エックス線のかげ
頭目の手には、戸倉の義眼がのっている。
「ふん。これが黄金の三日月の容器とは、考えやがったな。しかしこうなれば、お気の毒さまだ。ありがたく頂戴してしまおう。いやまだお礼をいうのは早い。この中から三日月さまをださなくては……」
頭目は、義眼を両手の指先で支えて、くるくるとひっくりかえしてみた。しかし、義眼のどこをどうすれば開くのか、見当がつかなかった。その開き方は、某人物より一応きいておいたのであるが、どこをききまちがえたか、彼の記憶にあるとおりに、義眼の上下を持って左右にねじってみても、さっぱりあかないのだった。
(ふーン、こいつはまずい)と、頭目は心の中で舌打ちをした。だが、それを今顔色にあらわすことは戸倉に対しても、また部下に対してもおもしろくない。
が、問題は、それですむものではなかった。早くこれを開いてみる必要があった。
「おい木戸。大きな金槌を持ってこい。急いで持ってこい」
と、頭目は命令した。
「はい」と返事をして木戸が引込んでから、再び彼がこの部屋にあらわれるまで、ちょっと時間があった。一座は、ここでほっと一息いれた。
机博士は、戸倉老人の腕に、強心剤の注射を終えると、自分の指先をアルコールのついた脱脂綿で拭って、それからぎゅッとくびを延ばして背のびした。
「ねえ、頭目。もう一回、今みたいな手あらなことをなさると、わが輩はこの人物の生命について責任をおいませんぜ。これで二度目の警告です」
と、机博士は、しずかにいい放った。これに対して頭目はだまりこくっていた。博士は、肩をすぼめた。
そこへ木戸がもどってきた。頭の大きな金槌を頭目に渡す。
「これでいいんですかね」
「うん」
頭目は、卓子の上に義眼をおいた。そして金槌を握った右手をふりかぶって、義眼の上に打ち下ろそうとした。
「頭目。ちょっと待った」
と、声をかけた者がある。机博士だった。
頭目はいやな顔をして、博士の方へ首を向けた。
「頭目。金槌で義眼をうち割って、中のものを見ようというんでしょう。しかしそれはまずいなあ。かんじんのものに傷がつくおそれがある」
「じゃあ、どうしたらいいというんだ」
「その黄金三日月とやらは、もちろん、金属でしょう。義眼は樹脂だ。それならば、その義眼を、ここにあるX線装置でもって透視すれば、いともかんたんに問題は解決する。なぜといって、X線は、樹脂をらくに透すが、黄金は透さない。だから、中にある黄金三日月が、かげになって、ありありと蛍光板の上にあらわれる。どうです。いい方法でしょうがな」
と、机博士はうしろから携帯用X線装置を持ちだしてきて、頭目の前の卓子の上においた。この装置は、さっき戸倉の胸部の骨折を調べるために使ったものであった。
「これは名案だ。じゃあこれにX線をかけて見せてくれ」
と、頭目は、あんがいすなおに頼んだ。
「よろしゅうござる」
博士はそういって、装置からでている長いコードの先のプラグを、電源コンセントにさしこんだ。それからぱちンとスイッチをひねって、目盛盤を調整した。すると光線蔽いのある三十センチ平方ばかりの四角い幕を美しい蛍光が照らした。この蛍光幕とX線管との間に、博士は手を入れた。すると蛍光幕に骸骨の手首がうつった。博士の手だった。
「さあ用意はよろしい。ここへ義眼をさし入れる。そしてこっちから蛍光幕をのぞくと見えます」
と、博士は身体を横にひらいて頭目をさしまねいた。
頭目は、X線装置の前へ進んで、博士からいわれたとおりにした。蛍光幕へ戸倉の義眼のりんかくがうつった。うつったのはその義眼ばかりではない。頭目の右の手首がうつった。どの指かにはめている、幅のひろい指環もうつった。
「あッ」頭目は低くさけんで、手を引きあげた。しばらくすると、また義眼をつかんだ手がうつった。その指には、指環がはまっていなかった。頭目は、すばやく左手に持ちかえたのである。
「どうです。見えますか」と、机博士がきいた。
「三日月の形をしたものは見えない」
頭目が、X線の中で義眼をぐるぐるまわしてみるが、義眼はすっかりすきとおっていて、金メダルの黒いかげはない。
