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省線電車の射撃手(しょうせんでんしゃのしゃげきしゅ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-24 17:03:23  点击:  切换到繁體中文


     7


「大江山さん。手筈てはずはいいですか」
「すっかり貴方の仰有おっしゃるとおり、やっといたです。帆村君」
 ここは伝研の病室だった。伝研の構内には、昼間でもたぬきが出るといわれる欝蒼うっそうたる大森林にとりまかれ、あちこちにポツンポツンと、ヒョロヒョロした建物が建っていた。今は、ましてや真夜中に近い時刻であるので、構内は湖の底に沈んだように静かで、霊魂れいこんのように夜気やき窓硝子まどガラスとおして室内にみこんでくるように思われた。
「では私の話をきいていただきましょう」帆村探偵はソッと別室のなかば開かれた扉をうかがうようにしてから、おもむろに口を開いた。「射撃手事件は、並々の事件ではないのです。犯人は、飛行船を組立てるように、なにからなにまで周到しゅうとうの注意をはらって事件を計画しました。そこにはうっかり通りかかるとひっかからずには居られない陥穽かんせいや、飛びこむと再び外へ出られないような泥沼どろぬまを用意して置いたのです。ひっかかったものが不運なんです。私も貴方あなた同様に手も足も出なくなるところでした、もし犯人が最後に演じた大きい失敗をのこしてれなかったら。
 第一から第三まで、三人の若い婦人の射殺は巧妙にげられました。三人の射たれた箇所かしょは、完全に一致しています。貴方は弾丸たまの飛来した方向を計算で出されたようですね。あれは大体事実と符合していますが、唯少し補正ほせいが必要なのです。それは、犯人が弾丸を車外から射ちこんだのではなくて、車内から射ったという点を補正すればよろしい」
「犯人は車内にいたというお考えですな」と警部は云って、首をうなずかせた。
「犯人は車外から射撃したと思わせるためにいろんな注意を払っています。弾丸が向いの窓を通ったと思わせるために、被害者の前面には必ず空席をちょっと明けて置きました。射殺地点の一致は、車外に正確な器械があるのだと思わせるに役立ちました。被害者が十字架と髑髏どくろのついた標章マークを持っているということは、車内にいる犯人が犯行の直後に自ら標章を被害者のポケットにねじこんだものと考えられるのを、逆に車外の器械の正確さに結びつけることによって考えをかきみだしました。かく薬莢やっきょうを拾わせたり、時にはタイヤをパンクさせて擬音ぎおんを利用したり、うまくごまかしていましたが、最後に赤星龍子嬢の傷口きずぐちによって一切のインチキは曝露ばくろしました。
 龍子嬢は車輌の後方の隅に身体をもたせていました。彼女が正確に正面に向いていたことは始終眼をはなさなかった多田刑事が保証しています。彼女の向いの座席の窓枠まどわくは、鋼鉄車こうてつしゃのことですから向って左端さたんからはかって十センチのはばの、内面に板を張った縦長たてながの壁となりそれから右へ四角い窓が開いています。もし車外から彼女の心臓を射ったとすると、この窓枠のふちをスレスレに弾丸が通るはずです(と、彼は紙に書いた電車の図面の上へ鉛筆でいろんな線をひっぱった)。
電車の図面
 しかしこれは電車が静止していたときの話で電車が若し五十キロの速度で左へ走っていたものとすると、弾丸が向いの窓をとおって被害者の胸に達するまではすこし時間がかかりますから、創口きずぐちはずっと右側へ寄り、恐らく右胸か又は右腕あたりに当ることになります。しかも赤星龍子嬢は心臓より反対に左によった箇所を真正面から打たれているのですから、これは弾丸が、鋼鉄板こうてついたを打ち破りなおも物凄い勢いをもって被害者の胸を刺すことにならねば出来ない相談です。無論、現場げんじょうをしらべてみると、鋼鉄板にあながあいているどころか、弾丸の当ったあともありません。明らかにこれは車内で弾丸を射った証拠しょうこです。車内で射ったという條件がきまると問題は大変簡単になります。車外の出来ごとはことごとく問題のほかに置いていいのです」
 そう云って帆村探偵はちょっと言葉をきった。
「なるほど面白い推理ですね」と大江山警部は大きく頭をふって云った。「すると犯人の名は……」
 と云いかけたところへ、けたたましい警笛けいてきひびきがして、自動車が病舎の玄関まで来てピタリと止った様子だった。やがて廊下をパタパタと跫音がすると、病室のドアにコトコトとノックがきこえた。帆村探偵が席を立って開けてみると、多田刑事が笹木光吉を連れて立っていた。
「課長どの、すっかり種をあげてきました」と多田は晴やかに笑顔を作った。「これです、消音式しょうおんしきで無発光のピストルなんです。笹木邸の大欅おおけやき洞穴ほらあなに仕かけてあったんです」といって真黒な茶筒ちゃづつのようなものを、ズシリと机の上に置いた。
 大江山警部が茶筒をあけてみると、内部には果して一挺いっちょうのピストルが入っていた。弾丸をぬき出してみると、確かに口径こうけい四・五センチだ。ピストルの内部を開いて螺旋溝らせんこう寸法ディメンション顕微鏡けんびきょうで測ってみると、ねて押収して置いた被害者達の体内をくぐった弾丸の溝跡こうせきの寸法と完全に一致した。
「ではこのピストルは、笹木君のか」警部はきいた。
