窓の外には
新月号は夜明けと共に地球をはなれて空中へとびあがったが、その出発の壮観を見た者は、あまり多くなかった。
それから新月号はぐんぐんと上昇を続け、成層圏に突入した。成層圏もやがて突きぬけそうになって高度二十キロメートルを越えるあたりでは、あたりは急に暗くなり、夜が来たようであった。しかし、本当の夜が来たのではなく空気がすくなくなって、そのところでは太陽の光がいわゆる乱反射をして拡散しないために、あたりは暗いのであった。
しかし太陽は上空に、丸く輝いている。それはちょうど月が夜空に輝いているに似ていて、太陽そのものは輝いているが、まわりは明るくないのだ。
そのころ星の群は一段と輝きをまし、黒い幕の上に、無数のダイヤモンドをまき散らしたようであった。
このような光景が、このあといつまでも続くのであった。
昼も夜もない暗黒の大宇宙であった。しかし太陽はやっぱり空を動いて見える。
大宇宙は、このように静かだ。生きているという気がしない。むしろ死んでいるように見える。それはあたりがあまりに暗黒であるのと、太陽にしても星にしても、暗黒の広い空間にくらべて、あまりに小さくて淋しいからであろう。
が、もしこのとき、目をうしろにやったとしたら、どうであろう。彼はびっくりさせられるであろう。
艦長が妙な命令を出したのも、じつはうしろをふりむいてびっくりさせないためであったのだ。
それはちょうど出発後四日目のことであった。正吉は、窓の外をのぞく絶好の機会をつかんだ。
通路を歩いていると、頭の上で、へんな声をあげた者がある。
何だろうと思って、正吉は上を見た。
すると、通路の天井の交錯した梁の上に、一人の男がひっかかって、長くのびているではないか。
「あぶない」
正吉は、おどろいた。放っておけば、あの人は、梁の間から下へ落ち、頭をくだくことであろう。早く助けてやらねばと思った。
他の者をよぶひまもない。正吉は、傍の柱にとびついて、サルのように上へのぼっていった。木のぼりは正吉の得意とするところだ。
天井までのぼり切ると、あとは梁を横へつたわって進んだ。まるでサーカスの空中冒険の綱わたりみたいだ。
(早く、早く。あの人が梁から落ちれば、もうなんにもならない)
じつにきわどいところで、彼の身体は梁でささえられている。まるで天秤のようだ。
正吉は、やっとのことで、その人の身体をつかまえた。つかまえたのと、その人が息を吹きかえしたのとほとんど同時であった。
「あーァ」
その人は呻った、見るとそれは料理番の若者で、キンちゃんとよばれている、ゆかいな男であった。
「キンちゃん。どうしたの。しっかり」
正吉は、梁のむこうへ落ちて行きそうなキンちゃんの身体を、一所懸命おさえながら、キンちゃんをはげました。
「あッ、こわいこわい、おれは気が変になる。助けてくれッ」
キンちゃんは、両手で顔をおさえて変なことを口走る。
「キンちゃん。おかしいよ、そんなにさわいじゃ。ぼくは小杉だよ」
「小杉?」
キンちゃんは、ようやく目をあいて、正吉を見た。そしてホッと大きな溜息をついた。おなじみの正吉の顔を見て、安心したのであろう。
「こんなところで、何をしていたの」
と正吉がきくと、キンちゃんはまた顔をしかめて苦しそうにあえぎだした。
「こわい、こわい、正ちゃん。その窓から外を見ない方がいいよ。気が変になるよ」
「あッ、そうか。君は窓から外を見たんだね。艇長に叱られるよ」
正吉はそういったが、見ると窓のおおいが破れている。キンちゃんが破ったものだろう。正吉は急に外が見たくなった。
「正ちゃん、およしよ。だめだ、外を見ちゃ……」
と、キンちゃんがとめるのにもかまわず、正吉は、とうとう窓から外を見た。
「あッ、あれは……」
正吉の肩が大きく波打っている。顔は、まっさおだ。
正吉は何を見たか。
大きなビルを四、五十あつめたくらいの大きさの、まんまるい黄色に光る球を見たのであった。
それは地球だ。地球だった。
地球の大きな球が、空間に、つっかえ棒もなしにいるところは凄いというか、恐ろしいというか、艇長が外を見るなと命令したわけが、やっと分った。
偵察ロケット
七日以後は窓もひらかれ、外をのぞいてもさしつかえないことになった。そのころ地球は、ずっと形が小さくなり、小山ぐらいの大きさとなったので、恐ろしさが減った。もうあれを見て発狂したり、気絶する者もなかろう。
