ついに着陸
偵察ロケットはだんだん高度を低くし、月面に近づいていった。そしてていねいにいく度もいく度も同じ地域の上空をとんだ。
「大丈夫のようです。別にかわったものを見かけませんから」
そういって艇長の方を向いたのは、観測団長のカンノ博士だった。
「うむ。まず、大丈夫らしいね。では着陸の用意をさせよう」
艇長はマイクを手にとりあげて、その用意方を全艇へつたえた。
「さあ、忙しくなったぞ」
と、カンノ博士は正吉にしばらくの別れを告げて、操縦室から去った。
着陸の用意は、二十四時間かかった。
いまはカコ技師も、はればれとした顔つきになって、喫煙室へ来て、煙草をうまそうに吸いながら、だれかれと話しあっている。
「こんどは装甲車を五台出動させることができる。だから上陸班は十分に活動ができると思う」
「装甲車というと、どんなものですか」
「一種の自動車さ。そしてガソリンではなく原子力エンジンで動く。それから外側が厚さ十センチの鋼板で全部包んである」
「じゃあ、戦車ですね」
「戦車は砲をつんでいる。これは砲はつんでいないから、戦車ではない。やはり、装甲車だ」
「なぜこんな乗物を使うんですか。敵がいるわけでもないのでしょう。なぜそんな厚い装甲がいるんですか」
「それはね、第一に隕石をふせぐために、これくらいの厚い装甲が必要なんだ」
「隕石というと、流れ星のことでしょう。あんなものはこわくないではありませんか。地上に落ちてくるのは、ほとんどないのですから」
「いや、ところがそうではない。地球の場合だと、空気の層があるから、隕石はそこを通りぬけるとき空気とすれ合って、ひどく高温度になり、多くは地上につかないうちに火となって燃えてしまう。しかし月世界には空気がないから隕石は燃えない。そのまま月の上へ落ちてくる。君たちの頭の上へこれが落ちて来たら、頭が割れて即死だ。だからそんなことのないように装甲車に乗って上陸するんだ。分ったかね」
「なるほど。隕石に気をつけないと、あぶないですね。すると私たちは月世界の上を、この二本の足で歩かないのですか」
「歩くことも出来る」
「だって、隕石が上からとんで来て、大切な頭がぐしゃりとやられたんでは……」
「ひとりで歩く場合には鋼鉄のかぶとをかぶって歩く。中くらいの隕石ではあたってもこのかぶとでふせぐことができる」
「ああ、そんなものも用意してあるんですね」
「そうだ。それに、本艇には隕石を警戒している隕石探知器というものがあって、隕石が降ってくると、千キロメートルの彼方で早くもそれを感知して電波で警報を発する。この警報はかぶとをかぶって歩いている連中にも受信できるようになっている。だからこの警報を聞いたら、大急ぎで、反対の側の山かげや地隙にかくれるとか、または本艇へかけもどって来れば、一そう安全だ。だから君たち、心配はいらないんだよ」
カコ技師の話は、はじめて月世界へ行く連中を安心させるいい話だった。
だが、月世界と地球とは、いろいろなところにおいて様子がたいへんかわっているので、まだまだ面くらうことがたくさんあるはずであった。
やがていよいよ、月世界に着陸する時間が来た。
艇は、いま向きをかえ、月面と平行にとんでいる。雲の海附近にかなり広い沙漠帯があってそこが着陸に便利だと知れていた。
その着陸コースに三度目にはいった時に、艇は前部からガスの逆噴射を開始し、だんだん速度をゆるめると共に浮力をつけた。そこらは操縦のお手ぎわだった。そしてついに見事に雲の海に着陸した。
もし下手な着陸をやれば、月面に衝突して、たちまち艇は一個の火の塊となって、全員もろとも消えてなくなるであろう。
「よかった。おめでとう」
「艇長。おめでとう」
艇内には、よろこびのことばが飛んだ。
正吉は、さっきから窓によって、はじめて見る月世界の景色に魂をうばわれている。
(ああ、ずいぶんすごいところだなあ。高い山、くらい影、木も草もない。これがほんとの死の世界だ。空はまっくらだ。あそこに輝いているのは太陽らしい。ここは雲の海だというが、水一滴ない。こんなところに一週間も暮したら、気がへんになって死にたくなるだろうなあ)
だが正吉は、やがてこの死の国のような月世界で、ふしぎな者にめぐりあい、一大事件の中にまきこまれるなどとは、夢にも思っていなかった。
空気服
「全員空気服をつけよ」
艇長からの命令が、各室へつたわった。
