もらった義眼
「これは何ですか。これはどんな値打のあるものですか」
少年は、老人の義眼を、手のひらの上でころがしてみながら、不審がった。
そのとき滝のひびきの中に、別の物音がはいって来た。ぶーンと、機械的な音であった。春木少年はまだ気がついていなかったが、老人の方が気がついて、びっくりした。
「おお、キヨシ君。悪い奴がこっちへ来る。あんたは、早くそれを持って、洞穴か、岩かげかに早くかくれるんだ。早く、早く。いそがないと間にあわない。そして、空から絶対にあんたの姿が見られないように、気をつけるんだ。さあ。早く……」
「どうしたんですか。そんなにあわてて……」
「わしを殺そうとした悪者の一派が、ここへやって来るのだ。あんたの姿を見れば、あんたにも危害を加えるだろう。よくおぼえているがいい。悪者どもが、ここを去るまでは、あんたは姿を見せてはならない。身体を動かしてはならない。あんたは今、わしからゆずられた大切な品物を持っているということを忘れないように。さ、早くかくれておくれ」
老人は、気が変になったように、わめきつづける。
春木少年は、重傷の老人がこの上あんな声を出していたら、死期を早めるだろうと思った。だから早く老人のいうとおり、岩かげかどっかへかくれるのが、老人のためになると思って、立ち上った。
が、老人にたずねなくてはならないことが、たくさんあった。
「この卵みたいなものをどうすればいいんですか」
「な、中をあけてみなさい。早くかくれるんだ。だんだん空から近づくあの音が聞えないのか。早く、早く」
そういわれて春木少年は気がついた。頭の上からおしつけるような、ごうごうたる物音がしている。でも、もう一つ老人に聞いておかねばならないことがあった。
「おじさん。おじさんの名前は、なんというのですか」
「まだ、そこにぐずぐずしているのか」
重傷の老人は腹立たしそうに叫んだ。
「わしの名はトグラだ」
「トグラですか」
「戸倉八十丸だ。早くかくれろ。一刻も早く! さもなきゃ、生命がない。世界的な宝もうばわれる。早く穴の中へ、とびこめ。あのへんに穴がある。だが、気をつけて……」
老人の声は、泣き叫んでいるようだ。
春木は、今はこれ以上、老人をなやませては悪いと思った。そこで、瀕死の老人の指した方向へ走った。大きな岩が出ていた。滝つぼとは反対の方だ。
彼が、岩のかげにとびこんだとき、頭上にびっくりするほど大きいものが、まい下ってきた。
ヘリコプターだった。竹とんぼのような形をした大きな水平にまわるプロペラを持ち、そして別にもう一つ小さなプロペラをつけた竹とんぼ式飛行機だった。
ヘリコプターは、宙に浮いたように前進を停止し、上下に自由に上ったり、下ったりできる飛行機である。だから、滑走場がなくても飛びあがることができ、またせまい屋上へ下りることもできる。
そのようなヘリコプターが、夕闇がうすくかかって来た空から、とつぜんまい下りて来たので、春木少年はおどろいた。
なぜであろう。ヘリコプターが、なに用あってまい下りてくるのであろう。
戸倉老人が、恐怖していたのは、そのヘリコプターであろうか。
春木少年は岩かげにしゃがんで、この場の様子をうかがった。ヘリコプターは、垂直に下ってきた。
と、ぱっとあたりが昼間のように明るくなった。ヘリコプターが探照灯を、地上へ向けて照らしつけたのだ。
「あッ」春木少年は、岩にしがみついた。
ぎらぎらと、強い光が、春木少年の左の肩を照らしつけた。
少年は、なんとはなしに危険を感じ、しずかに身体を右の方へ動かして、ヘリコプターの探照灯からのがれようとした。
しかし探照灯は追いかけて来るようであった。
春木は、岩にぴったりと寄りそったまま、身体を右の方へ移動していった。
すると、彼はとつぜん身体の中心を失った。右足で踏んでいた土がくずれ、足を踏みはずしたのだった。そこには草にかくれた穴があった。身体がぐらりと右へ傾く。「あッ」という間もなく、彼の身体は穴の中へ落ちこんだ。両手をのばして、岩をつかもうとしたが、だめだった。
少年の身体は、深く下に落ちていって、やがて底にたたきつけられた。それは、わりあいにやわらかい土であったが、彼はお尻をしたたかにぶっつけ、「うン」と呻り声をあげると、気を失った。
