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太平洋魔城(たいへいようまじょう)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-25 6:28:03  点击:  切换到繁體中文

底本: 海野十三全集 第6巻 太平洋魔城
出版社: 三一書房
初版発行日: 1989(平成元)年9月15日
入力に使用: 1989(平成元)年9月15日第1版第1刷
校正に使用: 1989(平成元)年9月15日第1版第1刷

 

  怪しい空缶


 どういうものか、ちかごろしきりと太平洋上がさわがしい。あとからあとへと、いくつもの遭難事件が起るのであった。
 このことについて、誰よりもふかい注意をはらっているのは、わが軍令部の太平洋部長であるところの原大佐であった。
 その原大佐は、いましも軍令部の一室に、一人の元気な青年と、テーブルをかこんでいるところだった。
「おい太刀川たちかわ。この次々に起る太平洋上の遭難事件を、君たちはなんとみるか」
 力士のような大きな体、柿の実のようないいつやをもった頬、苅りこんだ短い髭、すこし禿げあがった前額まえびたい、やさしいながらきりりとしまった目鼻だち――と書いてくれば、原大佐がどんなに立派な海軍軍人だか、わかるであろう。
「さあ、――」
 太刀川青年は、膝のうえに拳をかためた。なんのことだか、よくわからない。
 いま原大佐からきいたところによると、この春、太平洋横断の旅客機が行方不明になってしまった事件がある。それから間もなく、四艘から成るわが鰹船の一隊が、南洋の方に漁にでたまま消息を絶ってしまった。つい最近には、ドイツ汽船が、「救助たのむ」との無電を発したので、附近を航行中であったわが汽船が、時をうつさず現場におもむいたところ、そのドイツ汽船のかげもかたちもなく、狐に化かされたようであったという話がある。
 よく考えてみると、なるほどちかごろ太平洋上に、しきりとふしぎな遭難事件がくりかえされている。しかし太刀川には、なぜそんなことが起るのか、よくわからなかった。そもそも彼は、水産講習所を卒業後、学校に残って研究をつづけていた若き海洋学者であって、海の学問については知っているが、原大佐からたずねられたような海の探偵事件について考えてみたことがなかった。
 大佐は、眉をぴくりとうごかし、
「いままでに起った事件は、まあそれとしておいて、きょう君にきてもらったわけは、もっと生々しいことだ。ごらん。こういうものがあるのだ」
 そういって原大佐は、さっきから話をしながら指さきでいじっていたはげちょろの丸い缶を、太刀川青年の前におしやった。
「はあ。この缶は、一体どうした缶ですか」
 太刀川はけげんな顔をして前に出された缶をみた。それは、彼の掌のうえに、ちょうど一ぱいにのる小さな缶だった。その缶の胴には、一たん白いエナメルをぬりこみ、そのうえに赤黒青のきれいなインキで外国文字を印刷してあるものだったが、白いエナメルの地はところどころはげていて、これまでにずいぶん手荒くとりあつかわれたことを物語っていた。
 手にとって、缶の胴に印刷されてある文字をひろい読んでみると、それはどうやら高級の油が入っていたものらしく、缶の製造国は日本ではなくて、アメリカであると知れた。缶は、なにか入っているのか、たいへん軽かった。そして缶を横にすると、中でことんことんと音がするものがあった。太刀川はその缶に、たいへん興味をひかれたが、さて何のことだかさっぱり見当がつかない。
 その様子をみていた原大佐は、太い指をだして缶の蓋をさし、
「かまわないから、その缶をあけてみたまえ。そして中にあるものをよくしらべてみたまえ」
「あけていいのですね」
 太刀川は、お許しがでたので、さてなにが出てくるかと、たいへんたのしみにしながら、缶の蓋を力まかせにこじあけた。
 蓋は、あいた。
 中をのぞくと、白い紙片を折りたたんだものがでてきた。それをつまみだすと、まだ缶の中に入っているものがある。缶をさかさまにすると、ごとんと掌のうえにころがり出たものは、ずっしり重い鉄片であった。その大きさは一銭銅貨ぐらいだが、厚さはずっと厚く、そして形はたいへんいびつで、砲弾の破片のようにおもわれた。しかもこの鉄片は、鉄のような色をしていないで、なにか赤黒いねばねばしたものにおおわれていた。まったく不思議な鉄片であった。缶の中には、そのほかになんにも入っていない。
 折りたたんだ紙片と、汚れた鉄片!
 この二つが缶の中から出てきたのである。
「その紙片をひらいて、そこに書きつけてある文章を読んでみたまえ」
 原大佐がいった。
「はあ、――」
 太刀川は、紙片をひらいた。とたんに彼は口の中で、おもわず、あっと叫んだ。


