怪人対策の懸賞募集
水戸はドレゴの家に隠れて生活することとなった。
ドレゴは、水戸の顔を見るなりエミリーの恋を水戸に伝えたく思ったが、仲々その機会がなかった。それでもその翌朝は、彼に伝えることに成功した。だが水戸は一笑に附しただけであった。ドレゴは不満であった。東洋人というやつは、なぜにこう人間味がなくて枯れ木のようなんだろうと。
エミリーに一度会ってやることを薦(すす)めもしたが、水戸は一層強くそれを断った。サンノム老人の下宿へも帰れない現状において、どうしてエミリーに会えるだろうかというのだった。ドレゴは反駁(はんばく)して、エミリーは水戸のためなら水火も辞せない女だから、秘密を他へ洩らすようなことは絶対にないと力説したが、水戸は頑固にそれを受入れなかった。そしてソ連へ入国する機会を早く得てくれるようにと、ドレゴに一所懸命頼んだのであった。
そのことについては幸いにもドレゴがケノフスキーと取引関係があったので、相当便宜を図れるかと思われた。そこで彼はケノフスキーへあてて、至急会いたき旨の電報をつづけさまに数通も打った。しかしどういうものか、ケノフスキーからの返電は一度も来なかった。水戸は、見苦しい焦燥の色も見せはしなかったが、彼は次第に無口の度を加えた。
その頃、新聞やラジオは、大西洋の特定水域の航行航空禁止を報道すると共に、アメリカ空軍が空中よりテレビジョン送影機の投下を行いつつあり、それは相当の効果をあげている旨を伝えた。それに続いて、そのテレビジョンが新聞写真とニュース映画とによって、世界の人々の目にうつるようになった。しかしそのテレビジョンをそのまま受信して公開することだけは禁止されていた。
今や大西洋海底に怪人集団が蟠居していることは世界の隅々まで知れ亙った。そしてそれに対抗する手段が活発に議論せられるに至った。小田原評定をつづけていた世界連合の臨時緊急会議も漸(ようや)く肚(はら)が決まったらしく、テレビジョン偵察の快挙を支持し、なおこれが更に積極的なる平和的解決に利用されるようにアメリカ当局に対して要請するところがあった。ところが世界連合としては、これまで一向適切な具体的な平和手段を採択することが出来ず、世界各地から非難を浴びつづけであったため、遂に思い切って、その具体案を広く全世界から募集する旨を発表した。すなわちその募集文の一節に、
“――この際最も必要とするところは、如何なる方法により、かの怪人たちとわれわれとが意志の疎通を図ることが出来るかという問題にある。この問題が解決しないかぎり、われわれが如何に平和的解決を望んでいたところで、その目的は達せられないのだ。有能なる世界の人士たちよ。至急知力を働かして、この問題について適切なるアイデアを本連盟へ提供せられんことを。われら地球人類の安危は、一にこの問題の解決如何に懸っているのである。云々”
というような文句があるのを見ても知られる。
この対怪人意志疎通法の募集は、世界始まって以来の莫大なる懸賞付で行われた。その一等には、地中海にある一孤島に広大豪華なる文化施設を施し、交通通信設備を完備し、向う百年に亙っての孤島経営生活費を提供し、その孤島は永世中立として他より侵犯せらるることなきを保証するというのであった。
このすばらしい懸賞は、世界中の人々をわくわくさせた。そしてその効果は大いにあって、世界連合の会議には毎日応募者の手紙が山のように積まれた。
だが、やっぱり探し求めている適切なる意志疎通法はどの手紙からも発見されなかった。あらゆる単語を一々美しい絵入りで説明したものをまず送っておけという説もあった。喜怒哀楽とか、平常よく繰返される行為を、トーキー映画におさめて送りつけてはという説もあった。最も自信のある手真似通信法を書いて来た者もあった。そうかと思うと、百人の美女を先方へ送って、まず懐柔すべしという説もあった。地球上の御馳走をうんと送れというのもあった。が、どれもこれも靴を隔てて痒きを掻くの流を出でなかった。
その一方において、怪人集団を即時殲[#「殲」の旁は底本では「繊」の旁に同じ形、89-上段-9]滅すべしとの強硬意見が日に増して有力になって行った。テレビジョン送影機を雨下する代りに、なぜ原子爆弾の雨をかの怪人集団の蟠居地域へ送らなかったのかと非難する者さえあった。
とにかく、至急何事かを怪人集団に対してなさねば済まないことが、誰にも分った。だが、その実行方法の適切なるものが知られないために、世界の人々は日毎に焦燥と憂鬱の度を加えていったのである。それと共に、世界連合会議への[#「への」は底本では「の」、89-上段-18]非難は厳しさを増していった。
その結果、遂に世界連合会議は具体的に行動を始めることを発表した。それは実にワーナー博士の遭難から二週間を経た後のことであった。
何を始めたかというと、まずグリーンランドの海岸から、水中を伝わる超音波をもって、毎日のように怪人集団の城塞の方位へ向けて音楽を送ることになった。これは音楽というものが最も精神的な純粋な芸術であるところから、或いは怪人たちにも幾分理解されるのではないかという狙いだった。
その音楽の間に、城塞内に万一捕われて生きているわが調査団員がいるかもしれないというところから、これに対して激励の言葉とそして平和的折衝を懇請する件を、やはり超音波の電話で送ることとなった。
それから、怪人とわが地球人類の交歓の段取を編集し、これを一連の映画に撮影したものを多数こしらえ、映写機及びその回転動力とをつけて荷造りしたものを数百台用意し、これをかの怪人城塞の近くに投下させることにした。
もう一つは御馳走政策で、これは地球上の珍味珍菓を潜水艇に満載し、怪人城塞へ送りつけることだった。
こういう実行案を発表してみると、何だか大いに効果があがりそうに思われて来た。むしろなぜかかることを早急に実行しなかったか、その遅きを残念に思うとの批評も出て来て、当局を悦ばせた。
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