地球は小さくなったが、いよいよ光をまして白く輝く大陸の輪郭もよく見える。しかし球という感じがだんだんなくなって、平面のような感じにかわっていった。
「キンちゃん、あれから後、いくど気絶したの」
正吉がそういって料理番のキンちゃんをからかうと、キンちゃんは顔をまっ赤にして、
「あのとき一ぺんこっきりだよ。そんなにたびたびやって、たまるものか。それよりか、今日の夕食にはすごいごちそうが出るよ」
「すごいごちそうというと、お皿の上に地球がのっかっているといった料理かね」
「また地球で、わしをからかうんだね。地球のことはもう棚にあげときましょう。さて今夜の料理にはね、牡牛の舌の塩づけに、サラダ菜をそえて、その上に……」
「雨ガエルでも、とまらせておくんだね」
正吉は、じょうだんをいって、食堂から出ていった。
廊下の曲り門のところで、正吉は大人の人に、はちあわせをした。誰かと思えば、それは藍色の仕事服を着て、青写真を小脇に抱えているカコ技師であった。
「あ、あぶない。正吉君、なにを急いでいるのかね」
「いま、食堂ですてきに甘いものをたべて来たので、元気があふれているんです。ですからこれから艇長のところへ行って探検の話でも聞かせてもらって来るつもりなんです。艇長のすごい話はこっちがよほど元気のときでないと、聞いているうちに心臓がどきどきして来て気絶しそうになりますからね」
「このごろどこでも気絶ばやりだね。だから僕もいつもこうして気つけ用のアンモニア水のはいった小さいびんをポケットに入れてもっている」
そういってカコ技師は、透明な液のはいっている小びんを出してみせた。
「それを貸して下さい。それを持って艇長のとこへ行ってきますから……」
「だめだよ、正吉君、艇長はいまひるねをしておられる。一時間ばかり、誰も艇長を起すことは出来ないのだ」
「ああ、つまらない」
「つまらないことはないよ、機械室へ来たまえ。これから偵察ロケットを発射させるんだから」
「偵察ロケットですって。それは何をするものですか」
「本艇のために、目の役目をするロケットだ。このロケットには人間は乗っていない。電波操縦するんだ。だからこのロケットはうんと速度が出せる。これを発射して、本艇よりも先に月世界の表面に近づかせる。いいかね。ここまでの話、分るかね」
「ええ、分ります」
「その偵察ロケットには、テレビジョン装置がのせてある。だからそれがわれわれの目にかわって月世界の方々を見る。それが電波に乗って本艇へとどく。本艇ではそのテレビ電波を受信して、映写幕にうつし出す。つまりこれだけのものがあると、本艇の目がうんと前方へ伸びたと同じことになる。たいへんちょうほうだ」
「なぜ、そんなことをするんですか」
「これは、もし前方に危険があったときは、偵察ロケットが感じて知らせてよこす。本艇はさっそく逃げることができる。偵察ロケットの方は破壊されてもかまわない。それには人間が乗っていないのだからね」
「音も聞けるわけですね。偵察ロケットにマイクをのせておけばいいわけだから」
「技術上は、そういうこともできる。しかしこの場合、音をきく仕掛はいらない」
「なぜですか」
「だって、月世界には空気がない。空気がなければ、音はないわけだ」
「ああ、そうでしたね」
月の噴火口
偵察ロケットは、三台も発射された。
それは小型のロケットで、砲弾のような形をしていた。
あと十二時間すると、月の上空へ達するそうである。
この光景はテレビジョンにおさめられ、地球へ向けて放送された。
「月世界って、そんなに危険なところですか。大地震でもあるのですか」
正吉はカコ技師のそばからまだはなれない。
「もう地震はないね。月世界はすっかり冷えきって、死んでしまった遊星だから」
「じゃあ、強盗でもあらわれるのですか」
「まさか強盗は出ないよ。いやしかし、強盗よりももっとすごい奴があらわれる心配がある」
「なんですか、そのすごい奴というのは……」