   太平洋の怪


 太刀川青年は、紙片をひらいて、何におどろいたのであろうか。
 それはほかでもない。その紙片が、たしかに人の血とおもわれるもので、汚れていることだった。血に染まった指の跡が、点々としてついている。そしてそこには鉛筆で、走書はしりがきがしてある。その筆跡は、いかにもたどたどしい。たどたどしいというよりも、気がかーっとしていて、夢中に鉛筆を走らせたといった文字だ。それをひろって読んでみると、こんなおどろくべきことが書いてあった。
“――十二日アサ、海ノ色、白クニゴル。ソレカラ一時間ノチ、左舷前方ニトツゼン大海魔アラワレ、海中ヨリ径一メートルホドノ丸イ頭ヲモタゲ、ミルミル五十メートルホドモ頸ヲノバシタ。ランランタル目、ソノ長イ体ハ、波ノウエヲクネクネト四百メートルモ彎曲シ、アレヨアレヨトオドロクウチ、口ヨリ火ヲフキ、鉄丸ヲトバシ、ワガ船ハクダカレ、全員ハ傷ツキ七分デ沈没シタ。カタキヲタノム。ノチノショウコニ、ワガ足ノ傷グチカラ、破片ヲヌキダシ、コノ缶ニイレテオク。第九平磯丸、三浦スミ吉、コレヲシルス”
 なんというおどろくべき遭難報告であろう。だが、ここに書いてあることが、にわかに信じられるだろうか。大海魔があらわれ、首を五十メートルももたげ、波のうえにのびた身長が四百メートルもあったなどとは、本当のことだと信じられるだろうか。これでは、まるで昔のお伽噺とぎばなしに出てくるような大海蛇そっくりである。この科学のさかんな世に、誰がそんなばかばかしい海魔を信ずることができるだろうか。新しい海の学問をおさめた太刀川時夫には、ほらばなしとしかうけとれなかった。
「これはいたずらずきの者が書いた人さわがせの手紙ではないのでしょうか」
 太刀川は、思っているままを、原大佐にいった。大佐は、首をかるく左右にふって、
「ところが、そうも考えられないのだ。第一それを書いた第九平磯丸という船は、たしかに船籍簿にのっているし、船の持主のところへいって調べると、たしかに漁にでているとのことだった。また三浦須美吉という漁夫もたしかに乗りこんでいったそうで、このへんのことは、実際とよくあうのだ。するとこの手紙は本当のようにおもう」
「原大佐は、そんな魔物が、太平洋に棲んでいるとおもわれるのですか」
「だから君を呼んだのだ」
 と原大佐は、きっぱりいった。
「私をお呼びになって、それでどうなさるおつもりなんですか」
「ひとつ君にくわしく調べてきてもらおうと思うのだ」
化物ばけもの探検ですか。この私が……」
 太刀川はおどろいて聞きかえした。
「いや、まだそれは化物ときまったわけではない。化物かどうかを、君にいって調べてもらいたいのだ。わが海軍としては、太平洋のまもりは大切このうえもない。そこへ化物が出てくるというのでは、困るのだ。とにかく、化物であるかないかを、われわれは一刻もはやく知りたいのだ。部内から軍人などをえらんで向こうへやると、列強のスパイにすぐどられてしまう。だが[#「だが」はママ]君のように、こっちと従来関係のなかった人をえらんで、現場へおくりたいのだ。それには君が一番適任だとおもう。御苦労だが一つひきうけて、海魔の正体を調べてきてくれ」
 太刀川は大佐の言葉をじっと聞いていたが、やはり駄目だという風にかぶりをふり、
「私はお断りいたします。化物探検などというそんな架空な、そして不真面目ふまじめなことをやるのはいやです」
 青年は、きっぱりと大佐の頼みを断った。
 原大佐は、それを聞いて、怒るか、それとも失望するかと思いのほか、いよいよ満足らしい笑をうかべて、
「ほう、なかなか強硬だな。君のその真面目な性格を見こんでいればこそ、あえて私はそれを頼むのだ」
「まことに失礼とは思いますが、この事ばかりはどうかお許しください」
「それはどうかと思う。おい太刀川。君はたいへん思いちがいをしているぞ。架空だとか不真面目とかいうが、そんなものではない。私はこれが実際そうあり得ることではないかと思うから、君に調べ方を頼むのだ。第一考えてもわかるだろう。わが海軍が、そんな不真面目なことを命令するだろうか。断じて否である。今日の国際情勢を見なさい。世界列強は、いずれも競争で武装をしているではないか。科学のあのおそろしい進歩をごらん。これからの戦争には、なにが飛びだしてくるかわからないのだ。野心にまなこを狼のように光らせている国々がある。それに対し、われわれは、極力警戒をしなければならないのだ。この手紙は、漁夫の書いたものではあるが、ともかく太平洋の怪事をしらせているのだ。この空缶は、わが琉球のある海岸に流れついたものである。太平洋は、わが大日本帝国の東を囲む重大な区域だぞ。太平洋の怪事を、そのまま放っておけると思うか。漁夫の目には、それが化物に見えたかしらぬが、科学者である君が見れば、それは科学の粋をつくした最新兵器であることを発見するかもしれない。そこだよ、大切なところは。これほど真面目な重大な使命が、ほかにあるだろうか。国防の最前線に立つ将校斥候せっこうを、あえて君は不真面目というのか」
 大佐の言葉は、一語一語、火のように熱かった。


