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崩れる鬼影(くずれるおにかげ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-24 15:59:02  点击:  切换到繁體中文



   隧道合戦トンネルかっせん


 しかしながらこわいもの見たさというたとえのとおり、私はこわごわそッと目をいてみました。すると、ああ、なんという不思議なことでしょう。猛然もうぜん突進とっしんしていったはずの機関車が、急に速力もおとろえ、やがて反対にジリジリと後へ下ってくるのでありました。見ると、驚いたことに例の二人の怪人が、機関車の前に立って後へ押しかえしているのです。なんという恐ろしい力でしょう。それは到底とうてい人間業にんげんわざとは思われません。機関車はあえぎつつ、ジリジリと下ってくる一方です。
 そのときピピーッと汽笛が鳴ると、こんどは機関車の方が優勢になったものか、逆に向うへジリジリと押しかえしてゆきます。怪人は機関車の前にかじりついたまま押しかえされてゆきます。まるで怪人と機関車の力較ちからくらべです。しかし私はそのとき、変な事を発見しました。それは怪人の足が地上についていないということです。地上に足がつかないでいて、どうしてあのような力が出せるのでしょう。これは一向いっこうちません。
「もしや……」
 とそのとき気のついた私は、探照灯の光の下に、尚も怪人の身体を仔細しさいに注意して見ました。
「おお、思ったとおりだッ」
 私は思わず大きい声を立てました。怪人の身体は機関車にピタリと密着していないのです。怪人の身体と機関車との間には、三十センチほどの間隙かんげきがあきらかに認められました。前に兄が谷村博士邸で、天井にさかさにぶら下っていたとき、私は下から洋書を投げつけたことがあります。あのとき、どうしたものか、投げた洋書は兄の身体に当らずして、いつも三十センチほど手前でパッとねかえるのでした。何か兄の身体の上に三十センチほどの厚さのものがおおっている――としか考えられない有様ありさまでした。あとから兄に聞いたところによれば、あのとき兄は化物に胴中どうなかをギュッと締められているように感じたという話でした。
 では、この場合、あの機関車を後へ押しているのは、あの怪人だけではなく、あの怪人にまといついている化物の仕業しわざではありますまいか。イヤそうに違いありません。やっぱりあの化物です。しかし化物がどうして怪人と力を合わせているのでしょうか。
「何が思ったとおりだ」と兄がたずねました。
「やっぱりあの化物が機関車を前から押しかえしているのですよ」
「ほう、お前にそれが解るか」
 私はそのわけをこれこれですと、手短てみじかに兄に話をしてきかせました。
 ジリジリと機関車はなおも怪人を押しかえしてゆきました。そして機関車はとうとう、隧道トンネルの入口にさしかかりました。それでも機関車はグングン押してゆきます。怪人の姿は全く見えなくなりました。隧道の中に隠れてしまったのです。
 そうこうしているうちに、突如とつじょとして耳を破るような轟然ごうぜんたる大音響だいおんきょうがしました。同時に隧道の入口からサッと大きな火のかたまりほうりだされたように感じました。
 グォーッ。ガラガラガラガラ。
 天地も崩れるような物音とはあのときのことでしょう。私の耳はガーンといったまま、しばらくはなにも聞こえなくなってしまいました
隧道トンネルの爆発だッ」
「入口が崩れたッ」
 という人々の立ち騒ぐ物声が、かすかに耳に入ってきました。どうしたというのでしょう。
「うわーッ。逃げてきた逃げてきた」
「警官も鉄道の連中も、要領ようりょうがいいぞオ」
 そんな声も聞えます。
「あまりに乱暴じゃないですか。東京方面へ列車が出ませんよ」
 と抗議しているのはどうやら兄らしいです。
「いや仕方が無い。報告の内容からして考えると、ああするよりほかに道はないのです。むしろ思い切って決行したところをめてやって下さい。なにしろ化物は完全に隧道の中に生き埋めだ」
「隧道の向うがいているでしょう」
「なにかもみやの方の入口も、あれと同時に爆発して完全に閉じてしまったのです。化け物はふくろねずみです。もうなかなか出られやしません」と白木警部は一人で感心していました。
 後でくわしく聞いた話ですけれど、二人の怪人の戦慄せんりつすべき暴行について、小田原署の署長さんは一だいの智慧をふりしぼって、あの非常手段をやっつけたのでした。そのまま放って置けば、あの怪人や化物は何をするか判らないのです。おしまいには東京の方へ飛んでいって空襲くうしゅうよりもなおおそろしい惨禍さんかきちらすかも知れません。そんなことがあっては一大事です。署長さんは、あの怪人の背後に、例の化物団ばけものだんが居ると見て、これを釣り出すために機関車隊を編成させ、力較ちからくらべをさせたのです。恐さを知らぬ化物団は、勝っているうちはよかったが、力負けがしてくると大焦おおあせりに焦って、大真面目おおまじめに機関車を後へ押し返そうと皆で揃ってワッショイワッショイやっているうちに、いつの間にか隧道の中へめられたのです。それに夢中になっている間に、爆破隊が例の入口封鎖ふうさを見事にやってのけました。むろん機関車にのっていた警官や乗務員連中は爆破の前に車から飛び降りて、安全な場所までひっかえしてきたわけでありました。
 こうして正体の解らない化物は封鎖されてしまった形ですが、こんなことで大丈夫でしょうか。化物はもう残っていないのでしょうか。残っていたら、それこそ大変です。それから気にかかるのは、谷村博士と黒田警官の行方ゆくえです。それも今夜はたずねようがありません。
 警備の人々は帽子をいでホッと溜息ためいきらしました。そして道傍みちばたにゴロリと横になると、積り積った疲労が一時に出て、間もなく皆はどろのような熟睡じゅくすいに落ちました。


