海野十三全集 第7巻 地球要塞 |
三一書房 |
1990(平成2)年4月30日 |
1990(平成2)年4月30日第1版第1刷 |
1990(平成2)年4月30日第1版第1刷 |
第一景 勉強組合
△騒然たる中学校の教室の音響――「やい亀井」「なんだ松岡」「随分黒いぞ」「黒くておかしいかい。やい白ん坊」「なんだ黒ん坊」などの早い会話のやりとりを遠く聞かせる。それに交って、床をドタ靴でふみならしながら、愛国行進曲を口笛で吹いているのが聞える。
△始業のサイレンの音――更に遠くに聞える。
△扉をドーンとついて、また新たに教室へとびこんで来る生徒の靴音、鞄を投げつける音、それに交って「あれ、おれの席はどこだ」「おい吉田吉田こっちだこっちだ」「やあ変だなあ、こんなところに僕の机が……」などと急口調の話声。
生徒蝦原 あっ先生だ……。
△扉がガチャリとしまる音
先生 えっへん
一同、たちまちしーんと静粛になる(間)
先生 (出席簿をバタバタ開けたりしめたりしながら)ああア皆さん。このクラスは相変らず元気者ぞろいじゃのう。夏休み中は、さぞやさぞ楽しいことであったろう。先生などは夏休み中、すこし気にかかることがあって(といってはっと気がつき)ああむにゃむにゃ、えっへん。――ああア、そこで新学期の始めに一つ、クラス全体に苦言を呈しておく。
△生徒大勢がガヤガヤと不安の気配
先生 ああア、どうじゃ、このクラスはなかなか元気者揃いであり、また中々無邪気者揃いであって、先生はよいクラスじゃと思っとるが、ああア、一つ感心せんことがある。それは――それはじゃ、近来宿題をやらせても大分出来が悪いし、試験をやっても、これまた答案の出来が悪い。どうもこれは困った傾向じゃ。
生徒一同。しーんとしている(間)
先生 (励声一番)これ思うに、このクラスの皆が戦争ごっこに夢中になっていて、勉強の方をとんと怠っているからじゃと思う。戦争ごっこ、必ずしも悪くはない。しかし勉強を第一とせんけりゃならん。お前たちはまずなによりも生徒であるのじゃからな。出征兵士は敵兵をたおすのが任務であるごとく、生徒は勉強するのが任務じゃ。お前たち第二国民が今勉強を怠って居ると次の時代に於いてこれがどんな風に響くと思うか。次の時代に戦争が起ったときにゃ、不勉強のおかげで敵軍を撃破するに足る優秀な戦車が出来なかったり、また優秀な飛行機が作れなかったりして、べそをかかんけりゃならん。つまり学問の力で外国に負けるぞ。まことに由々しき一大事ではないか。
廊下にあわただしき靴音、扉ひらく音。
給仕 (息をはずませながら)あ、大山先生。お宅から電話です。すぐお帰り下さい、ですって。
先生 (おどろき)ええっ、な、な、なにごとか起ったというのか。
給仕 先生のお宅で赤ちゃんが生れそうですって。
生徒一同、うわーっと喚声をあげ机を叩き床を踏みならす。
先生 えっ。とうとう始まったか。それはまことに由々しき一大事。
生徒一同うわーっ。
先生 これこれ(と生徒を制しながら)皆よろこんでくれ、先生のところでは十五年ぶりに、ついに赤ん坊が生れるのだ。神様が赤ん坊をさずけたもうたのだ。戦争で、尊い兵士は死ぬ、国力は減る、それを補うのは赤ん坊の誕生だ、笑い事ではない。先生の家には留守番がないのだ。ちょっといってくる、静粛にしているんだぞ。
先生の靴音去る、扉の音。
級長 まことに由々しき一大事か。
こんどは誰も笑うものがない(間)。
級長 ねえ皆。新学期早々、これはまことに由々しき一大事だ。僕たちは、たしかに生徒たる本分を忘れていたようだね。
生徒、賛否両論ガヤガヤ。
級長 どうだ皆、こうしようじゃないか。この由々しき一大事を突破するために、わがクラスは勉強組合というのを作ろうじゃないか。
生徒ガヤガヤ。
生徒 勉強組合ってなんだ。
級長 勉強組合というのはね、放課後、皆で学校に残るんだ。
生徒 残って、何をするんだ。
級長 残って、皆でその日習ったところを復習するんだ。復習するだけじゃない。委員をきめて、模擬試験をやるんだ。そして出来ない奴があったら、皆して分るとこまで教えっこするんだ。
生徒 放課後は運動したいね。体力をつけることも、第二国民には大事なことなんだぜ。
