罠くらべ
黄金の糸で四頭の竜のぬいとりをしたすばらしくぜいたくなカーテンが、頭目台のうしろに垂れている。
台の上には、頭目用の椅子が一つおかれているだけで、人の姿はその上にない。いやこの部屋には今誰もいない。
垂れ幕の奥では、かすかな音が、ときどき聞える。
頭目が、この夜更けに、なにか仕事をしているのであろうか。もう只今の時刻は、その山塞の人々ならどんな呑んだくれの若者も寝床について、高いびきを一時間もかいたはずであった。午前三時だ。ここ山塞も、丑満時を越えた真夜中である。では、誰であろうか。黄竜の奥の間で、ひっそりと物音をさせているのは?
それこそ机博士であった。
博士ただひとりだ。博士は、眉をつりあげ、額に青筋を立て、真剣になって、黄竜の間で家探しをしている。
机の引出もあけた。戸棚もみんなあけて調べた。秘密の大金庫も、壁からくりだして、すっかりあけて調べた。ありとあらゆる什器や家具を調べ、今は、壁をかるく叩いてまわっている。どこかに彼の知らない極秘の隠し場所があるかもしれないと思ったからだ。だがみんな失敗だった。
(無い。なんにも無い。黄金メダルに関するものは、こんなところへはおいておかないのかな)
博士は無念に思って、唇をかんだ。
(たしか、この前、この部屋へ黄金メダルをしまうのを見たのだが……あれは、たとえ猫女に奪われたにしろ、あの頭のするどい頭目のことだから、メダルの写真とか、関係書類とかを、ちゃんと保存してあるにちがいないんだが、どうも見あたらないなあ)
机博士は、チャンフー号の店で、秘密に撮影した三日月形の方の黄金メダルの半ぺらの写真を持っている。もし頭目の部屋に、頭目が猫女にとられた、扇形の方の半ぺらの写真を持っているなら、それを手に入れたいと思った。そして両方をつきあわせてみるなら、この黄金メダルの秘密も解けるにちがいないと考えたのだ。(なにも、生命をまとにして、本ものの黄金メダルを手にいれないで、写真さえあれば、たくさんなのだ。そこに彫りつけてある暗号を解きさえすれば、大宝庫の場所が分るにちがいない。おれは頭目などより、一枚役者が上なんだ)と、博士は思っている。
だが、いよいよ探してみると、ここぞと思った黄竜の間に、思う品物がないのである。博士はくやしくてならなかった。腕組をして考えこんだとき、
「手をあげろ。横着者め」と、はげしい叱り声が、入口の方からひびいた。いつの間にか黄竜の幕をかきわけ、四馬頭目の巨体が、長袖から愛用の毒棒をつきだしている。
「うッ!」博士は青くなって、さっと両手をあげた。あの毒棒は、押釦一つおすと、一回に十本の錐が、さきにおそろしい毒をつけたまま、相手の身体にぐさりとつき刺すのであった。その毒の調合をしたのは、机博士自身であったから、その猛毒については誰よりも博士が一番よく知っている。だから博士が青くなって両手をあげたわけだ。
「この間から、どうもお前の様子がへんだと思っていたが、この部屋でいったい何をしようと思っていたのだ」
頭目は落ちつき払った中に、憎しみのひびきのはっきり分る声で、博士をきめつけた。
博士は、口をかたくつぐんでいた。
「いうんだ。いわないと、こいつがとんでいく。お前がよく知っている恐ろしい毒矢がくらいたいか、それともいってしまうか」
「黄金メダルの半分の写真でもお持ちなら、ちょっと見せていただきたいと思ったのです。それだけです」
博士は、ついに返事をした。
「それだけだって。ふふン」と頭目は皮肉に笑って、
「しからば、お前はチャンフーのところから、三日月形の半ぺらを持ってきたんだな。いや、ちがうとはいわせない。そうでなければ、おれが持っていた半ぺらの方を見たいなどという気を起すはずがない」
そうではないと、博士は一生けんめいに弁明した。だが、博士の弁明が真剣になればなるほど、頭目はそんなことが信じられるか、とはねつけた。そしてついに、
「そうだ。これからお前の部屋へいこう。この部屋でやったとおりのことを、おれはお前にやりかえしてやる。部屋のものをみんなひっくりかえして、総探しをやってやる」
「あッ、それは……頭目。許して下さい」
博士の態度が一変して、気が変になったように見えた。が、すぐ博士は元にかえって、そのような乱暴は思い止ってくれと哀願した。
「ならん。お前の部屋へゆくんだ。先へ歩け。命令をきかねば、毒矢をぶっ放すぞ」
もう仕方がなかった。机博士は、しおしおと歩きだした。その背中に、頭目が毒矢銃をぴったりとおしつけた。
