隧道合戦
しかしながら恐いもの見たさという譬えのとおり、私はこわごわそッと目を開いてみました。すると、ああ、なんという不思議なことでしょう。猛然と突進していった筈の機関車が、急に速力も衰え、やがて反対にジリジリと後へ下ってくるのでありました。見ると、驚いたことに例の二人の怪人が、機関車の前に立って後へ押しかえしているのです。なんという恐ろしい力でしょう。それは到底人間業とは思われません。機関車はあえぎつつ、ジリジリと下ってくる一方です。
そのときピピーッと汽笛が鳴ると、こんどは機関車の方が優勢になったものか、逆に向うへジリジリと押しかえしてゆきます。怪人は機関車の前に噛りついたまま押しかえされてゆきます。まるで怪人と機関車の力較べです。しかし私はそのとき、変な事を発見しました。それは怪人の足が地上についていないということです。地上に足がつかないでいて、どうしてあのような力が出せるのでしょう。これは一向腑に落ちません。
「もしや……」
とそのとき気のついた私は、探照灯の光の下に、尚も怪人の身体を仔細に注意して見ました。
「おお、思ったとおりだッ」
私は思わず大きい声を立てました。怪人の身体は機関車にピタリと密着していないのです。怪人の身体と機関車との間には、三十センチほどの間隙があきらかに認められました。前に兄が谷村博士邸で、天井に逆にぶら下っていたとき、私は下から洋書を投げつけたことがあります。あのとき、どうしたものか、投げた洋書は兄の身体に当らずして、いつも三十センチほど手前でパッと跳ねかえるのでした。何か兄の身体の上に三十センチほどの厚さのものが蔽っている――としか考えられない有様でした。あとから兄に聞いたところによれば、あのとき兄は化物に胴中をギュッと締められているように感じたという話でした。
では、この場合、あの機関車を後へ押しているのは、あの怪人だけではなく、あの怪人に纏いついている化物の仕業ではありますまいか。イヤそうに違いありません。やっぱりあの化物です。しかし化物がどうして怪人と力を合わせているのでしょうか。
「何が思ったとおりだ」と兄が尋ねました。
「やっぱりあの化物が機関車を前から押しかえしているのですよ」
「ほう、お前にそれが解るか」
私はそのわけをこれこれですと、手短かに兄に話をしてきかせました。
ジリジリと機関車は尚も怪人を押しかえしてゆきました。そして機関車はとうとう、隧道の入口にさしかかりました。それでも機関車はグングン押してゆきます。怪人の姿は全く見えなくなりました。隧道の中に隠れてしまったのです。
そうこうしているうちに、突如として耳を破るような轟然たる大音響がしました。同時に隧道の入口からサッと大きな火の塊が抛りだされたように感じました。
グォーッ。ガラガラガラガラ。
天地も崩れるような物音とはあのときのことでしょう。私の耳はガーンといったまま、暫くはなにも聞こえなくなってしまいました
「隧道の爆発だッ」
「入口が崩れたッ」
という人々の立ち騒ぐ物声が、微かに耳に入ってきました。どうしたというのでしょう。
「うわーッ。逃げてきた逃げてきた」
「警官も鉄道の連中も、要領がいいぞオ」
そんな声も聞えます。
「あまりに乱暴じゃないですか。東京方面へ列車が出ませんよ」
と抗議しているのはどうやら兄らしいです。
「いや仕方が無い。報告の内容から推して考えると、ああするより外に道はないのです。むしろ思い切って決行したところを褒めてやって下さい。なにしろ化物は完全に隧道の中に生き埋めだ」
「隧道の向うが開いているでしょう」
「なに鴨の宮の方の入口も、あれと同時に爆発して完全に閉じてしまったのです。化け物は袋の鼠です。もうなかなか出られやしません」と白木警部は一人で感心していました。
後で詳しく聞いた話ですけれど、二人の怪人の戦慄すべき暴行について、小田原署の署長さんは一世一代の智慧をふりしぼって、あの非常手段をやっつけたのでした。その儘放って置けば、あの怪人や化物は何をするか判らないのです。お終いには東京の方へ飛んでいって空襲よりもなお恐ろしい惨禍を撒きちらすかも知れません。そんなことがあっては一大事です。署長さんは、あの怪人の背後に、例の化物団が居ると見て、これを釣り出すために機関車隊を編成させ、力較べをさせたのです。恐さを知らぬ化物団は、勝っているうちはよかったが、力負けがしてくると大焦りに焦って、大真面目に機関車を後へ押し返そうと皆で揃ってワッショイワッショイやっているうちに、いつの間にか隧道の中へ押し籠められたのです。それに夢中になっている間に、爆破隊が例の入口封鎖を見事にやってのけました。むろん機関車にのっていた警官や乗務員連中は爆破の前に車から飛び降りて、安全な場所までひっかえしてきたわけでありました。
