大団円
不意をうたれては、世界無比をほこる空魔艦もその乗組員も、まるで藁細工と同じことである。
おそろしい武力の中心は、わずか十名のわが日本人の手によってひっくりかえされてしまった。
捕虜になった敵は、みなで三十人ばかり。その多くは怪我をしていた。
丁坊と仲よしだったチンセイは、空魔艦の中の冷い座席にひとりでねむっていたので、折よくそこへ第一番にとびこんだ丁坊にみつけられ、ぶじにたすけられた。
氷上にのこったのは、二機の空魔艦と、そのほかわずかの食料庫ぐらいのものであった。
大月大佐は、隊員をあつめ、東の空をあおいで高らかにばんざいを三唱した。怪我をしているものはあるが、生命をおとしたものが一人もないのはまったく天祐であった。
空魔艦の怪人たちは、いずれもその仮面をひきむかれた。その奇怪な防毒面の下には、やはり普通の人間の顔があった。しかし西洋人もあれば東洋人もあった。これは世界に大革命をおこそうというユダヤの秘密結社の一味であった。もし時がくれば、この空魔艦を相手国には知られぬように、成層圏といわれる高い空にとばして、各国の首都をひとおもいに大爆撃しようと考えていたことがわかったが、その空魔艦こそ、じつに世界中どこをさがしても、みあたらない大進歩をとげた飛行機であったのだ。思えば、日本の国もあぶないことであった。
空魔艦は、若鷹丸探険隊員の手によって、うまく分捕ることができた。しかしこれをどうして日本まで動かしたらいいのであろうかと、大月大佐たちは困っていた。
そこへ突然、探険隊の消息を心配して日本から有力な飛行隊が大挙して飛んできたので、大月大佐以下は生命をすくわれた上、この大きな土産空魔艦を捕虜とともに飛行隊へ手わたすことができて、重なる悦びであった。もしこの救援飛行隊が、もう四五日もはやくこの極地へとんでくれば、そのときは空魔艦とはなばなしい戦闘をしたことであろうが、丁坊の勇ましい言葉によって決死隊をさしむけた若鷹丸探険隊が、一足お先に手柄をたててしまったことになった。
お母さんは、丁坊の帰京を、ゆめかとよろこんだ。おなじ心配をしていた吉岡清君もその妹ユリ子もすぐ丁坊のうちへとんできて、うわーっといってだきついた。
丁坊はもうホテルの給仕をやめてしまって、立派な飛行機博士になるために、いまでは上の学校へ通って勉強をしている。
いつも丁坊の味方になっていた中国人チンセイは、丁坊につれられて東京にやってきたが、大月大佐などの力ぞえで、銀座裏に小さい中華料理店を開業している。どうかみなさんも折があったら、チンセイの店をのぞいてやってください。入口をはいると、すぐ正面に大きな空魔艦の額がかかっているから、知らないで店に入ったひとでもすぐ気がつくにちがいない。
では本ものの空魔艦は? それは、それ航空館へゆけば、陳列してあるのが見られる。館長大月大佐にたのむと、よろこんで空魔艦征伐のときの説明を、身ぶりたくさんでしてくれるであろう。
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