気を失った少年のそばに、戸倉老人がゆずり渡した疑問の義眼が一つころがっていた。そして義眼の瞳は、まるで視力があるかのように、上に丸く開いている空を凝視していた。
空中放れ業
穴の中に落ちこみ、気を失ってしまった春木少年は、その直後に起った地上の大活劇を見ることができなかった。
まったく、彼の思いもかけなかったような活劇の幕が、そのとき切って落されたのであった。
ヘリコプターから、とつぜん、だだだだッ、だだだだッと、はげしい機関銃が鳴りだした。弾丸は、戸倉老人の倒れている身辺へ、雨のように降りそそいだ。弾丸が地上に達して石にあたると、ぴかぴかッと火花が光り、それが夕暮のうす闇の中に、生き物のようにおどった。だが、弾丸は、戸倉老人のまわりに落ちるだけで、老人の身体は突き刺さなかった。
「うわッ、なんだろう」滝つぼの正面の道路の上に、少年の姿があらわれた。春木ではなかった。牛丸少年であった。彼はようやく生駒の滝の前に今ついたのであった。彼にはまだこの場の事態がのみこめていなかった。だから身の危険を感じることもなく、道のまん中に棒立ちになって、火花のおどりを、いぶかしく眺めたのであった。
が、一瞬ののち、彼は戸倉老人の倒れている姿を認めた。また、つづいて起った銃声のすさまじさによって、はっと身の危険を感じた。
「あ、あぶない」牛丸少年は、身をひるがえすと、かたわらの大きな柿の木に、するするとのぼった。牛丸は、木登りが得意中の得意だった。だから前後の考えもなく、柿の木なんかによじ登ったのである。それは、彼のために、幸福なことではなかった。
そのときヘリコプターは、戸倉老人のま上まできた。胴の底に穴があいて、そこから一本のロープがゆれながら、まい下ってきた。
すると、ロープを伝わって、一人の男がするすると下りてきた。そのときロープの先は地上についていた。その男は、カーキ色の作業衣に身をかためた男だった。その男も倒れている戸倉老人も共に探照灯の光の中にあった。
老人は、死んでしまったように、動かない。
牛丸少年は、柿の枝につかまって、この有様をびっくりして眺めている。
作業衣の男は、ついに地上に足をつけた。ロープを放して、戸倉老人の方へ走りよった。そして膝をついて老人の身体をしらべだした。彼のために、老人は二三度身体を上向きに又下向きにひっくりかえされた。
しばらくすると、作業衣の男は立上って、手をふって、上のヘリコプターへ、合図のようなことをした。ヘリコプターの胴の窓からも、一人の男が上半身を出して、下へ手をふって合図した。
下の男は、分ったらしく、合図に両手を左右へのばした後で、ロープの端を手にとって、戸倉老人に近づくと、老人の身体をロープでぐるぐる巻きにしばりつけた。
それから自分は、老人よりもロープの上の方にぶら下った。
それが合図のように、ロープはぐんぐんヘリコプターの方へ巻きあがっていった。ヘリコプターは、宙に浮いて、じっとしている。この有様を、牛丸少年は、あっけにとられて柿の木の上から見ていた。
ところが、とつぜん作業衣の男が、片手をはなして、牛丸少年の登っている柿の木を指した。と、ぱっと強い探照灯の光が牛丸少年の全身を照らしつけた。
「うわッ。たまらん」牛丸平太郎は生れつきものおじをしない楽天家であったが、このときばかりは、もう死ぬかもしれないと思った。彼は目がくらんで、呼吸をすることができなくなった。彼は懸命に、両手と両足で、柿の木の枝にしがみついていた。目は、全然ものを見分ける力がなくなった。
「柿の木の上で、目はみえず」
ヘリコプターの音が遠のいていったのが分ったとき、牛丸は、ひとりごとをいった。俳句になるぞと思った。
このとき、ようやくすこしばかり、ものの形が見えるようになった。
「ひどい目にあわせよった」
彼は、そろそろと柿の木から、すべり下りていった。
牛丸少年は、滝の前に、小一時間もうろうろしていた。もうまっくらな中を、あたりを探しまわった。
「おーい。春木君やーい」と、何十ぺんも、友だちの名を呼んでみた。しかしその返事は、彼の耳に聞えなかった。その間に、彼は、倒れていた人のあとへも行ってみた。そこには、血の跡らしいものが黒ずんで地面を染めているのを見た。