   貴重なステッキ


「ああ恐れいりました。私が考えちがいをしておりました」
 太刀川は、はっとテーブルのうえに顔をすりつけて、大佐にあやまった。
 原大佐の顔に、微笑がうかんだ。
「おお、わかってくれたか。太刀川」
「はい、わかりました。私をお選びくださって、かたじけのうございます。皇国のために、一命を賭けてこの仕事をやりとげます」
「おお、よくぞいった。それでこそ、私も君を呼んだ甲斐があった」
 と、大佐はつと起立すると、太刀川の方へ手をのばした。二人の手はがっちりかたく握りあわされた。二人の眼は、しつかり相手を見つめていた。大きな感激が、大佐と青年との心をながれた。
 やがて二人は、また席についた。
「原大佐。それで私は、どういう事をすればよいのですか」
「うん、そのことだ。いずれ後から、くわしく打合わせをするが、まず問題の場所だ。これは今もいったとおりこの空缶は、流球のある海岸にうちあげられたのだ。どうしてそんな場所へうちあげられたかをいろいろ研究してみると、謎の空缶の投げ込まれた場所は、北赤道海流のうえであると推定されたのだ」
「はあ、北赤道海流ですか」
「そうだ。君も知っているとおり、この北赤道海流というやつは、太平洋においては、だいたいわが南洋諸島の北側にそって東から西へ流れている潮の流だ。それはやがて、フィリッピン群島にあたって北に向をかえ、わが台湾や流球のそばをとおり、日本海流一名黒潮となる。だから、もし南洋附近の潮の道に空缶を投じたものとすれば、潮にのって押しながされ、琉球の海岸へうちあげられてもふしぎでない」
「そのとおりですね」
「だからあやしいのは、その北赤道海流のとおっている南洋のちかくだということになる。そこで君は、香港までいって、香港から出る太平洋横断の旅客機にのりこみ、アメリカまで飛んでもらいたい」
「え、旅客機で、太平洋横断をするのでありますか」
「そうだよ。あの旅客機は、幸いにもちょうど北赤道海流の流れているその真上を飛んでゆくような航空路になっている。君は機上から、一度よく偵察をするのだ。その模様によって、第二の行動をおこすことにしてくれたまえ」
「はい。誓って任務をやりとげます」
 ここに太刀川青年は、特別任務を帯びて、謎の太平洋へ出発することとなった。
 その前三週間、彼は短期ながら、偵察員としての特別の訓練をうけた。早くいえば探偵術を勉強したのである。
 いよいよ出発の日、原大佐は太刀川青年をよんで、最後の激励の言葉をのべ、そのあとで、
「おい太刀川。君にぜひとも持ってゆかせたいものがある。これだ。これをもってゆけ」
 といって、渡したものがあった。それはチョコレート色の太いステッキであった。
「これはステッキですね。ありがたく頂いてまいります」
「ちょっと待て。このステッキは、見たところ普通のステッキのようだが、実はなかなかたいへんなステッキなのだ」
「え、たいへんと申しますと」
「うん。このステッキの中には、精巧な無電装置が仕掛けてある。これをもってゆき、こっちと連絡をとれ。しかし、むやみに使ってはならぬ」
「はい、これは重宝なものを、ありがとうございます」
「なお、このステッキは、いよいよ身が危険なときに、身を護ってくれるだろう。あとからこの説明書をよんでおくがいい。しかしこれも、むやみに用いてはならない」
 といって、原大佐は一冊の薄いパンフレットをわたしたが、どこからどこまでも行きとどいたことであった。
「では、いってまいります」
「おお、ゆくか。では頼んだぞ。日本を狙う悪魔の正体を、徹底的にあばいてきてくれ。こっちからも、必要に応じて、誰かを連絡のために向ける。とにかく何かあったら、その無電ステッキで知らせよ。こっちの呼出符号は、そこにも書いてあるとおり、X二〇三だ」
「X二〇三! ほう、二十三は、私の年ですから、たいへん覚えやすいです」


