司令長官室――透明人間
さして広くはないけれど、どこかの宮殿の模型のような、飾りたてた部屋である。
正面にはどっしりした事務机があって、そのうえには書類がひろげ放しになっている。その前には会議卓子があって、周囲には、やわらかそうな皮製の椅子が、十ほど並んでいる。壁には、複雑なパネル型の通信機が、取りつけてあるすばらしい司令長官室だ。
私は、長官ピース提督の椅子に腰をおろして、彼がこの部屋に戻ってくるのを待つことにした。そしてそのついでに、長官の机上に散らばっている書類を、片っ端から拾い読みをしていった。
その書類の多くは電報だった。
それを読むと、米連艦隊は、いま日本を最後の目標として、南方から肉迫せんとしているところだし、他方欧弗同盟は、アジア大陸の日本を北及西から攻撃せんとしており、大東亜共栄圏はもちろんのこと、日本は南北から挟撃されようとしていることがはっきり分った。
(ひどいことをしやがる。有色人種の犠牲において、白人たちがいいことをしようというのだろう)
私は、そう思わないではいられなかった。これは私だけのひがみでないと思う。
そんなことを考えているとき、入口ががちゃりと鳴って扉があいた。銃剣をもった衛兵が、扉をひらいたのだ。
(おお、司令長官ピース提督だな)
私は提督をおどかすつもりで、あえて提督の椅子から立とうともせず、その廻転椅子をぎいぎいいわせていた。
扉をしめた提督は、ふと気がついたらしく、後をふりかえった。無髯の提督の顔は、不審そうに歪んでいた。そして彼は、呟いた。
「はあて、なにが、ぎいぎい鳴っているのだろうか」
そういって、提督の眼は、たしかに私の方にそそがれていた。
「はあて、あそこに、廻転椅子が、ひとりでぐるぐる廻っているが、どうしたことじゃろうか。たしかに、あの椅子が、ぎいぎいと音を立てているが……」
さすがに提督であった。おどろいてはいるが、大きなこえも出さなかった。
だが、そのとき、私は、
(おや、へんだな。提督は、へんなことをいったぞ)
と、不審にぶつかった。――提督は、廻転椅子が廻っているといったが、廻転椅子は見えて、私は見えないのであろうか、そんなことがあろうと思われない。
(ひょっとすると、提督は、わざと私が見えないような風を装っているのではなかろうか。つまり、提督は、私に弱味を見せないために……)
私の方は、いざとなったらX大使が助けに出てくれると思うから、気がつよい。――そこで私は、椅子から立ち上って、提督の方へ近づいた。
すると提督は、安心したような表情になって、
「おお、椅子は、ぴたりと停っている。余は、なにか思いちがいをしたらしい」
提督には、本当に私の姿が見えないようである。そうなると私は、反ってどきどきしてきた。私は、ことさら足音たかく、提督のまわりをどんどんと歩いてみた。
俄然、この効目はあった。
「ややややッ、足音だ。誰かの足音だ。息づかいも聞える。はてな、これはへんだ」
提督は、非常に愕いた様子であった。そして入口の扉の方へいこうとするから、私はそれをさせてはならぬと思い、
「ピース提督、おさわぎあると、貴官の生命を頂戴いたしますぞ」
「ええッ! 誰だ、そういう声の主は……」
「温和しく、貴官の椅子に腰をおろされたい。ちと伺いたい話があるのだ」
「おお、声だけは聞える。息づかいも、聞える。しかるに姿は見えない。君は、何者だ。姿を現わせ!」
ピース提督は愕きに負けまいとして、あぶら汗をかいて頑張っているのが、私にはよく分った。
私はいつの間にか、透明人間になっていたわけである。X大使はよくこれと同じことをやって、私を愕かせたものである。今それを私がやっているわけだ。ふしぎだ。ふしぎはふしぎであるが、なんという愉快なことであろう。こっちは絶対優勢、向うは白旗をかかげるほかはない。
そのとき提督は、自分の席についた。彼の顔はなんとなく、生気をとり戻したようだ。
「さあ、余は腰をかけた。君もその椅子に、腰をおろしたまえ、四次元の人!」
四次元跳躍術――大東亜共栄圏から
四次元の人!