「誰だろう、ここに倒れていた人は」
彼には事情が分らなかった。
ヘリコプターで救助作業をやったのかもしれないが、しかしその前に、はげしい銃声のようなものを聞いた。それを聞きつけたから、彼はびっくりして柿の木へ登ったのだ。彼は後で考えて、「ぼくは、あのときは、なんてあわてん坊であったろう」と苦笑したことだった。
いつまでたっても、春木君がやってこないので、一時間ばかりたった後に、牛丸少年は、ひとりで川を下りていった。
牛丸はなんにもしらなかった、ここにふしぎなことがあった。それは、戸倉老人の身体からはなれてとび散らばっていた老人の帽子も眼鏡も、共にそのあとに残っていなかったことである。
それにしても、重傷の戸倉老人を拾っていった、ヘリコプターに乗っていた者は、何者であったろうか。
老人を救助に来た者だとは思われない。もし救助に来た者ならば、老人は春木少年の前であのように恐怖してみせるはずはないのだ。
すると、あのヘリコプターは、戸倉老人のためには敵手にあたる連中が乗っていたものであろうか。
この生駒の滝を背景とした血なまぐさい謎にみちた一幕こそ、やがて春木清が少年探偵長として全世界へ話題をなげた奇々怪々なる「黄金メダル事件」へ登場するその第一幕であったのだ。
穴からの脱出
岩かげの穴の中に落ちこんだ春木少年は、まだ牛丸君がその附近にいた間に、われにかえることができた。
彼は、牛丸君が自分を呼ぶ声をたしかにきいた。そこで彼は、穴の中で返事をしたのである。いくども牛丸君の名を呼んで、自分がここにいることを知らせたのである。しかし牛丸君は、ほかの方ばかりを探していて、春木が落ちこんでいる穴の上には近よらなかった。
そのうちに牛丸は、あきらめて、生駒の滝の前をはなれ、ふもとへ通ずる道をおりていった。
あとに残されて穴の中にひとりぼっちになった春木のまわりはだんだん暗くなってきた。彼は、お尻をさすりながら、あたりを見まわした。
「あッ、あの球だ」彼は、そばに戸倉老人の義眼が落ちているのを見つけると、あわてて拾いあげた。
「何だろう。ふしぎなものだなあ。おやおや、目玉みたいだぞ。こっちをにらんでいる。ああ気味がわるい」
あまり気味がわるいので、彼はそれをポケットの中へしまった。
「さあ、なんとかして、この空っぽの井戸からあがらなくては」
見ると、空井戸の底には、横向きの穴があった。人間がやっとくぐってはいれるほどの穴だった。しかし、気味がわるくて、春木ははいる気がしなかった。彼は立上った。そして上を向いていろいろとしらべてみたが、そこには上からロープもなにも下っていなかった。深さは十四五メートルらしい。
「土の壁が上までやわらかいといいんだがなあ。そしてなにか土を掘るものがあるといいんだが。待てよ、ナイフを持っているからこれで掘ってやろう」
春木は、空井戸の土壁に、足場の穴を掘り、それを伝って上へあがることを思いついた。そこで、早速その仕事を始めた。
それは手間のかかる仕事であったが、少年は根気よく土の壁に足場を一段ずつ掘っていって、やがて穴のそとに出ることができた。
「やれ、ありがたい」春木は、そこで大きな溜息を一つして、あたりを見まわした。あたりはまっくらであった。そしてまっ暗闇の中から、滝の音だけがとうとうと鳴りひびき、いっそう気味のわるいものにしていた。
ただ晴夜のこととて、星だけが空にきらきらと明るくかがやいていた。しかし星あかりだけでは、道と道でないところの区別はつかなかった。彼は、山を下りることを朝まで断念するしかないと思った。むりをして下りれば、足をふみすべらして谷底へ落ちるおそれがある。
「しようがない。今夜、滝の音を聞きながら野宿だ」
春木は、草の上に尻餅をついた。決心がつけば、野宿もまたおもしろくないこともない。ただ、明日になって、伯母たちに叱られるであろうが、それもしかたなしだ。
春木は、急に腹が空いているのに気がついた。ポケットをさぐったが、例のへんな球の外になんにもない。みんなたべてしまったのだ。
そのうちに寒くなって来た。秋も十一月の山の中は、更けると共に気温がぐんぐん下っていくのであった。
