海野十三全集 第1巻 遺言状放送 |
三一書房 |
1990(平成2)年10月15日 |
1990(平成2)年10月15日第1版第1刷 |
1990(平成2)年10月15日第1版第1刷 |
なにか読者諸君が吃驚するような新しいラジオの話をしろと仰有るのですか? そいつは弱ったな、此の頃はトント素晴らしい受信機の発明もないのでネ。そうそう近着の外国雑誌にストロボダインという新受信機が大分おおげさに吹聴してあったようですね。しかし私は余り感心しないのですよ。結局ビート受信方式の一変形に過ぎないじゃありませんか。
ヤアどうも、君に議論を吹っかけるつもりじゃ毛頭なかったのですがネ、つい面白い原稿だねのない言訳に一寸議論の端が飛び出して来たという次第なのですよ。――
ホウ、君はそこの床の間にポツンと載っている変な置物に目をつけておいでのようですな。そうです、君の仰有るとおり、それは加減蓄電器の壊れたものなのですよ。半分ばかり溶けてしまって、アルミニュームが流れ出したまま固っているでしょう。これは何かって言うんですか?
いや実はネ、それについて一つ、取っておきの因縁ばなしがあるんですがネ、今日は思い切って、そいつを御話してしまうことに致しましょうか。
だが始めから断って置きますが、此の話はこれから私の言う通り全く同じに発表して貰っては私が困るのですがね。というのも実はこの物語の主人公であり、又同時に尊い実験者であるところの私の亡友Y――が亡くなる少し前に、是非私に判断して呉れという前提のもとに秘密に語った彼自身の驚くべき実験談なのでして、内容が内容だから、他へは決して洩らさぬことを誓わされたものなのです。不幸なる亡友Y――は、永らくおのれが胸だけに秘めていた解き得ぬ謎の解決を求めんがために折角私という話相手を選んだのでしたが、流石の私にも彼が満足するような明答を与えることが出来ませんでした。それでY――は一層がっかりして謎を謎として抱いたまま、地下に眠ってしまったのです。そして其の時にY――が私に残して行った不気味な遺品が、この壊れたバリコンでして、勿論彼の話の中に出て来る一つの証拠物とも言うべきものなのです。
Y――が其の時告白したところによると、謎を包んだ此の物語をはなして聞かせた人間は私が最初であり、また同時にそれが最後であるというのです。尤もこの物語の後に於て判るように、このことがどんな事実であるかということを明瞭に知っている筈の二つの関係があるのですが、これは孰れもそれ自身絶対に他へ洩らすことの許されない同じような二つの機密社会であるために、この驚くべき事実が他へ洩れる道が若しありとすれば、それは亡友Y――によって(いやもっと詳しく言えばY――と私との二人とによって)行われるより外に出来ないことなのでした。Y――が私以外の者に語ることを断念し而も他界してしまった今日、それは唯私一人によって保たれている秘密なのです。未解決のまま残されている謎なのです。そこに私としての遺憾があり、義務さえあるように感ずるのです。そうした気持が、私をして敢えて誓いの鎖をひきちぎってまで貴方に御話することを決心させたのでした。それはあり得べき事か、またはY――の錯覚であるか、それはこの物語がすんだあとで貴方は当然私に答えて下さらなければならないのです。――
ではその話を始めましょう。私がY――から聴いたときのように、彼の口調を真似ておはなしを致しましょう。ですから、次のものがたりで「僕」というのは、とりもなおさずY――自身のことだと思っていただかなければなりません。
* * *
