二人連れの怪人
兄は元気になって、谷村博士の老夫人を見舞いました。
「まア、貴郎までとんだ目にお遭いなすってお気の毒なことです」
と老婦人は泪さえ浮べて云いました。
「おや、あれはどうしたのです」
兄は内扉の向うが、乱雑にとりちらかされてあるのを見て、老婦人に尋ねました。
「あれは衣服室なのです。それが貴郎、ゾロゾロ動き出して、まるで生物のように此の室を匍い廻ったんです」
「ああ、あの一件ですネ。するとあの洋服はすべて先生と奥様のだったというわけですね」
老婦人は黙って肯きました。
「いや、それですこし判って来たぞ」
「どう判ったの、兄さん」
「まア待て――」
兄はそれから庭へ下りてゆきました。警官たちは例の池のところに、何か協議を開いていました。私は兄を紹介する役目になりました。
「いや皆さん、私まで御心配かけまして」と兄は挨拶をしました。「ときに警官の方が一人見えないそうですね」
「黒田という者ですがネ。これ御覧なさい。この足跡がそうなんですが、黒田君は途中で突然身体が消えてしまったことになるので、今皆と智慧を絞っているのですが、どうにも考えがつきません」
「突然身体が消えるというのは可笑しいですネ。見えなくなることがあったとしても足跡は見えなくならんでしょう。矢張り泥の上についていなければならんと思いますがネ」
「それもそうですネ」
「僕の考えでは、黒田さんは、私を襲ったと同じ怪物に、いきなり掠われたんだと思いますよ。あの怪物が、追っかけた黒田さんの身体を掴え、空中へ攫いあげたのでしょう。黒田さんの身体は宙に浮いた瞬間、足跡は泥の上につかなくなったわけです。それで理窟はつくと思います」
「なるほど、黒田君が空中にまきあげられたとすればそうなりますネ。しかし可笑しいじゃないですか」と警部はちょっと言葉を停めてから「それだと黒田君の足跡のある近所に怪物の足跡も一緒に残っていなければならんと思いますがネ」
「さあそれは今のところ僕にも判らないんです」と兄は頭を左右に振りました。
そのとき家の方にいた警官が一人、バタバタと駈け出してきました。
「警部どの、警部どの」
「おお、ここだッ。どうした」
ソレッというので、先程の異変に懲りている警官隊は、集まって来ました。
「いま本署に事件を報告いたしました。ところが、その報告が終るか終らないうちに、今度は本署の方から、怪事件が突発したから、警部どの始め皆に、なるべくこっちへ救援に帰って呉れとの署長どのの御命令です」
「はて、怪事件て何だい」
「深夜の小田原に怪人が二人現れたそうです。そいつが乱暴にも寝静まっている小田原の町家を、一軒一軒ぶっこわして歩いているそうです」
「抑えればいいじゃないか」
「ところがこの怪人は、とても力があるのです。十人や二十人の警官隊が向っていっても駄目なんです。鉄の扉でもコンクリートの壁でもドンドン打ち抜いてゆくのです。そして盛んに何か探しているらしいが見付からない様子だそうで、このままにして置くと、小田原町は全滅の外ありません。直ぐ救援に帰れということです」
「その怪人の服装は?」
「それが一人は警官の帽子を着た老人です。もう一人は白い手術着のような上に剣をつった男で、何だか見たような人間だと云ってます。異様な扮装です」
「なに異様な扮装。そして今度は顔もついているのだナ」
「失礼ですが」と兄が口を挟みました。「どうやら行方不明の谷村博士と黒田警官の服装に似ているところもありますネ」
「そうです。そうだそうだ」警部は忽ち赤くなって叫びました。「じゃ現場へ急行だ。三人の監視員の外、皆出発だ。帆村さん、貴方も是非来て下さい」
ああ、変な二人の怪人は、小田原の町で一体何を始めたのでしょう。例の化物はどこへ行ったでしょう。奇怪なる謎は解けかけたようで、まだ解けません。
重大な手懸り
「帆村さん、身体の方は大丈夫ですか」
警官隊の隊長白木警部はそういって私の兄を優しくいたわってくれました。
「ありがとう。だんだんと元気が出てきました。僕も連れてっていただきますから、どうぞ」
「どうぞとはこっちの言うことです。貴方がいて下さるので、こんなひどい事件に遭っても私達は非常に気強くやっていますよ」
そこで私達も白木警部と同じ自動車の一隅に乗りました。私達の自動車は先頭から二番目です。警笛を音高くあたりの谷間に響かせながら、曲り曲った路面の上を、いとももどかしげに、疾走を始めました。
「兄さん」と私は荘六の脇腹をつつきました。
「なんだい、民ちゃん」と兄は久しぶりに私の名を呼んでくれました。
「早く夜が明けるといいね」
「どうしてサ」
「夜が明けると、谷村博士のお邸にいた化物どもは、皆どこかへ行ってしまうでしょう」
「さア、そううまくは行かないだろう。あの化物は、あたりまえの化物とは違うからネ」
「あたりまえの化物じゃないというと……」
「あれは本当に生きているのだよ。たしかに生物だ。人間によく似た生物だ。陽の光なんか、恐れはしないだろう」
「すると、生物だというのは、確かに本当なんだネ、兄さん。人間によく似たというとあれは人間じゃないの」
「人間ではない。人間はあんなに身体が透きとおるなんてことがないし、それから身体がクニャクニャで大きくなったり小さくなったり出来るものか。また足を地面につかないで力を出すなんておかしいよ。とにかく地球の上に棲んでいる生物に、あんな不思議なものはいない筈だ」