「ああ、寒い。これはやり切れない」空腹はがまんできるが寒いのはやり切れない。どうかならないものか。
「あッ、そうだ。ライターを持っていた」
こういうときの用心に、彼はズボンのポケットに火縄式のライターを持っていることを思いだした。そうだ。ライターで火をつけ、枯れ枝をあつめて、どんどんたき火をすればいいのである。少年は元気づいた。
火縄式のライターは、炭火のように火がつくだけで、ろうそくのように焔が出ない。それはよく分っていたが、彼はこの前、火縄の火に、燃えあがりやすい糸くずを近づけて、ふうふう息をふきかけることにより、糸くずをめらめらと燃えあがらせて、焔をつくった経験があった。その経験を今夜いかして使うのだ。
彼は、服の裏をすこしさいて、糸くずと同様のものをこしらえ、それにライターの火縄の火を燃えあがらせることに成功した。焔はめらめらと、赤い舌をあげて燃えあがった。その焔を、枯れ草のかたまりへ移した。火は大きくなった。こんどは、それを枯れ枝の方へ移した。火勢は一段と強くなった。それから先はもう困らなかった。明るい、そしてあたたかい焚火が、どんどんと燃えさかった。
あたたかくなり、明るくなったので、春木少年はすっかり元気になった。附近から枯れ枝をたくさん集めて来た。もう大丈夫だ。
火にあたっていると、ねむくなりだした。昼間からの疲れが出て来たものらしい。
しかしここで睡ってしまっては、焚火も消えてしまい、風邪をひくことになるであろうと、彼は気がついた。そこで、なんとかして睡らない工夫をしなくてはならない。彼は考えた。
「そうだ。さっき戸倉のおじさんからもらった球をしらべてみよう」
それは、この際うってつけの仕事だった。少年はポケットから、例の球を出した。火にかざして、彼ははじめてゆっくりとその品物を見たのだ。
「やッ。これは眼玉だ。気持が悪い」
彼はぞっと背中が寒くなり、眼玉を手から下へとり落とした。眼玉は、ころころところがって、焚火のそばまでいった。
「待てよ。あれはほんとうの眼玉じゃないらしい。ああ、そうだ。義眼だろう、きっと」
彼は、自分があわてん坊だったのに気がついて、おかしくなり、ひとりで笑った。
「あ、眼玉があんなところで、焼けそうになっている。たいへん、たいへん」彼はあわてて、もえさしの枝を手にとると、焚火のそばから義眼を拾い出した。
「あちちちちッ」義眼はあつくなっていて、彼の手を焼いた。彼の手から義眼は再び地上に落ちた。すると義眼は、まん中からぱっくりと、二つに割れた。
それは春木少年のためには、幸運であったといえる。なぜなら、火で焼けでもしなければ、この義眼を開けることは、なかなかむずかしいことであったから、つまりこの義眼は、一種の秘密箱であったのだ。この球を開くには、どんなにしても一週間ぐらい考えなくてはならなかったのだ。少年は幸運にもその球形の秘密箱を火のそばで焦がしたがために、秘密箱のからくりは自然に中ではずれ、彼が二度目に手から地面の上へ落とすと、ぱっくりと二つに割れたのである。しかし、これには春木少年はおどろいて、目をぱちくりした。
「おや。中になにかはいっているぞ。ああそうか。あれなんだな。あのおじさんのいったことは嘘でないらしい」
莫大なる富だ。世界的の宝だ。いったいそれは何であろうか。
春木少年は、手をのばして、二つに割れた戸倉老人の義眼を手にとって調べた。
「ああ、こんなものがはいっている」
義眼の中には、絹のようなきれで包んだものがはいっていた。中には、なにかかたいものがある。
絹のきれをあけると、中から出て来たのは半月形の平ったい金属板だった。かなり重い。そして夜目にもぴかぴかと黄いろく光っている。そしてその上には、うすく浮彫になって、横を向いた人の顔が彫りつけてあり、そのまわりには、鎖と錨がついていた。裏をかえしてみると、そこには妙な文字のようなものが横書になって数行、彫りつけてあった。しかしそれがどこの国の文字だか、見たことのないものだった。古代文字というよりも、むしろ音符号のようであった。
「金貨の半分みたいだが、こんな大きな金貨があるんだろうか。とにかく妙なものだ。いったいこれは何だろうか」
