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軍用鮫(ぐんようざめ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-24 16:07:16  点击:  切换到繁體中文

底本: 十八時の音楽浴
出版社: 早川文庫、早川書房
初版発行日: 1976(昭和51)年1月15日
入力に使用: 1990(平成2)年4月30日第2刷
校正に使用: 1990(平成2)年4月30日第2刷

 

北緯百十三度一分、東経二十三度六分の地点において、ヤン博士はしずかに釣糸を垂れていた。
 そこは嶮岨な屏風岩の上であった。
 前には、エメラルドを溶かしこんだようなひろびろとした赤湾が、ゆるい曲線をなしてひらけ空は涯しもしらぬほど高く澄みわたり、おつながりの赤蜻蛉が三組四組五組と適当なる空間をすーいすーいと飛んでいるという、げに麗らかなる秋の午さがりであった。
 ヤン博士の垂らしている糸は、べらぼうに長い。もちろんひどい近眼の博士に、はるけき水面を浮きつ沈みつしている浮標うきなどが見えようはずがなかった。博士は、ただ釣糸の上を伝播してくるひそかなる弦振動に、博士自身の触覚感を預けていたのであった。
 目の下二尺の鯛が釣れようと、三年のすずきが食いつこうと、あるいはまた間違って糸蚯蚓みみずほどのはえ(註に曰く、ハエをハヤというは俗称なり。形鮎に似て鮎に非なる白色の淡水魚なり)がひっかかろうと、あるいは全然なにも釣れなくとも、どっちでもよいのであった。釣を好むは糸を垂れて弦振動の発生をたのしむなり。いや弦振動の発生をたのしむにあらず、文王の声の波動を期待するのにあったろう。
 ヤン博士は、近代の文王とは、誰のことであろうかなどと、つれづれのあまり考えてみることもあった。チャンカイシャという青年将校が文王になりたがっていたが、あれは今どうしているだろうかなどと、博士は若い頃の追憶にふけっていた。
「ああヤン博士、ここにおいででしたか」
 と、突然博士は自分の名をよばれてびっくりした。
 顔をあげてみると、そこには立派なる風采のトマトのように太った大人が、女の子のような従者を一人つれて立っていた。博士はその方をジロリと見ただけで、またすぐ沖合の灰色のジャンク船の片帆に視線はかえった。
「ああヤン博士、あなたをどんなにお探ししていたか分りません。周子の易に(北緯百十三度、東経二十三度附近にあり、水にちなみ、魚に縁あり、而して登るや屏風岩、いでては軍船を爆沈す)と出ましたが、ああなんたる神易でありましょうか」
「……」
 博士はげきとして、化石になりきっていた。
「もしヤン博士、猛印からのお迎えでありますぞ」
「猛印といえば――」と博士はこのときやおら顔をあげて、「猛印といえば、北京の南西二五〇〇キロメートル、また南京の西南西二〇〇〇キロメートル、雲南省の遍都で、インド王国に間近いところではないか。雲南などへ迎えられては、わしは迷惑この上なしだ」
「いや博士、猛印こそわが中国の首都でありますぞ」
「わしを愚弄してはいかん。中国の首都がインドとわずか山一つをへだたった雲南の国境にあってたまるものか。第一そんな不便な土地に、都が置けるかというのだ。この屏風岩から下へとびこんで、頭など冷やしてはどうか」
「いやそれが博士、あなたのお間違いですよ。あなたこの頃、ニュース映画をごらんになりませんね。首都が北京だったのは五、六年前です。それから南京に都はうつり――」
「それは知っとる。首都は南京だろう」
「いえ、ところがそれ以来、また遷都いたしまして、今日は西に、明日はまたさらに西にと遷都して、もう何回目になりますか忘れましたが、とにかく目下のところ中国の首都は、さっき申した猛印にありますのです」
「わしは地理学をよく知らんが、首都をそのようにたびたび変えることは面白くない。第一そうたびたび首都が変ってあしたに南京を出で、ゆうべ西にゆくでは、経費もかかってたまるまい。贅沢きわまるそして愚劣至極の政府の悪趣味といわんければならん」
「いえ贅沢とか趣味とかいう問題ではないのです」
 と、トマト氏は今にも泣きだしそうな顔であった。
「――つまり、そ、それにつきまして、ヤン博士をお迎えにあがりましたような次第でございまして――」
 と、彼は懐中から恭々しく、大きな封書をとりだして鞠窮如きくきゅうじょとして博士に捧呈した。
 ヤン博士は、釣糸をトマト氏に預けて、馬の腹がけのように大きい書面をひらいて、その中に顔を埋めた。
 そこには、墨くろぐろと、次のような文章が返り点のついていない漢文で認めてあった。
 ――支那大陸紀元八十万一年重陽の佳日、中国軍政府最高主席委員長チャンスカヤ・カイモヴィッチ・シャノフ恐惶謹言頓首々々恭々しく曰す。こいねがわくばヤン大先生の降魔征神の大科学力をもって、古今独歩未曾有の海戦新兵器を考案せられ、よってもって我が沿岸を親しく下り行きて、軍船を悉く撃沈せられんことを。而して右に関し、軍船一艘ごとに金的貨二万元を贈り、なお且つ副賞として、潜水艦には三万元、駆逐艦には一万元、内火艇十元、短挺四元、上陸部隊満載のものは倍増し、軽巡に於ては二十万元、航空母艦に……(ここで博士は大きな欠伸を一つして、途中を読むのをぬかし、その最後の行に目をうつしてみると)ここに副官府大監馮兵歩を使として派遣し、ヤン先生を中国海戦科学研究所大師に任ずるものなり――
