宮城みたいなものがあるが、あの地点はどこかね。つまり、日本の地図から探すと、あそこは、どのへんに当るかね」
「はい、あれは室戸崎付近です」
「なに、室戸崎だって。すると、四国だな」
私は、そこに起点を定めた。
「じゃあ、艇を、ここから東北東微東へ向けて走らせよ。いや、要するに、紀州の南端潮岬へ向けて見よ」
「はい。潮岬へ来ました」
「おお、もう来たか」
私は、室戸崎から潮岬までが、ベトンで、ずっと続いているのを発見して愕いた。
「オルガ姫、こんどは、東京へ向けてみよ。途中、富士山にぶつかるだろうから、その地点を忘れないで教えて、ちょっと停めよ」
「はい」
潜水艇の針路は、すこし北へ修正された。
不思議なベトン塔――とにかく東京までゆけ
「ここが富士山の位置です」
オルガ姫から注意されて、私は、また更に愕いた。
「富士山は、ここかね。山なんぞ、ありはしないが……」
どう見まわしても、富士山らしいものはなかった。このとき艇は、海面下わずかに一メートルのところを走していたのを、ぴたりと停めたわけであるが、このとき見えるのは、艇の下、約七、八メートルのところに、なんといったらいいか、恰も並べられた大きなパンの背中を見るような感じのするベトンだけであったのだ。やや凸凹はあるものの、山らしい形のものは、さっぱり見当らない。
「ふしぎだ、ふしぎだ」
私は首をふった。
「オルガ姫とにかく東京までいってみろ」
「はい」
東京へいっても、おそらく同じことであろうと思ったが、東京へついてみると、やっぱりそうであった。見えるのは、すべすべしたベトンの背中ばかりであった。
「ふうむ、やっぱり同じことだ。オルガ姫、艇をこのまま沈ませて、しずかに、あのベトンのうえにつけよ」
「はい」
艇の底は、まもなく、ベトンの上に触れた。微かな反動があった。
「しばらく、ここで休むことにしよう」
私は、ここでしばらく憩い、最前から解き切れない謎を、どうにかして、ここで解いてしまうつもりであった。
さあ、一体、祖国日本は、どうしたというのであろう。
私の観察したところによると、感じからいうと、日本の陸地が、化石になって(陸地が化石になるというのはおかしい云い方だが)、そして海底にしずんでしまったとでも云い現わしたいところだ。
その一方において、富士山がなくなり、その代りでもあるように、紀伊水道が浅くなってしまって、ベトンの壁が突立っているのであった。一体、どういうわけであろう。
わからない。さっぱりわからない。
あの夥しい日本人は、どこへいってしまったであろうか。鬼塚元帥は、どうなったであろうか。
わからない。さっぱり、わけがわからない。
私は、悶々として、二時間ばかり、そこに時間を過ごしていたであろう。
いくら、こうしていても、際限がないので、私は仕方なく、またもう一度、三角暗礁へ帰ることにしようと思った。謎は、ついに解けそうもないのであった。私は、オルガ姫をよぶために、伝声管を手にとって、新しい命令を伝えようとしたが、そのとき、オルガ姫の方が、私に呼びかけてきた。
「ベトンから、塔のようなものが、もちあがってきました。右舷前方、約十メートル先です」
「なに、塔のようなものが、もちあがってきた?」
ベトンは、墓場のようなものであろうと思っていたのに、今オルガ姫の知らせによると、そのベトンの背中から、塔のようなものが、もち上ってきたというのである。
私は、ひどい衝撃をうけて、目まいを感じた。しかしそれをやっと怺えて、水中望遠鏡に目をあてた。なるほどたしかに右舷前方十メートルばかりのところに、頭を丸くした小さい灯台のようなものが、むくむくとのびあがってくる。一体あれは何であろうか。
逃げるか、それとも、もっと傍によって、仔細に観察すべきであろうか。
私が、俄かに判断しかねていると、その水中塔の頭が、とつぜん、ぴかりと光った。それはうつくしい青緑色の閃光だった。
つづいて、ぱっぱっぱっと、三点閃光があった。私は、おやと思った。
そのうちに、こんどは真赤な光にかわった。その赤色光は、消えなかった。その代り赤色光は、いつの間にか橙色にかわった。
橙色になったと思っているうちに、今度は淡紅色に変った。――ここに於て、私は万事を察した。
「おい、オルガ姫。あれは、色彩信号だ。解読してくれ。ほら、例の暗号帳の第三十九頁に出ているあれだ」
私は、俄かに元気づいた。
色彩信号だ。この色彩信号というのは、さっきもちょっといったように、色彩の変化により、信号をつたえるもので、モールス符号よりも簡単で、且つ速く送ることが出来る。一分間に一万字は送れる。
だが、これは肉眼で見分けることは、ちょっとむつかしい。オルガ姫のような人造人間でないと、うまく受信が出来ない。
色彩信号は、近距離用のものである。四、五十メートルも離れると、何が何だか、わからなくなる。
さて、どんな信号を送ってくるか。いや、それにも増して、私が悦んだのは、鬼塚元帥との連絡がとれる見込がついたことであった。色彩信号は、ごく最近、鬼塚元帥が考え出した極秘の通信法の一つであった。それを使うかぎり、鬼塚元帥からの通信であると考えて、まず間違いないのであった。
ああ、鬼塚元帥と連絡がつけば、きっと私は、愕くべきニュースを受取ることになろう。
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