深夜の空襲
ピカリ――
と、暗黒の空に、真青な太い柱がとびあがった。
照空灯だ!
太い光の柱は、生物のようにぐうっと動きながら、夜の空をかきまわした。それにぶっちがいに、また地上から別の照空灯の光がサーッと閃いた。どっちも、同じような場所を探している。――とたんに、いいあわしたように、光の柱はパーッと消えた。あたりは再び闇となった。しかし照空灯の強い光の帯だけが、いつまでもアリアリと眼の中に残っていた。どっちもかなり遠方で、方角からいうと、直江津よりもだいぶん東の方だ。海岸に陣地をしいている部隊が敵機を探しているのらしい。
川村中尉は、聴音機の上にとびのって、聴音手のそばにピッタリ身体をよせていた。さっきまで首をふっていた大きな聴音ラッパは、今は天の一角をさしてすこしも動かない。――ついに敵機の爆音をとらえたらしい。
ヒラリと中尉は地上にとび下りる。
ピリピリピリピリ。
注意せよ?――というしらせだ。
「……各個に対空射撃用意ッ!」
だが、高射砲はまだ沈黙して、ウンともスンともいわない。
そのときゴウゴウゴウと、天の一角から、底ぢからのある聞きなれない怪音がひびいてきた。――すわッ! 敵機近づく!
その刹那だった。
サーッと、白竜のように、天に沖した光の大柱! それが、やや北寄りの空に三、四条、サーッと交叉した。
とたんに、空中に白墨でかいたようにまっ白に塗られた怪影があらわれたのだった。――兵はブルンと慄えた。恐ろしいからではない。待ちに待った敵機をついにとらえたからだ。なんとも奇怪なS国超重爆撃機の形!
ドドドドーン。
ダダダダーン。グワーン、グワーン。
照準手が合図を送ると、砲手が一イ二ウ三イと数えて満身の力をこめて引金を引いたのだった。
ズズーン。
グワーン、バラバラバラバラ。
天空高く、一千メートルとおぼしき高度のところに、ピカピカピカピカと、砲弾が炸裂して、まるで花火のようだ。
だが敵機は、照空灯を全身に浴びたまま、ゆうゆうと砲弾の間を飛んでいる。
「ウヌ、ちょこ才な……」
高射砲にはすぐに新しい七十ミリの砲弾がつめかえられ、砲手はすばやく引金を引いた。砲弾は、ポンポンと矢つぎばやに高空で炸裂する。しかし敵機は憎らしいほど落ちついている。――そればかりか、機体の腹のところについていた縞が崩れて、なにか白いものがスーッと落ちてきた。
「あッ、やったぞ、爆弾投下だッ……」
誰かが大声で叫んだ。
白い爆弾の群は、斜に大きな曲線をえがいて落ちてくる。……一秒、二秒、三秒……。
ヒューッ、ウウーンという不気味な唸音をきいたかと思ったその瞬間、
グワ、グワ、グワーン。
ドドドドーン。
ガン、ガン、ガン、ガン。
目がくらむような大閃光とともに、大地が海のようにゆらいだ。ものすごい大爆発! まぢかもまぢか、聴音機の大ラッパがたちまちもげて火柱の間を縫うように吹きとんでゆく。それをチラリと見たが……。
「ウウーン。ば、万歳!」
悲痛なさけびごえ。
それにしても、ものすごい狙だ。わが部隊をぶっつぶそうとてか、破甲弾をなげおとしたのだった。
「……照準第一、あわてるなッ」
どこからか、川村中隊長のさけぶ声が響いてきた。
「中隊長どの、平気の平左であります……」
タダダダーン。シューッ。ダダダダーン。
勇猛なる兵は、手足をもがれても、部署から離れぬ。砲弾は、照空灯の光の柱をおいつづける。もう一弾!
それ、もう一弾!
ピカピカピカと、空中に奇妙な閃光が起ると見る間に、ぶるンぶるンと異様な空気の震動――とたんにパッと咲いた真赤な炎! あッという間もなくメラメラと燃えひろがり、クルクルクルとまわりだした。
「うん、命中だ。敵機は墜落するぞう!」
「バ、バンザーイ」
敵機は、すっかり炎につつまれて、舞いおちる。……
「……さあ、残るはもう一機だッ。もう一がんばりだ。はやく探しあてるんだ」
伸びくる毒の爪
それまで直江津の町は、幸いにも、夜襲機の爆撃からまぬかれていた。
旗男は、不安な面持で、高田市方面と思われる方角の空と地上との闘いをみつめていた。空中に乱舞する照空灯、その間に交って破裂する投下爆弾、メラメラと燃えあがる火の手、遠くからながめても恐ろしい焼夷弾の力!
