魔神の山
五助と彦太とは、身をかためて、粉雪のちらちら落ちる戸外へ出た。頭には雪帽を、身体には簑を、脚には長い雪ぐつをはき、かんじきをつけた。そして二人の背中には、食料品と燃料と水と酒とが、しっかりくくりつけられた。青髪山の雪穴の底で、観測をつづけている一造へとどける生活物資だった。
「彦くん、やっぱり君は行かない方がいいよ。お雪を連れていけばいいんだから」
お雪というのは五助の妹だった。いつもは五助とお雪の二人で青髪山へ登るのであった。
「いいよ、いいよ。今日は僕が手伝う」
彦太は、いくら兄のためとはいいながら、自分よりも年下の女の子があの恐しい青髪山へ登るのを、黙って見物しているわけにいかなかった。ことに今日は吹雪になるらしい天候で、お雪が行けばどんな苦労するかしれないと思うと、だんぜん彦太は自分が身代りになることを申出たのだった。
お雪は、雪の往来まで送ってきた。はずかしそうにうつむき勝ちだったが、彦太にたいへん感謝しているのがよく分った。
五助が先に立ち、その後に彦太がつづき、雪の道をいよいよ歩きだした。幸いに人の目にもふれず、うまく青髪山への遠い山道の方へ曲ることができた。粉雪は、だんだん量を増して、二人の少年の姿を包んでいった。五助のかんじきが、三歩に一歩は深く雪の中にもぐった。
「三日前に来たときよりも、二尺ぐらい雪が増したね」
五助が、そういった。
「疲れたら、僕が代って、前を歩くよ」
「なあに彦くん、大丈夫だ」
深い雪の山道の傾斜がひどくなった上に、重い荷を背負っているから歩行がたいへん困難になった。二人の少年は、もう、ものもいわず、あらい息をはきながら雪の道をのぼって行く。
彦太の方は割合に楽であった。五助の後からついて行けばいいのだ。五助が踏みかためてくれた、かんじきの跡を踏みはずさなければいいのだった。
彼は歩きながら、さっき五助から聞いた青髪山の魔神を見た話を頭の中に復習した。
五助は、この前の登山のとき、その魔神を森の中にたしかに見たそうである。その森は、それから二十丁も奥にある杉の森で、地蔵様が立って居られるところから地蔵の森といわれているところだ。
ちょうど行きの道だったが、五助が前方約二百メートルに、この森を見たとき、雪の中に高い幹を黒く見せている杉の木立の間を、何か青味がかったものが、煙のようにゆらいでいるのをみとめたのだった。
(誰か、あんなところで焚火をしている?)
と、始めは思ったそうだが、それにしても焚火にしてはおかしい。煙にしては色が青すぎるし、そして雪の降り積っている、下の方には見えず、杉の梢に近いところを、まるで広い帯が宙を飛んでいるように見えたので、はっと胸をつかれた。五助はあやうく声を出そうとして、ようやくそれを停めた。後には妹のお雪がついてくるので、ここでへんな声などをあげようものなら、お雪はおそろしさのあまり、気絶してしまうかもしれないと思ったからである。
五助は気をしずめようと、一生けんめいつとめながら、なおも怪しい青いものの姿を見つづけた。するとその怪しいものは、急に杉の幹を伝わって下りたように見え、雪の上を匐って道の方へ出てくると見えたが、その瞬間、ぶるっと慄えたかと思うと、かき消すように、その姿は消えうせたという。
五助はそこでもう道を引返そうと思ったが、兄が待っていることを思い、また妹をおどろかせることを心配して、自分の気を引立てると、そのまま、歩行をつづけたそうである。
が、やがて恐ろしい関門にさしかかった。その地蔵の森の前を、どうしても通りぬけねばならないのだった。五助はいざというときは、その怪物と組打をする決心をし、他方どうかその怪物が出てくれないように祈りながら、森の前にさしかかった。
幸いに、怪物の姿はどこにも見あたらなかったし、呻り声も聞えなかった。ただ見つけたものは、雪の中に凹んだ足跡らしいものが、点々としてついていたことだった。その足跡らしいものは、もちろん人の足跡ともちがい、また動物のそれでもなく、舟の形をして縦に長く、そしてまわりからゆるやかに、中心へ向けて凹んでいたのである。森の前を通り抜けるとき見たのはそれだけだった。
五助は、そこを抜けると、お雪をはげまして、急に足を早めた。一刻も早く、その気味のわるい森から遠ざかりたいためだった。何もしらぬお雪は、五助の早足を恨みながら、息を切らしてついてきたという。
それからまた一里ばかり山を入って、兄一造のこもっている雪穴についた。五助はあのことを早く兄に話をしたく思ったが、妹がいるのでそれをいいかねた。帰りぎわになってやっとその機会が来た。一旦道へ出た五助は、忘れものをしたように装いながら、雪穴へ引返して、兄にその魔神を見た話をしたのだ。
一造はその魔神の話を一笑に附した。第一地蔵の森は、青髪山よりずっと下にあること、またその足跡と見えたのは、雪を吹きつけた風の悪戯であること、それから雪の中では眼が変になって、よくそうした青いものを見ることがあることなどをあげて、それは青髪山の魔神ではないと結論したのだった。せっかくの一造の説明も五助の疑惑をすっかり払うほどの力はなかった。――まあ、こういう話だった。
「彦くん。いよいよ来たよ。地蔵の森だ」
五助が叫んだ。
「ああ、地蔵の森か。魔神は見えるかい」
「いや、今日は出ていないや」
雪はやんでいた。見とおしはよかった。地蔵の森の木立も、硝子にとおしたように、はっきり見えていた。なるほど、五助のいう魔神らしき怪しい影は何も見えなかった。
「今日は足跡もついてないや」
五助は、森の前を通り抜けるときに、そういった。彦太は笑った。しかし五助は笑わなかった。
それから一里の苦しい雪の山道が始まった。折悪しく急に風がかわって、粉雪が渦をまいて落ちだした。いよいよ吹雪になるらしい。二人の少年は、道の真中に立ちどまって、魔法壜からあつい茶をくんで呑み、元気をつけた。それからまた雪道へ踏み出した。
二時間あまりの苦しい登山がつづいた。二人の少年は、全身汗にまみれ、焼けつくような熱さを感じた。
「五助ちゃん。まだ兄さんの雪穴までは遠いのかい」
彦太は、雪になれていないので、ややへばったらしい声を出した。
「もうすぐだ。あそこに峯が見えているだろう。あの裏側だから、そこの山峡を過ぎると、観測所の雪穴が見え出すよ」
彦太は返事の代りに、重い首を振った。
そのときであった。とつぜん四、五発の銃声が聞えた。どどん、どんどんと、はげしく雪山に響いた。音のしたのは、どうやら峯のあたりである。
「銃声だ。どうしたんだろう」
「何かあったんだ。しかし誰が撃ったんだろう」
「早く行ってみよう。兄さんの雪穴へ……」
二少年は顔色をかえ、雪をかくようにして前へ急いだ。
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