暁の空襲警報
茨城県湊町の鮪船が四艘、故郷の港を出て海上五百キロの沖に、夜明を待っていた。
その鮪船は、いずれも無線の送受信機とアンテナとを備えていて、魚がとれると、遠く内地海岸の無線局を呼び、市場と取引の打合せをすることができるのであった。
磯吉という漁夫の一人が、用便のために眼をさました。東の空は、もうかなり白みがかっていた。舳に立つと、互に離れないように、艫と艫とを太い縄で結びあわせた僚船の姿が、まだ寝足りなそうに浮かんでいるのが見えた。この天気では、今日もどうやら不漁のような気がする……と思いながら、彼は明けゆく海原を前にして、ジャアジャアと用をたしはじめた。
そのときであった。
「はてな、変な音がする……」
彼はふと遠い空から、異様な響の聞えてくるのをきいたのだ。
「ああ、そうか。……こいつはまた海軍の演習にぶつかったかな」
海にくらしている彼等にとって、何よりも嬉しいことは、思いがけぬ海上で、わが艦隊の雄姿を見ることだった。これも、演習で、海軍機が飛んでいるんだろう。……
「だが、海軍機にしちゃ、すこし音が変だな。非常に音が高いし、その上、おそろしく響く音だ! なんだろう」
磯吉はまだ気がつかず、ボンヤリと眺めていた。怪音は、すばらしい速さで、ゴウゴウと大きくなってきた。音の来る方角が始めてわかったので、磯吉は好奇心にかられながら、なおも空を見上げていると、やがて晴れゆく朝霧の向こうに認めた機影!
一機、二機、三機、……
いやそれどころではない。たいへんな数だ。しかも驚いたのは、その飛行機の形だ。まるで蝙蝠を引きのばしたような、見るからに悪魔の化身のような姿! 長いこと飛行機は見てくらしたが、こんな飛行機を見たのは、後にも先にもたったいまが始めて……。
「あッ、これァ大変だ!……起きろ起きろ、みんな! 妙な飛行機が通っているぞう!」
磯吉はドンドン足を踏みならしながら、大声で呼ばわった。その音に、漁夫たちは、下から裸のままゾロゾロと駈けだしてきた。
「あッ、これはいけねえ」
と叫んだのは、昨年航空隊から除隊して来た太郎八という若者だった。
「……変なところを飛んでいるが、これは確かにS国の超重爆撃機だ。……さあ早く、これを○○無線局に知らせなきゃァ」
敵機の大集団きたる! この鮪船からの警報は、それから数分ののちに、○○無線局を経て東部防衛司令部に達した。――
「○○無線局発。午前五時十五分、北緯三十六度東経百四十三度ノ海上ニアル茨城県湊町在籍ノ鮪船第一大徳丸ハ有力ナルS国軍用機ノ大編隊ヲ発見ス、高度約二千メートル、進路ハ西南西。超重爆撃機九機ヨリナル爆撃編隊七隊ナリ。以上」
超重爆六十三機の一大爆撃編隊の強襲だ!
防衛司令部は、俄かに活気づいた。
警報の用意が命ぜられた。
五百キロの海上だとすれば、あと二時間位で帝都の上空に達するはずだった。海上の防空監視はむつかしい。
この発見がもうすこし遅かったら、どうなったろう。思っても冷汗が流れる。
用意は出来た。
香取司令官は、厳然として「空襲警報」を下命した。
警報の発令と同時に、防空飛行隊にも出動命令がくだった。つづいて高射砲隊などの地上防空隊へも、それぞれ戦闘命令が発せられた。
マイクロホンの前で、中内アナウンサーは、命令遅しと待つほどもなく、香取司令官は手をあげた。
「ラジオ放送で一般に通報せよ。――司令部発表、南及び北関東地区、午前五時二十分、空襲警報発令!」
アナウンサーは、司令官の命令を復誦した。
「よろしい。落ちついて放送せよ」
アナウンサーは大きくうなずいて、マイクロホンに向かって唾をのんだ。さすがに顔の色がちがっている。
伝令があわただしく駈けてゆく。参謀が地図の上に赤鉛筆で数字を書き込む。副官が奥の戸棚から大きな掛図を小脇にかかえてきて、下士官に渡す。下士官は要領よくそれを壁に掛けてゆく。
ジ、ジ、ジーとしきりにベルが鳴る。着剣をした警戒兵がドヤドヤと入ってきて、扉の脇に立つ。――防衛司令部の中はまるで鉄工場のように活発になった。
暁の夢を破られた市民は、ドッと外にとびだした。サイレンがブーッ、ブーッと息をつくように鳴っている。夜霧でびっしょり濡れた朝の街路の上を拡声器から出るラジオの音がガンガンと響いてゆく。