「自業自得だ。頭目をだしぬこうなんて、反逆行為だ。反逆行為の刑罰はどんなものだか、知っているだろう」
向うを向いて、重い足をひきずって進む机博士の顔には、ふしぎな笑みが浮んでいた。
(今にめにものを見せてくれる。その時になって腰をぬかすまいぞ。へん、おれの作った罠の中にわざわざおはいり下さるのだ。四馬剣尺の化けの皮を、今にひんむいてくれる)
博士のひそかなる気味のわるい笑いは、もちろん頭目には見えるはずもなかった。その頭目もまた、ひそかなる笑みを口のあたりに浮べていたのだ。
(見ろ。こんどというこんどは、陰謀屋の机博士に致命傷をくらわせてやる。きさまは、自分のわる智恵の中に、自分でおぼれてしまうのだ。それにまだ気がつかないとは、きさまもあんがい頭がよくないて)
狐と狼の化かし合いだ。どっちが狐で、どっちが狼か。それはしばらく見ていなくては、きめかねる。
ついに机博士は、自分の部屋の扉を開いた。そのとき彼は、自分のうしろに異様な気配を感じたので、はっとしてふりかえろうとした。
「ふりかえるな。向うを向いていろ」頭目が大声で叱りつけた。博士はぎくりとして、首を正面へ向けかえた。……が、今ふりむいたときにちらりと見たことだが、頭目のそばにもう一人背の高い人物がいたように思った。
「早くはいれ」机博士は背中をつかれた。
そこで室内へ足をいれた。室内は、暗室になっていた。ただ桃色のネオン灯が数箇、室内の要所にとぼっていて、ほのかに室内の什器や機械のありかを知らせていた。
「部屋を明るくするんだ。これじゃ暗すぎて、なんにも見えない」頭目がそういった。
(待っていました!)
と、博士は、心の中でおどりあがった。
「はい。今、明るくします。ちょっとお待ちなすって」
「へんなまねをすると許さんぞ。おれはお前のそばをはなれないから、そう思え」
頭目が部屋の中へ足を踏み入れた。
「大丈夫です。へんなまねなんかしません。そこに油だらけの機械がありますから、けつまずかないようにして下さい。今すぐスイッチをひねりますから、ちょっと――」
博士はぐんぐん奥へはいっていった。そして壁ぎわに置いてある四角い機械のうしろへまわった。博士の顔には、またもや気味のわるい微笑が浮かんだ。
(今だ。化けの皮をはいでやるときがきたぞ。覚悟しろ)
博士はスイッチを入れた。それこそこの間中から博士が考案し、組立てていた大きなエックス線装置であった。これは広角度にエックス線を放射して、人間の身体全体を照らし、そして部屋のまん中にぶら下げてある、幅二メートル高さ三メートルの大きな蛍光幕にその透視像をうつしだすようになっていた。これは、いつも覆面をしている頭目を、エックス線で照らして、その正体を見てやろうという陰謀であった。そして思いがけなく、早くその機会がきたのだ。頭目の方からこの部屋へ足をはこんで、はいってきたのだ。こんないいことはない。机博士は興奮をおさえきれない。
さッと、蛍光が、幕面を照らした。
実にたくみに、頭目の全身の透視像が幕面に写った。着衣や冠の輪廓がうすく見える中にありありと黒く、むざんな骸骨姿がうつしだされた。これが頭目の骨格なのだ。
「あッ」頭目は気がついた。
手にしていた毒矢のはいった棒銃をふりあげた。その恰好が、そのまま幕にうつった。おそろしい骸骨が、生きているように動き、いかりに燃えて棒をふりあげたのだ。そのすさまじい光景は、筆にも画にものせられないほどだった。
ガーン。毒矢の棒は博士の方へとんできた。と、室内の電灯が全部消えた。完全な暗黒となった。そしてつづけさまに、いろいろな器物のこわれる音がした。
机博士の声はしなかった。また頭目の声もしなかった。
博士は、おそろしいものを見たのだ。
頭目の骸骨像によって、頭目の正体は、世にも奇怪なものであることが判明した。それはたしかに小さな男だった。その小さな男が、足に一メートル位もある高い棒をつけて立っているのだ。その上に裾を高くひいた中国服を着ている。こうしてエックス線で透視してみないかぎり、頭目の秘密が明かるみへだされることはなかったであろう。
四馬頭目の正体は、小さな男だったのか。
この部屋に、このおそるべき光景を見た者が外にもう二人いた。それはその前にこの部屋に忍びこんでいた春木少年と牛丸少年とであった。二人はおそろしさに、もう生きた心地もなかった。さて、まっくらがりになったこの部屋のおさまりは、いったいどうなるのであろうか。
秘密の抜け穴
(われらの首領というのは、小男であったのか!)