   山頂さんちょうかい


 警備の人達の苦労をらぬに、いくばくもなく東の空が白んできました。生き残った雄鶏が元気なときをつくると、やがて夜はほのぼのと明け放れました。
「やあ」
「やあ」
 目醒めざめた警備の人々は、相手の真黒に汚れた顔を見てふきだしたい位でした。まぶたれあがり、眼は真赤に充血し、顔の色は土のように色を失い、血か泥かわからぬようなものが、あっちこっちに附着ふちゃくしていました。しかしそれは自分の顔のよごれ方と同じであったのですが、始めは気がつきませんでした。
化物ばけものはどうしたな、オイ巡視じゅんしだッ」白木警部の呶鳴どなる声がしました。
 私もその声に、ハッキリと目がめました。ハッと思ってそばを見ると、一緒にいた筈の兄の荘六そうろくの姿が見えません。
「兄さん――」
 呼んでみても、誰も返事をする者がありません。
「もしもし、兄を知りませんか」
「帆村君かネ」と警部さんもいぶかしそうにあたりを振りかえってみました。「そこにいたと思ったが、見えないネ」
 私は急に不安になりました。
 警部さんは巡視隊じゅんしたい編成へんせいすると、勇しく先頭に立って歩きはじめました。
「私も連れていって下さい」
「ああ、恐ろしくなければ、ついて来給きたまえ」
 そういってれたので、私も隊伍たいごのうしろにしたがって歩き出しました。
 歩いているうちにも、化物の封鎖された隧道トンネルのことよりも、兄のことが心配になってたまりません。私はあたりをキョロキョロながめながら歩いてゆくので、幾度となく線路や枕木に蹴つまずいて、倒れそうになりました。
 隧道トンネルの入口に近づいてみますと、昨夜とはちがって白昼はくちゅうだけにその惨状さんじょうは眼もあてられません。崩れた岩石の間から、半分ばかり無惨むざんな胴体をはみ出している機関車、飛び散っている車輪、根まで露出ろしゅつしている大きな松の樹など、その惨状は筆にも紙にもつくせません。しかしさいわいにも、一向あとから掘りかえした跡もありません。まず西口にしぐちは大丈夫だということがわかりました。
 一行はなおも隧道の全体にわたって異状がないかどうかを調べるために、崩れた崖をよじのぼって、隧道の屋根にあたる山の上を綿密めんみつしらべてゆくことになりました。
「どうやら大丈夫のようだね」
「すると化物は、皆この足の下に閉じこめられているというわけなんだな」
 巡視隊の警官も、さすがに気味きみわるがって、足音をしのばせて歩いていました。
「オヤッ」
「オヤ、これはどうだ」
「オヤオヤオヤオヤ」
 安心しきっていた一行は、急に壁につきあたりでもしたかのように、立ちどまりました。私もおくせに駈けつけてみましたが、鳴呼ああこれは一体どうしたというのでしょう。山の上に、まるで噴火口ふんかこうでもあるかのように、ポッカリと大穴がいているのです。穴から下をのぞいてみますと、底はどこまでも続いているとも知れず、真暗まっくらで見透みとおしがつきません。
「こんな穴は、以前から有ったろうか」白木警部は不安にひらめく眼を一同の方に向けました。
「いいえ、ありませんです。ここはずッと盆地ぼんちのようにたいらになっていて、青い草が生えていたばかりですよ」
「ほほう、すると何時いつの間に出来たのだろうか」
「もしや……」
「もしや何だッ」と警部は声をはりあげて聞きかえしました。
「もしや、あの化物が明けたのでは……」
「そんなことかも知れん。天井の壁さえ抜けば、あとはやわらかい土ばかりだったのかも知れない」
「すると化物は、どッどこに……」
「さあ――」と警部が不図ふとかたわらの土塊どかいに眼をうつしますと、妙なものを発見しました。
「おお、そこに人間の足が見えるではないか」
 一行はあまりに近くへ寄りすぎて、穴ばかりに気をとられ、傍らの堆高うずたかい土塊に気がつかなかったのです。そこから二本の足がニョッキリと出ています。全く裸の脚です。誰の足でしょう。行方不明になった谷村博士も黒田警官も洋服を着ている筈です。兄は私と同じく和服でありました。するとこの裸の足は、ああ……
 私はそう思うと、頭がクラクラとしました。謎を包んだ大きい穴が、急にスーと小さくなって、ボタンの穴ほどにちぢまったような気がいたしました。それっきりでした。私は大きい衝動しょうどうにたえきれないで、恐ろしい現場げんばを前に、あらゆる知覚ちかくを失ってしまいました。暗い世界に落ちてゆくような気がしたのが最後で、なにもかもわからなくなったのです。

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