へんてこ医術
クイクイの神は、一座をずっとみわたし、いよいよ神の力をもってこの女の病気をなおしてみせるぞという合図をした。
ミンミン島の原地人たちの口からは、クイクイの神をたたえるような言葉がつぶやかれた。
そこでクイクイの神は、原地人の女の顔を見つめながら、両腕を前にぬっとつきだした。次に両腕を、ぽんぽんとたたいて、なんのかわりもないことをしめした。それから両腕をさかんにふりまわしたり、両手をにぎったりはなしたりしていたが、そのうちに右手の指さきを、かたくにぎった左の掌の中にさしいれて、ごそごそやっていたかと思うと、左の掌の中から、赤い紐のようなものをするするとひっぱりだした。
ミンミン島の人は、それを見ると、
「わあーわあー」
と、奇妙なこえをあげて、さかんにクイクイの神へむかって、おじぎをはじめた。
クイクイの神は、さももったいぶった様子で、その赤い紐をぱっと両手でふったと思うと、なんとそれは一枚の風呂敷ぐらいの布ぎれになっていた。
「わあー、わあー」
「ふ、ふ、ふーん」
ふ、ふ、ふーんの方は、酋長ロロをはじめロップ島原地人のため息であった。クイクイの神の、おそろしい力に、すっかりおどろいてしまったらしい。病気の女も、口をぽかんとあけて、クイクイの神の手に見とれている。
クイクイの神は、掌の中からとりだした赤い布ぎれを、みんなのまえで見せびらかすようにうちふった。そしてこんどは「やっ」と気合をかけると、赤い布の中から一羽の白い鳥をつかみだした。鳥は、ながい嘴をひらき、翼をばたばたさせてもがいている。
「わあー、わあー」
「ふ、ふ、ふーん」
ミンミン島人もロップ島人も、クイクイの神のおそろしい神力を目の前に見て、腹の底からおどろきのこえをあげて床の上にひれふした。
だが、クイクイの神のやっていることは、そう大してふしぎではない。それはごくありふれた小奇術なのだ。クイクイの神を名のる漁夫の三浦須美吉は、かねて習いおぼえていた手品でもって、これらの人たちをすっかり煙にまいてしまったのである。
しかし、彼にしてみれば何も手品が見せたくて、好きでやっているのではない。こうして原地人たちをおどろかしておかないと、いつ殺されるかもしれないからだ。彼はこうして神さまの威力を見せておいてから、
「おう、女、前に出てこい――」
と叫んだ。クイクイの神によばれた病気の女は、催眠術にかかったように、神の足もとへにじりよった。
「いよいよこんどは、お前の病気をなおしてやるぞ。どこが痛むか」
女は顔をしかめて、胸の下のところを指さした。
「おう、そこか。いまに痛みはとまるぞ。そこに悪霊がすんでいるのじゃ。いまわが神力でもって、その悪霊をおい出してやる。こっちをむいて、わしの手を見ているがいい」
そういってクイクイの神は、右手を女の胸にあてたかとおもうと、「やっ」とさけんで、女のからだからひきはなして、さっと上にあげた。
「ああっ、それは――」
女はおどろきのこえをあげた。クイクイの神の手には、椰子の葉でつくった小さい人形がにぎられている。
「これがお前を苦しめていた悪霊じゃ。わしが、こうして取出してやったぞ。どうだ、おまえの痛みはとまったろう」
女はこのクイクイの神の言葉に、はっとして胸をおさえてみた。するとどうだろう、ふしぎにも痛みはけろりとなおっていたではないか。今にも死にそうだった女は、別人のように元気になってすっくと立ちあがり、クイクイの神にお礼をのべて、その場で手足をふりながら踊りだした。
これをみた原地人たちは、いよいよクイクイの神に、おどろきとおそれの言葉をささげた。