「……空襲警報……空襲警報が発せられました。敵機は約二時間以内に帝都上空に現れるものと見られます。あッ……、ただ今、防衛司令官から諭告が発せられる模様であります。……香取閣下を御紹介いたします」
それにつづいて、香取将軍の重々しい声が響いてきた。
「私は香取中将であります。先程の発表にありましたるごとく、有力なるS国爆撃機隊は太平洋上より刻一刻、帝国本土に接近しつつあります。本官は既に防衛諸部隊に命じ、虐非道の敵隊の撃滅を期しております。さりながら悪運のつよき敵機の一部が、本土内に潜入するやも計りがたく、ここに於て忠勇なる国民諸君の、一大奮起をお願いする次第であります。沈勇と忍耐と協力とにより、完全なる防護を尽くされんことを希望してやみません。おわり」
このラジオを聞いた東京市民は、ただちに立って、大日本帝国万歳を絶叫した。暁の町から町を、熱血みなぎる声は、つよくつよくこだましていった。
恐ろしき空中作戦
正確にいうと、午前七時二十分――怪翼を左右にひろげた敵の爆撃機は、ついに帝都の上空にその姿をあらわした。
「おお、来た来た。あれが敵機だッ」
「うーン、やってきたな。さあ落せるものならどこからなりと、爆弾を落してみやがれ!」
市民は南の空をにらんで、覚悟を固めた。
しかし、敵機は、どこを潜って帝都上空に侵入して来たのだろう。
さきに、太平洋の鮪船から発した「敵機見ユ……」の警報にあったとおり、S国の日本空襲部隊は、超重爆撃機九機よりなる編隊を、次々に連ねて、東京へ東京へと、爆音もの凄く進撃をつづけたのであった。
わが防空監視船の警報は、あとからあとから防衛司令部へとどいた。
「爆撃機ハ九機ノ編隊七箇ヨリナル」
「爆撃編隊ハ高度約二千メートル、針路ハ真西ナリ」
「針路ヲ西南西ニ変ジタリ」
「只今上空ヲ通過中ナリ」
こうしてS国の空襲隊の様子は、手にとるようにわかって来た。
防衛司令部からの命令で、志津村と谷沢村との防空飛行隊に属する戦闘機○○機は、すでに翼を揃えて飛びだした。
ところが敵空襲部隊は、本土にあともう百五十キロというところで、急に陣形を変えた。
モロレフ司令官は、光線電話をもって、第一編隊長ワルトキンに、いそいで命令した。
「ワルトキンよ。貴隊は犬吠崎附近から陸上を東京に向かい、工業地帯たる向島区、城東区、本所区、深川区を空襲せよ。これがため一瓩の焼夷弾約四十トンを撒布すべし!」
「承知! 我等が司令! 直ちに行動を始めん」
焼夷弾を積んだこの第一編隊は、本隊から離れると、犬吠崎をめがけて驀進していった。
「第二編隊長、ミルレニエフ」
「おう、われ等が司令。破甲弾の投下準備は既に完了しあり」
「貴官は東京湾上より北上して、まず品川駅を爆撃したる後、丸の内附近より上野駅附近にわたる間に存在する主要官公衙その他重要建造物を爆撃し、東京市東側地区の上空に進出すべし。但し、東京市上空に進入の時期は第一隊より五分後とす」
「承知」
第二編隊は爆撃隊だった。
すぐに機首を西南の方に廻して、本隊を離れていった。
「第三編隊長、ボロハン!」
「おう……」
この編隊は、地雷弾と毒瓦斯弾とを半分ずつ持っている。
「貴隊は松戸附近より、東京の北東部にでて、まず環状線道路及び新宿駅を爆撃破壊したる後、東京市北部及び西部の繁華なる市街地に対し瓦斯弾攻撃を行い、住民をして恐怖せしめ擾乱を惹起せしむべし!」
「承知!」
第三編隊も、隊列を離れていった。第四編隊と第五編隊とは毒瓦斯と焼夷弾、第六編隊は地雷弾をもって、川崎横浜方面の爆撃を命ぜられた。毒瓦斯弾と細菌弾とを持った第七編隊にも特別な命令がくだった。
恐るべき作戦だった。このまま彼等の思い通りに爆撃が行われるとしたら、東京、横浜、川崎の三市は、数時間のうちに死の都となってしまうだろう。
司令官は、第七編隊を率いて進撃しつつ、ニヤリと笑って、
「さあ、これからいよいよ日本帝国を亡ぼし、東洋全土をわがS国植民地とするその最初の斧をふりおろすのだ。ああ、愉快!」
と、航空地図上の日本本土の横腹に、赤鉛筆で大きな矢印を描き、更に日附と自分のサインを誇らしげに書きいれた。
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