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空中漂流一週間(くうちゅうひょうりゅういっしゅうかん)

作者:未知  来源:青空文库   更新:2006-8-24 15:55:16  点击:  切换到繁體中文



   思わざる怪影


「ああっ、――」
 豪胆ごうたんをもって鳴る「火の玉」少尉も、全く思いがけないこの不意打には、腹の底から大きなおどろきの声をあげた。
 闇夜あんやの空を漂流ひょうりゅう中のゴンドラの中には、彼ただひとりがいるばかりだと思っていたのに、意外にも意外、突然マイクを持つ手首をぎゅっと掴まれたのだから、この愕きももっともであった。
「だ、誰だ!」
 味方か、敵か?
「火の玉」少尉がうしろへふりむくのと、彼の左手首のうえに、焼きつくような激しい痛味を覚えるのと、それが同時であった。
「あっ、な、なにをするッ」
 といったが、手首は骨まで折れたかと思うようなひどい疼痛とうつうで、眼があけていられないくらいだ。でも「火の玉」少尉の眼は、その奇々怪々なる相手の姿をとらえた。
「き、貴様、何者だ!」
 怪漢は、白い歯をむきだすと、彼の背後から組みついた。ひどい剛力ごうりきだった。
日本人ヤポンスキー、黙れ。生命が惜しければ、反抗するな」
 そういう相手の言葉は、ロシア語であった。
(ははあ、ソ連人だな!)
 この闖入者ちんにゅうしゃは、さっきもいったとおり、なかなかの剛力だった。そのうえ、「火の玉」少尉は、左手首に不意打をくっていて、いまだにそれがしびれているのだった。だから力もなんにも入らない。それを承知でか、相手は六条のくびにまきつけた腕をぐんぐん締めつけてくる。
「うーむ、こいつ……」
「火の玉」少尉にとっては、二重の危難きなんであった。いずれも予期しなかった不意打の危難であった。たいていのものなら、もうこの辺で他愛なく気絶をしているところであるが、危難が大きければ大きいほど、強くはねかえすのが「火の玉」少尉の身上だった。彼はいま、もうすこしで息が停ろうというのに、横眼をつかって、ゴンドラの中の大切な器械器具の配列位置を頭脳の中につめていた。
「日本人、はやくくたばれ!」
 闖入ちんにゅうの怪ソ連人は、さらに六条の頸にまいた腕に力を入れた。
「うーむ」
 とうなって、「火の玉」少尉の上半身が後にのけぞる。
「日本人、まだ死なぬか!」
「うーむ」
「火の玉」少尉の上半身は、えびのようにうしろにのけった。彼の背後から組みついている怪ソ連人までが、硬い少尉の頭を胸にうけかねて、ゴンドラのふちにひどく押しつけられた。
「こら、そうっくりかえるな。始末にわるい奴だ、うん」
 と、怪ソ連人が、六条の身体を前に押しかえしたそのときのことだった。
「えい、やっ!」
 ふりしぼるような叫びごえが、今の今まで死んだようになっていた、「火の玉」少尉の咽喉のどの奥からとびだした。と、彼の身体が水の中にもぐるような恰好で、すとんと沈んだ。
「わわっ、――」
 奇妙な悲鳴とともに、少尉の背後に組みついて勝ち誇っていた怪ソ連人の身体が、南京ナンキン花火のように一転して、どさりと前方へ飛んでいった。
 このとき「火の玉」少尉がもし手を放したとすると、怪ソ連人の身体は、ゴンドラのふちの上をとび越えて、あっという間に、なんのつかまりどころもない空間に放りだされていたことであろう。少尉はそれを心得ていたと見え、相手の袖を手許へぐっと引張りつけたので、相手はゴンドラのかどで、いやというほど尻の骨をうったまま、身体をさかさにしてずるずると籠の中にくずれ落ち、そのまま動かなくなった。なにゆえに敵を助けるのか、「火の玉」少尉の心中ははかりかねた。
「どうだ、もう一度来るか」
 少尉は、足を伸ばして怪人の頭を蹴とばした。だがかの怪人は、気絶でもしているのかなんの反抗も示さなかった。
 その間にと思って、「火の玉」少尉は再びマイクをとりあげ、急ぎの報告を電波にたくすつもりで、
「ハア、こっちは××繋留気球第一号の六条です。電波はつづいて出ているでしょうな。このゴンドラの中に、ソ連人が一名忍びこんでいました。どうやらゴンドラの外からのぼってきたもののようです。今気絶していますが、あとでよく調べあげて、知らせます」
 そういう少尉の声は、普段話をしているときとすこしも変っていなかった。これがどこへ飛ばされるとも分らない漂流気球の中に、心細くも生き残っている人の声とは、どうしてもうけとれなかった。

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