ひとり腹の中でおかしくてたまらぬのは、クイクイの神さまになりすましている漁夫の三浦だった。彼の手品にすっかりおどろいてしまった女は、ほんとに病気の悪霊を、この神さまがとりのぞいてくれたものと思いこんで、すっかり病気がなおったのである。「つまり精神療法というやつさ」と三浦はとくいで、せい一ぱいしかつめらしくかまえていた。
売られゆく神さま
「われわれロップ族は、ぜひクイクイの神を買うことにする」
ロップ島の酋長ロロが、ミンミン島の酋長ミンチの肩をたたいていった。
酋長ミンチは、それをきくと、ぐっと胸をそらして、
「よし、いよいよ買うか。では、そのかわり、わしがほしいといったものを、こっちへよこすか」
「それは承知した。ちゃんと持ってきてある。これこのとおりだ」
酋長ロロがとりだしたのは、なんと一枚のやぶれたシャツだった。
「おう、それだ。わしがほしくてたまらない物は!」
酋長ミンチは、破れシャツをひったくった。
「おう、これこれ、すばらしい宝物だ」
ミンチは破れシャツをなでまわして、よだれをこぼさんばかりの喜びようだ。
「では、こっちは、クイクイの神をもらってゆくぞ」
「たしかに、とりかえた」
破れシャツ一枚とクイクイの神との取りかえっこだ。
クイクイの神は、これをきいてがっかりした。自分の体が、破れシャツ一枚にかえられるとは、なんというなさけないことだと思った。
ロップ島の原地人たちは、クイクイの神を手に入れて大喜びである。これでこそ、はるばる遠い波の上をここまでやってきたかいがあったと、たがいに顔を見合わせ、きいきいごえを出してうれしがっている。
それからすぐに、クイクイの神こと三浦須美吉は、ロップ島の原地人にまもられて、酋長ミンチの椰子の木の家からくらい地上におりた。
ミンミン島の原地人は、だれ一人、三浦をおくってこない。彼等には、夜の地上はこの上もなくこわいからだ。
ロップ島の原地人は、クイクイの神を手に入れて、まるで凱旋でもするような賑やかさだ。あの死ぬくるしみをしていた女までが、先にたってさわいでいる。
海岸には、丸木舟が五隻ほど待っていた。
三浦クイクイの神は、もうこうなってから逃げようとしても、とてもだめだとわかっているので、おとなしく丸木舟にのりこんだ。
やがて丸木舟は、櫂の音もいさましく、まっくらな海の上を走りだした。
磁石もなにももたぬ原地人たちは、星を目あてに、えいえいとこえをそろえて漕ぎゆくのだった。舟は、矢のように走る。夜の明けないうちに、五十キロも先のロップ島へかえりつかねばならないのだ。
三浦須美吉は、酋長ロロが舵をとる丸木舟の舳にしゃがんでいたが、目が闇になれてきたとき、原地人たちはいつの間にか、ミンミン島で鼻までたれてかむっていた頭巾をぬいでいるのがわかった。
ロップ島の原地人たちは、太陽の光をおそれて、昼間はその深い頭巾をかぶり、夜が来てあたりがくらくなると、それをぬぐ習慣だということを後で知った。
さいわいに海は畳のように平らかで、三浦須美吉は大して疲れもしなかった。もう三十キロも来たであろう。時刻もそろそろ夜中の十二時ちかくになるとおもわれる。
「がんばって漕げよ、若い者たち、もうあと半分もないぞ」
酋長ロロは、こえをはりあげて、はげました。原地人たちは、きいきいごえをあげて、酋長の命令にこたえた。
その奇声をじっときいている三浦須美吉は、ふだんののんきな性質もどこへやら、たえられないほどさびしい心になった。
(ああ、おれは今、二十四の青年だが、いったいいつになったら、救いだされて、あのなつかしい日本へかえれるだろうか)
そう思うと胸がせまって、ほろほろと頬の上にあつい涙がながれた。
その時だった。
酋長が、何かするどいこえで叫んだ。
原地人たちは、酋長の叫びをきくと同時に、ぴたり櫂をこぐ手をとめてしまった。そして、き、き、きと妙な声をあげ、あわてて例の頭巾を頭からすっぽりかぶった。
(どうしたのだろう?)
