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帆村は雨に濡れてゆく背丈のたいへん違った男女の後を巧みに追っていった。二人は濠端へ出たが、自動車にも会わず、そのままドンドン向うへ歩いていった。そして新富橋の上にさしかかったとき、女はハッとした様子で立ち停った。
女は向うを指した。
「アラ、窓に灯がついているわ。誰もいない筈なのに」
橋を越えて、濠添いに右へ取っていったところに、人造人間の研究で知られた竹田博士研究所が聳えている。女は明らかにその家の窓を指しているのだった。
二人は急ぎ足となった。そして一度追い越した帆村を、また追い越しかえして、濠端を駛った。
門前ちかくにまで進んだ二人だったけれど、何を見たのか俄かに急いで引返してきた。帆村は面喰った。しかし本当に面喰ったのは二人の方らしかった。男は女を後にかばってツと濠端に身を引いた。外人の大きな挙が長いズボンの蔭にブルブルと呻っているのが判った。帆村はジロリと一瞥したまま、平然と二人の前を通りすぎた。彼は後の方で、深い二つの吐息のするのを聞いた。
帆村は構わず、竹田博士研究所の門前に近づいた。石段の上に、玄関の扉が開け放しになっていて、その奥には電灯が一つ、荒涼たる光を投げていた。しかし人影はない。
彼は構わず石段をのぼっていった。石段を上りきったと思ったら、
「こらッ」と大喝一声、塀のかげから佩剣を鳴らして飛びだしてきた一人の警官! 帆村の頸っ玉をギュッとおさえつけた、帽子が前にすっ飛んだ。
「まあ待って下さい。帆村ですよ」
「なんだ、帆村だとオ。――」警官は愕いて彼の顔を覗きこんで「――やあ、これはどうも失敬。帆村さん、莫迦に嗅ぎつけようが早いじゃありませんか」
「なアに、この辺は僕の縄ばりなんでネ」
といって彼は笑った。帆村理学士といえば道楽半分に私立探偵をやっていることで警官仲間によく知れわたっていた。彼の学識を基礎とする一風変った探偵法は検察当局にも重宝がられて、しばしば難事件の応援に頼まれることがあった。かれは有名な悪口家で、事件に緊張している下ッ端の警官たちの頤を解く妙法を心得ていた。
「ねえ君。これは逃げた梟でも捕える演習しているのかネ」
「冗談じゃありませんよ。ここの主人が殺られたんですよ」
「ほう、竹田博士殺害事件か。それにしてはいやに静かだねえ。国際連盟は押入から蒲団でもだして、お揃いで一と寝入りやっているのかネ」
「じょ、冗談を……」
といっているところへ、表に自動車のエンジンが高らかに響いて、帆村のいう所謂国際連盟委員がドヤドヤと入ってきた。雁金検事、丘予審判事、大江山捜査課長、帯広警部をはじめ多数の係官一行の顔がすっかり揃っていた。「お、帆村君、もう来ていたか。電話をかけたが、行方不明だということだったぞ」
と、雁金検事が、彼の肩を叩いた。
「いや貴官がたが御存知ないうちに、うちの助手に殺人現場を教えとくのは失礼だと思いましてネ」
と帆村は挨拶を返した。
「さあ、始めましょう」
大江山課長は先登に立つと、家の中に入っていった。帆村も一番殿りからついていった。
階段を二つのぼると、三階が博士の実験室になっていた。そこはだだっ広い三十坪ばかりの部屋だった。沢山の器械棚が壁ぎわに並んでいた。隅には小さい鉄工場ほどの工具機械が据えつけてある。それと反対の東側の窓ぎわには紫色の厚いカーテンが張ってあって、その上に大きな寝台があり、その上に竹田博士の惨死体が上を向いて横たわっていた。
係官は、博士の死体のまわりに蝟集した。実に見るも無惨な死にざまであった。顔面はグシャグシャに押し潰され、人相どころの騒ぎではなかった。もし赤い血にまみれ一本一本ピンと立った頤髯の根もとに、ひとつかみほどの白毛を発見しなかったら、これを博士と認知するのが相当困難であったろう。竹田博士は年歯僅かに四十歳であるのに、不精から来た頤髯を生やしていたが、どういうものかその黒い毛に交って、丁度頤の先のところに真白なひとつかみの白毛が密生していることで有名だった。
帆村は、竹田博士の死体をちょっと覗いていただけで、間もなく鳩首している係官の傍を離れた。そして彼は、室内を改めてズーッと見廻したのであった。
そのとき彼の眼についたのは、器械棚と並んで大きな棺桶を壁ぎわに立てかけたような函の中に納まっている鋼鉄製の人造人間であった。それは人間より少し背が高く中世紀の騎士が、ふたまわりほど大きい甲冑を着たような恰好をしていて、なかなか立派なものであった。そして頤の張った顔を正面に向け、高い鼻をツンと前に伸ばし、その下に切り込んだ三日月形の口孔の奥には高声器が見え、それから円らな二つの眼は光電管でできていた。また両の耳は、昔流行ったラジオのラッパのように顔の側面に取りつけられ、前を向いたラッパの口には黒い布で覆いがしてあった。
人造人間に近づいて、しばらく見ていると、どこからともなくギリギリギリという低い音がしているのに気がついた。
「オヤ」
と思った帆村は、試みに人造人間の鋼鉄張の胸に、耳を押しつけてみた。すると愕いた事にヒヤリとするだろうと思った鉄板が生暖く、そしてその鉄板の向うにギリギリギリという何か小さい器械が廻っているらしい音を聞きとることができた。
「ほう、この人造人間は生きているぞ」
彼は目を瞠って、改めてこの人造人間を眺めなおした。そのとき彼は、実に愕くべき発見をしたのだった。
「呀ッ! 血だ、血だッ。人造人間の拳に、血が一杯ついている!」
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