怪物の怪力
「では出動用意」警部は手をあげました。「第一隊は表玄関より、第二隊は裏の入口より進む。それから第三隊は門内の庭木の中にひそんで待機をしながら表門を警戒している。本官とこの少年は第一隊に加わって表玄関より進む。――よいか。では進めッ!」
警官はサッと三つの隊にわかれ、黙々として敏捷に、たちまち行動を起しました。
私はすっかり元気になって、第一隊の先頭に立ち、表玄関を目懸けて駈け出しました。
「オイ少年、静かに忍びこむのだよ」
たちまち注意を喰いました。そうです、これは戦争じゃなかったのでした。あまり活溌にやると、妖怪たちは逃げてしまうかも知れません。
玄関は静かでした。訓練された七名の警官は、まるで霧のように静かに滑りこみました。階下の廊下は淡い灯火の光に夢のように照らし出されています。気のせいか、黄色い絨氈が長々と廊下に伸びているのが、いまにもスルスルと匍い出しそうに見えます。
そのとき私の腕をソッと抑えた者があります。ハッと駭いて振りかえると、何のこと白木警部です。
「怪物のいる部屋は何処かネ」
と警部は私の耳に唇を触れんばかりに囁きました。
「……」
私は無言のまま、すぐ向うの左手の扉を指しました。老婦人を囲んで、怪しげなる服装をつけた頭のない生物が、蜥蜴のように蠢めいているところを又見るのかと思うと、いやアな気持に襲われて参りました。
警部は首を上下に振って大きい決心を示しました。「懸れッ!」サッと警部の手が扉の方を指しました。
黒田巡査が最先に飛び出して、扉の把手に手をかけると、グッと押しました。
「オヤ、あかないぞ」
ウーンと力を入れて体当りをくらわせてみましたが、どうしたものかビクとも開かないのです。
「警部どの、これァ駄目です」
「扉を壊して入れッ。三人位でぶつかってみろ」
三人の逞しい警官が、たちまちその場に勢ぞろいをすると、一、二イ、三と声を合わせ、
「エエイッ」
と扉にぶつかりました。グワーンと音がするかと思いの外、呀ッと叫ぶ間もなく、扉はパタリと開き、三人の警官は勢いあまってコロコロと球でも転がすように、室内に転げ込みました。どうやら鍵は懸っていなかったものらしいのです。
一同は思いがけぬことに、ちょっとひるんで見えましたが、
「それ、捕縛しろッ」
と警部が激励したので、ワッと喚いて室内に躍りこみました。そこには予期していたとおり、頭のない洋服を着た怪物がゾロゾロと匍いまわっていました。
「ウム」
とその一つに手をかけるとたんに、ピシリとひどい力で叩かれました。警官は呀ッと顔をおさえたまま尻餅をつきましたが、叩かれたところは見る見る裡に紫色に腫れ上ってきます。
あっちでもこっちでも、警官が宙に跳ねとばされています。壁へ叩きつけられて気絶をするもの、ガックリと伸びるものなどあって、形勢は不利です。
ピリピリピリピリ。
もうこれまでと、警部は非常集合の警笛をとって、激しく吹き鳴らしました。
素破一大事とばかりに裏門の一隊と、表門に待機していた予備隊とが息せききって駈けつけました。
警部はその二隊を、問題の室には向けず、階段の影に集結しました。この上乱闘をしてみたって、あの怪物には到底歯が立たないことを悟ったからでしょう。
「機関銃隊、配置につけッ」
たちまち階段の影に三挺の機関銃を据えつけました。しかし引金を引くわけにはゆきません。向うの室では、味方の警官も苦闘をつづけていれば、老婦人もどこかの隅にいるかと考えられるからです。唯一つの機会は、室から外へ出てくる怪物があれば、この機関銃から弾丸の雨を喰らわせることが出来ます。
「うーむ、今に見ていろ」
