防空飛行隊の活躍
志津村の飛行隊は、緊張のてっぺんにあった。
帝都から、数十キロほどはなれた、この飛行場には、防空飛行隊に属する諸機が、闇のなかに、キチンと鼻をそろえて並んでいた。
今しも三機の偵察機が、白線の滑走路にそい、戦闘機の前をすりぬけるようにして、爆音勇ましく暗の夜空に飛びだした。
場外に出ると、三機はそれぞれ機首を別々の方向に向けて、互に離れていった。前に出発した三機と合わせて、六機の偵察機の使命は、某方面から入った警報にもとづき、敵機を探しに決死の覚悟でとびだしたのだった。
「まだ、その後の報告はないか」
と、屋上の司令所にがんばっている隊長は、通信班長の軍曹にたずねた。
「はッ、まだであります」
「遅いなあ。何もわからぬか」
「はッ、さきほど報告いたしましたとおり、敵機らしきものから打ったあやしい無電をちょっと感じましたが、その方向をつきとめないうちに、怪電波は消えてしまいました。北西の方向らしいとわかったきりで、明瞭でありませぬ」
「敵機は、よほど用心しているな。相当に高く飛んで来ているように考えられる」
そのとき、通信兵がツカツカと室に入ってきて、一枚の紙片を軍曹に渡した。
「あッ。……ただ今、先発隊の第二号機から通信がありました。――『本機ニ二三〇三地点ニ達セルモ敵機ヲ発見スルニ至ラズ』……とあります」
「あッ。……ただ今、先発隊の第二号機から通信がありました。――『本機ニ三〇三地点ニ達セルモ敵機ヲ発見スルニ至ラズ』……とあります」
防空飛行隊が暗夜に必死の活動をつづけている間、帝都では、非常管制をはじめ、あらゆる防護の手段が着々として用意されていった。
五反田の裏通では、闇の中に、防護団の少年と住民との間に、小ぜりあいが始まっていた。
「おじさん。どうしても灯を消さないというのなら、僕は電灯をたたきこわしちゃうがいいかい」
「そんな乱暴なことをいうやつがあるか。電灯の笠には、チャンと被がしてあるし、窓には戸もしめてあるよ。外から見えないからいいじゃないか」
「だって、皆が消しているのに、おじさんところだけつけておくのはいけないよ。敵の飛行機にしらせるようなものじゃないか。おじさんは非国民だよ」
「なに非国民! これは聞きずてにならぬ。子供だからと思って我慢していたが、非国民とはなんだ。おれはこんなに貧乏して、ゴム靴の修繕をやり、女房は女房で軍手の賃仕事をしているが、これでも立派に日本国民だッ。まじめに働いているのがなぜ悪いんだ。仕事をするためには、下にあかりを出さなきゃできやしないぞ」
「だって、空襲警報の出ている少しの間だけ消せばいいのじゃないか。それをやらないから、非国民に違いないや。オイ皆、いくらいっても駄目だから、電球をとってしまおうよ」
ワーイという少年の声、家の中からキャーッとあがる悲鳴、靴屋のおじさんは棒をもって少年の方に打ちかかってきた。
「コラ、待て、この非常時に、喧嘩するのは誰だッ」
バラバラと近づく足音――格闘の中に飛びこんできたのは鍛冶屋の大将だった。
「なんだ、これァ……防護団の少年と、靴屋さんじゃないか」
「そうだよ、靴屋だよ……」
「まてまて、これァどうしたのだ」
そこで、靴屋のおじさんと少年たちとの言分をじっと聞いていた鍛冶屋軍曹は、やがて、強い感動をあらわしていった。
「よくわかったぞ。……少年たちは任務に忠実で、実に感心したぞ。それから靴屋のおじさんもこの非常時におちついて仕事をはげんでいるのには感心した」
「でも、あかりを消さないから、非国民だい」