 博士はその長い辞令を馮兵歩ひょうへいほの前にぽんと放りだして、
「なんだい、これは」
 といった。
 馮兵歩は、そこで慌てながら、大辞令の意味をいろいろと詳細に説明をして博士に聞かせたが、博士はいっこう合点のゆかぬ面持であった。
 馮大監は、博士ともいわれる人の、理解力の貧困さに呆れかえったが、そのうちに、彼は、いずくんぞしらんヤン博士が中国がいま大日本帝国と大戦争中であることをぜんぜん知らないらしいことに気がついた。
 そこで気がついて、彼は蘆溝橋事件からはじまった中国対東洋鬼国との戦闘経過をのこりなく一部始終を説明したところ、博士ははじめて手をうって、
「なるほど、承ってみれば、戦争科学というものは、げにげに面白いもんだのう」
 と、たいへん興味を湧かしたようであった。ことに、首都が雲南省のはずれのところまで移動したことについても津々たる興味をもち、もしもう一度空爆をさけて西に遷都をする必要を生じた暁には、首都はどこに移るのか、もしそれがバモとかマンダレに移ったときにはそこはインド王国内であるから、首都は首都であっても果して地理学上、中国の首都といえるかどうかについて、疑義をもったようであった。
 しかし馮大監は、それは本日の使命の外のことであるからといって、解答を辞退した。実をいえば、彼にはそれがどういうことになるのかよく分らなかったのでどうせ返答のしようがなかった。
「ええ、ようござる、ようござる。なんとかやってお目にかけると、チャンスカなにがしにいっておいて下されい」
 と、ヤン博士はすこぶる快諾の意を表したのであった。
 それを聞いた馮大監は、大いに面目を施してかたじけないと、大よろこびで辺境の首都さして帰っていった。
 そこでヤン博士は、俄然仕事ができて、たいへん愉快そうに見えた。
「軍艦を殲滅する一大発明をなし、そしてこれを使って、軍船をことごとく撃沈してしまえばいいのだ。これは実に面白いことになったわい」
 と、博士は大恐悦の態で、また釣魚をはじめたのだった。
 糸をすいすいと引いたり降ろしたりしながら、ヤン博士はいよいよ脳味噌の中から自信ある科学知能をほぐしはじめたのである。
「まず目的というのは、軍船の底に穴をあけてそこから海水の入るにまかせ、沈めてしまえばいいのだ」
 それからさらに一歩進んで、
「軍船とは何ぞや」
 の定義から始まって、
「軍船は、どうして走るか。船底はどのくらい硬いか。スクリューは何でできていて、硬度はどのくらいか」
 などと、記憶をよびもどしたり、結局軍船の攻撃要領を次のように判定した。
 すなわち、一、軍船を沈めるのには、すべからく船底に断面積大なる穴をうがつべし。二、第一項の作業を容易ならしむるため、まずもって軍船のスクリューを破壊しおくを有利とす。
 というわけで、その要領は実に一見平凡なものであった。しかし、インチキでなく本格ものは何事によらず常にもっとも平凡に見ゆるものであった。
 さあ、それからが、大変である。
 ではいかにして、一、軍船の胴中に穴をあけ、二、そのスクリューを叩きこわすか、その実践的手段であった。ヤン博士は、はたと行き詰って、しばらくは生臭い大きな掌でもって頭をぐるぐる撫でまわし、そして左右の目くそを払いおとした。上海脱出以来すでにもう幾旬、魚釣りばかりに日を送っていたために、あれほどすごい切れ味を見せていた博士の能力もここへ来てだいぶん焼鈍されたように見えたが、実はそれほどでもない。すべて物を考えるには、推理の入口というか、思索の基点というか、とにかく一種のキャタライザーが入用なのである。このキャタ公が都合よく応援に来てくれないと、すべて思索なり推理なりが、停頓閉塞する。
 むつかしい反省はそれ以上しないことにして、ヤン博士はあたりを見廻した。なにかキャタ公が来ていないかと心待ちして。
 そのとき博士は、屏風岩の上に一冊の雑誌が落ちているのに気がついた。なにげなくとりあげてみると、たいへん物珍らしい外国雑誌であった。表面には中国婦女子の顔が大きく油絵風に描いてあって、たぶんそれは誌名なのであろうが、“SIN・SEI・NEN”と美国文字がつらねてあった。
「ほう、どうしてこんなものが落ちていたのかな」
 博士はそれが、今暁この屏風岩の上空をとんでいった東洋人爆撃機からの落し物であろうとは、気がつくよしもなかったし、それが出征将士慰問の前線文庫の一冊である新品月遅れ雑誌であったことをも知るよしもなかった。そして彼の最大の不幸は、なにげなくその誌面をひらいたときに、中篇読切小説として「軍用鼠」なる見出しと、青年作家が恐ろしい形相をして、大きな鼠の顔を凸レンズの中に見つめているという怪奇な図柄とに、ぐっと呼いよせられたことであった。
 その「軍用鼠」なる小説は、結局全体として居睡り半分に書いたような支離滅裂なものであったけれど、なにか指摘してある科学的ヒントにおいては傾聴すべきものが多々あったのである。なかんずく著者のコンクルージョンであった。“――軍用鳩あり、軍用犬あり。あに、それ軍用鼠なくして可ならんや!”

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