   乱暴な怪漢


 熱帯にちかい香港に、太刀川青年がぶらりと姿をあらわしたのは、七月一日であった。壮快な夏であった。海は青インキをとかしたように真青であり、山腹に並ぶイギリス人の館の屋根はうつくしい淡紅色であり、そしてギラギラする太陽の直射のもと、街ゆく人たちの帽子も服も靴も、みな真白であった。どこからともなく、熱帯果実の高い香がただよってくる。
 太平洋横断アメリカ行の飛行艇サウス・クリパー号は、湾内にしずかに真白なつばさをやすめていた。それはちかごろ建造された八十人乗りの大飛行艇で、アメリカの自慢のものだった。
 太刀川は、四ツ星漁業会社の出張員という身分証明書で、この飛行艇の切符を買うことができた。
 七月三日、いよいよサウス・クリパー機の出発の日だ。
 太刀川は、朝九時、一般乗客にうちまじり、埠頭からモーター・ボートにのって、飛行艇の繋留けいりゅうされているところへ急いだ。
 モーター・ボートが走りだしてから、太刀川はあたりをみまわしたが、まるで人種展覧会のように世界各国の人が乗りこんでいる。アメリカ人イギリス人はいうに及ばず、ドイツ人やイタリヤ人もおれば、インド人、黒人もいる。また顔の黄いろい中国人もいた。日本人は、彼一人らしい。
「ああ痛! ああ痛! 足の骨が折れたかもしれねえぞ。だ、誰だ、俺の足を鉄の棒でぶんなぐったのは」
 太刀川の[#「 太刀川の」は底本では「太刀川の」]耳もとで、破鐘われがねのような大声がした。それとともに、ぷーんとはげしい酒くさい息が、彼の鼻をうった。すぐ隣にいた大男の白人が、どなりだしたのであった。ひどく酔っぱらっている。このせまい艇内では、どうなるものでもない。
 太刀川は、面倒だとおもって、酔っぱらい白人の肘でぎゅうぎゅうおされながらも、彼の相手になることを極力さけていた。
「な、なんだなんだ。誰も挨拶しねえな。さては俺を馬鹿にしやがって、甘く見ているんだな。俺ががさつ者だと思って、馬鹿にしてやがるんだろうが、金はうんと持っているぞ、力もつよい。えへへ、りっぱな旦那だ。それを小馬鹿にしやがって――」
「おいリキー。おとなしくしていなよ」
 リキーとよばれたその酔っぱらいの向こう隣に、身なりの立派な白人の老婆がいて、リキーをたしなめた。
「だって、大将――いや、ケント夫人! 俺の足の骨を折ろうとたくらんでいる奴がいるのでがすよ。我慢なりますか」
「おいリキー。あたしは二度いうよ。おとなしくしておいでと」
 この老夫人の言葉は、たいへん利いた。リキーは、ううっと口をもぐもぐさせて、ならぬ堪忍を自分でおししずめている様子だった。リキーには、この老夫人が、苦手らしい。それは多分リキーの主人でもあろうか。
