人間金庫
机博士はゲッソリとやつれた顔で、椅子のなかにうまっている。いっぺんに十も二十も年をとったように見える。
ああ、わからない。昨夜エックス線で見たときには、たしかに首領は、長い棒のつぎ脚をした、小男だった。しかるに、いま、中国服のうえからさぐった首領の両脚は、まぎれもなく、血と肉からできたたくましい人間の両脚だった。これはいったいなんとしたことだろう。おれは気が変になっているのではなかろうか。
「そうだ、おまえは気が変になっているのだ」机博士の考えを見抜いたように、首領がズバリといいあてた。
「おれを、この四馬剣尺を裏切ろうなどという考えが起ることからして、おまえはもう気が変になっているのだ。だが、まあいい。これで、おまえのバカげた疑いは晴れたであろう。それでこれからおれの用事だ。おい机博士、だせ!」
首領の声が、雷のようにとどろいた。気落ちしたように、ボンヤリしていた机博士は、その声に、ビリビリと体をふるわせた。
「な、な、なんですか。なにをだせというんですか」
「白ばくれるな。おまえはチャンフーの店で、黄金メダルの半ペラを、手にとって調べてみたといったな。おまえのような狡猾な男が、金がないからといって、そのまま、かえると思われるか。おまえはきっと、小型カメラで、メダルの両面を撮影してきたにちがいない。そのフィルムをここへだせ」
机博士の顔に、そのときまた、チラと狡猾なあざわらいの影がうかんだ。
「なるほど。さすがは首領だよ。えらい眼力だよ。感服したよ。たしかにわたしはメダルの両面を撮影してきたよ」
「よし、よくいった。それじゃ、それをここへだしてもらおう」
「ない、とられた」
「とられた? 誰に?」
「猫女に……首領、おまえさんは利口だよ。眼はしが利くよ。しかし、猫女はおまえさんより一枚上手だ。さっき、抜穴のなかで、まんまと、猫女にまきあげられたよ。あっはっは、猫女はいつか、おまえさんからメダルの半分をまきあげたね。そして、こんどは他の半分の両面を、撮影したフィルムも手に入れたのだ。大宝物は猫女のものだよ。あっはっはっは」
首領はギリギリ歯ぎしりした。いかりで肩がブルブルふるえた。
「木戸、波立二、そいつの身体検査をしてみろ!」
言下に木戸と波立二が、机博士の身体検査をしたが、むろん、フィルムはでてこなかった。
「首領、なにもありません」
「足らん」首領は地団駄をふみながら、雷のような声でどなった。
「身体検査のしかたが足らん、そいつを素っ裸にして調べてみるんだ」
「素っ裸に……?」
どういうわけか、素っ裸にしろときくと、机博士の顔色がにわかにかわった。
「じょ、じょ、冗談でしょう。首領、服のうえからおさえても、フィルムを持っているかいないかくらい、誰にでもわかります。なにも裸にしなくたって……」
狼狽して、しどろもどろになる机博士を、四馬剣尺は三重のヴェールのしたから、ひややかにながめていたが、やがて、せせら笑うようにいった。
「机博士、面白い話をきかせてやろうか」
「面白い話……?」
「そうだ。とても面白い話だ。おまえが聞くと、喜ぶと思うんだ。ほら、骨董商のチャンフーが殺された日のことよ。おまえが黄金メダルの半分を見つけて、まんまと両面の撮影に成功して、ひきあげてからのことだ。間もなく顔に、恐ろしい刀傷のある、スペイン人か日本人かわからぬような、外国の船員服をきた男が、骨董店へやってきたのだ。そして、そいつがいくらで買ったのかしらんが、黄金メダルの半分を買ってでていったんだ。ところが、すぐそのあとへまた、あのメダルを買いにきたものがあったんだ。かりにこの人物をXとしておこう。Xは骨董商のチャンフーからいまでていった、船員風の男が、ひとあしちがいで、黄金メダルを買っていったということを聞くと、急いで、そのあとをつけていったんだ。どうだ、机博士、面白い話じゃないか」
机博士はおびえたように眼をみはって、きっと首領の三重ヴェールを見つめている。額にはビッショリと汗。
「ところが、スペイン人か日本人かわからぬような、顔に大きな傷のあるその男は、間もなく、海岸通りのホテルへ入っていった。Xもすぐそのあとからつけて入った。船員風の男は二階の隅のとある一室へ入っていった。Xは廊下のすみから、その部屋を見張っていたが、すると、ものの十五分もたたぬうちに、その部屋からでてきた男がある。おい、机博士、それが誰だったか知っているか」
机博士は、椅子の両腕を、くだけるばかりに握りしめている。からだがガクガクふるえて、眼玉がいまにもとびだしそうだ。首領はヴェールの奥でせせらわらって、