と、彼はそのぴかぴか光る二つに割られた黄金のメダルを、ふしぎそうに火にかざして、いくどもいくども見直した。
「字は読めないし、それに半分じゃ、しようがないが、これでもあのおじさんがいったように、これが世界的な莫大な富と関係があるものかなあ」
せっかくもらったが、これでは春木少年にとってちんぷんかんぷんで、わけが分らなかった。
さあ、どういうことになるか。
そのとき、一陣の山風がさっと吹きこんできて、枯葉がまい、焚火の焔が横にふきつけられて、ぱちぱちと鳴った。すると少年のすぐ前で、ぼーッと燃え出したものがある。
「あっ、しまった」
それは、この半月形の黄金メダルを包んであった絹のきれだった。それには文字が書いてあることがそのとき始めて春木少年の注意をひいたのである。火は、その絹のハンカチーフみたいなものを、ひとなめにして焼きつくそうとしている。少年は、驚いて、火の中へ手をつっこみ、燃える絹のきれをとりだすと、靴でふみつけた。
火はようやく消えた。
「やれやれ。もちっとで全部焼いてしまうところだった」
焼け残ったのはその絹のハンカチーフの半分よりすこし小さい部分だった。それにはこまかく日本文字が書いてあった。少年は、その文字を拾って読み出したが、なにしろ半分ばかりが焼けてしまったので、その文字はつながらなかった。
だが、少年は読めるだけの文字を拾っていた。が、急に彼は顔をこわばらせると、
「ああ、これはたいへんなものだ」と叫んだ。にわかに彼の身体はぶるぶるとふるえだして、とまらなかった。
なぜであろうか。
いったいその焼けのこりの絹のきれは、どんなことが書いてあったろうか。そして半月形の黄金のメダルこそ、いかなる秘密を、かくしているのだろうか。
深山には、にわかに風が出て来た。焚火の火の子が暗い空にまいあがる。
六天山塞
さて、戸倉老人をさらっていったヘリコプターはどこへ飛び去ったか。
ヘリコプターは、暮色に包まれた山々の上すれすれに、あるときは北へ、あるときは東へ、またあるときは西へと、奇妙な針路をとって、だんだんと、奥山へはいりこんだ。
約一時間飛んでからそのヘリコプターは、闇の中をしずしずと下降し、やがて、ぴったりと着陸した。
その場所は、どういう景色のところで、その飛行場はどんな地形になっているのか、それは肉眼では見えなかった。なにしろ、日はとっぷり暮れ、黒白も見わけられぬほどの闇の夜だったから。ただ、銀河ばかりが、ほの明るく、頭上を流れていた。
このヘリコプターには、精巧なレーダー装置がついていたから、その着陸場を探し求めて、無事に暗夜の着陸をやりとげることは、わけのないことだった。レーダー装置は、超短電波を使って、地形をさぐったり、高度を測ったり、目標との距離をだしたりする器械で、夜間には飛行機の目としてたいへん役立つものだ。
こうしてヘリコプターは無事着陸した。しかもまちがいなく六天山塞へもどって来たのである。
六天山塞とは、何であるか?
この山塞について、ここにくわしい話をのべるのは、ひかえよう。それよりも、ヘリコプターのあとについていって、山塞のもようを綴った方がいいであろう。
そのヘリコプターが無事着陸すると、操縦席から青い信号灯がうちふられた。
すると、ごおーッという音がして、大地が動きだした。ヘリコプターをのせたまま、大地は横にすべっていった。
それは大仕掛な動く滑走路であった。細長い鉄片を組立ててこしらえた幅五メートルの滑走路で、動力によってこれはベルト式運搬機のように横にすべって動いていく。そうしてヘリコプターは、山腹にあけられた大きな洞門の中へ吸いこまれてしまった。
それから間もなく、動く滑走路は停った。そしてうしろの洞穴のあたりで、がらがらと鉄扉のしまる音が聞えた。
その音がしなくなると、とつぜんぱっと眩しい光線がヘリコプターの上から照らしつけた。洞門の中の様子が、その瞬間に、はっきりと見えるようになった。そこは建築したばかりの大工場で、この一棟へはいった。土くれの匂いなどはなく、芳香を放つ脂の匂いがあった。そして壁も天井も明るく黄いろく塗られて、頑丈に見えた。ただ床だけは、迷彩をほどこした鋼材の動く滑走路がまん中をつらぬいているので、異様な気分をあおりたてる。
