確認された侵入――三角暗礁へ船をつけろ
再度、私が吾れに戻ったときには、なんという不思議か、私は元の快速潜水艇の中に横たわっていた。
「深度、百五十!」
オルガ姫の声だ。
私は夢を見ていたのか。
「おい、オルガ姫。クロクロ島の所在は、どうした」
「はい。まだ、見当りません」
いつの間にか、スイッチが切りかえられて、操縦その他は、オルガ姫が担当していることが分った。
夢を見ていたのであろうか。本当に、あれは夢だったか。
そのとき私は、右掌を、しっかり握っているのに気がついた。
「なんだろう?」
私は掌を開いた。中から出てきたのは、一枚の折り畳んだ紙片であった。
私は、その紙片を開いてみた。
「おお、これは……」
私は、愕然とした。
「友好的に協力を相談したし。X大使」
簡単だが、ちゃんと文章が認めてあった。いつ、誰が、私の掌の中に、この紙片を握らせたのであろうか。しかしこんなものがあれば、さっきからのX大使との押し問答は、夢だとは思われなかった。
私は、改めて、惑わざるを得なかった。
「オルガ姫、われわれがクロクロ島のあった場所に戻りついてから、只今までの間に、なにか異変はなかったか」
私はそういう質問を発して、姫の返事やいかにと、胸をとどろかせた。
「自記計器のグラフを見ますと、三分間ばかり、はげしい擾乱状態にあったことが、記録されています」
「なに擾乱状態が……」
私は、手を伸ばして、自記計器の一つである自記湿度計の中から、グラフの巻紙を引張り出した。なるほど、つい今しがた、三分間に亘って、湿度曲線がはげしく振震していた。
湿度が、こんなに上下にはげしく震動するなんて、常識上、そんなことが起るはずはなかった。これは、異変と名づけるほかに、説明のしようがない。たしかに、今しがた三分間の異変があったということが、グラフによって確認されたわけである。
「ふーん、やっぱりX大使は、本当にここへやって来たんだな」
X大使の来訪は、今や疑う余地がなかった。私には、その会見の時間が、三分間どころか、もっともっと永いものに感ぜられたのであった。私の感じでは、すくなくとも三十分はかかったように思う。
大使の来訪は確認されたが、その他の奇異な現象については、今のところ、私はそれを解く力は持たなかった。――暗黒の世界の位置、足の裏の下に、大地も床もなかった不思議。X大使の姿が、闇の中から朦朧と現われ、そしてやがて話が終ると、一団の火光と変じて消え去ったことの謎! それらのことを説明するには、私は、あまりにも無力であった。
しかし私は、これらの怪奇きわまる謎を、近き将来において、きっと解いてみせるであろう。
いや、後日、私はついにその謎を、科学的に、りっぱに解くことが出来たのであった。それとともに、X大使の正体も何も、急にはっきり分ってしまった。そこにおいて、われわれは人智の想像を絶する新世界を身近に発見して、一大驚異にぶつかることになるのであるが、そのことは、いずれ後で、くわしく述べるときが来る。
私の頭脳は、一週間も徹夜をつづけたぐらい、疲れ切っていた。
しかし私は、鬼塚元帥から申し渡された重大使命を忘れる者ではない。祖国日本は、今大危難の矢おもてに立っているのである。ぐずぐずしていることは、許されない。われわれは直ちに、最善の行動を起さなければならないのである。私は拳を固めると、自分の頭に、自らはげしい一撃二撃三撃を加えた。
私は残念ではあったが、ついにクロクロ島の捜索を、一時断念することに決めた。
といって、このように窮屈な、快速潜水艇に缶詰みたいになっているわけにはいかない。
私は、決心した。
「おい、オルガ姫。三角暗礁へ、艇をつけろ」
「三角暗礁へ! はい」
私は、一時、三角暗礁に拠って、おもむろに次の作戦を練るよりほかに、いい方法はないと思ったのである。
三角暗礁!
これは、いわば、私たちが非常の場合を予想してこしらえて置いた秘密の根拠地であった。そして、その名称のとおり、海面からはうかがうことの許されない深海の底に設けられた根拠地であったのである。
その位置は、南アメリカ大陸を西へ越した南太平洋にある、有名な仏領タヒチ島に近いところであった。布哇島からいえば、丁度真南に当り、緯度で四十度ばかり南方にあたる。
私たちは、その三角暗礁へ急行した。
三角暗礁にて――クロクロ島の紛失
望遠鏡に、ケープ・ホーンの、鬼気迫る山影がうつったかと思う間もなく、南米大陸は、ぐんぐんと後に小さくなって、やがて視界に没した。
それから間もなく、海水の色がかわり、潮の流れがまるで違ってきた。
雲霞のごとき、魚群を、いくたびとなく蹴散らしながら、全速力をつづけること小一時間、
「三角暗礁が見えます」
と、オルガ姫が知らせた。
望遠鏡の向きをぐっと変えると、なるほど前方に、大きな氷柱を逆さにして立てたような、怪奇な姿をした三角暗礁が見えてきた。
暗礁の頂上が、磨ぎすましたように、三角の稜をつくって、上を向いているのであった。それで、三角暗礁の名があった。
付近には、妙な渦がまいていて、船舶は、魔の海として近づかない。ただ魚だけは、絶好の游泳場として、寄ってくる。
三角暗礁は、だんだん大きく見えてきた。
暗礁の中腹に横に抜ける一つの大きな洞穴がある。これは、わが潜水艦隊が、技師たちを連れていって穴をあけたものである。この洞が、安全な着船場となっていたのである。
「洞穴に、艇をつけろ」
