ついに大地震う
「そんなことは、いってもむだだ。考えることもむだだ」
老博士は、つよく首を左右にふった。
「むだなことはありません。いや、むしろ、それとは反対に、必要なことです。博士、世間では、博士のことを、氷河狂と申していますぞ。氷河期が来るから、さあ皆、その用意をしろと、博士は叫びまわっておられる。博士は、親切にそういっているのに、世間では、信じない。それは、博士がなぜ氷河期が来るか、その筋道をはっきりおさせにならないから、そんなことになるのです。おわかりでしょうね」
「ご意見はいちおう忝けないが、それはやはりむだである。世間の大衆には、わしの話はむずかしすぎて、これを説く力がないのだ。いや大衆だけではない。おそらく現存の科学者の中でも、果してそのうちの何人が、わしの説明を了解するであろうか。結局それは無駄だよ」
「博士が、そうおっしゃると、中には、博士は嘘をついて脅かしているんだと思う者がいます。わからなくとも、いちおう、なぜ氷河期が来るのかということについて、説明されるのが、お身のためでしょうと思います」
総監は、あくまで、ものやわらかだ。
博士は、顔を真赤にして、すこぶる憤激の態であった。
「総監、あなたは、こういうことを考えてみるがいい。国と国との間に戦争が起ったとする。両国の軍隊は、今さかんに大砲を打ち合い、互いに爆撃をくりかえしている。そのさいちゅうに、軍人が、これはいったい、なぜ戦争になったのかしらん、その筋道は如何、と、そんなことを考え込んでいて、いいものだろうか。戦争は、すでに始まっているのだ。軍人は、ただちに部署について、敵襲に備え、または果敢に攻撃に出なければならない。――それと同じで、氷河期は刻一刻、近づきつつある。すでに大砲は鳴り、爆音は響いている。それになんぞや、科学を理解する力もなくて、科学を検討しようというのは、何という愚かなことだ。科学のことは科学者にまかせ、あなたがた、科学のだす結論を信じて、処置をすればいいのだ。そうではないか」
総監は、当惑顔であった。
「しからば、博士にうかがいますが、氷河期が来るについて、すでに大砲が鳴り、爆音が響いているというお話だが、それは、具体的にいうと、どんなものでしょうか。どこかの地方が、急に気温が下がりだしたという報告でもあるのでございましょうか」
総監は、熱心を面にあらわして、博士に迫っていった。博士は、それをきくと、大きくうなずき、
「氷河期の徴候は、もうだいぶ現われはじめている。第一は、このごろの、へんに熱くるしい気温のことだ。冬だというのに、まるで四、五月ごろの気温ではないか。それに近頃、東京地方では、地震が頻発しているが、これもその前徴の一つである」
「気温が高いということは、氷河期とは、ぜんぜん反対の現象のように思いますが、いかがですか。こう暖かければ、なかなか氷河期なぞ来ないだろうと思われます」
「それは素人考えだよ。今に見ていなさい。大きな地震がやってくる。一度や二度ではない。記録にもないほどの大地震が頻発するのだ。それから、火山が活動をはじめるだろう。それも記録破りの大活動をな。それは、もう間もなく起るだろう。そのときは、わしのいった言葉を思い出すがいい」
やがて、頻々と大地震が来る。そして火山が活動をはじめる。――博士は、それがいよいよ氷河期の徴候だというのだった。
総監は、博士の言葉が、いっこう腑におちなかった。彼は、いっしょに連れ立ってきた四人の権威者の方をふりむいた。
ところが、その四人の権威者は、いずれも眉をひそめて、博士には知れないように、かすかに首を左右にふった。
(博士のいうことは、信頼できませんよ)
(やっぱり、精神病者ですよ)
総監に対して、このように報告しているようであった。
総監は、あらためて博士の方に向きかえり、
「博士。私は素人ですから、結局、博士のお話がわからないのだとは思いますが、地震や噴火がはげしくなれば、気温は、いよいよ上昇するのではありませんか。むかし、関東地方に大地震がありました年も、十一月ごろまで、初夏のような温暖な気候がつづいたことを憶えております」
と、突っ込んだ。すると博士は、
「あの大地震と、今度の大地震とは、まったく程度もちがえば、性質もちがう。今度の大地震は、地球の周期的大爆発だから、地震は、地球全面に起り、噴火も日本だけではなく、殆ど全世界に起る。そういう大噴火の次に来るものは――」
といいかけて、そのとき博士は、なぜか口をつぐんだ。総監は、やきもきして、
「博士、そういう大噴火の後に来るものは? それはいったい何です。早く聞かせてください」
「……」
博士は、無言で立ち上った。このとき博士の顔面から、血の気が、さっと引いた。
「どうしたのですか、北見博士」
「ああ――」
博士は、うめいた。
「おお、これは大きいぞ。大地震の襲来だ。さあ、あなたがたは、すぐ避難せられたらよかろう。とうとう、恐るべきものが、大徴候を投げつけたぞ」
そういって、博士は、よろよろと足を踏みしめ、戸口の方へ歩いていった。
戸口を護っていた警官が、おどろいて博士を押し戻した。
「なにをする。貴公も、早く避難することじゃ」
「ごまかして、逃げだそうとしても、そうはいきませんぞ。元の席へ、おかえりなさい」
警官は、腕を突張って、博士を叱りつけた。
そのときであった。
床が、ぐらぐらと持ち上った。
「ああっ!」
一同が愕く間もなく、床は、またすーっと下におりた。
「地震らしい。へんな地震だ」
そういっているとき、気持のわるい地鳴りが、人々の耳をうち、そしてその音は、しだいに大きくなり、やがて、どーん、どーんと、巨砲をうちでもしたような音とかわった。そのころ、室内は、荒波にもまれる小舟のように上下左右に、はげしく揺れ、壁土は、ばらばらと落ちる、窓ガラスは大きな音をたてて壊れる。濛々たるけむりの中に、総監をはじめ一同は、倒れまいとして、互いにしっかと、身体を抱きあっていた。
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