「さあ、空気服だ。かぶと虫の化けものになるんだ。やっかいだな」
「やっかいだって。でも、空気ににげられちまって死ぬよりはましだろう」
「もちろん死ぬよりはましさ。だが、空気服はきゅうくつだから、ぼくはきらいさ」
空気服というのは、身体のすっぽりはいる潜水服みたいなもので、あたまに潜水兜に似たかぶとをかぶる。しかし空気服についているかぶとは、前半分ほど透明だ。
空気服の中には地球の上と同じほどの濃さの空気がはいっている。そしてたえず空気をきれいにし、不足の酸素を補給する。空気服は特製の人造ゴムまたは軽硬金属板で出来ていて、外界と服の中とは、完全に気密――つまり空気が逃げる穴や隙間がない。
それからこの空気服は、かなりの圧力にたえるように、しっかりした材料で作られている。
空気服の特長は、もっとある。月世界は非常に寒い。そこで空気服の中は、いつも摂氏十八度に温められてある。
まだ仕掛がある。空気のない月世界などでは、音を出すことができない。音は空気の波であるから、空気がなければ音は出ないわけだ。そうすると、人と人とは、声で話をすることができない。しかしおたがいに思うことを、相手に通ずることができないと困る。そこで空気服の附属品として無線電話機がとりつけてある。くわしくいうと極超短波を使う無線電話機で、耳のところに小型の高声器があり、のどの両脇にマイクロホンがあたっていて、空気服を着ている人は空気服の中で普通にしゃべれば、それがマイクロホンと器械を通じて電波となり、他の人々の器械に感じ、耳のそばの高声器から、ことばとして聞えるのであった。
空気服には、この外に、かんたんな食事をとり、また水や牛乳やレモン水などをのむ仕掛が、かぶとの内側にとりつけてあり、その外いろいろおもしろい仕掛もあるが、くわしく話しているときりがないから、このへんにしておこう。
そういう便利で重宝な空気服を、乗組員の全部がつけろという命令である。これは着陸のとき、万一艇が破損して、艇内の空気が外にもれてしまうようなことがあっても、この空気服を着ていれば平気でいられる。そればかりか、空気服をつけている者は、破損の箇所を応急修理するために活動ができる。だから空気服を全員につけさせるのだ。
点検が行われた。空気服のつけ方が正しいか悪いかをしらべるのだ。もし悪い者があると、すぐつけ直す。そうしておいてやらないと、万一のとき空気服が役に立たない。艇長マルモ・ケンはすぐれた宇宙探検家であるからして、こういう大事なことに、深い注意を払うのだった。
空気服点検もおわった。全員異状がない。
「着陸用意。全員部署につけ」
ロケットはだんだん高度を下げていった。一たん艇内にたたみこんであった翼を出し、これにも噴射ガスが月の面にあたって、反射してくるのをあて、一種の浮力としてはたらかせる。その外にも、ガスを月の面の前後に叩きつけて、スピードのかわるのを、人体にちょうどいい程度に調節する。
それでも、かなりのスピードが出ていた。雲の海というところは、やや黒ずんだ沙漠であるが、それが艇の下を洪水のように流れていく。
が、ついに艇は、月の面にふれた。とたんにガスの放出はとめられ、艇は滑走で前進する。艇の通りすぎるうしろには、もうもうと砂煙があがって、まるで艇が火災を起したようだ。
やがて艇は停った。その下三分の一が、雲の海の砂にうずもれた状能で、停止した。
「やれやれ。無事着陸したぞ」
「えっ、無事着陸しましたか。月世界へついたんですね」
「もちろんのことさ。ほかのどこへ着陸するものかね」
「ああ、うれしい。さっそく地球にのこして来た家族へ電話をかけたいものだ」
「それは間もなく許されるだろう。その前に本艇が着陸した目的の仕事を片づけてしまわねばならない」
「その目的というのは、何ですね」
「今に分るよ。見ておいで」
高級艇員と、こんど初めて月世界旅行について来た若い艇員との間に、こんな話がとりかわされている。
正吉少年の姿が[#「姿が」は底本では「艇が」]見えない。
いや、いや。装甲車が用意されているそばに、彼は立っていた。
勝手がちがう話
「さあ、乗った」
そういったのは、カンノ博士だった。観測班長だ。
博士も正吉も、さっきまで着ていた空気服をぬいでいた。装甲車に乗る者は、それを着ないでいいのだ。もちろん用心のために持っているが、それは装甲車の中が、気密になっているからである。