「ああ、その中には、金属片がはいっていないのです」
と、机博士が横からのぞいてみて、そういった。
「しかし、そんなはずはないんだ」
頭目は、怒ったような声でいって、手をX線装置からだすと、義眼を卓上においた。
がーンと、大きな音がして、義眼が金槌で叩きつぶされた。頭目が、かんしゃくをおこして、やっつけたのである。X線装置が検出した結果を信じなかったのだ。破片があたりにとび散った。まわりにいた者は、あッと叫んで、口をおさえた。
が、その結果は、義眼の中には、なにも隠されていないということが分っただけである。
「ううーむ」と、頭目は呻った。
しばらく誰も黙っていた。嵐の前のしずけさだ。
と、とつぜん頭目が肩をいからして吠え立てた。
「やい、戸倉。どこへ隠したのか、黄金メダルの片割れを!」
「わしは知らぬ。いや、たとえ知っておったとしても、お前のようならんぼう者には死んでも話さぬ」
戸倉老人は、のこる一眼を大きくむいて、四馬をにらみつけた。
「わしが知りたいと思ったことは、かならず知ってみせる。そうか。きさまの義眼というのは、もう一方の眼なんだな」
というと、頭目は、又もや戸倉にとびかかった。そして彼の指は戸倉の左の眼を襲った。
猫女
「あ、あぶない。待った」
叫んだのは机博士だ。あぶないと、大きな声。そしてやにわに、頭目の手首をつかんで引きとめた。
「なぜ、とめる?」
「お待ちなさい。戸倉の残る一眼は義眼ではないです。ほんものの眼ですよ。抜き取ろうたって、取れるものですか。やれば、器量をさげるだけですよ。頭目、あんたが器量を下げるのですよ」
そういわれても、頭目は戸倉老人の頭髪をつかまえて、放そうとはしなかった。
「頭目、よく見てごらんなさい。ほんものの眼だということは、目玉をよく見れば分りますよ。瞳孔も動くし、血管も走っている」
そういって机は、携帯電灯を戸倉の眼の近くへさしつけた。
頭目は、戸倉の眼の近くへ顔を持っていった。そしてよく見た。なんどもよく見た。どうやら、こっちは、ほんものの目玉らしい。
そのときだった。頭目の注意力が、急に戸倉の目玉から放れた。彼は、自分の顔へ、下の方から光があたっているように思ったのである。そのとおりだった。机博士が手にもっている携帯電灯の光の一部が、偶然か、それとも故意か、頭目の顔を蔽う三重の紗のきれの下からはいってきて、彼の顔を下から照しているのである。
(あッ)
「無礼者!」と頭目が叫ぶのと、机博士の手から携帯電灯が叩きおとされるのと、同時であった。
博士は、手をおさえて、うしろへ身をひいた。彼の手から血がぽたりと床に落ちた。
「やあ君の手だったか。それは気がつかなかった。がまんしてくれたまえ」
頭目が、すぐ遺憾の意をあらわしたので、一度に殺気立ったこの場の空気が、急にやわらいだ。
「おい戸倉。きさまが、しぶといから、こんな悶着が起る。早く隠し場所をいってしまえ。この黄金メダルの半分の方はどこに隠して持っている」
頭目は、どこかにしまっていた黄金メダルの半分を再び左の指でつまんで、戸倉の方へさしつけた。戸倉は、頭目をにらみつけたまま、口を一文字につぐんでいる。
「早くいうんだ。早くいえ」そのときだった。
とつぜん、この部屋のあかりが、一度に消え失せた。鼻をつままれても分らないほどの闇が、一同を包んだ。
あッと叫ぼうとした折しも、
「動くと、撃つよ。動くな。あかりをつけると撃つよ。あかりをつけるな」
と、かん高い女の声が、部屋の一隅から聞えた。
女は、この部屋にはいなかったはず。みんなはふしぎに思った。女の声は、一同が集っているところの反対側で、頭目の立っていた後方のようである。
「何者だ。名をなのれ」頭目の声が闇の中をつらぬいた。
「よけいな口をきくな。わたしゃ暗闇の中で目がみえるんだから、撃とうと思えば、お前さんの心臓のま上だって、撃ちぬいてみせるよ。わたしゃ――」
と女が、えらそうなことをいっているとき、部下が固まっているところで、誰かが携帯電灯をぱっとつけた。