「それはね、われわれ地球人類でない、他の生物が月世界へやってくるといううわさがあるんだ。この前にも、ある探検隊員は、それらしい怪しい者の影をみて、びっくりして逃げて帰ったという話である。また、ある探検隊員は月世界で行方不明になったが、さいごに彼がいた地点では格闘したあとが残っている。またそこに落ちていた物がわれわれ人類の作ったものではないと思われる。そういうことから、他の遊星の生物がかなり、前から月世界へ来ているではないか。それなら、これから月世界へ行くには、よほど警戒しなくてはならないということになったのだ」
カコ技師の話は、正吉をおどろかせた。この宇宙は、地球人類だけが、ひとりいばっていられる世界だと思っていたのに、それが今は夢として破れ去り、ほんとうは他の星の生物たちといっしょに住んでいる雑居世界だということが分りかけた。これはゆだんがならない。また、考えなおさなければならない。もしや宇宙戦争が始まるようになっては、たいへんである。
正吉は、そんなことを考えていると、なんとなく気分がすぐれなくなった。カコ技師はすぐそれを見てとった。
「正吉君。いやにふさぎこんでしまったじゃないか。とにかく人間は、どんなときにも元気をなくしてしまってはおしまいだよ。そうそう、いま映画室でポパイだのミッキー・マウスの古い漫画映画をうつしているそうだから、行ってみて来たまえ。そして早く、にこにこ正ちゃんに戻りなさい」
カコ技師にいわれて、正吉は、そのことばに従った。
映画はおもしろくて、おなかをかかえて笑った。すぐそばに、正吉よりもっと大きな声で笑いつづける者がいた。よく見ると料理番のキンちゃんであった。
映画がすむと、キンちゃんが、室内競技場へ行こうと、さそってくれた。正吉は、いっしょに行った。そこには非番の艇員たちが、声をあげて遊んでいた。正吉たちもその仲間にはいって、バスケットボールをしたり、ビール壜たおしをやったりした。そして時間のたつのが分らなくなった。
カコ技師が、いつの間にか正吉のうしろに来ていて、声をかけた。
「例の偵察ロケットがね、さっきから月世界の表面に接触したよ。あのロケットが送ってよこすテレビジョンが、いま操縦室の映写幕にうつっているから、見にこない」
「えっ、もう見えていますか。行きますとも」
カコ技師について操縦室へはいっていくと、そこには本艇の主だった人々がみんな集っていた。そして副操縦席のうしろの椅子に腰をおろして計器番の上にはりだした映写幕にうつるテレビジョンを見ながら、意見を交換していた。
映写幕の上には、大きな丸い環が、いくつもうつってそれがゆるやかに下から上へ動いていく。
「いま見えているのは知っているね。月の表面にある噴火口といわれるものさ」
「ああ、本で見たことがあります」
正吉はカコ技師にもたれながら答えた。噴火口のまわりの壁は、ずいぶん高くそびえている。そして右側に、黒々とした影をひいている。
「映写幕の左上の隅のところにあるのがアポロニウスという噴火口だ。その下の方――つまり北のことだが、危難の海という名のついた海のあとさ。ほら、だんだん大きな噴火口が下の方からあらわれてくる……」
大きな噴火口があらわれては、消える。
画面が急にかわった。映写幕の右の方に月の面が大きく弧線をえがいてうつった。ここにはまたもっと大きい噴火口が集っている。
「さっきのと、ちがう別の偵察ロケットのテレビジョンに切りかえられたんだ。今うつっているのは月の南東部だ。まん中へんに見える細長い噴火口がシッカルトだ。直径が二百五十キロもある。壁の一番高いところは二千七百メートル。大きいだろう」
「すごいですね」
白く光る月面を見ていると、なんだか身体がこまかくふるえてくるようだ。
「そのずっと左の方に有名なティヒヨ山が見える。高さは五千七百メートル。四方八方へ輝条というものが走っているのが見える」
「ぼくたちは、どこへ着陸するのですか」
「予定では、『雲の海』のあたりだ。そうだ、雲の海は、いま画面のまん中あたりの下の方にある。つまりティヒヨ山から北東の方向へ行ったところにある」
「すごいですね」
「こわくなりゃしない? こわければ上陸しないで、本艇に残っていていいんだよ」
「いいえ、ぼくはだんぜん上陸します。でないと月世界まで来た意味がありませんもの」
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