「あっはっは、その顔色じゃ知っていると見えるな。そうだ、その男というのは机博士、おまえだったのだ。しかも、おまえがでていったあとで、Xが部屋をのぞいてみると、そこには誰もいなかった。つまり、顔に大きな刀傷のある男とは、机博士、おまえだ、おまえだったのだ。おまえは黄金メダルの半ペラを見つけた。しかし、おまえのその姿で買いとれば、いずれ、チャンフーの口からそれがわかるにちがいない。そう考えたおまえは、外国の船員に変装して、黄金メダルを買ったのだ。顔の大きな刀傷は、できるだけ、素顔をかえるために、絵具でかいた贋物だったんだ。どうだ机博士、面白い話じゃないか」
首領四馬剣尺は、大きな腹をゆすってわらった。机博士は、まるでおいつめられた野獣のような顔をして、三重ヴェールを見つめていたがやがてキーキー声をふりしぼって叫んだ。
「わかった、わかった、わかったぞ」
細い指を、首領の鼻さきにつきつけると、
「問うに落ちず、語るに落ちるとはこのことだ。チャンフーを殺したのはXだ。そして、Xとは首領、おまえのことなのだ」首領はしかし、せせらわらって、
「バカをいえ。おれがこの大きな図体で、町を歩いていたらどんなに人眼をひくことか……聞いてみろ、チャンフーの店は、野中の一軒家じゃあるまいし、隣もあれば、近所の眼もある。横綱のような大男が、あの日、チャンフーの店の近所をあるいていたかどうか、誰にでもきいてみろ」
自信にみちた首領のことばに、机博士はいっぺんにペシャンコになった。
「それ、木戸、波立二、なにをぐずぐずしている。そいつを早く、裸にしないか」
言下に、木戸と波立二が、机博士をとりおさえた。そして水ガモのように細いからだで、キーキー声をあげて抵抗する机博士を、またたくうちに素っ裸にした。
博士は猿股ひとつになって、コンニャクのようにブルブルふるえている。そのからだを、三重ヴェールのおくから、きっと見つめていた四馬剣尺は、ふいに、椅子の腕をたたいてわらった。
「あっはっは、さすがは机博士だ。人間金庫とは考えたな。おい、左の肩にあるその傷口はどうしたのだ」
机博士はあっと叫んで左の肩をおさえた。しかし、それはおそかった。左の肩に、少し盛りあがった傷口は、まだ新しくて、生々しかった。
四馬剣尺はギラリと、青竜刀をぬき放つと、
「机博士、おまえはわざと左の肩に傷をつけ、そのなかに黄金メダルの半ペラをおしこみ、そのうえを縫合したのだろう。いま、おれが、その金庫をひらいてやろう」
四馬剣尺は、青竜刀をひっさげて、ゆらりと椅子から乗出したが、そのときだった。あわただしい足音がちかづいてきたかと思うと、
「首領、たいへんです。たいへんです。警官がおおぜい押し寄せてきました。誰か内通したやつがあるんです。抜け道という抜け道は、全部包囲されておりますぞ」
悲痛な声だった。
首領はそれをきくと、思わず青竜刀をポロリと落した。
チャンフーの双生児
六天山塞の大捕物は、たちまち港町の大評判になった。
何しろ、六天山からカンヌキ山へかけて、三日三晩、焼けつづけたのだから、附近の騒ぎはたいへんだった。
「なんですか。このあいだの晩の、あのものすごい物音は……?」
「あああれですか。あれはねえ、なんでも六天山のなかに山賊が住んでいたんだそうですよ。それが警官に包囲されたので、山塞にしかけてあった爆弾に火を放ったんだっていいますよ」
「へへえ、山賊がねえ。そして、その山賊はとっつかまったんですか」
「ところが、泰山鳴動して鼠一匹でね。つかまったのは雑魚ばかり。大物はみんな逃げてしまったということです」
「それは残念なことをしましたね。しかし、警察も、あれだけの騒ぎをやりながら、どうしてそんなヘマをしたんでしょう」
「それゃ、仕方がありませんよ。向うはヘリコプターとかなんとかいう、竹トンボの親方みたいな、飛行機をもっているんだからかないません」
「なるほど、それで高跳びをしたというわけですか」
「おや、しゃれをいっちゃいけません」
などと、町の噂はたいへんだったが、いかにもこの噂のとおり、四馬剣尺の一味のもので、主だった連中はほとんど逃げた。
木戸と波立二、それから仙場甲二郎の三人は首領の命令で、机博士をしばりあげ、それをヘリコプターにつんで逃げた。
そのあとで、首領の四馬剣尺は、かねて仕掛けてあった爆弾に火をはなち、いずくともなく姿を消した。だから、警察が大騒ぎしてとらえたのは、あの小竹さんはじめ、数名の下っぱばかりであった。
それにしても四馬剣尺はどこへ逃げたか?
