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崩れる鬼影(くずれるおにかげ)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-24 15:59:02  点击:  切换到繁體中文



   二人連れの怪人


 兄は元気になって、谷村博士の老夫人を見舞いました。
「まア、貴郎あなたまでとんだ目においなすってお気の毒なことです」
 と老婦人はなみださえ浮べて云いました。
「おや、あれはどうしたのです」
 兄は内扉の向うが、乱雑にとりちらかされてあるのを見て、老婦人にたずねました。
「あれは衣服室なのです。それが貴郎、ゾロゾロ動き出して、まるで生物のように此の室をい廻ったんです」
「ああ、あの一件ですネ。するとあの洋服はすべて先生と奥様のだったというわけですね」
 老婦人は黙ってうなずきました。
「いや、それですこし判って来たぞ」
「どう判ったの、兄さん」
「まア待て――」
 兄はそれから庭へ下りてゆきました。警官たちは例の池のところに、何か協議を開いていました。私は兄を紹介する役目になりました。
「いや皆さん、私まで御心配かけまして」と兄は挨拶あいさつをしました。「ときに警官の方が一人見えないそうですね」
「黒田という者ですがネ。これ御覧なさい。この足跡がそうなんですが、黒田君は途中で突然身体が消えてしまったことになるので、今みんなと智慧をしぼっているのですが、どうにも考えがつきません」
「突然身体が消えるというのは可笑おかしいですネ。見えなくなることがあったとしても足跡は見えなくならんでしょう。矢張り泥の上についていなければならんと思いますがネ」
「それもそうですネ」
「僕の考えでは、黒田さんは、私を襲ったと同じ怪物に、いきなりさらわれたんだと思いますよ。あの怪物が、追っかけた黒田さんの身体をつかまえ、空中へさらいあげたのでしょう。黒田さんの身体は宙に浮いた瞬間、足跡は泥の上につかなくなったわけです。それで理窟りくつはつくと思います」
「なるほど、黒田君が空中にまきあげられたとすればそうなりますネ。しかし可笑しいじゃないですか」と警部はちょっと言葉を停めてから「それだと黒田君の足跡のある近所に怪物の足跡も一緒に残っていなければならんと思いますがネ」
「さあそれは今のところ僕にも判らないんです」と兄は頭を左右に振りました。
 そのとき家の方にいた警官が一人、バタバタと駈け出してきました。
「警部どの、警部どの」
「おお、ここだッ。どうした」
 ソレッというので、先程の異変にりている警官隊は、集まって来ました。
「いま本署に事件を報告いたしました。ところが、その報告が終るか終らないうちに、今度は本署の方から、怪事件が突発したから、警部どの始め皆に、なるべくこっちへ救援きゅうえんに帰ってれとの署長どのの御命令です」
「はて、怪事件て何だい」
「深夜の小田原おだわらに怪人が二人現れたそうです。そいつが乱暴にも寝静まっている小田原の町家ちょうかを、一軒一軒ぶっこわして歩いているそうです」
「抑えればいいじゃないか」
「ところがこの怪人は、とても力があるのです。十人や二十人の警官隊が向っていっても駄目なんです。鉄のドアでもコンクリートの壁でもドンドン打ち抜いてゆくのです。そして盛んに何か探しているらしいが見付からない様子だそうで、このままにして置くと、小田原町は全滅のほかありません。直ぐ救援に帰れということです」
「その怪人の服装は?」
「それが一人は警官の帽子を着た老人です。もう一人は白い手術着のような上に剣をつった男で、何だか見たような人間だと云ってます。異様いよう扮装いでたちです」
「なに異様な扮装。そして今度は顔もついているのだナ」
「失礼ですが」と兄が口をはさみました。「どうやら行方不明の谷村博士と黒田警官の服装に似ているところもありますネ」
「そうです。そうだそうだ」警部はたちまち赤くなって叫びました。「じゃ現場へ急行だ。三人の監視員のほか、皆出発だ。帆村さん、貴方も是非ぜひ来て下さい」
 ああ、変な二人の怪人は、小田原の町で一体何を始めたのでしょう。例の化物はどこへ行ったでしょう。奇怪なる謎は解けかけたようで、まだ解けません。