ばたばたと、ヘリコプターをかこんだ五六名の腕ぷしの強そうな男たちは、ピストルや軽機銃をかまえてヘリコプターの搭乗者へ警戒の目を光らせる。彼らの服装は、まちまちであり、背広があったり、作業衣であったりした。
すると機胴の扉があいて、一人の長髪の男が顔をだした。彼は手を振って、
「大丈夫だ。奴さんはもうあばれる力なんかないよ」
といった。この男は、生駒の滝の前で、縄ばしご伝いにヘリコプターから下りてきて、戸倉老人を拾いあげた男だった。波立二といって、この山塞では、にらみのきく人物だった。
そのとき、奥から中年の男が駆けだしてきて、波立二に声をかけた。
「おい。戸倉はまだ生きているか。心臓の音を聴いてみてくれ」心配そうな顔だった。
「脈はよくありませんよ。でもまだ生きています」
「新しく傷を負わせたのじゃなかろうね。そうだったら、頭目のきげんが悪くなるぜ」
「ふん、木戸さん、心配なしだよ。おれがそんなへまをやると思いますか。射撃にかけては――」
「そんならいいんだ。担架を持ってくるから、そのままにしておいてくれ」
木戸とよばれた中年の男は、ほっとした面持になって、うしろを振返った。担架をかついだ一隊が、停ったエレベーターからぞろぞろとでてくるのが見えた。
その中に、ひとりいやに背の高い人物が交っていた。首が長くて、ほんとに鶴のようである。顔は凸凹がはげしくて岩を見るようで、鼻が三角錐のようにとがって前へとびだしている。もうひとつとびだしているのは、太い眉毛の下の大きな両眼だ。鼻の下には、うすい髭がはえている。かますの乾物のように、やせ細っている彼。そして背広の上に、まっ白の上っぱりを長々と着て、大股ですたすたとやって来、ものもいわずにヘリコプターの上へ登ってはいった。
彼は、すぐでてきた。そして木戸の前に立って、ものいいたげに相手を見下ろした。
「どうだね、机博士」木戸は、さいそくするように、机博士の小さく見える顔を仰いだ。
「ふむ、頭目の幸運てえものさ。このおれ以外の如何なる名医にかけても、あの怪我人はあと一時間と生命がもたないね」
机博士は、表情のない顔で、自信のあることばをいい切った。
「ほう、助かるか」木戸は顔を赤くした。
「ではすぐ手当をしてもらうんだ。頭目は、すぐにも戸倉をひき寄せて、話をしたいんだろうが、いったいこれから何時間後に、それができるかね」
「世間並にいえば、三週間だよ」
「君の引受けてくれる時間だけ聞けばいいんだ」
「この机博士が処置をするなら今から六時間後だ。それなら引受ける」
「よし、それで頼む。頭目に報告しておくから」
「今から六時間以内は、どんなことがあってもだめ。一語も聞けないといっておいてくれたまえ。銃弾は際どいところで、心臓を外れているが、肺はめちゃめちゃだ。ものをいえば、血とあぶくがぶくぶく吹きでる。普通ならすでに、この世の者ではないさ。しかし奴さん、うまい工合に傷の箇所に、血どめのガーゼ――ガーゼじゃないが、きれを突込んで、器用にその上を巻いてある。奴さんにとっては、これはうちの頭目以上の幸運だったんだ」
博士はひとりで喋った。
「手術はここでするから、医局員でない者はどこかへ行ってもらいたいね」
「え、ここでするのか、机博士」
「そうさ。どうして、この重態の病人を、動かせるものかね。狭くても、しようがないやね」
と、博士はいった。
「電気の用意ができました」
部下の合図があった。博士は再びヘリコプターの座席へもぐりこんだ。
男装の頭目
それにつづく同じ夜、正確に時刻をいうと、午前二時を五分ばかりまわった時であった。
この六天山塞の指揮権を持っている頭目の四馬剣尺は重傷の戸倉老人と会見することになった。
戸倉老人は、車がついている椅子にしっかりゆわきつけられたまま、四馬頭目の待っている特別室へ運ばれこまれた。そのそばには机博士が、風に吹かれている電柱のようなかっこうで、つきそっていた。
頭目は、ゆったりと椅子から立ちあがり、カーテンをおし分けて、戸倉老人の方へ歩みよった。
彼の風体は、異様であった。
四馬剣尺は、六尺に近いほどの長身であった。そしてうんと肥えていたので、横綱にしてもはずかしくないほどの体格だった。彼はそのりっぱな身体を長い裾を持った中国服に包んでいた。彼の両手は、長い袖の中にかくれて見えなかった。