警部は自暴自棄で、苦闘している部下のところへ飛びこんでゆきたいのを、じっと怺えていました。それは犬死にきまっていますが見す見す部下が弱ってゆくのを眺めていることは、どんなにか苦しいことでしょう。戦いの運はもう凶のうちの大凶です。
鬼影を見る
「呀ッ、出て来たッ」
果然、モーニング・コートを着て、下には婦人のスカートを履いた奴が、室の入口からフラフラと廊下の方に現れました。生け捕りにはしたいのですが、こう強くてはもう諦めるより外はありません。死骸でも引き擦って帰れると、成功の方かも知れません。
「撃ち方ァ始めッ」
ダダダダダダダダーン。
ドドドドドドドドーン。
銃口からは火を吹いて銃丸が雨霰と怪物の胴中めがけて撃ち出されました。
「この野郎、まだかッ」
バラバラと飛んでゆく弾丸は、黒いモーニングの上にたちまち白い弾丸跡を止め度もなく綴ってゆくのでした。とうとう洋服の布地の一部がボロボロになって、銃火に吹きとばされました。
怪物の腹のところに、ポカリと大きい穴があきました。それだのに怪物は、悠々と廊下を歩いているのです。
「あの怪物には、身体も無いぞ」
誰かが気が変になったような悲鳴をあげました。なるほどモーニングの大きい穴の向うには、背中の方のモーニングの裏地が見えるばかりで中はガラン洞に見えました。こんな不思議な生物があるのでしょうか。
「あれは洋服だけが動いているのじゃないだろうか」
一人の警官が、いくら雨霰と飛んでゆく機関銃の弾丸を喰らわせてもビクとも手応えがないのに呆れてしまって、こんなことを叫びました。しかしその証明は、立ち処につきました。というのは、破れモーニングの怪物が、こんどはノソノソと、機関銃隊の方へ動き出したのです。
ビュン、ビュン、ビュン、ビュン。
異様な音響を耳にしたかと思うと、そのモーニングはサッと走り出しました。呀ッと一同が首をすくめる遑もあらばこそ、機関銃がパッと空中に跳ねあがり、天井に穴をあけると、どこかに見えなくなりました。
「これはいかん」
と思う暇もなく、一同の向う脛は、いやッというほどひどい力で払われてしまいました。
「うわーッ」
警部と私とが助かったばかりで、あとは皆将棋だおしです。もう起きあがれません。警官隊は全滅です。
モーニングの怪物はと見てあれば、フワフワと開け放された玄関に出てゆきました。玄関には入口の扉の影だけが、月光に照らされて三角形の黒い隈をつくっています。
怪物はその扉の向うへ出てゆきました。出て行ったと思う間もなく、玄関の厚い硝子戸にモーニングの影がうつりました。
「おお、あれを見よ、あれを見よ」
警部さんは生きた心地もないような慄え声で叫びました。
おお、それは何という物凄い影でしょうか。硝子戸に月が落とした影は、モーニングだけの影ではなかったのでした。稍淡い影ではありましたが、モーニングの上に、確かに首らしいものが出ています。その頭がまた四斗樽のように大きいのです。
モーニングの袖からも手らしいものが出ていますが、それが不釣合にも野球のミットのような大きさです。
いやもっと駭くことがあります。
その大きい頭部が、見る見るうちに角が出たり、二つに分かれたり、そうかと思うとスーッと縮んで小さくなったり、その気味の悪さといったらありません。なんと形容して云ったらよいか。
ああ、そうだ。
「崩れる鬼影!」
影が崩れる、鬼の影――というのは、これなのです。私は背中に冷水を浴びたように、ゾーッとしてきました。血が爪先から膝頭の辺までスーッと引いたのが判りました。一体これは何者でしょうか。
鬼か、人か?
妖怪屋敷を照らす満月の光は、いよいよ青白くなって参りました。
異変の夜は、まだいくばくも過ぎていないのです。
続いて起ろうとする怪事件は、そも何か。
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