僕は少年時代からラジオの研究に精進していたラジオファンとして、あの茫莫たるエーテル波の漂う空間に、尽くることなき憧憬を持っているのでした。それは僕が始めて簡単な鉱石受信機を作って銚子の無線電信を受けた其の夜から、不思議に心を躍らせるようになった言わば一種の「萌え出でた恋」だったのです。僕は毎晩のように鉱石の上を針でさぐりながら、銚子局の出す報時信号のリズムに聴き惚れたものです。受話器を頭から外して机の上に横たえておきましても三四尺も離れた寝床に入っている僕の耳にそのシグナルは充分はっきりと聞きとれました。エーテル波の漂う空間の声! 僕はそれを聞いていることにどんなに胸を躍らして喜んだことでしょう。いつの間にやら夜も更け過ぎてしまった、戸外は怖ろしい静寂の中に、時々凩が雨戸の外を過ぎて行くのに気が付きまして、急に身体中が寒くなり夜着をすっぽり頭から引被って無理に眠りを求めるなどという事も間々ありました。
年月はうつりかわっていつの間にやら我国にも放送無線電話が始まりました。エーテルの世界には毎晩のようにJOAKの音楽やらラジオドラマが其の強力な電波勢力を誇りがおに夜更けまでも暴れているような時勢になりました。僕はただもう、そういう放送によってエーテルの世界が騒々しく攪きまわされることが厭でたまりませんでした。僕は反感的に放送を聴くことを忌避していました。そして其の頃にはまだホンの噂話だけであった短波長無線電信の送信受信の実験にとりかかっていました。その電波長は五メートルとか六メートルとか言った程度の頗る短い電波を出したり受けたりしようというのです。放送ラジオの波長の百分の一位に当りますから、うまい具合に受信機には全然ラジオを聞かないで済みました。
しかし僕の実験は、放送が終った午前十時[#「午前十時」はママ]から夜明け頃にかけてやるのが通例でした。其の時間中は短波長通信には殊に好都合の成績が得られるからこんな変な時を選んだのです。
さて送信をやってみますと、なるほど電波はうまく空中へ飛び出すことが判りましたが、僕の短波長通信に応じて呉れる相手は中々見付りませんでした。米国や英国あたりでは素人のラジオ研究家が大分増えて来たとのことを聞いていましたので、その応答を予期して毎晩のように実験を繰りかえしました。先ず五分間ばかりは、僕が呼出信号を空中へ打って出します。それから今度は空中線を受信機の方へ切り換え、それから五分も十分も耳を澄まして何処からか応答があるだろうと聴いているのですが、いつぞや返事のあった験しがありません。僕はそれでも一向断念しませんでした。今にもどこからか「ハロー、オールド、マン」とモールス符号で呼びかけてくる僕同様の素人ラジオ研究家のあるべきを信じていました。
それどころか、時にはこんな考えさえ持ちましたことです。僕の出している短波長無線電信は、この地球を既に飛び出してしまっているから中々応答が来ないので、其の内には都合よく火星か金星かにぶつかってそこに棲んでいる生物から前代未聞の怪しげな応答信号が僕に向って発せられるかも知れないと考えて、思わず声を出して嬉しがったこともありました。
しかし事実の上では、私の送信に対して一回の応答信号も入って来ませんでした。耳朶が痛くなる迄、懸けつけた受話器の底には時々ガリガリという空電の雑音が入って来るばかりで、信号の形を備えた電波は全く見出すことが出来ませんでした。時にはこの意味のない空電のガリ、ガリ、ガリという音響を、●●●というモールス符号のSという字にちがいないと思いこんだこともありました。
それはこの短い波長の無線電信の放送受信を始めてから四十日ほども経ったころには、流石物好きからやり出した僕と雖も、少々この「永遠の梨の礫」には倦きて来ました。厭気のさしたのを自覚すると、実験をつづけることが急転直下的にたまらなくいやになりました。忘れもしない九月の七日の夜のことです。時計は既に次の日の方に廻って午前一時近くを指していました。僕は送信をやめて、受話器を頭に懸けたまま、シグナルを探すというよりも、この送受信を中止した明日から後は何をすることによって日々を楽しもうかと、あれやこれやの計画を思いつづけていました。その時のことです。恰度その時のことです。――