「じゃ、もしや火星からやって来た生物じゃないかしら」
「さアそれは今のところ何とも云えない。これぞという証拠が一つも手に入っていないのだからネ」
そういって兄は首を左右にふりました。そのとき私の頭脳の中に、不図浮び出たものがありました。
「あッ、そうだ。その証拠になるものが一つあるんですよ」
「えッ。何だって?」
「証拠ですよ」と云いながら私は大事にしまってあった手帛の包みをとり出しました。「これを見て下さい。兄さんが気を失った室の硝子窓のところで発見したのですよ。硝子の壊れた縁に引懸かっていたのですよ。ほらほら……」
そういって私は、あの白い毛のようなものを取り出して兄に見せると共に、発見当時の一伍一什を手短かに語りました。
「ふふーン」兄は大きい歎息をついて、白木警部のさし出す懐中電灯の下に、その得態の知れない白毛に見入りました。
「一体なんです。化物が落していったとすると、化物の何です。頭に生えていた白毛ですか」
「イヤそんなものじゃありません。――これはいいものが手に入りました。御覧なさい。これは毛のようで毛ではありません。むしろセルロイドに似ています。しかしセルロイドと違って、こんなによく撓みます。しかも非常に硬い。こんなに硬くて、こんなによく撓むということは面白いことです。覚えていらっしゃるでしょうネ。あの化物の身体は、自由に伸び縮みをするということ、そして透明だということ、――これがあの化物の皮膚の一部なのです」
「皮膚の一部ですって!」
「そうです。化物が硝子窓を破って外へ飛びだしたときに、剃刀よりも鋭い角のついた硝子の破片でわれとわが皮膚を傷つけたのです。そして剥けた皮膚の一部がこの白毛みたいなものなのです。いやこれは中々面白いことになってきましたよ」
兄はひとりで悦に浸っていました。
化物追跡戦
「とにかく此の白毛みたいなものを早速東京へ送って分析して貰うことにしましょう。分析して貰えば、これが地球上に既に発見されているものか、それとも他のものか、きっと見分けがつくと思いますよ」
「なるほど、なるほど。いいですね」と白木警部は大きく肯きました。
そのとき先頭に駆っている自動車から、ポポーッ、ポポーッと警笛が鳴りひびきました。
「なんだ」
「イヤ警部どの、もう小田原へ入りましたが、ちょっと外を御覧下さい」
「うむ――」
警部さんにつづいて私達も外を覗いてみました。両側の家は、停電でもしているかのように真暗です。しかしヘッド・ライトに照らされて街並がやっと見えます。ああ、何たる惨状でしょうか。
「うむ、これはひどい!」
「まるで大地震の跡のようだッ」
「おお、向うに火が見えるぞ」
近づいてみると、それは町の辻に設けられた篝火です。青年団員やボーイスカウトの勇しい姿も見えます。――警官の一隊がバラバラと駈けて来ました。
「どッどうした」白木警部は手をあげて怒鳴るように云いました。
「やあ、警部どの」と頤髯の生えた警官が青ざめた顔を近づけました。「やっと下火になりました。その代り、小田原の町は御覧のとおり滅茶滅茶です」
「二人の怪人というのはどうした」
「決死隊が追跡中です。小田原駅の上に飛びあがり、暗い鉄道線路の上を東の方へ逃げてゆきました」
「そうか、じゃ私達も行ってみよう」
自動車は更にエンジンをかけて、スピードを早めました。自動車に仕掛けてあるサイレンの呻りが、情景を一層物凄くしました。どんどん飛ばしてゆくほどに、とうとう小田原の町を外れて、線路と並行になりました。生ぐさい草の香が鼻をうちます。
「どうだ、見えないか」と警部は大童です。
「さアまだ見えませんが……呀ッ呀ッ、居ました、居ましたッ」
「どこだ、どこだッ」
「いま探照灯をそっちへ廻しますから……」
運転台のやや高いところに取りつけてあった探照灯がピカリと首を動かすと、なるほど線路上にフワフワと跟めきながら東の方へ走っている二つの白い人影がクッキリ浮かび出ました。一人の方は剣を吊っているらしく、ときどきピカピカと鞘らしいものが閃きます。
「居た、居た、あれだッ」と兄が叫びました。
「追跡隊はどうしたのだ。――うん、あすこの線路下に跼っている一隊に尋ねてみよう」
警部さんは汗みどろになっての指揮です。
「オーイ、どうして追駆けないのだ。元気を出せ、元気を――」
「いま最後の一戦をやるところです。見ていて下さい。駅の方から機関車隊が出動しますから……」
「ナニ、機関車隊だって……」
その言葉が終るか終らぬ裡に、ピピーッという警笛が駅の方から聞えました。オヤと思う間もなく、こっちに驀進してきた一台の電気機関車、――と思ったが一台ではないのでした。二ツ、三ツ、四ツ。機関車が四つも接がって驀進してゆきます。
なにをするのかと見ていると、上り線と下り線との両道を機関車は二列に並んで、二人の怪人に迫ってゆくのでした。いまにも二人の怪人は車輪の下にむごたらしく轢き殺されてしまいそうな様子に見えました。
「あッ」
と私はあまりの惨虐な光景に目を閉じました。
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