三浦は、ふしぎにおもって、首をぐるぐるまわした。すると、はるか後の方に、ぴかぴかとへんに光っている物があるではないか。
「おや、あれはなんだ」
よく目をすえて見ると、くらい海の一てんから、青白い長い光がすーっと出て、横にうごいている。
「探照灯みたいだが――」
と思っていると、こんどは別のところから、ものすごい火柱が二本も立ちあがって、それからまっ赤な火の玉が、ぽろぽろと海面へおちはじめた。
やがて、そのどろどろと宙にもえていた火柱の色が、急に赤みがかってきた。それと同時に、火柱のたっている近くの海が、急にぼーっと明るくなった。
海が光りはじめたのだ。海の上だけではない、海面の下までが、電灯でもつけたかのように光っている。
原地人たちは、もう櫂をこぐどころか、ただ口々に神への祈りをくりかえしている。
そのとき酋長がふるえごえで、三浦によびかけた。
「おう、クイクイの神よ、われわれロップ島の人民を、おそれの谷にたたきこむのは、あの魔物であるぞ。クイクイの神の力によって魔物のあの光る息をおさえつけてもらいたい。そうすれば、われらは、クイクイの神にどんな宝物でもさしあげるだろう。た、たすけたまえ」
三浦は、あああれこそいつぞやの大海魔にちがいないと思った。海魔というが探照灯や信号弾のようなものを放っている様子を見ると、動物ではない。何か恐るべき科学の力によって仕組まれているものとにらんだ。では、大潜水艦みたいなものか、いやそれにしても、大きさからいって潜水艦どころのさわぎではない。
三浦は、酋長ロロにたのまれた以上、ここでなんとかしてクイクイの神の力をあらわさなければならないのだ。そこで彼は、あやしい光にむかって大きなこえで、呪文をとなえだした。もしそれを日本人がきいたら、腹をかかえて笑いころげたろう。磯節の文句を調子はずれにどなっていたのだったから。
すると、まもなく海上を照らしていた火がぱっと消え、ついで海中の光もなくなって、ふたたび闇の世界にかえった。
丸木舟の上の人たちは、これこそクイクイの神の力できえたものと思い、よろこびの奇声をあげて、クイクイの神をたたえるのであった。
「そら、こげ、今のうちだ!」
酋長の号令に、丸木舟は、またもや矢のように海上をはしりだした。
そして東の空がうっすりと白みはじめたころ、ようやくロップ島の岸につくことが出来た。
ロップ島! この島から、海魔があばれている海魔灘まで、わずかに十キロあまりしかないのである。
太刀川は生きていた
さて話は元にもどって、海魔灘の渦巻にまきこまれて、海上から姿をけしさった太刀川時夫は、どうしたことであろうか。また、潮に流されながら時夫にたすけをもとめていた石福海少年は、どうなったことであろうか。
がんがんがんがん。がんがんがんがん。
鉄をたたいているような物音である。
「あ、やかましい。耳がいたいじゃないか」
太刀川時夫は、夢心地でつぶやいた。
ぽとり、と、つめたいものが、時夫の襟もとにおちて、せなかの方にまわった。
「ああ――」
そこで、太刀川時夫は、やっと気がついた。
「はて、ここはいったいどこだろう」
あたりをずっと見まわした。
そこは、コンクリートでかためた四角な空井戸の中のようなところだった。壁はびしょびしょに水でぬれている。ふしぎなのは、時夫のいる床だった。あらい鉄格子でできている。がんがんがんというものすごい音は、鉄格子の下からきこえてくるのだった。
電灯らしいものもないのに、この室内は鉄格子の下からぽーっと青白い光がさしていて、物の形がわかる。よく見ると、壁にその青白い光の横縞がいくつもあり、天じょうの方までつづいていた。後になってわかったのだが、この光は深い海にすむ夜光虫をよせあつめた冷光灯であった。
太刀川時夫は、この気味わるい光のなかに立って、手足に力を入れてみた。たしかに力がはいる。しかしそれでいて、自分は生きているのか死んでいるのか、どうもはっきりしないのであった。そこでしきりに記憶をよびおこした。
(――おそろしい大渦巻にすいこまれて――そうだ、石福海が、その前にたすけをもとめていたが――自分はあのまままっくらな海中にひきずりこまれて、息がつまりそうになったが、――それから、なんだか竜宮のように、美しい室を見たようにおもったが――そのうち体がくるくるとまわりだして、なにもかも見えなくなってしまった。それから……)
それから、さあそれから――それから後はわからないのだ。
「僕は、生きてはいるのだ!」
時夫は、両の腕を、こつこつとたたきあわせて見ると痛い。たしかに生きている。
「生きてはいるが、ここはどこだろうか」
まるで牢獄みたいな奇怪な室だった。
潜水艦の中かしらん?
こんな大きな室をもった潜水艦はない。では、どこか島の地下室であろうか、それとも窟の底であろうか。
がんがんがんがん。がんがんがんがん。
またものすごい物音が、足もとの鉄格子の間からきこえてきた。
「ふむ、あれはどうしても、なにか大きな機械を使っている音らしい。そうしてみると、これは………」
太刀川時夫は、はっと気がついて、自分のびしょぬれの服をしらべてみた。そしてなにを思ったのか、うんと一つ大きくうなづくと、体をひるがえして、室のすみにとんでいって、そこへ腹ばいになりながら、鉄格子の間から、下をのぞきこんだのである。
彼は、その鉄格子の下に、いったいどんなものを見たであろうか。
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