不図気のついた僕は、受話器の底に極く微か乍らヒューッという唸音らしきものが入っているのを聞きとることが出来ました。其の唸音は大きくなったり小さくなったりして全く聴こえなくなり、至って不安定なものでした。電波の遭難船とでも申しましょうか。それはエーテルの大海に、木の葉のように飜弄せられるシグナルでありました。
僕は急に頭脳が冴え返ったのを覚えました。僕は直ぐ様ローカル・オスシレーションの方を調節して見ました。カップリングを静かに変えて見ました。グリッド、リークを高めてみました。その結果はどうでしょう。僕が今まで出していたよりも尚一メートル程短い波長のところで受話器には小さい乍らも、立派に呼出符号と救助信号とを打っていることが聞きとれるではありませんか。
僕は夢ではないかと驚きました。何は兎もあれ僕はスウィッチを直ぐ様、送信機の方へ切換えると「応諾」の符号を送りました。波長は四・五メートルを指していました。
軈て相手からは、生々とした返事がありました。其のシグナルはまことに微弱である上に、波長が時々に長くなったり短くなったりして僕の聴神経を悩ませました。しかし相手の報じて来る内容が少しずつ判明して来ると共に、僕は全身の血潮が爪先から段々と頭の方へ昇りつめて来るのを感じました。耳は火のようにほてり、鼓動は高鳴り、電鍵を握る指端にはいつの間にかシットリと油汗が滲み出ていました。相手は何者か! 相手は何処の無線局であるか? 其処では只今何事が起っているのか? それは其時に交換した次のような奇怪きわまるモールス符号の会話が、一切を少しずつ明白にして行って呉れましょう。
相手「貴局ト通信ガ出来ルコトヲ甚ダシク喜ブモノナリ。予ハ今甚ダシキ危険ニ臨ミ居レリ。当方ノ信号ハ微弱ナリヤ?」
僕「貴局ノ信号ハR2(微弱ナレド辛ウジテ読ミ得ル程度ノ意)ナリ。但シ不安定ニシテR1(微弱ニ聞コエ判読不能ノ意)又ハR3(微弱ナレド受信可能ノ意)ノ範囲ニ変動スルヲ認ム。危険救助取ハカラウベシ。貴局名如何」
相手「当方局名ナシ。日本人。仮設局ナリ。貴局名如何。貴局所在如何」
僕「当方局名JIZZ。所在東京市。実験局。W大学生Y――貴局所在、及ビ危険詳細知ラセ」
相手「天祐。喜ビ甚ダシ。日本万歳。愛スル友ヨ。予ハ貴局ニ驚クベキ報道ヲセムトス。記事甚ダ長ク、送信力甚ダ短シ。貴局ハ予ノ報道ヲ信ズルヤ」
僕「信ジタク思ウ。予モ亦後ニ質問スベシ。兎モ角モ早ク語レ」
相手「必ズ信ゼヨ。予ハ決死的ナリ。
予ハ神戸K造船所電気課員、セントー・ハヤオ。只今ノ所在ハN県東北部T山ヲK山脈ヘ向ウ中間ノ地点ニ在リ。
予ハ今ヨリ七日前、スナワチ八月三十一日、休暇ヲ利用シ、前人未踏ノ山岳地方ヲ横断セントシテ強力一人ヲ連レN県A町ヲ後ニ登山ヲ開始セリ。
貴局ハ当方ノ送信ヲ了解セラルルヤ」
僕「予ハ了解セリ。予ハ貴局ヨリノ受信シタル通信文ヲ逆ニ送信スベキヤ」
相手「ソノ必要ナシ。愛スル友ヨ。
予等ハ九月四日只今ノ地点ニ通リカカリタリ。今回ノ予ノ目的ハ山岳地方跋渉ニ在ルト共ニ、尚一ツノ目的アリ。予モ亦ラジオヲ以テ長年ノ趣味トスルモノニシテ、予ガ組立テタル愛機『スーパーヘテロダイン』ヲ携エテ今回此途ニノボレリ。スナワチ、高山山巓ニ於テ、米国ノ放送ヲ如何ナル程度ニ受信シ得ラルルカヲ試ミンガタメナリキ。
貴局ハ当方ノ送信ヲ了解セラルルヤ」
僕「予ハ了解セリ。後ヲ語レ」