「あれが、この町の上に降ってきたんだったら、今ごろは冷たい屍になっているかもしれない……」
町いったいは、申分のない非常管制ぶりだった。直江津の全町は、まったく闇の中に沈んでいた。旗男は、この町の防空訓練のゆきとどいていることに感心していた。
そのとき、けたたましく半鐘が鳴りだした。
「オヤッ……」
と思って、ふりかえってみると、火事だ。近くの国分寺の方角だ。
「オヤオヤ、変だぞ」
火事は一箇所と思いのほか、町の南にあたる安国寺の方角にも起っている。そこへもう一つ、東の方に現れた――黒井の窒素会社の方角だ。――爆弾もなにも降ってこないのに、一時に三箇所の火事だなんて、どうもおかしい! と、思っていると、少年が二人ほど自転車にのって通りかかった。彼等は声を合わせてどなってゆく……。
「火の用心! 火の用心! 皆さん火に気をつけて下さい。一軒から必ず一人ずつ出て警戒していて下さいよう。いまの三箇所の出火は、どうもこれもS国のスパイがやった仕事ですよう」
「ナニ、S国のスパイ」
スパイは、だにのようにしつこく、この直江津の町に食いついているのだった。なぜ、この小さい港町が、スパイにねらわれるのだろう。同時に三箇所から起った火事というのも不思議だったが、やがて町の人には、そのわけがわかるときが来た。それは突然、音もなく町の上に落下してきた爆弾の雨!
「焼夷弾だッ……」
と気がついたときには、既に遅かった。
いわゆる爆弾とよばれる破甲弾や地雷弾とちがって、あまり大きな破裂音をたてない。だが投下弾は、民家の屋根を貫き、天井をうちぬいて畳の上や机の横に転がり、そこではじめてシュウシュウと、目もくらむような眩しい光をあげて燃えだすのだ。
そしてアレヨアレヨという間に畳も柱もボーッと燃えだした。たちまち室内は一面の火の海となり、なおも隣家の方へ燃えひろがっていった。
まったく手の下しようもない。みるみる火勢はものすごさを加えていって、往来へとびだしてみると、もう屋根の上へ真赤な炎が、メラメラと顔をだしていた。早く逃げなければならないが、この強い火の海にとりまかれてはどちらへ逃げてよいかわからない。まったく気のつきようが遅かった。三十秒以内に、落ちた焼夷弾のまわりの畳や襖や蒲団などの燃えやすい家具に、ドンドン水をかけてビショビショに濡らせばよかった。すると焼夷弾がクラクラに燃えさかり、はげしい火の子を吹きだそうと、その火の子の落ちたところが濡れていれば、あたりに燃えひろがる心配はなかったのだ。
焼夷弾の防ぎ方をハッキリ心得ている人が少かったばかりに、焼夷弾を全町にくらった直江津の町には、敵機の注文どおりに一時にドッと火の手があがった。
行方をくらました一機が直江津の上空にしのびこんだので、スパイは三箇所に火事を起して、直江津の町がここだと敵機に知らせたわけだった。だから焼夷弾は、町の上にちゃんと正しく落ちた。
「姉さん、逃げましょう――」
旗男は火が迫ったのを見て、姉をうながした。このとき姉はゴソゴソ押入を探していた。
「ちょっと、旗男さん。……逃げるにしても防毒面がなければね。もう一つあったはずだが……ああ、あった。旗男さん。早くこれをかぶんなさい」
さすがに軍人の家庭は用意がよかった。
旗男は、非常な感激とともに、その防毒面を情ぶかい姉の手からうけとった。
「……旗男さん。あんた、この町にぐずぐずしていちゃいけないわ。きっと東京は、もっとひどい空襲をうけていてよ。家はお父さまもお母さまも御病気なんでしょ。竹ちゃんや晴ちゃんでは小さくて、こんなときには頼みにはならないわ。こっちは大丈夫だから、あんたは急いで東京へ帰ってよ、ね、お願いするわ」
「ええ……」
旗男もさっきから、そのことを心配していたのだ。早く帰らないと申分ない。
そのとき裏手から、また焼けつくような煙がふきこんできた。
「さァ、姉さん、はやく……」
姉と坊やとを押しだすようにして庭へとびおりた。そのとき猛火はもう羽目板に燃えうつっていた。
廂からといわず、窓からといわず息づまるような黒煙が濛々と渦をまいて追ってくる。……旗男は渡された防毒面をかぶろうとしたが、一体、姉たちの用意はいいのかしらと心配になって、後をふりかえった。
「おお……」
旗男は、姉とその愛児の正坊とが、それぞれの頭にピッタリ合った防毒面をかぶっているのを見て感心した。――そこで旗男もあわててスポリとかぶった。煙がその吸収缶に吸われて、とたんに息がらくになった。姉たちは、その間に旗男のそばをぬけて、スルリと門外にとびだした。
真向こうの大きな二階建の家には、焼夷弾が落ち、階下で燃えだしたと見え、家ぜんたいが、まるでしかけ花火のような真赤な炎に包まれていた。すさまじい火勢が、家ぜんたいをグラグラとゆすぶった。旗男はハッと立ちすくんだ。
「あッ、姉さん、あぶないッ!」
と、叫んだが……それは残念にも、すでに遅かった。とたんに家はものすごい大音響をあげて、ドッと道路の上に崩れおちてきた。――ああ、いましも正坊を抱いた姉が駈け出したばかりのその道路の上に……。
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