根城としていた六天山塞を焼きはらって、かれらは解散したのであろうか。いやいや、そうは思われぬ。あの執念ぶかい四馬剣尺のことだ。いつかはまた、きっとあの偉大な体を乗出して、何事かをやらかさずにはおくまいが、ここではしばらくおあずかりしておいて、春木、牛丸の二少年のほうから話をすすめていこう。
危く四馬剣尺の魔手からのがれた、春木、牛丸の二少年は、つぎの日、山をくだると、そこで後日を約して戸倉老人とわかれた。
そして無事にわが家へかえりついたが、そのとき、牛丸平太郎のお父さんやお母さんが、どのように喜んだか、春木少年に対して、どのように感謝したか、それらのことはあまりくだくだしくなるから、ここでは書かないでおくこととする。
さて、それから当分、二人の身のうえに、別に変ったこともなく、毎日、楽しく学校へ通っていた。学校では、二人はすっかり英雄にまつりあげられ、みんなからさかんに話をせがまれた。ことに少年探偵を結成しようとしていた、小玉君や横光君、それに田畑君などは、春木少年ひとりにだしぬかれたことをくやしがって、こんど何かあったら、きっと自分たちも、仲間に入れてくれとせがんだ。春木、牛丸の二少年はむろんそれを承諾した。
こうして幾日か過ぎた。春木、牛丸の二少年の身辺には、依然として平穏な日がつづいた。いずれ落着いたら、便りをよこすといっていた戸倉老人からもどうしたものか音沙汰がなかった。
ところがある日、春木少年が学校へいくと、牛丸平太郎がまじめくさった顔をしてそばへ寄ってきた。
「春木君、ちょっと。……」
「牛丸君、なあに」
「妙なことがあるんや。ほら、あの万国骨董商な」
「うんうん、チャンフーの店か」
「そやそや、あの店がまた、ちかごろひらいたんやぜ。ぼく昨日、海岸通りへ使いにいったついでに、あの店をのぞいたところ、表がひらいていて、ちゃんとそこに、チャンフーが坐っているやないか。ぼく、びっくりして、胆っ玉がひっくりかえった」
「馬鹿なことをいっちゃいけない。チャンフーはピストルで撃たれて、死んだはずじゃないか」
「そやそや、それやのに、そこにちゃんと、チャンフーがいるんや。どう見てもチャンフーにちがいないのや。ぼく、てっきり幽霊かと、おっかなびっくりで近所のひとにきいてみたんやが、なんと、店にすわっているのは、チャンフーやのうて、チャンフーの双生児の兄弟で、チャンウーちゅうのやそうな」
「へへえ、チャンフーには双生児の兄弟があったの」
春木少年は眼をまるくした。
「そやねんて。いままで、横浜にいたんやそうやが、兄弟のチャンフーが殺されて、あとをつぐもんがないさかい、わざわざ横浜からやってきて、店を相続したんやそうな。双生児とはいえ、そらよう似とる。近所でも、まるでチャンフーさんが、生きてかえったようやというてるぜ」
春木少年は、しばらく、だまって考えていたが、やがて考えぶかい調子で、
「ねえ、牛丸君」と、声をかけた。
「なあに、春木君」
「いつか戸倉老人はへんなことをいったねえ。チャンフーが死ぬなんて、そんなことはありえないことじゃと……」
「そうそう、いうた、いうた。あら、どういうわけやろ」
「さあ、ぼくにもそこのところがよくわからないんだが、ひょっとすると、あの言葉と、チャンフーの双生児、チャンウーとなにか関係があるのじゃないかしら」
「うん、うん、なるほど」
牛丸平太郎は牡牛のような鈍重な表情でうなずいた。
「それで、どうだろう。チャンウーというのを、ぼくらの手でさぐってみたら。……戸倉老人は、なにか変ったことがあったら、なんらかの方法で通信するといっていたが、いまだに、何もいってこない。それでぼく、このあいだから、腕がムズムズして仕方がないんだ。だって、このままじゃ、蛇の生殺しみたいで、気が落着かないじゃないか」
「そら、ぼくかて同じことや」
「そうだろう。だから、今度はこっちから積極的にでてみようと思うんだ。といって、さしあたり、どこから手をつけてよいかわからないから、まず、チャンウーの店からさぐってみたらと思うんだが、どんなもんだろ」
「うん、そいつは面白い。それにきめたッ」
牛丸平太郎が、躍りあがってよろこんでいる姿を見つけて少年探偵団の、小玉、横光、田畑の三君が、何事ならんとかけつけてきた。そこで、春木、牛丸の二少年が、いまの話を語ってきかせると、三人とも有頂天になってよろこんだ。
「よし、それじゃ、今日、学校がひけたら、みんなで、海岸通りへいってみようじゃないか」
と、相談一決したが、この少年たちがチャンウーの店を偵察して、いったいどのようなことを発見するだろうか。
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