相手「予等ハ此地点ニ通リカカルヤ、一大驚異ヲ発見セリ。突然予等ノ行手ニ銃ヲ擬シテ立チ防ガリタル一団アリ。彼等ハ異様ノ風体ヲナシ身ノ丈程ノ雑草中ニ潜ミ居リシモノナリ。全身ニ毒草ノヨウナモノヲツケタルモ、……」(判読不能)
僕「空電妨害ニ悩サル。貴局ノ送信ヲシバラク中止セヨ。――
空中状態ヨロシ。全身ニ毒草ノヨウナモノヲツケタルモ以下語レ」
相手「毒草ノヨウナモノヲツケタルモ。貴局ハ当方ノ送信ヲ了解セラルルヤ」
僕「予ハ了解セリ。後ヲ語レ」
相手「……ソノ下ニハ浅黄色ノ軍服ラシキモノヲ着セリ。而シテ驚クベキコトハ、彼等ノ中ニハ西洋人多ク混ジ居ルヲ認メタリ。其時ハ何処ノ国籍ニ属スルヤ全ク不明ナリシガ只今マデ数日間観察セルトコロニヨレバ○国人ナルモノノ如シ。他ハ日本人ナルカト思イタレドモ、後ニ至リテ彼等ハ日本人ニハ非ザルモノノ如キコト判明セリ。貴局ハ引続キ当方ノ送信ヲ了解セラルルヤ」
僕「然リ。其ノ一団ハ何ヲナセルヤ」
相手「予ノ今日マデノ観察ニヨレバ、明カニ軍事的施設ヲ作リツツアルモノノ如シ。
予ハ彼等ノ小屋ノ一室ニ予ノ案内人ト別ノ室ニ幽閉セラレタリ。予等ノ所持品ハ没収サレタリ。予ノ室ハ倉庫ノ一部ナリ。セメント樽多シ。
予ノ室ノ入口ノ扉ニ小サキ窓アリテ金網ヲ張ル。武装セル監視人巡回シ来リ其ノ窓ヨリ予ヲ窺ウ。
予ハ其ノ小窓ヨリ窓外ヲ見タルトコロ傾斜セル山腹ガ截リトラレアルヲ見タリ。其ノ前ニ小屋アリテ人々出入ス。雑品倉庫ナルコトヲ知リ得タリ。
一昨日マデハ、リベットヲ打ツ「ニュウマチック」ノ音、「コンクリート」混合機ノ音響ヲ時々耳ニシタルモ、其後聞カズ。
飛行機ノプロペラノ如キ音、時々聴コユ。此ノ一団ノ総員ハ、雑品倉庫ヨリ毎日ノ如ク運搬スル食料品ヨリ見テ四五十名カト思ワル。
貴局ハ左ノ事実ヲ其筋ニ急報シ、至急調査開始ヲ依頼サレタシ。前後ノ事情ヨリ推察スルニ怪施設ハ大部分完備ニ向イタルモノノ如シ。
予ノ生命ハ只今ノトコロ安全ナリ。但シ此ノ通信発覚ノ暁ハ直チニ殺サルベシ。予ノ一身上ノコトハ其筋ノ好意ニヨリテ、自宅ヘ一報ヲ乞ウ。予ハ決死ノ覚悟ヲ以テ通信ヲ行ワム。
当方通信用電源小サクシテ長時間ノ通信ニ耐エズ。詳細報ジタキモ已ムヲ得ズ。
貴局ヨリノ質問アリヤ。簡単ニ願ウ」
僕「直ニ其筋ヘ通報スベシ。安心アレ。質問アリ。貴局ノ送受信機ハ何処ヨリ手ニ入レタルヤ」
相手「予ガ携帯シ来リタルスーパーヘテロダインハ没収セラレタリ。予ガ隣室ニ監禁セラレタル予ノ案内人ノ室ノ更ニ隣室ニシテ、同様物置ナル所ヘ一時抛ゲ入レラレタルヲ知リタリ。予ハ案内人ヲシテ夜暗天井裏伝イニ隣室ニ忍ビ込ミ、其ノスーパーヲ盗マシメタリ。同夜苦心ノ末、コイル、コンデンサー、乾電池等ヲセット中ヨリ取外シ、短波長送信機ヲ組立テント試ミタリ。材料ノ不足ニヨリテ意ノ如キ波長ノモノヲ作ルコトヲ得ザルコトヲ発見シタルトキハ絶望ノ[#「絶望ノ」は底本では「絶望の」]泪ニ暮レタリ。サレド人事ヲツクシテ天命ヲ俟タンコトヲ思イ、許シ得ル範囲ノ応急送信機及ビ受信機ヲ建造セルナリ。
当方ノ信号ハ衰減セザルヤ」
僕「ヤヤ衰減シタルヨウニ思ウ。予ハ一切ヲ直チニ其筋ニ急報スベシ。次回ノ通信ハ約二時間後、スナワチ午前四時ニ行ウベシ。貴局ノ都合如何」
相手「応諾。当方ハ此後ノ通信ヲ倹約セザルベカラズ。電源ノ消耗ト、更ニ急報スベキ事件ノ発生ヲ予期スレバナリ」
僕「デハ御機嫌ヨウ。貴君ノ忍耐ト奮闘トヲ祈ル」
僕は最後の符号を打ち終ると急いで立ち上った。壁にかけてある制服を下ろすと、手早く之に着換えました。それから一散に家を飛び出して更けた真夜中の街路に走り出でました。火のように上気した僕の頬を夏の夜乍ら冷々と夜気がうちあたるのを感じました。
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