 この老夫人ケントは、たいへん立派な身なりをしていたが、この暑いのに、すっぽりと頭巾をかぶり、そしてよく見ると、顔中やたらに黄いろい粉がなすりつけてあり、また顔中方々に膏薬を貼ってあった。ことに、鼻から上唇にかけて、大きな膏薬がはりつけてあり、そのせいかたいへん低い鼻声しか出せない。太刀川は、ケント夫人が皮膚病をわずらっているのであろうと思った。お金がうんとあっても、病気に悩んでいるらしいこの老夫人に同情の心をもった。
「やや、なんだ、鉄棒かとおもったら、この安もののステッキが、俺の向脛むこうすねをぐりぐりぶったたいていたんだ。けしからんステッキだ」
 酔っ払いのリキーが、またどなりだした。そのとたんに、太刀川がついていたステッキが、あっという間につよい力でもぎとられた。リキーは、それを頭上にさしあげた。
「このステッキは、誰のか。俺の向脛を折ろうとしたこのステッキは、一体誰のか。さあ名乗らねえと、あとで見つけて、素っ首をへし折るぞ。ええい、腹が立つ、この無礼なステッキを海のなかへ叩きこんでしまえ」
 リキーは乱暴にも、ステッキを海中へ投げこもうとした。
「待て。それは僕のステッキです」
 太刀川は、さっきから、そのことに気がついていたが、どうしたものかと考え中であった。大任を持つ身の[#「持つ身の」はママ]、こんな小さなことで喧嘩したくはなかったが、原大佐から親しくさずけられた貴重なステッキを奪われ、海中になげこまれたのではもう我慢ができない。
「な、なんだ。貴様のステッキか。じゃ貴様だな、俺の向脛を叩き折ろうとしたのは。さあ、なぜ俺を殺そうとしたか。この野郎、ふざけるな」
「ステッキをかえしてくれたまえ」
「いや、駄目だ。おい放せ。ステッキは捨ててしまう」
「いや、かえしてください」
 太刀川は大男の手からステッキをもぎとった。
 これを海中へ捨てられてなるものか。
「あ痛。うーん、貴様、案外力があるな。よし、それなら決闘を申しこむぞ。俺はこのモーター・ボートが飛行艇につくまでに貴様の息の根をとめにゃ、腹の虫がおさまらないのだ。さあ、来い」
「リキー、およしよ。三度目の注意だよ」
 老夫人が、にがにがしい顔で、リキーの横腹をついた。リキーは、いまや太刀川の頭上に、栄螺さざえのような鉄拳をうちおろそうとしたところだったが、このときうむとうなって、目を白黒、顔色がさっと蒼ざめて、その場にだらんとなってしまった。
 太刀川は意外な出来事に眼をみはった。彼は、リキーになにもしないのに、伸びてしまった。結局、老夫人ケントがリキーをどうかしたらしいのであるが、あの弱々しい老夫人には似合わぬ腕節うでっぷしであった。
 あやしい老夫人の腕力!

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