   重大な手懸てがか


「帆村さん、身体の方は大丈夫ですか」
 警官隊の隊長白木警部はそういって私の兄を優しくいたわってくれました。
「ありがとう。だんだんと元気が出てきました。僕も連れてっていただきますから、どうぞ」
「どうぞとはこっちの言うことです。貴方あなたがいて下さるので、こんなひどい事件にっても私達は非常に気強くやっていますよ」
 そこで私達も白木警部と同じ自動車の一隅いちぐうに乗りました。私達の自動車は先頭から二番目です。警笛けいてきを音高くあたりの谷間にひびかせながら、曲り曲った路面の上を、いとももどかしげに、疾走しっそうを始めました。
「兄さん」と私は荘六そうろく脇腹わきばらをつつきました。
「なんだい、民ちゃん」と兄は久しぶりに私の名を呼んでくれました。
「早く夜が明けるといいね」
「どうしてサ」
「夜が明けると、谷村博士のおやしきにいた化物どもは、皆どこかへ行ってしまうでしょう」
「さア、そううまくは行かないだろう。あの化物は、あたりまえの化物とは違うからネ」
「あたりまえの化物じゃないというと……」
「あれは本当に生きているのだよ。たしかに生物せいぶつだ。人間によく似た生物だ。の光なんか、おそれはしないだろう」
「すると、生物いきものだというのは、確かに本当なんだネ、兄さん。人間によく似たというとあれは人間じゃないの」
「人間ではない。人間はあんなに身体がきとおるなんてことがないし、それから身体がクニャクニャで大きくなったり小さくなったり出来るものか。また足を地面につかないで力を出すなんておかしいよ。とにかく地球の上にんでいる生物に、あんな不思議なものはいないはずだ」
「じゃ、もしや火星からやって来た生物じゃないかしら」
「さアそれは今のところ何とも云えない。これぞという証拠しょうこが一つも手に入っていないのだからネ」
 そういって兄は首を左右にふりました。そのとき私の頭脳の中に、不図ふとうかび出たものがありました。
「あッ、そうだ。その証拠になるものが一つあるんですよ」
「えッ。何だって?」
「証拠ですよ」と云いながら私は大事にしまってあった手帛ハンカチの包みをとり出しました。「これを見て下さい。兄さんが気を失った室の硝子ガラス窓のところで発見したのですよ。硝子のこわれたふち引懸ひっかかっていたのですよ。ほらほら……」
 そういって私は、あの白い毛のようなものを取り出して兄に見せると共に、発見当時の一伍一什いちぶしじゅうを手短かに語りました。
「ふふーン」兄は大きい歎息ためいきをついて、白木警部のさし出す懐中電灯の下に、その得態えたいの知れない白毛しらげに見入りました。
「一体なんです。化物が落していったとすると、化物の何です。頭に生えていた白毛ですか」
「イヤそんなものじゃありません。――これはいいものが手に入りました。御覧なさい。これは毛のようで毛ではありません。むしろセルロイドに似ています。しかしセルロイドと違って、こんなによくたわみます。しかも非常にかたい。こんなに硬くて、こんなによく撓むということは面白いことです。覚えていらっしゃるでしょうネ。あの化物の身体は、自由にちぢみをするということ、そして透明だということ、――これがあの化物の皮膚の一部なのです」
「皮膚の一部ですって!」
「そうです。化物が硝子ガラス窓を破って外へ飛びだしたときに、剃刀かみそりよりも鋭い角のついた硝子ガラス破片はへんでわれとわが皮膚を傷つけたのです。そしてけた皮膚の一部がこの白毛しらげみたいなものなのです。いやこれは中々面白いことになってきましたよ」
 兄はひとりでえつひたっていました。


   化物追跡戦ばけものついせきせん


「とにかくの白毛みたいなものを早速さっそく東京へ送って分析して貰うことにしましょう。分析して貰えば、これが地球上に既に発見されているものか、それとも他のものか、きっと見分けがつくと思いますよ」
「なるほど、なるほど。いいですね」と白木警部は大きくうなずきました。
 そのとき先頭にはしっている自動車から、ポポーッ、ポポーッと警笛けいてきが鳴りひびきました。
「なんだ」
「イヤ警部どの、もう小田原へ入りましたが、ちょっと外を御覧下さい」
「うむ――」
 警部さんにつづいて私達も外をのぞいてみました。両側の家は、停電でもしているかのように真暗まっくらです。しかしヘッド・ライトに照らされて街並まちなみがやっと見えます。ああ、何たる惨状さんじょうでしょうか。
「うむ、これはひどい!」
「まるで大地震おおじしんの跡のようだッ」
「おお、向うに火が見えるぞ」
 近づいてみると、それは町のつじもうけられた篝火かがりびです。青年団員やボーイスカウトの勇しい姿も見えます。――警官の一隊がバラバラと駈けて来ました。
「どッどうした」白木警部は手をあげて怒鳴どなるように云いました。
「やあ、警部どの」と頤髯あごひげえた警官が青ざめた顔を近づけました。「やっと下火したびになりました。その代り、小田原の町は御覧のとおり滅茶滅茶めちゃめちゃです」
「二人の怪人というのはどうした」
「決死隊が追跡中です。小田原駅の上に飛びあがり、暗い鉄道線路の上を東の方へ逃げてゆきました」
「そうか、じゃ私達も行ってみよう」
 自動車はさらにエンジンをかけて、スピードを早めました。自動車に仕掛けてあるサイレンのうなりが、情景を一層物凄ものすごくしました。どんどん飛ばしてゆくほどに、とうとう小田原の町をはずれて、線路と並行になりました。なまぐさい草のが鼻をうちます。
「どうだ、見えないか」と警部は大童おおわらわです。
「さアまだ見えませんが……ッ、居ました、居ましたッ」
「どこだ、どこだッ」
「いま探照灯たんしょうとうをそっちへ廻しますから……」
 運転台のやや高いところに取りつけてあった探照灯がピカリと首を動かすと、なるほど線路上にフワフワとよろめきながら東の方へ走っている二つの白い人影がクッキリ浮かび出ました。一人の方は剣を吊っているらしく、ときどきピカピカとさやらしいものがひらめきます。
「居た、居た、あれだッ」と兄が叫びました。
「追跡隊はどうしたのだ。――うん、あすこの線路下にうずくまっている一隊にたずねてみよう」
 警部さんはあせみどろになっての指揮しきです。
「オーイ、どうして追駆おいかけないのだ。元気を出せ、元気を――」
「いま最後の一戦をやるところです。見ていて下さい。駅の方から機関車隊が出動しますから……」
「ナニ、機関車隊だって……」
 その言葉が終るか終らぬうちに、ピピーッという警笛けいてきが駅の方から聞えました。オヤと思う間もなく、こっちに驀進ばくしんしてきた一台の電気機関車、――と思ったが一台ではないのでした。二ツ、三ツ、四ツ。機関車が四つもつながって驀進してゆきます。
 なにをするのかと見ていると、のぼり線とくだり線との両道を機関車は二列に並んで、二人の怪人に迫ってゆくのでした。いまにも二人の怪人は車輪の下にむごたらしくころされてしまいそうな様子に見えました。
「あッ」
 と私はあまりの惨虐ざんぎゃくな光景に目を閉じました。

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