装甲車は、みんなで十台あった。一台をのこして、九台が出かけるように命令されている。正吉少年が乗りこんだ装甲車は、一号車であった。いよいよ出かけるときになって、隊長マルモ・ケン氏が乗りこんだ。この一号車長は、カンノ博士だった。
「出発」
号令と共に、空気服を着ている艇員が、三重戸の一つを、電気の力であけた。空気がもれないように、戸のあわせ目が複雑な構造になっていた。一号車は中へ進む。すると次の戸があった。
一の戸が閉まる。二の戸が開く。
一号車は、またその中へはいる。すると三の戸につきあたりそうになった。
その三の戸も、開かれた。その外は、まぶしい月世界の風景があった。
一号車は、音もなく、外へゆらゆらと出て行く。そのあとに三の戸が閉った。
一つの装甲車が外に出るまでに、このようなことが数回くりかえされる。
「どうだね、正吉君。月の世界は、あまり気持のいいところじゃなかろう」
カンノ博士は正吉にいった。
正吉は小窓から外を熱心にながめていたが、
「墓場に日があたっているような風景ですね」
と、いった。
「ははは。おもしろいことをいう。とにかく月世界には、空気が全くないから、かすむということがない。近くの景色も、遠方の景色も、どっちも同じにはっきり見えるんだ。だから景色にやわらか味というものがない。春雨にかすむとか、朝霧の中から舟が出てくるなどという風景は、この世界には見えない」
なるほど、博士のいうとおりだ。
「先生、いまはなんですか、夜なんですか」
「君はどっちだと思う」
「それが今、分らなくなったんです。山脈がまぶしく輝いていますね。空はまっくらです。地球の満月の夜の景色に似ているけれど、空気のないところでは、どこでも空はまっくらなんでしょう。するとあのまぶしく光る山脈は、太陽の光で照らされているのか、それとも月の光で照らされているのか、どっちだか分らない……」
「待ちたまえ、正吉君。月の光で照らされているというのは、へんだろう。だってここは月の上なんだからね」
「ああ、そうか。これはしくじった」
と正吉は声をたてて笑った。
「月の光じゃなくて、地球の光というのが正しいですね。つまりわれわれが今いる月は、太陽か地球かに照らされてるんでしょう」
「そのとおりだ。そこでさっきのだが、今は昼なんだ。だから山脈をまぶしくしているのは太陽なんだ」
「えッ、やっぱりこれが月世界の昼間なんですか。へんてこですね」
正吉には、いろいろと、めずらしく感ずることばかりだった。
これは後の出来事であるが、正吉は太陽がさっぱり西の山へ沈まないので、ふしぎに思って、カンノ博士にきいた。すると博士は笑って、
「二十四時間待っても、太陽は西の山へは沈まないよ、月世界では二週間ぶっつづけに昼間なんだ。そして次の二週間が夜なんだ。夜はこわいぞ。ものすごくて、さびしいよ」
と説明してきかせた。
とにかく勝手がちがうことばかりだ。
もう一つ、正吉が面くらった話をしよう。それは地球を見たのだ。地球は、地球で見る満月の十倍以上も大きい明るい球に見えたが、満月と同じ形ではなく、かたわれ月ぐらいのところだった。つまり一部分が、月のために影になっているのだ。
その地球が、さっぱり動かないのであった。同じ方向の、同じ高さの中天に輝いていて、そこにいつまでもじっとしているのである。地球から見た月はよく動くから、月から見た地球もさぞ走るだろうと思ったが、そうでないのだ。
ただ、満月――いや満地になったり、三日月――ではない三日地になったり、日に日に影の大ききがちがっていくだけだった。
「ふーン。どうも気がへんになりそうだ、しょうがない」
正吉は、そういって、頭を抱えることが初めのうちはよくあった。
料理番のキンちゃんと来たら、その理屈がさっぱりのみこめないので、正吉ほどにおどろいていなかったようである。
こんな話は後の話だ。さて九台の装甲車は、みんなロケットの外に出た。
無電の命令が伝えられる。
と、一号車を先頭にして、九台の装甲車は月の上を走り出した。どこへ行くのであろうか。
それはともかく、こうして走っていると、地球の、どこかの沙漠を夜、走っているのと大して気分がちがわない。
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