生徒大勢「そうだそうだ」
級長 じゃ夕飯[#「夕飯」は底本では「夕食」]がすんでから、誰かの家へ集ってやることにしよう。僕の家の会社に広い会議室があるから、お父さんにいってあそこを貸してもらおうや。
生徒 うまくゆくかなあ。
級長 きっとうまくゆくよ。
生徒 でも蝦原のような出来ないやつは、いくら教えたって出来やしないよ。
級長 なあにきっと、うまくゆかせるよ。僕にゃ、まだとって置きのいい手があるんだ。この手でやれば、どんなに出来ないやつだって、出来るようになるぜ。つまりこういう風に……。
場面一転する感じの出る音楽。
生徒ガヤガヤ。
遠く自動車の警笛、口笛を吹いている行人、など街の騒音。
級長 外が騒々しいね。暑いけれど、窓を閉めよう。
窓を閉る音。
生徒 あっ、出来た。これでいいんだろう。Xは5でYは3、Zは12[#「12」は縦中横]さ。
級長 ええ、ちょっとかしてごらん、Xは5、Yは3で、Z……12[#「12」は縦中横]か。よし答は合っている。ほら、キャラメル一個だ。
生徒 (よろこんで)ああサンキュウ、これでキャラメルは五ツ目だ。(と、口の中へ放りこんでピチャピチャなめる)やあ蝦原が泣いてらあ、蝦原、出来ないのか。
蝦原 (くすんと鼻をすすり)なんべんやっても出来ねえ。
生徒 ちぇっ、ちょっと見せてごらんよ。あれ、まだ二番じゃないか。
蝦原 ああ、そうだよ。僕なんか、まだキャラメルを一個しか喰べていないんだ。
生徒 そりゃ仕方ないよ。だってまだ一題しきゃ出来てないんだもの。今日代数の時間、君は飛行機の絵ばかり書いていたじゃないか、あれじゃ駄目だよ。
蝦原 なにが駄目だい。
級長の足音。
級長 ああっ、君たち喧嘩なんかしちゃいけないよ。
生徒 ねえ蝦原はやっぱり出来ないんだよ。まだ二番の問題で、ひっかかっているんだ。君教えてやり給え。
級長 よし。蝦原、どこまでやったんだ、あっ、これじゃ駄目なんだ。君は公式を忘れているんだ。だから出来ないんだ。さっき教えてやったじゃないか。Aの二乗、マイナス、Bの二乗を因数分解すると、さあどうなる?
蝦原 えーとAの二乗、マイナス、Bの二乗はえーとえーとえーえー。
級長 早く思いだし給え、おい蝦原、キャラメルを喰べたかないかい、ほらこんなにいい色をしているよ。
蝦原 喰べたいよ。それを喰べると、公式を思いだすかも知れない。
級長 駄目駄目思い出さなきゃ絶対にやらないよ。あっそうだ、君に頑張ってもらうため、おまけを一つつけるよ。ほらチョコレート一つおまけだ、チョコレート喰べたかないかい。
蝦原 喰べたいよ喰べたいよ、口の中にツバがたまってきたよ。ああたまんない、目の毒だ。目をつぶっちゃおう。Aの二乗、マイナス、Bの二乗はえーーと、えーと、AマイナスBの二乗……じゃないや、AマイナスBとそれからキャラメル、いやちがった。ええうーんあっ、そうだ、わかったわかった、AマイナスBとAプラスBの積だ!
級長 蝦原えらい! それでいいんだ。こんどはもう忘れちゃ駄目だよ、ほらキャラメルとチョコレートをやるよ。
蝦原 どうもありがとう(と早速ホオばり、口をもごもごさせながら)ああうまい、ホオペタがおっこちそうだ。
級長 公式を思いだしたら、問題を早く解いてしまいなよ。ほらここだ。AマイナスBがこっちにもあるから、AマイナスBでくくれるじゃないか。
蝦原 ああ本当だ。AマイナスBでくくってあとは、えーと3Aプラス2Bと、AプラスBか、ねえ、これから先、どうするの。
級長 いやんなっちゃうね。それで出来たんだよ、それが答なんだよ。
蝦原 えっこれが答かい、なあんだ。訳はねえや。うふふふ、代数ってなかなか面白いもんだねえ。
級長 あははは、蝦原の奴代数が面白いっていったぞ。あははは。
生徒 代数よりキャラメルの方がうまいだろう。
級長 えっへん、これは誠に由々しき一大事じゃ、勉強組合ばんざいだ。
生徒大勢、あはははと朗かに笑う。
街の遠くから、出征兵士を送る「天に代りて」の合唱近づき来る。
……―幕―……
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