机博士は、その意外に心をうたれ、危険の中に、しばらくぼんやりしていたほどだ。
彼は、首領がもっとほかの人物であると思っていたので、その予想は、エックス線を首領にあびせた結果、すっかり思いちがいであることが証明された。
(だが、どうもまだ、ふにおちないところがある。いつぞや、ひそかに懐中電灯を首領の顔の下に近づけて、覆面ベールの中にある顔をちらっと見たことがあったが、あのときの首領の顔は、目鼻立のよくととのったりっぱな顔であった。女にも見まがうほど美しい顔であったが……)
と、机博士の頭の中には、答がわり切れないで、ぐるぐる渦をまいていた。さっき、エックス線で首領の顔をてらしつけ、首領があっとひるむところを、すばやく前へとびだしてあのベールをかかげて、首領がどんな素顔をしているか、それをたしかめればよかったのだ。だがそれをしなかった。不覚のいたりだ。もっとも、そんなことをすれば、首領は一撃のもとに自分を毒針でさし殺したかもしれない。これだけのことを考えるのに、永くかかったわけではなく、危険の下に首をちぢめている机博士の頭の中を、電光のように走った思いであった。
がらがらッと、またもや器物がなげつけられ、机博士の頭の上に降ってくる。そして首領のあらあらしい息づかいが、だんだん近くによってくる。
(あぶない。このままでは殺される。どうかして逃げだしたい。穴倉へつづくあの下り口まで、うまくたどりつけるだろうか。下り口の戸を開くまで、死なないでいるかしらん)
博士が思いだしたのは、この部屋の東よりの隅に、地下の穴倉へつづく下り口があることだった。これは博士が、他の者に見せたくない器械や材料などをかくしておくために作った秘密の物置であって、この山塞では彼以外に知る者はなかった。その穴倉の中には、さらに、抜け道があって、それをくぐっていくと、山塞の外へでられるのだ。もっともそこは、けわしい崖の上にあって、そこから街道へ下りるには、特別の道具がないとだめであった。そのかわりに、このけわしい崖の上に開いた抜け道は、他の者の目につくような心配は、まずないものと思われ、机博士は十分自信を持っていたのであった。その抜け道のコースへ、とびこみたい。下り口のところまで、無事にゆきつくかどうか。
(やっつけろ)
もうこうなれば、運を天にまかせる外ないと、机博士は決心をかためた。二カ所や三カ所に傷をこしらえるのは覚悟の上で、博士はくらがりを手さぐりで、横にはっていった。
なんでも、やってみることだ。荒れる首領の攻撃は、机博士の身体の移動のあとを追っかけてはこなかった。やっぱり、元のところに博士がかくれていると思い、がらがらッどすンどすンと、しきりに重いものがなげつけられていた。だから机博士は、反って危険を抜けることができ、うれしさに胸をおどらせながら、下り口のところにはまっている揚げ戸をひきあけることができた。
すこしは音がした。しかし室内はどんがらどんがらやっている最中であったから、すこしぐらいの音は相手に聞えそうもなかった。博士は、してやったりと、揚げ戸の下へ身体をもぐらせた。足の先に、階段がさわった。もう成功である。彼は、すっかり中へはいった。そして、揚げ戸を静かに閉めた。誰も追い迫ってくる様子はなかった。博士は、ほっと安心の一息をついた。
ここまでくれば、虐殺者の手をのがれたようなものだ、と机博士は思った。彼は手と足で階段をさぐりながら下りていった。階段を下り切った。そこに厚いカーテンが二重に張ってあった。その向こうが物置の相当広い部屋になっているのである。博士はカーテンをおして中へはいった。中は、まっくらだった。
「おやッ。今日は電池灯が消えている」
そこには、いつもは電池灯がついていて、室内を照らしていた。これは停電に関係なく、いつでもついている電灯であった。それが今日は、運わるく消えている。どこか故障をおこしたのであろうか。そう思いながら、机博士は、鼻をつままれても分らない闇の中を、手さぐりで足をひきずりながら五六歩もすすんだであろうか、そのとき大きなおどろきが、彼を待ちうけていた。とつぜん彼の両の手首が、何者かによって、ぐっとにぎられたのであった。
「ほほほ、待っていたよ、博士さん」
闇の中に、たしかに女にちがいない声であった。何者?
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