その中国服には、金色の大きな竜が、美しく刺繍してあった。見るからに、頭が下るほどのすばらしい模様であった。
四馬剣尺の顔は見えなかった。
それは彼が、頭の上に大きな笠形の冠をかぶっていたからで、その冠のまわりのふちからは、黒い紗で作った三重の幕が下りていて、あごの先がほんのちょっぴり見えるだけで、顔はすっかり幕で隠れていた。
「おい、戸倉。今夜は早いところ、話をつけようじゃないか」頭目四馬は、おさえつけるような太い声で戸倉老人にいった。
戸倉は、青い顔をして、椅子車の背に頭をもたせかけ、黙りこくっていた。死んでしまったのか、睡っているのか、彼の眼は、茶色の眼鏡の奥に隠れていて、あいているのか、ふさいでいるのか分らないから、判断のつけようがない。
「おい、返事をしないか。今夜は早く話をつけてやろうと、こっちは好意を示しているのに、返事をしないとは、けしからん」
そういって四馬は、長い袖をのばすと、戸倉の肩をつかんで揺ぶろうとした。
「おっと待った、頭目」と、とつぜん停めた者がある。机博士であった。彼は、頭目の前へ進みでた。
「頭目。あんたから、わが輩が預っているこの怪我人は、奇蹟的に生きているんですぞ。手荒なことをして、この老ぼれが急に死んでしまっても、わが輩は責任をおわんですぞ。一言おことわりしておく次第である」
机博士は、俳優のように身ぶりも大げさに、戸倉老人が衰弱しきっていることを伝えた。
「ちかごろ君の手術の腕前もにぶったと見える」
「肺臓の半分はめちゃめちゃだった。それを切り取ってそのかわりに一時、人工肺臓を接続してある。当人が、自分の手で人工肺臓を外すと、たちまち死んでしまう。つまり自殺に成功するわけだ。だからこのとおり椅子にしばりつけてあるわけだ。当人があばれん坊だからしばりつけてあるわけではない。以上、責任者として御注意しておきます」
と、机博士は手を振り足を動かし、ひびのはいったガラスのコップのような戸倉老人の健康状態を説明すると、うやうやしく頭目に一礼して、椅子車のうしろへ下った。
「博士。しかしこの老ぼれは、喋れないわけじゃなかろう」
「ここへ担ぎこまれたときは、血のあぶくをごぼごぼ口からふきだして、お喋りは不可能だった。が、今手当をしたから、発声はできます。もっとも当人が喋る気にならないと喋らないでしょうが、それはわが輩の仕事の範囲ではない」
戸倉老人に返事をさせるか、させないかは、頭目、あんたの腕次第だよ――と、いわないばかりだった。
「ふん」頭目は、つんと首をたてた。「わしは知りたいと思ったことを知るだけだ。相手が柿の木であろうと、人間であろうと、太陽であろうと、返事をさせないではおかぬ。それに、このごろわしは気が短くなって、相手がぐずぐずしていると、相手の口の中へ手をつっこんで、舌を動かして喋らせたくなるんだ。すこしらんぼうだが、気が短いんだからしようがない」
机博士も木戸も、その他の幹部たちも、おたがいの顔を見合した。頭目がそんなことをいうときには頭目はきっとすごいことをやって、部下たちをびっくりさせるのが例だった。その前に、頭目は、しっかりとした計画をたてておく。それからそれに向ってぐんぐん進めるのだった。だから、成功しないことはなかった。らんぼう者のように見えながら、その実はどこまでも心をこまかく使い、抜け目のないことをする頭目だった。部下たちが、頭目に頭が上らないのも、そこに原因があった。
はたして、その夜のできごとは、後日になって部下たちがたびたび思いださないではいられないほどの、重大な意味を持っていた。その重大なるできごとは、今、彼らの目の前でくりひろげられようとしているのだ。
「おい、戸倉。きさまの生命を拾って、ここへ連れてきてやるまでには、三人の生命がぎせいになっているのだぞ。きさまを救うためにきさまを襲撃した二人連れのらんぼう者を撃ち倒したのは、わしの部下だった。可哀そうに自分も撃たれて生命を失った。死ぬ前に、彼は携帯用無電機でその場のことをくわしくわしのところへ報告してきた。報告が終ると彼は死んだのだ。いい部下を、きさまのために失ってしまった。わしは、きさまから十分な償いを受けたい」