こうして正体の解らない化物は封鎖されてしまった形ですが、こんなことで大丈夫でしょうか。化物はもう残っていないのでしょうか。残っていたら、それこそ大変です。それから気にかかるのは、谷村博士と黒田警官の行方です。それも今夜は尋ねようがありません。
警備の人々は帽子を脱いでホッと溜息を洩らしました。そして道傍にゴロリと横になると、積り積った疲労が一時に出て、間もなく皆は泥のような熟睡に落ちました。
山頂の怪
警備の人達の苦労を知らぬ気に、いくばくもなく東の空が白んできました。生き残った雄鶏が元気なときをつくると、やがて夜はほのぼのと明け放れました。
「やあ」
「やあ」
目醒めた警備の人々は、相手の真黒に汚れた顔を見てふきだしたい位でした。瞼は腫れあがり、眼は真赤に充血し、顔の色は土のように色を失い、血か泥かわからぬようなものが、あっちこっちに附着していました。しかしそれは自分の顔のよごれ方と同じであったのですが、始めは気がつきませんでした。
「化物はどうしたな、オイ巡視だッ」白木警部の呶鳴る声がしました。
私もその声に、ハッキリと目が醒めました。ハッと思って傍を見ると、一緒にいた筈の兄の荘六の姿が見えません。
「兄さん――」
呼んでみても、誰も返事をする者がありません。
「もしもし、兄を知りませんか」
「帆村君かネ」と警部さんも訝しそうにあたりを振りかえってみました。「そこにいたと思ったが、見えないネ」
私は急に不安になりました。
警部さんは巡視隊を編成すると、勇しく先頭に立って歩きはじめました。
「私も連れていって下さい」
「ああ、恐ろしくなければ、ついて来給え」
そういって呉れたので、私も隊伍のうしろに随って歩き出しました。
歩いているうちにも、化物の封鎖された隧道のことよりも、兄のことが心配になってたまりません。私はあたりをキョロキョロ眺めながら歩いてゆくので、幾度となく線路や枕木に蹴つまずいて、倒れそうになりました。
隧道の入口に近づいてみますと、昨夜とはちがって白昼だけにその惨状は眼もあてられません。崩れた岩石の間から、半分ばかり無惨な胴体をはみ出している機関車、飛び散っている車輪、根まで露出している大きな松の樹など、その惨状は筆にも紙にもつくせません。しかし幸いにも、一向あとから掘りかえした跡もありません。まず西口は大丈夫だということがわかりました。
一行はなおも隧道の全体にわたって異状がないかどうかを調べるために、崩れた崖をよじのぼって、隧道の屋根にあたる山の上を綿密に検べてゆくことになりました。
「どうやら大丈夫のようだね」
「すると化物は、皆この足の下に閉じこめられているというわけなんだな」
巡視隊の警官も、さすがに気味わるがって、足音をしのばせて歩いていました。
「オヤッ」
「オヤ、これはどうだ」
「オヤオヤオヤオヤ」
安心しきっていた一行は、急に壁につきあたりでもしたかのように、立ち止りました。私も遅れ馳せに駈けつけてみましたが、鳴呼これは一体どうしたというのでしょう。山の上に、まるで噴火口でもあるかのように、ポッカリと大穴が明いているのです。穴から下を覗いてみますと、底はどこまでも続いているとも知れず、真暗見透しがつきません。
「こんな穴は、以前から有ったろうか」白木警部は不安に閃く眼を一同の方に向けました。
「いいえ、ありませんです。ここはずッと盆地のように平になっていて、青い草が生えていたばかりですよ」
「ほほう、すると何時の間に出来たのだろうか」
「もしや……」
「もしや何だッ」と警部は声をはりあげて聞きかえしました。
「もしや、あの化物が明けたのでは……」
「そんなことかも知れん。天井の壁さえ抜けば、あとは軟い土ばかりだったのかも知れない」
「すると化物は、どッどこに……」
「さあ――」と警部が不図傍らの土塊に眼をうつしますと、妙なものを発見しました。
「おお、そこに人間の足が見えるではないか」
一行はあまりに近くへ寄りすぎて、穴ばかりに気をとられ、傍らの堆高い土塊に気がつかなかったのです。そこから二本の足がニョッキリと出ています。全く裸の脚です。誰の足でしょう。行方不明になった谷村博士も黒田警官も洋服を着ている筈です。兄は私と同じく和服でありました。するとこの裸の足は、ああ……
私はそう思うと、頭がクラクラとしました。謎を包んだ大きい穴が、急にスーと小さくなって、釦の穴ほどに縮まったような気がいたしました。それっきりでした。私は大きい衝動にたえきれないで、恐ろしい現場を前に、あらゆる知覚を失ってしまいました。暗い世界に落ちてゆくような気がしたのが最後で、なにもかも解らなくなったのです。
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