「これこれ、もうすこし黙っていなさい。……そこで少年たちよ。今後、帝都が空襲されることは、たびたびあろうと思う。空襲警報もたびたびでて、何時間も非常管制がつづくことだろう。ところがいまは平時とちがって、戦争中だ。戦争は軍人だけでは出来ない。沢山の品物が入用だ。国民は、平時よりも仕事が忙しくなる。すこしでも仕事を休むことは国家の損なのだ。非常管制のたびに、全国の工場が仕事を休むとしたら、戦争に使う品物の製造は間に合うだろうか」
「……」
少年は皆、黙っている。
「品物が間に合わんと困る。いま、お前たちのゴム靴に穴があいていたとしよう。直しにやったが、非常管制で穴を直すことができなかったらどうだろう。お前たちは穴のあいた靴を履いて、往来を歩いている。そこへ敵の飛行機が糜爛性の毒瓦斯イペリットを落した。さあ漂白粉をバケツに入れてその上に撒かないと、沢山の市民が中毒する。さあ行け、といわれたとき、穴のあいたゴム靴を履いていて、それでイペリットの上を歩けるかね――」
鍛冶屋軍曹の言葉は、火のようにあつかった。
「それは歩けないだろう。靴の穴が直っていなけりゃ、消毒に行けないし、無理に行こうものなら、穴からイペリットが染みこんで、足の裏が火ぶくれになる。ひどければ、そこから身体が腐り出して死んじまう。そうなるのも、元は何から起ったことだといえば、非常管制のとき靴屋の仕事を休んだためだ。どうだわかったろう。――灯火管制で、外から灯を見えなくすることは防衛上もちろん必要なことだ。だがサァ空襲だ、ソレ電灯のスイッチをひねって真暗にしてしまえ……では感心できない。外からちっとも見えなくすると同時に、家の中で仕事が出来るようにして置くのが、もっともゆきとどいた灯火管制のやり方だ。そういう人は非国民どころか、甲の上の模範国民だ、そうだろうが……」
非国民と悪口をいった靴屋のおじさんが、模範国民だと聞かされて、少年たちは眼をパチクリ。どうして、靴屋のおじさんにあやまろうかと、小さい頭を寄せてコソコソ囁いていたが、やがて、一人の少年が一番前に出て、直立不動の姿勢をとると、両手をあげて大声で叫んだ。
「甲の上の、靴屋のおじさんとおばさん、バンザーイ」
「うわーッ、バンザーイ。バンザーイ」
思いがけない万歳の声に、靴屋のおじさんは、びっくり仰天したが、ハラハラと涙をこぼし、溝板に立ちあがるなり、
「忠勇なる少年諸君、バンザーイ。……おじさんも仕事をはげむから、どうか御国のために、帝都の防衛のことはみなさんによく頼んだよ。おじさんは嬉しい……」
そういう声の下に、そこにニコニコと立っていた鍛冶屋の鉄造の胸にワッといってすがりついた。
孝行の防毒室
防空飛行隊の強行偵察のかいもなく、帝国領土内に侵入したと思われた敵機の行方はついにわからなくなってしまった。防衛司令部へは「敵機ヲ発見セズ」という報告ばかりが集ってきた。各地の監視哨からも、なんの新しい報告も入ってこない。――帝都の附近は、午後十一時になって、ひとまず非常管制が解かれた。
「空襲警報解除! 只今より警戒管制!」
こんな夜更に、睡りもやらぬ少年団は、命令一下、まっくらな町を、寺の塀外を、そしてまた溝板のなる横町を、メガホンを口にあて大声で知らせて歩いた。
警戒管制に入ったので、町は少し明るくなって、住民たちは蘇生の思だった。防護の人々は、交替に休むことになった。
どこからともなく、ホカホカと湯気の立つ握飯が運ばれてきた。大きな西瓜をかつぎこんでくる紳士もあった。少年たちを、それぞれ家に帰らせようとしたが、なかにはどうしても帰らないで、この天幕の隅で寝るというがんばり屋もあった。とにかく帝都の町々は、ちょっと、ひといきついたという形だった。
旗男少年は、どうしたのであろうか。彼は今朝東京へ帰って来たが、いろいろ旅のつかれで弱りこんでいるのだろうか。そういえば、彼の姿は、防護団のなかにも見えなかったが。
いや、その心配はしないでよろしい。この朝、旗男は家へかえると、すぐ弟と妹とに手伝わせて防毒室を作りにかかったのだ。