「私のでは御座ございません」
「いえ、課長どの。この男が赤星龍子に殺意を持っていたことは確かなんです。この手紙をみて下さい」そう云ってる多田は、龍子から笹木にあてた手紙のたばをさし出した。それを読んでみると、このところ両人の関係が、非常に危怡きたいひんしているのが、よく判った。
 笹木光吉は不貞不貞ふてぶてしく無言だった。大江山警部はこの場の有様と、帆村探偵の結論が大分喰いちがっているのを不審ふしんがる様子でチラリと帆村探偵の顔色をうかがった。
「そのピストルは犯人が直接に用いたピストルと違っています」帆村はピストルを調べたのち静かに言った。
溝跡みぞあとまでが同じであるのに、違うというんですか」警部は、すこし冷笑を浮べて云った。
「そうです」帆村はキッパリ答えた。「これも犯人のトリックです。犯人はピストルの弾丸だんがんには人間で言えば指紋のようにピストル独特の溝跡こうせきがつくこと位よく知っていたのです。彼はそこをごまかすために、多田さんが唯今お持ちになったピストルを、やわらかい地面に向けて射った後、土地を掘りかえして弾丸だんがんを掘りだしたんです。犯人は、こうしてピストル特有の溝跡がついた弾丸を、又別に持っている無螺旋むらせんのピストル、それは多分、上等の玩具がんぐピストルを改造したんだろうと思われますが、その別なピストルに入れて、省線電車の中に持ちこんだんです。よく調べてごらんなさい。屍体したいの中から抜きとった弾丸には、薬莢にとめるときについた鍵裂かぎさけの傷がついています」
 大江山警部は、この執念ぶかい犯人のトリックに、唯々ただただあきれるばかりだった。
「すると真犯人は玩具ピストルに、この弾丸たまめたのを持っているんですな。笹木君は犯人ではないのですか」
「笹木君ではありません」と帆村が言下げんかに答えた。
「では犯人の名は……」
 その瞬間だった。
「ガチャリッ」と硝子ガラスの破れる音が隣室りんしつですると、屋根から窓下にガラガラッと大きな物音をさせて墜落ついらくしたものがある。ソレッというので一同はドアを押し開いて隣室に飛びこんだ。
ッ」
 一同はその場に立ちすくんだ。
 真正面の大きい窓硝子が滅茶滅茶めちゃめちゃこわれて、ポッカリ異様な大孔おおあなが出来、鉄格子てつごうし肋骨ろっこつのように露出していた。その窓の下に寝台があって、その上に寝ているのは重症の赤星龍子だった。ああしかし無惨むざんなことに、龍子の胸から下をおおった白い病衣のその胸板むないたにあたる箇所には、蜂の巣のように孔があき、その底の方から静かに真紅な血潮ちしおが湧きだしてくるのだった。この場の光景は、何者かが窓外そうがいにしのびより、寝ている龍子に銃丸の雨を降らしたことを物語っていた。射ったのは誰だ。
「帆村さん、とうとうつかまえましたよ」
 格子こうしの外に近付いた人の顔がある。それは白い記者手帳を片手にもった東京××新聞の記者風間八十児かざまやそじだった。その後には雁字搦がんじがらめに縛られた男が、大勢の刑事に守られて立っていた。
 それは捜査課長に馴染なじみの深い探偵小説家を名乗る戸浪三四郎の憔悴しょうすいした姿だった。
「帆村さん。お駄賃だちんにちょっと返事をして下さい」と風間記者は鉛筆をめ格子の間から顔をあげた。
真犯人しんはんにん戸浪三四郎は、目立たぬおやじに変装したり、美人に衆人しゅうじんの注意を集めその蔭にかくれて犯罪を重ねた、いいですね」
 帆村は軽くうなずいた。
「戸浪三四郎が目星をつけて置いた掩護物えんごぶつは片方の耳の悪い美女赤星龍子だった。龍子の隣りに席をとった彼は消音ピストルを発射して巧みにごまかした。ところが龍子の聴力は余程よほど恢復かいふくしていたので、とうとう龍子に犯行を感付かれた。そこで彼は殺意をしょうじたが、マンマとやり損じた。いいですね、帆村さん。
 ええと、それから、龍子は重症だが、一命をとりとめると噂が耳に入ったので、戸浪三四郎は彼女の跡を追って伝研でんけんの病室へ忍び入り、機会を待った。チャンスが来た。寝ている龍子の心臓のあたりをポンポン打った。イヤ消音しょうおんピストルだからプスプス射ったというんですね、そこを待ち構えていた刑事諸君の手でつかまっちまった。僕の手柄は手前味噌てまえみそですから書きません。無論むろん戸浪が犯行につかったインチキ・ピストルも発見せられた。いいですね、帆村さん。
 うまく龍子を射殺したと思ったのは戸浪の思いちがいだった。
 龍子は目黒駅に居るとき死んでいたのだった。生きているような噂が拡がったのは、犯人をおびき寄せるため帆村探偵の案出あんしゅつした手だった。戸浪は、探偵小説家の名をけがし、彼の変態的な純情(?)にじゅんじた、とでも結んで置きますか、ねえ帆村さん」
 帆村は静かに笑った。「戸浪君は車内ではピストルをどこに隠してたか……」
「ああ、それを忘れちゃっちゃ、お手柄がなんにもならないな。エエと、戸浪はピストルの口を、上衣の右ポケットの底穴からのぞかせて射ったため、僕の外には誰も気がつかなかった、というのはどうでしょう」





底本:「海野十三全集 第1巻 遺言状放送」三一書房
   1990(平成2)年10月15日第1版第1刷発行
初出:「新青年」博文館
   1931(昭和6)年10月号
入力:tatsuki
校正:土屋隆
2004年11月8日作成
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