「私だって、ひどめ目に[#「ひどめ目に」はママ]あっている。おたがいさまだ」
戸倉老人が、はじめて口をきいた。軽蔑をこめた語調だ。
「ふん。なんとでもいうがいい」頭目四馬は軽くうけ流すと、一歩前進した。「そこでわしは取引を完了したい。おい、戸倉。きさまが持っている黄金の三日月を、こっちへ渡してしまえ」
四馬がずばりと戸倉老人に叩きつけたことば! それはあの黄金メダルの片われを要求しているのだった。
「なにが欲しいんだか、私にはちんぷんかんぷんだ」
老人は、いよいよ軽蔑をこめていう。
「こいつが、こいつが……。きさまが黄金の三日月を知らないことがあるか。きさまが持っていることは、ちゃんと種があがっているんだ。早く渡してしまった方が、とくだぞ」
「わしはそんなものは知らない。もちろん、持ってはいない。いくどきかれても、そういうほかない」
戸倉老人の語調は、すこし乱れてきた。机博士はうしろで注射薬のアンプルを切る。
「知らないとはいわせない。では、これを見よ」
四馬は、とつぜん右手で長い左の袖をまくりあげた。左の手首があらわれた。そのおや指とひとさし指との間に支えられて、ぴかりと光る小さな半月形のものがあった。例の黄金メダルの片われであった。しかしこれは春木少年が今持っているあの片われとは形がちがっていた。
つまり、春木少年の持っているのは、片われにちがいないが、半分よりすこし大きく、メダルの中心から角をはかると、百八十度よりも二十度ばかり大きい。今、四馬が指の先につまんで見せたのは、半分より小さいもので扇形をしている。
それを頭目は戸倉の前へつきつけた。
「どうだ。これが見えないか」
「あッそれだ。や、汝が持っていたのか。ちえッ」
戸倉老人は、かん高い声で叫ぶと、手を延ばそうとした。しかし手足は、椅子車に厳重にしばりつけられてあって、手を延ばすどころではない。彼は残念がって、かッと口をあくと、頭目のさしだしている黄金メダルを目がけて、かみついた。
「おっと、らんぼうしては困る。はっはっはっ」
頭目は、あやういところで、手を引いた。
「はっはっはっ。これが欲しいんだな。きさまにくれてやらないでもないが、その前に、きさまが持っている他の半分をこっちへだせ。一週間あずかったら、両方とも、きれいにきさまに返してやる。どうだ、いい条件だろうが。うんといえ」
このとき戸倉は、ぐったりとして、頭を椅子の背につけた。目をむいているのか、目をとじているのか、それは茶色の眼鏡にさえぎられて分らないが、彼の両肩がはげしく息をついているところを見ると、戸倉老人は今なんともいえない悪い気持になって苦しんでいるものと思われる。もちろん、彼は頭目の話しかけに、一度もこたえない。
「黙っていては、わからんじゃないか。わしは早い取引を希望しているのだ。おい、戸倉。きさまが黄金三日月をかくしている場所をわしが知らないとでも思うのかい」
それを聞いて戸倉老人は、ぎょっと身体をかたくした。
「ははは。今さらあわててもだめだ。わしは気が短い。欲しいものは、さっそく手に入れる。まず、これから外して……」
四馬の手が、つと延びた。と思うと、戸倉老人がかけていた茶色の眼鏡が、頭目の手の中にあった。眼鏡をもぎとられた老人の蒼白な顔。両眼は、かたくとじ、唇がわなわなとふるえている。
「ふふふ。きさまがおとなしくしていれば、わしは乱暴をはたらくつもりはない。そこでわしが用のあるのは、きさまが目の穴に入れてある義眼だ。それを渡してもらおう」
「許さぬ。そんなことは許さぬ。悪魔め」
老人は大あばれにあばれたいらしいが、手足のいましめは、ぎゅっとおさえつける。
四馬はそれを冷やかに見下して、
「ええと、きさまの義眼はたしか右の方だったな。おい、みんなきて、戸倉の頭を、椅子の背におしつけていろ」
木戸や波や、その他の部下が戸倉にとびついて、頭目が命じたとおり、椅子の背におしつけた。戸倉の鳥打帽子がぬげかかった。四馬はその前に進みよって、右手を延ばすと、戸倉の右眼を襲った。
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