旗男は両親と相談して、洋間の書斎を第一防毒室にすることにきめた。そしてまず、窓のガラスは、外から大きな蒲団でかくし、その上に、長い板をもってきて、蒲団をおさえつけるようにして両端をとめた。これなら爆弾のひびきでガラス窓がこわれ、そこから毒瓦斯が入ってくるという心配はない。
その次は、畳をあげて、床板の隙間に眼張をはじめた。兄弟三人ともお習字の会に入っていたので、手習につかった半紙の反古がたくさんあったから、これに糊をつけて、二重三重に眼張をした。それができると、その上に新聞紙を五枚ずつおいて畳を敷いた。これで床下からくる瓦斯は防げる。
「こんどは窓框と窓の戸との隙間と、それから壁の襖の隙間に、紙をはるんだよ」
洋間風にこしらえた部屋だったから、隙間はわりあいに少かった。
扉が二つあったが、一つは諦めて眼張をした。一つの扉から出入りすることにして、その内側には毛布でカーテンをおろした。
これは昨夜、汽車の中で鍛冶屋の大将のやったのを見習ったのだった。――これで、第一防毒室はできあがった。しかし、仕事はそれですんだのではなかった。
こんどは、防毒室の前の部屋に、同じような眼張をした。これが前室だった。
「いいかね。外から入ってくるときは、この前室をとおって、それからもう一つ奥の防毒室に入るんだよ。つまり家の外の毒瓦斯は途中に前室があるので、奥の防毒室には瓦斯がほとんど入ってこないというわけさ」
「あら、うまいことを考えたのね。どこで教わってきたの」
「なァに、『空襲警報』という本があったのを知っているだろう。あれを本箱の中にしまっておいた。それを、今日は引ぱりだして、見ながら作っているんだよ。ハッハッハッ」
「まあ、その本をしまっておいてよかったわね、兄さん」
「さあ仕事はまだある。急いで急いで」
旗男は、さらに竹男と晴子とをうながして、前室にあてた八畳の部屋にある押入の中のものをドンドン外に出して、この押入に眼張をほどこした。
「兄さん、ここは、お手伝いさん用の防毒室なのかい」
「そうじゃないよ。お手伝いさんも皆と一緒だ。これは、万一、第一防毒室が壊れても逃げこめるように作ったんだ。つまり第二防毒室さ」
旗男は、これでもう大丈夫だと思った。それに防毒面が一つあるから誰か時々これをかぶって外に出て、ちょっと防毒面と頭の間に指で隙間をつくり、嗅いでみればよい。
窒息性のホスゲンは堆肥くさく、催涙性のクロル・ピクリンはツーンと胡椒くさく、糜爛性のイペリットは芥子くさいから、瓦斯のあるなしはすぐわかるのだ。
「お父さんも、お母さんも、もう安心ですよ。すっかり防毒室が出来ました」
両親は旗男たちの働きを、病床から涙をだして喜んだ。旗男の旅行で、遅れていた家庭の防護設備も、兄弟の協力でどこの家にも負けないくらい堅固に出来あがった。
三人の兄弟は、にわかに腹がドカンとへったのを覚えた。そこへ、お手伝いのお花さんが山のように握飯をもって入ってきた。三人はウワーといって、まわりから手を出した。
「ああ、おいしい」
「町の防護団でも、いま、おにぎりを食べていますのよ。ホホホホ」
お手伝いさんは笑ってつげた。
夜は、不安をみなぎらせたまま、だんだんと更けていった。ひどく蒸暑い夜だった。
防護団は時間をきって、警戒員を交替させた。衛生材料がいっぱいつまった赤い十字のついた大きな箱が配給されてきた。どこからどこへ行くのか、重機関銃をもった一隊の兵士が、粛々と声もなく通りすぎていった。
「鍛冶屋の大将。今夜は来ないらしいね」
「おお分団長。警報は出ないが、しかし油断はならないぜ」
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