と、間髪をいれず、轟然と銃声一発。
携帯電灯は粉微塵になってとび散った。
「うーむ」どたりと人の倒れる音。
「誰でも、このとおりだよ。わたしのいうことをきかなければ……」
たしかに、彼女がやった早業にちがいない。それにしてもその怪しき女は、どこから、この部屋にしのびよったものか。ふしぎというより外ない。電灯が消えると同時に女の声がしたようである。それまでは、煌々と明かるかったこの部屋だ。その状況のもとで、どうしてこの部屋へ忍びこめるだろうか。まるで見えないガラス体のような女だといわなければならない。
「いよいよ、こっちの用事だが」と女の声はいやに落ちつき払っている。
「おい、頭目さん、お前さんの大切にしている黄金メダルの半分をあっさりわたしに引き渡しておくれ。いやとはいわさないよ。早く返事をしてもらいたいね。おやおや、お前さんはなんてえ情けない顔をするんだろう。わたしにゃ、紗の三重ベールなんか、あってもないのと同じこと、お前さんの素顔が、ありありと見えているんだ」
暗闇で、ものが見える目を持っていると自称する女であった。こういわれては、四馬頭目もぺちゃんこだ。
「うそだ。見えてたまるものか」頭目の声がした。腹立たしさと恐怖とに、語尾がふるえて聞える。
「まあ、そんなことは放っておいて、おい、頭目。早く黄金メダルをおだしよ。おい、返事をしなさい返事を……」
頭目の声が、しばらくして聞えた。
「ばかをいえ。誰がだすものか」
すると、くくくくッと女が笑いだした。
「お前さんも間ぬけだねえ。そんなことをいう前にお前さんの頭の上を見るがいい。みんなも見るがいい」
「なにッ」頭目は上を見た。
「あッ、あれは……」彼の頭上一メートルばかりのところに、闇の中にもはっきり光ってみえる小さい物体があった。しばらく目を定めてみると、それが例の黄金メダルの半分であることが、誰の目にも分った。
「そんなはずはない」と頭目の声。
「あッ、無い。無くなっている、黄金メダルの半分が……。いつ、盗みやがったか」
「おさわぎでない。動けば撃つよ。わたしゃ、気が短いからね」
「何奴だ、きさまは」
「まっくらやみで、目が見える猫女と申す者でござる。ほらお前さんの大切な黄金メダルが動きだした」
そのとおりであった。猫女のいったように、黄金メダルは空中をゆらゆらと動きだした。
「手をおだしでない。一発で片づけるよ」
ふしぎふしぎ、黄金にかがやくメダルは空中をとぶ。一同は、あれよあれよと、その運動を見上げているばかり。
そのうちに、宙飛ぶ黄金メダルは、流星のようにすーッと下に下りた。とたんに、扉がばたんと音をたてて閉った。
「あッ」一同は首をすくめた。
と、頭目の大きな声が、出入口のところで爆発した。
「ちえッ。逃げられた。戸の向こうで、鍵をかけやがった。おい明かりをつけろ。懐中電灯をつけろ。大丈夫だ。今の女は、ここからでていったんだ。そしておれたちは、この部屋に閉じこめられているんだ」
頭目はわめきたてる。
そのとき、電灯がぱっとついた。眩しいほど明かるい。一同は見た。頭目が、次の部屋との間の扉のハンドルを握って、うんうんいっているのを見た。
「おお、頭目」
「みんなこい。この扉をこじあけろ。こわれてもさしつかえないぞ」
と、頭目は扉を放れて、指をさした。
そこで部下たちは集って、扉へどすーんと体あたりをくらわした。二度、三度、四度目に扉の錠がこわれて、扉は向こうにはねかえった。
「それッ」と頭目を先頭に、部下たちが続いて、そこから次の部屋へとびこんでいった。
急に部屋はしずかになった。
残っているのは、痩躯鶴のような机博士と、それからもう一人は、椅子車にしばりつけられた戸倉老人だけであった。
老人は、気を失っていた。
机博士は天井を仰いで、首をふった。
「はて、ふしぎなことだわい。まさか妖怪変化の仕業でもあるまいに……」
と、不審の面持で、両手をズボンのポケットに突込んだ。
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