私は、命令をした。
オルガ姫は、速い潮流に流されそうになる艇を、巧みに操縦して、暗礁のまわりを、二、三度ぐるぐる円を描いて廻っていたが、やがて、艇は吸い込まれるように洞穴の中へ入った。
洞穴の中は、真暗であった。
昼寝をしていた魚が、びっくりして、中から飛び出してきた。
洞穴は、奥行が、二百メートルばかりもあって、奥はなかなか広くなっている。そこまで入っていくと、自然に継電気が働いて、洞穴の天井に電灯が点くようになっている。
艇がこの洞穴の広間へ、舳を突込んだとき、果して、ぱっと点灯した。そして、そこに、怪奇をきわめた広間の有様が、人の眼を奪う。
天井は高く、五十メートルばかりもある。
四囲の岩壁は、青味をおびた黒色をしていて、そのうえに、苔や海草が生え、艇が水を動かすものだから、ゆらゆらと揺れる。
この洞穴は、向うへも抜けられるようになっているが、洞内の海水は澱んでいて、ほとんど流れがない。
岩壁には、太いパイプに、蓋をかぶせたようなものが、あちらこちら合計して六つほども、飛び出している。大きいのもあれば、小さいのもある。これは、岩礁の中にある部屋部屋への耐水入口である。
オルガ姫は、巧みに、艇をこのパイプへ寄せた。
艇は胴中から、同じようなパイプが、くりだされる。そして、それが伸びて、岩壁のパイプの蓋とぴったり合う。こうすれば、艇内と岩壁の中とが、耐水性に保たれるのであった。あとは、艇のパイプの蓋を開き、それからその奥に見える岩壁のパイプの蓋を開く。こうすれば、艇内と岩壁の内部との交通路が開ける。
万事は、オルガ姫が匐い出して、うまくやってくれた。
私が呼ばれたときには、この通路が、既にちゃんと出来ていて、オルガ姫は岩の中から、私に声をかけたのであった。
私も、つづいてパイプの中に匐い込み、向うへ通り抜けた。そこはもう、暗礁内の密室であった。
密室は、ビルディングのように、十階になっている。各階は、整然と分けられ、食料品、燃料、機械類、資材、清水などが貯えられているほか、弾薬庫もあれば、寝室もあり、執務室もあった。
だが、普段、この三角暗礁には、誰も留守番がいなかった。だから、私が中に入っていっても、誰も私を迎えてくれる人がなかったわけである。
孤独は、いつまでもつづく。しかし、科学が進んでくれば、人間は、ますます孤独の生活に耐えねばならなくなる。それは、一人の人間が、夥しいたくさんの機械を操らねばならないからである。人間なら、誰も彼も、こうした機械群をうけもつ。そうしないと、外敵の侵略を喰い止めるに充分な、科学的防備力を発揮することが出来ない。
私はオルガ姫を連れて、機械室へはいった。
この部屋には、通信装置が完備していた。私はその前の椅子に、腰をかけた。
私は、まことに遺憾であったが、クロクロ島の紛失について、鬼塚元帥に報告をする決心を固めたのであった。元帥は私の報告を聞いて、どんなに気を落されることであろうか。それを思うと、私は電鍵に手をふれる勇気が、一時に消失するのを覚える。
でも、私は、ついに主幹スイッチを入れた。パイロットランプが青から赤に変り、そして真空管に火が点いた。
私は、元帥からさずかった貴重な暗号帳を開きながら、電鍵を叩いたのであった。
ところが、元帥のいる戦軍総司令部は、なかなか出て来なかった。
(暗号が、違っているのかな?)
私は、暗号帳をひっくりかえして、しらべた。しかし、私の打っている暗号には、間違いがないことが分った。私は、不安を覚えた。
そこで、一時、戦軍総司令部を呼び出すことをやめて、その代りに、空中から司令部の電波をキャッチしようと、回路を受信側に切りかえ、受話器を耳にかけた。
波長帯は、三十五ミリ前後であった。
波長を合わしたところ、そのあたりは、はげしい空電で混乱していた。
この短い波長帯に、空電はおかしいと、気がついた私は空電を波型検定用のブラウン管にかけてみた。
すると、愕くべきことが分った。
その空電は、自然現象の空電ではなくして、人間が作った空電であった。つまり、総司令部の波長帯を妨害して、通信をさせまいと努めている者があるのである。
私は竦然とした。
総司令部の波長帯が知られてしまい、そこに妨害電波が集中しているとすると、これは只事ではない。
(ひょっとしたら、わが総司令部の上に、最悪の事態が襲来したのではなかろうか?)私は、非常な焦燥を感じた。
鬼塚元帥が予感したとおりの、最悪の事態が早くも来てしまったに違いない。
(これは困った。どうしたものだろう)と、私は痛むこめかみを抑えて、最善の処置について、考えこんだ。
そのときであった。受信機についている高声器から、とつぜん、電話が鳴り響いた。
「――本鑑ノ左舷前方十五度ニ、黒キ大ナル漂流物アリ、一見島ノ如キモノ漂流シツツアリ。全艦隊ハ直チニ針路ヲ北北東微北ニ転ゼヨ!」それは、流暢なる英語であった。漂流する一見島の如きもの――おお、それこそクロクロ島にちがいない。
そのクロクロ島は、確かに米連の主力艦隊とおぼしき艦隊の間近を漂流しているのである。しかも米連の主力艦隊は、この三角暗礁に、かなり近いところを航行中のようである。ここに息づまるような新事態が発生した!
「オルガ姫、方向探知器を読め。今の無線電話の送信位置は、どこになっているか」
私は、大声で叫んだ。
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