ピース提督は私に対して、そうよばわった。
(ああ、四次元の人!)
私はそのことばを、青天の霹靂のごとく感じた。
(そうか、四次元の人だったか。うっかり私は、そのことを忘れていたのだ。そうだったか。これは魔術ではなかったのだ。私は今、四次元の世界にとびこんでいたわけか)
四次元の世界にとびこむとは、知っている人は知っている。知らない人には、これを説明して聞かせることがちょっと、むつかしい。しかし、なるべくわかりやすく、かんたんにいえばこうである。……
われわれ人間は、三次元の世界にすんでいる。三次元とは、すべての物が、三つの元からできていることで、すべて物には横があり縦があり、高さがある。
ところが、もし今、横と縦とだけがあって、高さのない世界があると考えよう。横と縦との二次元の世界である。われわれより一次だけ少い世界である。この二次元の世界は、横と縦とだけで、高さがないのだから恰も紙の表面だけの世界である。つまり平面の世界である。――これに反して、われわれの三次元世界は、立体の世界だ。
二次元の世界に、生物がすんでいたとしよう。その者は、われわれ三次元の世界を考える力がない。つまり高さということを全く知らないのだから。紙の表面のことは分るが、その表面から、わずか一ミリメートル上のところでさえ分らないのだ。だから、紙の上に、林檎がぶらさがっていても分らない。ただ、林檎を紙のうえへ置いたときは、紙の面に接した林檎のお尻だけはわかる。
だから、「これが林檎だよ」といえば、二次元の生物は、「林檎は輪の形をしている」と思う。紙と林檎との接したところは、大体輪になっているからである。そこで、人間が、林檎をもち上げると、二次元の世界から、直ちに林檎は消え失せる。ただ林檎の匂いだけは残る。
そういう訳で、こんどは反対に、四次元の世界を考えることが出来る。四次元の世界は、残念ながら我々は三次元の世界の生物だから、どんな世界だか知る力が欠けている。その世界には、横と縦と高さの外にもう一つ、何か形をこしらえている軸があるのだ。そういう四次元の世界から、われわれ三次元の世界の人間を見れば、それは、われわれ人間が、白紙の上に棲んでいると仮定した二次元の生物を見るのと同じことである。だから、もし私が、いま急に三次元の世界からつまみあげられて、四次元の世界へ移されたとしたら、どうであろう。すると、三次元の人間からは、私の姿は見えないであろう。しかし林檎の匂いが届くように、私の声だけは届くかもしれない。
ピース提督は、今私のことを、「四次元の人よ」と呼んだが、提督は私を、四次元の生物だと思ったからであろう。
私は、そうではない。
だが、謎のX大使こそ、まさしく四次元の生物であると思われる。
とにかく、私が気がつかなかったのにずばりと看破したピース提督の科学の眼力のほどを、畏敬しないではいられない。――といって、ここで私が引下がる手はあるまい。私は強いて自分の心を激励しながら、ピース提督に対した。
「提督、貴艦隊はなんの目的をもって、北上せられつつあるか」
私は、質問の第一矢を放った。司令官は、眼をぎょっとうごかして、
「それは、日本民族を、大東亜共栄圏から、叩きだすことにあるのだ」
「なに、日本民族を叩き出すといわれるか。日本民族を、元の日本内地へ押しこめることではないのか」
「ちがう。日本民族を叩きだすのだ」
「では、叩きだして、どこへ送るのか」
「適宜に使役するつもりだ。家僕として、日本人はなかなかよくつとめる」
「無礼なことをいうな」
と、私は思わず提督の机上の書類函をとって、机の上に叩きつけた。電報紙は、ばらばらと宙に飛んだ。
「四次元の人、乱暴はよせ。君は、紳士と話しているのだ」
「何が紳士か」
と私は、また呶鳴りつけたのだった。
「貴官は、日本民族を、家僕として使役するつもりだといっているのだ。日本民族が、アメリカ人の家僕などになってたまるか」
「おや、君はへんなことに腹を立てるではないか。――いや、日本人が使役されることを好まなければ、余は彼等を海の中になげこむばかりだ」
「云ったな」
私は憤然として、提督の頬桁をなぐりとばした。私は、もはやこれ以上、日本民族への侮辱にたえられなかったのである。
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